第2章 山麓のざわめき
霧嶽高原センターの駐車場に足を踏み入れた瞬間、
三上遼は、空気の“重さ”に気づいた。
焦げたような匂い。
乾いた灰が風に乗って舞い、頬に触れるたびにざらりとした感触を残す。
空はすでに灰色に濁り、太陽の輪郭がぼやけていた。
「こっちだ、担架を!」
「まだ意識がある、急げ!」
救急隊員の怒号が飛び交い、
灰にまみれた登山者が次々と運ばれてくる。
センターの入口前には即席の救護スペースが作られ、
毛布に包まれた人々が震えていた。
三上はカメラを構えたが、指が一瞬だけ止まった。
――この光景を、どう言葉にすればいい。
目の前の現実は、あまりにも唐突で、あまりにも冷酷だった。
「真っ暗になったんです……」
「音がしなかった……」
「気づいたら、隣にいた人が倒れてて……」
断片的な証言が、三上の胸に突き刺さる。
その声は震えていたが、震えているのは声だけではなかった。
三上自身の心も、同じように震えていた。
センターの奥から、警察官が走ってきた。
「山頂付近に取り残されている登山者が多数。救助隊は接近困難とのこと!」
「ヘリは?」
「噴煙が強すぎて近づけない!」
その言葉に、周囲の空気が一瞬止まった。
三上は、胸の奥がさらに冷えていくのを感じた。
――助けに行けない。
――時間だけが過ぎていく。
センターの壁際では、家族らしき人々が泣き崩れていた。
「まだ連絡がないんです……」
「山頂にいるはずなんです……」
三上は声をかけようとしたが、喉が固まったように動かなかった。
記者としての義務と、人間としてのためらいが、胸の中でぶつかり合う。
そのとき、無線が鳴った。
「三上、聞こえるか」
大畑デスクの声だ。
「こちら三上。現場は混乱しています。救助隊は山頂に近づけず、負傷者多数。詳細はまだ……」
「わかった。だが本社が“数字”を求めている。負傷者の数、取り残されている人数、救助隊の動き……できるだけ早く送ってくれ」
三上は、無意識に拳を握りしめた。
――数字。
――この状況で、数字。
「……わかりました。確認します」
無線を切ると、胸の奥に重いものが沈んだ。
その重さは、今日だけのものではなかった。
三上は、ふと胸の奥に沈んでいた“古い痛み”を思い出した。
――あの日も、数字を優先した。
――そして、誰かを傷つけた。
その記憶が、灰の匂いとともに蘇る。
だが、立ち止まることは許されなかった。
センターの外では、救急車のサイレンがまた響き始めた。
その音は、まるで“終わりの見えない一日”の鐘のように聞こえた。
三上は深く息を吸い、カメラを握り直した。
――逃げることはできない。
――この一日を、見届けるしかない。
灰が風に舞い、視界が揺らぐ。
霧嶽は、遠くで黒い噴煙を吐き続けていた。
その静けさが、何よりも残酷だった。




