本能-geandert
私は今日も紙粘土で銀の鳥を彫る。既に数十体の銀の鳥が紙粘土で彫られ、机のあちこちに散乱していた。数年ぶりの作業に最初こそ不安が募ったものの、今ではあの頃のように自然と感覚的に彫る事ができるようになっている。彫刻をしていると精神が研ぎ澄まされる。私はこの感覚が好きでたまらなかった。
自宅療養中は、殆どの時間をこうして彫刻に割いていた。そして時折、ホルテからの手紙に返事を書く。そのような平凡な日々を送っていた。
私がこうして銀の鳥を彫るのは、本番に備えての事だった。本命の作品は最高傑作と言える程の出来栄えでなければならない。その為にも、一切の油断無く銀の鳥と向き合っていた。
整った輪郭に、美しい銀色の髪。そしてこちらを吸い込むような銀色の可憐な瞳。散乱している自分の作品を見る度に、ある幻想を思い出す。いや、あれは幻想等ではない。それを強く認識する為にも、私はこうして日々彫っているのだから。
紅葉が落ち果て、雪が解け、春の陽射しが窓から差し込んでも、変わらず、一日たりとも手を休めずに“銀の鳥”と向き合っていた。ただひたすら作業に熱中する日々を送っていた。
そうしていると、何故だろうか。不思議と、私がカーヤに対してできる事――いわば役割が見えてくるのだ。
私は元来、役割という言葉が嫌いだ。それでも、人にはそれぞれやるべき事があるという事を、カーヤによく似た姿をした作品に、痛感させられるのだった。
私はすれ違いから母を殺めたが、遠い回り道をして、ようやく母を――リゼ・フリューリングという人間を、自分の中に受け入れる事ができるようになった。ならば次にする事は、自ずと分かってしまうというものだ。
果たして私にそれが務まるとは到底思えない。けれど、それを言い訳にして逃げる事は許されない。何より、私には責任がある。カーヤと呼ばれる一人の乙女を呼び覚まし、彼女と繋がってしまったという責任が。
やがて空に入道雲が浮かぶ季節になると、本命に取り掛かり始めた。ぬるい風が窓から吹いてくるので、これからするある作業の為にも窓を閉めた。クローゼットにしまっていたある物を取り出すと、思わず心臓が切なく脈打った。この瓶の中に入っているのは、紛れもなくルーカスなのだ。例え骨になろうとも、彼が彼である事実は揺るがない。
実家から帰ってから数日後に、私は我に返った。私はルーカスの死を通報せず、私自身で彼の死体を処理した。そして、あまつさえ彼の一部を持ち去ってきたのだ。その事を初めて自覚した際はあまりの動揺に、頭の中が真っ白になった。だが、そんな脳裏にいつか言われた言葉が蘇ったのだった。
“僕はあいつらと同じ墓に入るなんてごめんだよ。もちろん、向こうがそれを拒んでくるだろうけどさ。だから、そうだな――どうせなら、海の中で静かに眠っていたいな。誰にも知られずにね”
もしも私がルーカスの殺害現場に駆けつけた際に通報していたら、彼の遺体は当然ながら実家へと渡されただろう。だが、果たしてそれは、彼の望む事なのだろうか?
