8-3 見知った影
海岸沿いの比較的小さな町に、一部民宿が固まって存在している。私が仕事先の候補としてまず選んだのは、最も大きな民宿だった。大きければ大きい程、客は多くなる。という事は、雇われ者も多くなるという事。
わざわざ大きな所を選んだ理由としては、私以外のアルバイトスタッフも欲しかったからだ。掃除や後片付けならば黙々とこなせる自信があったが、料理となるとてんでダメだった。という事で、既に私以外にもアルバイトがいそうな場所が理想的だったのだ。
そこは五十代前半くらいの夫婦が経営していた。どちらも気前の良い、いかにも接客業に向いていそうなタイプだった。面接は奥さんと二人きりで、奥の個室で行われる事となった。
面接といっても、私が想定していたものよりも遥かに難易度の低いものだった。質問された事といえば、ここで働きたい理由と、ここの海岸の魅力くらいだった。私は、前者はありのままに、後者はいくらか詩的に表現してしのごうと試みた。
すると明るい面接官は、その場ですぐに合格判定を出してくれた。いつから働けるかと聞かれたので、私は明日のルーカスとの事もあり、明後日と答えた。その他にも何か質問はないかと尋ねられたので、早速質問してみた。質問というのは、例のアレである。私以外のアルバイトスタッフはいるのか。そう聞いてみたところ、奥さんは、満開の笑顔で「いるわよー。とっても頼もしい男の子が一人。後で紹介するわね」と朗らかに答えた。
私は、その奥さんの回答にまたもや安堵しつつも、電話を借りられないかと尋ねた。すると、玄関口の方にある電話を使ってくれ、と許可を出してくれた。
私は、「すぐに用を済ませてきます」と感謝を述べてから、奥の個室を後にし、玄関口の方へ向かった。その途中、少年とすれ違った。私は、思わず彼を目で追っていた。すると彼も同じく、私の方を見やった。すれ違った後、私の心臓ははちきれんばかりに脈打っていた。
何故なら先程すれ違った少年に、酷く見覚えがあったからである。私とだいたい同じくらいの外見年齢、黒い髪に、鼻ら辺に散ったそばかす。見間違いようがない。彼は、いつかあの場所――カーヤと始めて出会った、彼女の母親が亡くなった場所――で遭遇した事のある少年だ。
彼は以前、カーヤの母親――アンジェリカの死地に、花束を備えていた。それに、彼自身が言っていた。アンジェリカの事を「姉さん」と。
私は、脳内に爆弾を仕掛けられた心持ちで玄関口へと向かった。電話を見つけるなり、急いでホルテの連作先へと繋げる。しばらくの間、縋るような思いでコール音を聞いていた。すると、そうしないうちにホルテが受話器に出た。焦るあまりうまく呂律がまわらない。その様子にホルテは本来とは異なる結果を想像したのか、『あぁ。そうだったのね。面接、お疲れ様。次頑張りましょう』と労うような声色で優しく言った。
「いや、違う! 違うって! 面接は受かったの!」
私はそれに対し、素早く返した。
『あら? そうだったの、おめでとう! アンナったら喜びすぎじゃない? 気持ちはわかるけども』
受話器の向こうから聞こえてくるホルテの声は、心底不思議そうな声色を帯びていた。
私は、物凄く悩むあまり脳内がぐるぐると回り始めた。ホルテに今この場で打ち明けたい衝動でいっぱいだった。同じ職場にカーヤの母親の弟がいるという事。そして、私は彼とほんの少しだけ面識があるという事。だが、万が一彼に聞かれでもしたら面倒くさい事になりそうな予感がしたので、ここは堪える事とした。
その代わり、明日の午前中に話したい事があると告げた。案の定、ホルテは仕事があるのではないかと案じたが、本格的なアルバイト生活は明後日からである為、明日は時間があると説明すると、納得してくれた。私は、ホルテと明日の約束を取り決めると、急いで奥さんの元へと向かった。
奥さんは、旦那さんと共にスタッフルームのテーブルに腰掛けて待機していた。私は急いで、二人の正面の席に腰を下ろした。
「改めて、これからよろしくね、アンナちゃん。一年もいないっていう話だけど、その短い間もどうか仲良くしようね。もし困ったことがあったら、何でも言っていいんだよ」
奥さん――バルバラさんが朗らかな笑みを湛えてそう言った。
すると旦那のフランツさんが、口を挟んだ。
「うちの女房ったらいきなりこんな事言って。驚かせただろうけどいつもこの人はこうなんだ。妙に甘すぎるっていうかね。とにかく、仕事は仕事だから真剣にやってもらうよ」
「もう、アンタったらそんな言い方はないでしょう」
バルバラさんが、困ったように言った。
私は、夫妻の温度差のありすぎる会話に狼狽えながらも、「は、はい。これからよろしくお願いします」と何の変哲もない挨拶を返した。
それから、地獄のような時間が続いた。それは他愛もない世間話であったが、人見知りの私には苦痛以外の何物でもなかった。だが、そのような時間もある時を境に終わりを告げた。新たにスタッフルームに入室してくる人物がいたのだ。バルバラさんは、その人物に向かって嬉しそうに声をかけると、私の席の隣に座るよう促した。
自分の心音が全身に響き渡る。私は、隣に腰掛けた人物を恐る恐る振り返った。
