8-2 久しぶり、ホルテ
私は、唯一の友人との約束の地へ足を運ばせた。向かう先は、かつて音楽祭で彼女を目撃した、旧市街地の一角だった。
ホルテは以前よりも大人になっていた。長く伸びた黄金色の髪に、以前よりも落ち着きを感じさせる碧眼。風になびくロングスカートは草原のような薄緑の色をしていて、白いブラウスと良く似合っていた。それらが醸し出す雰囲気に圧倒されるまま、私はホルテの元へと近づいていった。
すると、私の視線に気がついたのか、彼女も私へと目線をやった。途端、彼女の端正な顔はくしゃりと乱れた。眉は下がり、両眼は潤み、唇は僅かに突き出ている。まるで、久しぶりに飼い主に再開した仔犬のようだった。そしてそのままホルテは私に飛びついてきた。その際、彼女の跳躍した涙が太陽に照らされて輝いた。
「アンナ! 会いたかった! 会いたかった!」
彼女は、同じ言葉を必死に繰り返しながら私の胸元で泣いた。私は、そんな彼女の頭を撫でながら、「私も会いたかった。あれきり直接会えなかったもん」と応えた。
ホルテとは、二年間月に二、三度程度の頻度で文通を交わしていたものの、こうして直接会うのは実にあれきりだった。当初は、交換した連作先を利用していたのだが、あいにく私は今の家族と仲が良いとはいえない。そして家に電話は一つだけ。となると、比較的多い兄弟と取り合いになり、そうなると当然ながら私の優先順位は最下層だった。そんな理由で、電話ではなく手紙を通して交流していたのだ。
ホルテが嬉しさから泣くように、私の心も暖かい感覚に包まれる。久しぶりに会う彼女は、以前よりもうんと美しくなっていた。思わず見惚れてしまいそうな程だ。
それから私とホルテは、近くのベンチで数十分話し続けた。積もる話が沢山あった。ホルテの家庭事情や、彼女が最近ハマっているという東洋産の本など、私の現状についてなど。私は、できる限り親戚の家での話をしたくなかった。良い思い出は無いに等しいし、そんな話をしたところで彼女を心配させてしまうだけだ。
そこで、私についての話題が始まろうとした際に、それを防ぐようにトランクから花束を差し出した。それは、ニッポンという国が原産地の、青い花だった。そして同時に、彼女の名前を意味する花でもあった。
「これ。仕事先の花屋で買ってきたんだ。ホルテンジア……ニッポンでは、アジサイって呼ぶんだっけ?」
ホルテは、頬を赤らめながらアジサイを受け取った。彼女は、大事そうに花束を抱えると、ぽろぽろと涙を流し始めた。
「ごめんなさい。こんなに素敵な贈り物、貰えるなんて思っていなかったから、つい……」
ホルテは、涙を拭いながらそう言った。
「良いんだよ。それに、そんなに喜んで貰えるとは思ってなかったから……嬉しい」
私は、自分で口にしてみて、改めて不思議な感覚に陥った。他者からの感情というものは、こんなに自分の内側を変えてしまうものなのか。私がそのぬくもりに浸っていると、泣き終わったホルテが再度感謝の言葉を口にした。
「ありがとう。アンナがこっちにいてくれるってだけで心強いのに、こんなもの貰っちゃったら、もう何も怖くなんてないわ」
そして、数秒の間私と彼女の間に沈黙が流れた。私は、何となくだが、次に出される話題を察する事ができた。
そして案の定、ホルテは神妙な顔つきになり、私に問う。
「もう、後戻りはできないわよ。だってあんた……仕事ももう辞めてきちゃったんでしょう?」
やはり、私の予感は的中した。ホルテにこの件について深く追及されると想定済みだったからだ。場所を変えよう、そう言い出したのはホルテだった。ホルテは、近くの喫茶店でもっと詳しく話そうと提案してきた。私は特に不満はなかったので、首を縦に振った。
元々、こうなる予感はしていたのでさほど驚かなかった。彼女には事前に手紙を通し、フラワーショップを辞め、そちらの方に新しい住居を見つけて働くつもりだと伝えていたからだ。すると彼女は、当初は驚愕の想いを綴っていたものの、私の本気さに気が付き、様々な仕事先を事前に調べてくれるよう約束してくれた。
喫茶店へと踏み入れ、店員に案内された席へと二人で腰掛ける。全体的に木造建ての造りでクラシックが流れており、モダンな雰囲気のする店内だった。
席に座るなり、真正面に座るホルテは、真に迫った表情で問い詰めてきた。