これは、自分の勝手な行いを肯定する為の思考であるという事は承知の上だ。それでも、どうしても、社会的に正しいとされる行いを実行する事が腑に落ちなかった。もちろんルーカスはとうに死んでいる。けれど、死人にくちなしという言葉があるように、彼の本音が世間に無視されるのは、どうしても嫌だった。
紙粘土に彼の遺灰――骨片をすり潰したもの――を混ぜ込む。やがて白い粉塵は完全に粘土に包み込まれ、素材と一つになった。全神経を集中させ、彼の形見を彫ってゆく。
一ミリのミスも許されない緊張感と、ようやくこの時がやってきたという高揚感に包まれながら手を動かす。時間という概念がこの世から無くなったかのような錯覚に陥る程に、ひたすらに“彼女”の姿をした彼を彫った。
やがて作品は完成した。いや、厳密に言えば、完成はまだなのだが――ひとまず形にはなった。純白の肌と銀色の長い髪が月の光に照らされ輝いている。そしてまつげの長い両の瞳は固く閉ざされている。人間の顔程の大きさである端正な少女の彫刻を前にし、私は何とも言えぬ感情に包まれた。
私は、作品を――彼を――ぎゅっと強く抱き締めた。もう私の傍からいなくなって欲しくはない。このままこの作品を自室に置いておけば、私は彼とずっと一緒にいられる。
だが、それでは駄目なのだ。そんな未練がましさからこの作品を制作した訳ではない。これは、彼から私に与えられた課題であり、私はそれに応えなくてはならない。ちょうど、数年前に彼から彫刻を教わった時のように。
翌日、私は布に包んだ作品と共に、列車に揺られた。車窓から海が見えるようになると、途端に私の胸はザワついた。この念は果たして郷愁か、それとも緊張か、はたまた悲しみなのか。色々なものが綯い交ぜになり、それまで無理やり平生を保っていた私は、不安に駆られた。それでも無慈悲に列車は停車し、扉が開く。私は機械のような足取りで列車を降り、凪のような心地で目的地へと向かった。
久しぶりに嗅ぐこの町の香りは、悲しいくらいに何も変わっていなかった。波の打ちつける音が耳に届く。なんて寂しい音色だろう。私は、久しぶりに足を運ぶこの砂浜にそのような印象を抱いた。目的地である海岸の奥まで歩く。
一歩足を踏み出す度に、思い出したくない光景が蘇り、脳裏に痛みが走る。生気を感じさせないルーカスの顔が、血の溢れた脚が、脳内を占領しようとしてくる。縋るように布越しの作品を抱き締め歩を進めると、目的地へと到着した。随分長い事歩いたような気がする。この場所には通い慣れていた筈なのに、何故かそう感じた。
私は、俯いていた顔を上げ、“あの場所”を視界に入れた。途端、堪えきれなくなった両目から大粒の涙が溢れ出した。今にも叫び出してしまいたかった。この場所から逃げ出してしまいたかった。
それでも私はこの現実を直視する必要がある。震える心を叱咤し、“あの場所”――ルーカスの死に場所の前方にある一際大きな岩礁の上に腰掛ける少女に目線を移す。すると、久しぶりに会う少女は、屈託なく笑った。
「久しぶりだね、あんな。でも、どうしてそんなに泣いてるの?」
私は、一呼吸置いてから、言った。
「きみを迎えに来た」
その掠れた声を聞いた少女は、一瞬ぽかんとした後、すぐに歓喜の声をあげた。
「むかえに……? もしかして、あんなもわたしと永遠に一緒になってくれるの?」
私は、嬉しそうに震える少女の手を握ると、足が海水に濡れる事も構わず共に海へと歩き出した。少女は抵抗する事なく着いてくる。やがて脛まで海水に浸ると、作品を布の中から取り出し、布をポケットの中にしまう。その作品は、今私の隣にいる少女と瓜二つの容貌をしている。だがこの作品は彼女ではない。そして彼女も、この作品をかたどった姿形である必要もない。
「それ、わたし?」
少女が不思議そうに私を見上げる。
「違うよ。この姿は、私が勝手に君に押し付けただけのもの。だから君はもうその姿に縛られなくていい。何より、命に明確な形はいらない。本来の君でいていいの」
私がそう答えると、少女は、端正な相貌を困惑の色に染めた。
「なんだかあんな、前とは全然違う。なんでだろう、前まではおんなじだったのに……」
少女は、私の右手を弱々しく握った。そして、それまで胸中を覆っていた靄が晴れたかのような、爽やかな声色で続けた。
「でも、嫌じゃない。あたたかいの。まるで、るーかすと一緒にお散歩していた時みたいに」
