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果てしなく長く凍りついた日  作者: 双鶴


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第5章 編集部の影

霧嶽高原センターの外に出ると、夕方の光が灰に遮られ、

世界は薄暗い灰色に沈んでいた。

救助隊は戻り、山は沈黙し、空気は重く、冷たかった。


三上遼は無線を握りしめたまま、しばらく動けなかった。


――助けたいのに、助けられない。

――それが、今日の現実なのか。


そのとき、無線が震えた。


「三上、状況はどうだ」


大畑デスクの声だった。

だが、その声の奥に、別の気配があった。


「……救助隊は撤退しました。噴石が激しく、接近は困難です。

 負傷者は多数。山頂の状況は不明のままです」


「わかった。本社が“数字”を求めている。

 負傷者の数、取り残されている人数、救助隊の動き……

 できるだけ早く送ってくれ」


三上は、無意識に拳を握りしめた。


――数字。

――この状況で、数字。


「……まだ確定情報はありません。現場は混乱しています」


「混乱していても、数字は必要だ。

 読者は“規模”を知りたがっている。

 今どれだけの人が危険に晒されているのか、それが重要なんだ」


その言葉は、三上の胸に重く沈んだ。


「……危険に晒されているのは、数字じゃなくて、人です」


思わず口をついて出た言葉だった。


無線の向こうで、短い沈黙が落ちた。


「三上、気持ちはわかる。

 だが新聞は“事実”を伝える場所だ。

 感情ではなく、数字で状況を示す必要がある」


「感情じゃありません。

 現場にいると、数字なんて……ただの記号にしか見えないんです」


「記号でも、必要なんだ」


大畑の声は低く、静かだった。


「数字がなければ、読者は“何が起きているのか”を理解できない。

 数字がなければ、行政も動かない。

 数字がなければ、救助の規模も決まらない」


三上は言葉を失った。


――数字が、人を動かす。

――だが、数字は、人の痛みを伝えない。


その矛盾が、胸の奥で軋んだ。


「……わかりました。できる範囲で送ります」


無線を切ると、三上は深く息を吐いた。

灰が風に舞い、視界が揺らぐ。


センターの壁際では、家族らしき人々が泣き崩れていた。

「まだ連絡がないんです……」

「山頂にいるはずなんです……」


三上は、胸の奥がさらに冷えていくのを感じた。


――数字ではなく、この声を伝えたい。

――だが、それだけでは記事にならない。


その葛藤が、心を締め付けた。


そのとき、背後から声がした。


「三上くん」


振り返ると、大畑デスクが立っていた。

灰にまみれた顔で、静かに三上を見つめていた。


「……すまん。本社がうるさくてな」


三上は首を振った。


「大畑さんのせいじゃありません」


大畑は、しばらく黙っていた。

そして、静かに言った。


「三上。

 記者は、誰かの痛みを預かる仕事だ。

 だが同時に、社会に“伝える”仕事でもある。

 どちらか一方だけでは、記者は務まらない」


その言葉は、三上の胸に深く沈んだ。


「……わかっています。でも……」


「わかっていないから、苦しいんだ」


大畑は、灰の降る空を見上げた。


「今日一日で、お前は変わる。

 記者としても、人としても。

 だが、それでいい。

 変わらなければ、この仕事は続けられない」


三上は、言葉を失った。


霧嶽は、遠くで黒い噴煙を吐き続けていた。

その静けさは、どこまでも冷たく、どこまでも残酷だった。


三上は、胸の奥で何かが軋むのを感じた。


――この一日は、終わらない。

――そして、終わったとしても、元には戻れない。


灰が風に舞い、世界が揺らいだ。


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