やはり。私の予感は的中していた。
向こうも、私と目が合うなり、眉間に皺を寄せその瞳の奥に緊張の色を宿した。私たち二人の間に走る緊張感にも気が付かずに、バルバラさんがその人物について紹介し始めた。
「じゃあ、ちょうど良い事だし。紹介するわね。アンナちゃん、その子はここで働いているアルバイトの一人で、ユリアン・フォーゲル君よ。歳も同じだし、とても器用な子だから、何か仕事のことで困ったら彼に相談してみるのも良いかもね」
私は、その人物の名を聞いた途端、脳内で無造作に電流が走っているかのような感覚に襲われた。まともに思考できない私にお構いなく、バルバラさんはかの人物にも私を紹介し始める。そして彼は私に体ごと向け、丁寧に挨拶をしてきた。私は、先ほどよりも冷静な様子の彼に再度混乱しそうになり、会釈をする事が精一杯だった。そして気がつけばスタッフルームからは彼の姿が消えていた。
困惑状態に陥っていた私は、バルバラさんの声掛けにより我にかえった。
「アンナちゃん? 何だか顔色が良くなけど、もしかして体調でも悪いのかしら?」
私は、そのバルバラさんの問いに、新しい環境に置かれて少し緊張しただけだ、と答えた。すると、夫妻は、「そこまで緊張しなくても良いよ。何もここはブラックじゃあないからね」と微笑ましそうに言った。
それから改めて礼を言うと、私はスタッフルームを後にした。そこで、私は信じられない光景を見た。
ユリアン先輩が、子供と話していた。お客様だろうか、なんて思いたかったが、そのような思い込みは許されない。何故なら、あのようなあまりにも特徴的すぎる外見、他にいるわけがないのだから。先輩と話している子供は、間違いなくカーヤだった。先輩は、訝しげにカーヤに詰め寄っている。
「だから、お客様以外の方の立ち入りは禁止しているんです。申し訳ありませんが、外に出てから詳しいお話は聞きます」
先輩の営業的な声が耳に届く。そして先輩は、やけにはしゃいでいるカーヤを外へと連れ出した。私は、今しがた自分の目にした光景が未だ信じられずにただ立ち尽くすことしかできない。だがすぐに我にかえり、玄関へと恐る恐る近づいていく。そして、扉に耳を当て外の会話を盗み聞きすることに成功した。
「ままとおなじ匂いがするから、きっとあなたがままの弟?って人だよね。わたし、わかるもの」
「先ほどから同じようなことをおっしゃっていますが、あいにく私はあなたの母親と面識がありません。おそらく人違いです。なのでどうかお帰りください」
「うーん、そんなに言うならわかった。なら、また明日来るね。バイバイ、ままの弟さん」
それきり、外から会話が聞こえてくる事は無くなった。それからまもなく、先輩が扉を開けて中に入ってきた。彼は苛立ちを隠せていない様子で、苦い顔をしている。そんな彼は私の存在に気がつくなり、いかにも不愉快そうな表情で睨みつけてきた。その相貌は、二年前、海岸で姉の死場所を他者に踏み躙られる嫌悪感からしていた表情と、間違いなく同じものだった。
私は、その視線から逃げるように民宿の外へと出た。そして、庭に咲いている花をしゃがんで眺めていたカーヤに接近していく。するとカーヤは、私の存在にすぐに気が付き、「待ってたよ、あんな!」と花開くような笑顔で振り返り、駆け寄ってきた。
そんな愛らしい彼女に、私はすぐさま詰問した。
「どうしてユリアンと話せていたの?」
私は、率直な疑問をぶつけた。
するとカーヤは、何らおかしい事ではないというふうに、ごく平然といいのけた。
「だってままの記憶の中に強くいた人だったから。お話したくて仕方なかったの」
「そうじゃない。私が聞きたいのは、どうしてユリアンにカーヤが見えていたのかってことだよ」
この噛み合わない会話に少々懐かしさを覚えながらも、イライラしながらカーヤに問う。
「見えるのは当たり前でしょ。だってわたしとあの人は、つながってるんだよ? それに、なんといったってままの音楽の中にいたんだもの」
また、それだ。繋がっている。いったい、カーヤはその言葉を通してどのような意味を伝えたいのだろうか。繋がっているといえば、確かにユリアンとカーヤは血が繋がっていると言えるだろう。だが、果たしてそのような単純な理由からなのだろうか。それに、彼女の言う“音楽”とやらも気になる。
「音楽って、お母さんは曲を作ってたの?」
その私の質問に、カーヤは頭を振る。
「ううん。曲は作ってなかったよ。ただ、その音楽は、ままだけのものだったの。ままの中にずっと流れてた」
私は、余計頭がこんがらがりそうになったので、これ以上考える事をやめた。
ユリアンとカーヤは、実質血縁者だから。もうそういった事にしておこう。これ以上、脳みそがパンクしない為にも。それに、明日には二年前のあの日についての情報が手に入るのだ。その時の為に、脳の容量を残しておこう。
そう思い、私はさっそく今晩泊まる宿を探す事にした。本当はバルバラさんの所で泊まりたかったが、あいにく今日は予約がうまっているらしい。そんな訳で、私は人気のあるであろう海岸沿いから離れ、旧市街地の方へと向かった。当然、カーヤもそれに着いてきた。