私は、その少女の言葉を聞いて安堵した。まだ未完成なものの、少なくともその資格はある私になれたという何よりもの証明だったからだ。彼女の言葉に背中を押される気分になったと同時に、不安が全身を駆け巡る。それでも私は、私の役割を全うしなければならない。たとえどんなに下手くそでも、私がする事によって多少は効果があるだろう。
いや、効果も大切だが、それよりももっと大切なものがある事を忘れてはいけない。もう二度と忘れたりなどしない。彼にどれ程救われたか、教わったかを生涯胸に留めて生きてゆく。
目線が同じになるように作品を持ち上げる。かつて私の心に居座っていた幻想が、今にも瞳を開きそうだった。
私は、銀の鳥の姿となった彼にはなむけのキスをしようと、彼の唇を私の唇に近づけたが、既のところで躊躇し、彼の顔を離した。その行為に感謝の念だけではなく、私的な理由まで入り混じっているような気がしたからだ。そのような卑怯な真似などしたくない。もうルーカスを利用したくなどない。
気分を切り変えるように頭を横に振ると、震える両手で作品を海面へと近づける。嫌だ、もう私の傍から離れないで。そう震える魂を必死に抑え込み、彼を海へと流す。
それなりに重量のある彼は、海面の向こうへと沈んでゆく。気づけば私の両手はそんな彼を追っていた。刹那、ルーカスと過ごしたこれまでの短いようで長い日々の映像が、走馬灯のように流れていった。
私は、いったいどれ程のものを彼から与えられ、そして利用していた? もうこれ以上彼を縛る訳にはいかないのだ。それを分かったつもりでいたのだ、私という人間は。
海中から両手を出し、波に流されてゆく彼を眺める。すると、おかしな事に、海水に浸かっていない筈の顔が濡れている事に気がついた。その水は、海水にしては熱いように感じた。
「あんな……? 今いなくなちゃったのって、るーかすだよね。どうして流しちゃったの?」
隣から聞こえてきた声により、私は我に返った。見ると、少女は困惑していた。
私はなんて事をしていたのだろう。隣にいる彼女の事も忘れ、感傷に耽るなど――与えられた命題を果たすには情けない。
「ごめん、もう平気。……きみのお父さんは、ずっと自由を求めてたんだ。だから、これで良かったんだと思う」
私は、両腕で涙を拭うと、彼女に向き直った。そして未だ震える両手を差し出す。
「さっききみが言ってた通りだよ。私は、きみと一緒になる為にここに来たの」
「いっしょ……? でも、あんなは、もう……」
「きみは私を同類として求めていた。けれど、きみが本当に欲しがってるのはそうではないはず。さっき、私の事をあたたかいって言った。その感覚は、何に似ていたの?」
少女は、数秒間程呆然とその場に立ち尽くしていた。が、しばらくすると、彼女は吸い寄せられるように私の元へと飛び込んできた。抱き締めてきた彼女に応えるように、私も抱き締め返す。すると、辺り一面が、まるで水中にいるかのような景色へと移り変わった。透明感のある碧い世界は、不思議と居心地が良かった。
抱き締め合ったままの彼女を見やると、先程までとは違う容貌となっていた。それは以前、息絶えたルーカスを発見する直前に見た夢に出てきたものと同じだった。ルーカスとアンジェリカ、どちらの面影も感じさせる姿。私の幻想の美少女と比べると素朴ではあるものの、愛らしさを感じさせるには十分だった。
むしろ、あの銀色の美少女よりも、こちらの方が今の私には愛おしく思える。もしかすると、この姿が本来あり得た、あるいは、あり得たかもしれない姿なのだろう。
「ありがとう、ずっと、大好き」
かつてカーヤと呼ばれていた女の子は、幸福そうな幼い笑顔を浮かべながら、そう言った。そしてそれと同時に、碧い世界へと滲むようにその姿を消した。その瞬間、私の内側に新たな命が生まれたのが分かった。
気づけば周囲は、元に戻っていた。水中を模したかのような世界は消え去り、二種類の碧が広がる場所が広がっていた。先程の現象に関しては詳しい事は分からない。だが、意識があの子と同調していたという事は実感から分かった。そして、あの子が消えた訳ではないという事も。
目を閉じると、かすかに産声が聞こえた。それはまるで私の心臓の奥で響いているようだった。確かに分かる。私の中に、かつてカーヤと呼ばれた存在がいる事を。
今ならルーカスの言葉がわかる。私は決してひとりではない。何故なら、貴方に教えて貰ったものを、次は私が貴方の娘に教える番なのだから。




