第7章 遠くの声、近くの闇
霧嶽高原センターのロビーは、夕刻の冷たい空気に沈んでいた。
救急隊の怒号も、家族の嗚咽も、どこか遠くに聞こえる。
三上遼は、壁際のテレビの前に立ち尽くしていた。
画面には、気象庁の会見室。
白い蛍光灯の光が、机の上の資料を冷たく照らしている。
現場の灰色の空気とは、あまりにも違う世界だった。
「まもなく、霧嶽の噴火に関する会見を開始します」
アナウンサーの声が響く。
その瞬間、ロビーの空気がわずかに揺れた。
救助隊員も、家族も、登山者も、
誰もがテレビに視線を向けた。
壇上に立ったのは、火山課の主任研究官。
白髪まじりの髪、深い皺、そして疲れ切った目。
その表情は、専門家の自信とは程遠かった。
「本日十一時五十二分、霧嶽で噴火が発生しました」
淡々とした声が、ロビーに落ちた。
「噴煙は二千メートル以上に達し、
火山灰は山麓まで到達しています。
現在、噴火警戒レベル3を継続中です」
三上は、胸の奥が冷たくなるのを感じた。
――現場の混乱と、会見の静けさ。
――この温度差は、何だ。
記者たちの質問が続く。
「前兆はあったのか」
「予測はできなかったのか」
「登山者への警告は妥当だったのか」
主任研究官は、わずかに目を伏せた。
「……前兆は、ほとんどありませんでした」
ロビーの空気が凍りついた。
「十日前に火山性地震が増加しましたが、
その後は落ち着き、
噴火の兆候は確認されませんでした」
三上は、思わずテレビに近づいた。
――専門家でさえ、読み切れなかった。
主任研究官は続けた。
「今回の噴火は“水蒸気噴火”と考えられます。
地下水が急激に加熱され、
圧力が一気に解放されるタイプの噴火です」
「水蒸気噴火は、前兆が極めて読みづらい。
火山性地震も、地殻変動も、
必ずしも明確なサインを示しません」
ロビーの誰もが、息を呑んだ。
「つまり……予測は困難だった、ということですか」
テレビ越しの質問が、ロビーの空気を震わせた。
主任研究官は、苦しげに頷いた。
「……はい。
今回の噴火は、現時点の観測技術では
事前に予測することは、ほぼ不可能でした」
三上は、胸の奥が締め付けられるのを感じた。
――誰も悪くない。
――だが、誰も救えなかった。
その残酷な事実が、灰の匂いとともに沈んでいく。
記者の一人が声を上げた。
「では、登山者は“運が悪かった”ということですか」
主任研究官は言葉を失った。
その沈黙が、答えだった。
ロビーの隅で、誰かが泣き崩れた。
三上は、喉の奥が焼けるように痛んだ。
――運ではない。
――だが、説明できる言葉もない。
会見は淡々と続いた。
だが、三上の耳には、
主任研究官の最後の言葉だけが残った。
「……自然は時に、
人間の理解を超える振る舞いを見せます」
その瞬間、三上は悟った。
――現場の混乱。
――救助隊の挫折。
――専門家の沈黙。
すべてが、ひとつの線で繋がっている。
霧嶽は、
“予測できなかった”のではない。
“予測させなかった”のだ。
テレビの画面が暗転し、会見は終わった。
ロビーには、
救急車のサイレンと、誰かの嗚咽と、
灰の落ちる音だけが残った。
三上は、胸の奥で何かが静かに崩れるのを感じた。
――この一日は、まだ終わらない。
その確信だけが、冷たく残った。