「当然仕事先は、もう決まってるのよね?」
私は、ホルテの追及に、平然と頷いた。
「もちろん。ホルテが教えてくれた、海岸周辺の民宿で住み込みで働こうと思ってる。その間に正式な住居と仕事先も決める」
私は、簡単にけれど熱量が伝わるよう努めながら説明をした。親戚の家に厄介になるようになってから、お小遣いも給料も極力使わず――それこそ、使用したのは合計の十分の一にも満たないだろう、この事も説明して――、この時を二年間もの間待ちわびていたのだと。私は、ここに住み始める事を前提として今日、ここへやってきた。
それらの私の熱弁を浴びせられたホルテは、私の瞳を見据え、静かに頷いた。
「そこまでの覚悟があるなら、私は止めない。それにできる限り協力するわ。でも、どうしてそんなにここに住む事にこだわるの……?」
私は、素直に本来の目的を彼女に話した。
「ホルテといつでも会えるっていうのもある。だけど、他にも理由があるんだ。私にはやらなければいけない事があるの」
ホルテは、私の発言に嬉しそうに目を見開きながらも、不思議そうに呟いた。
「やらなければいけない、事……?」
私は、これまで誰にも打ち明けてこなかった胸の内を晒す覚悟を決めた。何せ、ホルテも部外者ではない案件なのだ。おそらく彼女も、私の目的に強力してくれる事だろう。
私は、大きく呼吸してから、話し始めた。
「カーヤの真実を暴く。カーヤにはまだ謎が多すぎる。現に、まだ私やホルテに彼女が見えた理由がわかっていない。そして同時にあいつ……ルーカスの全てを知る。ルーカスは私に隠してる、あの日の真相を。それに私はまだ、あいつを飼い慣らす事を諦めた訳じゃない。――それらが私の目的で、使命なの」
すると、ホルテは何故か突然泣き出した。両手で顔を覆い、鼻をすすっている。
「え、あ、その……ごめん」
私は、何が何だかよく分からないまま彼女に謝罪していた。何となく、この現状を作り上げているのは私自身であると直感的に悟ったのだ。
するとホルテは、普段の凛とした声色を子供のように上ずらせ、まるで訴えかけるように話し始めた。
「どうして相談してくれなかったの? 私……そんなに頼りないの? 親友だと思ってたのは私だけだったの……?」
ずびずびと鼻をすする音が店内に小さく響いた。客の数人がこちらに視線を向ける。
これではまるで、痴話喧嘩のようではないか……! 私は慌てて、ホルテに再度謝罪した。
「本当にごめん。その……これらの目的は難易度が高そうだし、相談するとホルテは心配すると思ったんだ。何せ、私はあの二人に関わって良い事がなかった。だから、その……ホルテが信用に値しないとか、そういう訳では微塵もないよ。むしろ、物凄く信頼してる。だってホルテは、私の唯一の親友だから」
ホルテは私の言葉を聞くと、「ホントに……?」と嬉しそうに呟き、ハンカチで涙を拭い始めた。その瞳からは、新しく流れてくる涙はない。おそらく、彼女は安心してくれたのだろう。
かくいう私の胸にも安堵が広がっていった。そんなところで、私は、そのようにマイナスな印象を覚えている相手に対して、どうしてここまで知ろうとしているのだろうかと、自身の矛盾にはたと首を傾げた。それも、わざわざ店を辞め、家を出てきてまで。何故こんなにも私の魂はあの二人に執着するのか。これではまるで、導かれているようではないか。
そんなふうに思考を巡らせていたら、ホルテが小さな声で喋り始めた。
「……まぁ、確かにアンナって、変なところ抜けてるし……。これからは、何かあったらすぐ相談してよ。いい?」
私は、そのホルテの問いかけに「もちろん」と潔く返した。するとホルテは、いったん満足したのか、鼻を何回かかんだあと普段通りに戻り始めた。
そして私とホルテは、軽食を口にしてから喫茶店を出た。それから海岸の方へと向かう。ホルテに、早めに面接を受けてこいと念を押されての事だった。ホルテは、採用結果が分かり次第、すぐに電話で報告してくるよう頼んだ。
彼女は別れ際、「面接、くれぐれも気をつけるのよ」と言うと、私の両手を握った。私も、それに応えるように彼女の瞳を真っ向から見据え、黙って頷いた。
だが、この時の私は想像だにしていなかった。私のこの一つの選択が、私やルーカスの運命を大きく変えてしまうものだという事を。




