7-3 長い夢から覚めて
本日2話投稿です。これはその1話目です。
私は目が覚めると病室のベッドに横になっていた。私の覚醒に気がつくなり、看護師が慌てた様子で電話をかける様子が霞んだ視界にぼんやりと映った。
しばらくすると、医師と一人の警察官がやってきた。私は現状に理解が追いつかないまま、医師の説明を聞かされる事となった。
どうやら私は、麻酔銃で撃たれ、その影響により数日間寝たきりの状態だったらしい。私の頭がズキリと痛んだ。おそらく、まだ完全に後遺症が抜けきっていないのだろう。それまで医師の隣で沈黙を貫いていた警察官は、何か覚えている事はないか、と私に静かな口調で尋ねた。完全に置いてけぼりをくらっていた私は、「え?」と間抜けな声で聞き返す事しかできない。
警官は、私の意識がまだ完全に戻ってきていない事を悟ったのか、次は簡単な質問を投げかけてきた。
「君は数ヶ月前から行方不明になっている、アンナ・フリューリング本人で正しいかい」
私は、その警官の質問を聞くなり、これまで自分の置かれていた境遇を思い出した。私は故郷の誰にも何も言わずに逃げ出してきたのだ。そうするとなると、母だけでなく私も捜査対象となるに決まっている。
思い返せば、朝刊にはトロイメライ市の親子二人が行方不明、と記載されていた気がしなくもない。という事は、あの記述は私と母の事だった可能性が高い。となると、母の遺体はまだ発見されていない事となる。私は、想像してゾッとした。クローゼットの中で腐敗し、溶けて原型の無くなった母の姿を。
そして、連鎖するかのように、ある重要な記憶が蘇った。それは私が母を撃ち殺した時の記憶だった。私は、自分が殺人犯であるという事実をこの時ようやく思い出し、すぐ横に佇む警官への恐怖心でいっぱいになった。その為、警察官の問いには縮こまりながら、表情をなるべく見られないよう俯いて「はい、私です」と小さく呟くので精一杯だった。
それからも、色々な事を聞かれた。母の所在について問われた時は、私は何も知らない、とだけ口にした。だって、本当の事なんだもの。どうして母が、私をあんなふうに殺めようとしたのか、知らないんだもの。
それきり私は黙秘を貫いた。何を言われても反応しない私を、精神的危機とでも疑ったのか、警官は詮索をやめ、「よく休むように。また後日来ますからね」と言い残し病室から去っていった。
私は、しばらく呆然としていた。現実という日常が戻ってきたにも関わらず、未だ幻想の世界から抜け出せていない感じがする。そこで、ベッドの横のテーブルに手紙が置いてあるのに気がついた。私がそれを手に取ると、看護師は思い出したように言った。
「それはアンナちゃんを病院まで運んできてくれた子が置いていったものよ。今日はもう帰っちゃったけど、あの子、いつも様子を見に来てたのよ。良い友達ね」
私は、それを聞きながら封筒の封を切った。中身を確認すると、やはり、ホルテからのものだった。その手紙には、こう綴られていた。
安心して。って言っても、もうスタッフの人から聞いてるかもだけど。これを書いてるのはあなたの友人、ホルテンジアよ。なんやかんやあって、私があなたを病院まで運んだの。それについて、今から説明するわね。本当の本当に驚くと思うけど、どうか混乱し過ぎないで欲しいわ。
あなたは、あの廃教会の中で何者かに麻酔銃で撃たれて、気絶したの。で、その何者かっていうのが、どうやらあなたのお母さんの恋人らしいの。これはあいつ……ルーカスって奴から聞いた事。あいつときたら、私が毎日見舞いに来るのを分かってやがったのよ。私があんたの見舞いに行ったある日、病院の入口で待ってたのよ、あいつ。それで、その事について話されたの。それに、こんな事も言ってたわ。もうアンナを危険に晒す要素は完全になくなったって、それで、もう普通の人と同じように過ごせるんだって。
何だかよく分からないけど、あいつ、これらの事は本当の本当だから、絶対に伝えて欲しいって根気強く頼んできたわ。ああ、後、こんな事も言ってた。犯人の事を警察に報告するのは君の判断に委ねる、って。ホント、自分からちゃんと説明しろって話しよね。私は、何が何だかよく分からないから、言われた事をそのまんま書く事しかできないし。
とにかく、目が覚めてくれて本当に良かったわ。この手紙を読んでるって事は、そういう事でしょ?
さっきも書いた通り、私、毎日あんたのところ通ってるからね。明日にでも会えると思うわ。
じゃあ、おやすみなさいね。また明日、アンナ。
手紙から視線を上げると、もう病室に看護師の姿は見当たらなかった。窓の向こうに広がる空は、既に太陽が夜に飲み込まれた後だった。その窓に映る自分の顔は、涙で濡れていてとても見れたものではなかった。
その涙の理由は、ホルテからの真心に感動したものなのか、それとも、完全にもうルーカスという人間が私の世界から消えてしまった事による悲しみからなのか、はたまたどちらもなのか。今の私には、分からなかった。
翌日、やはり面会の時間にホルテがやってきた。彼女は、私の姿を目にするなり、まるで死人が生き返ったかのような驚愕と喜びの入り交じった表情をした後、駆け寄って抱きついてきた。だが、彼女は私がまだ完全に回復していない事を察し、すぐに離れた。ホルテは、看護師からパイプ椅子を受け取り、私の横に腰掛けた。私は、久しぶりに目にする友人の姿が何とも不思議な感じがして、何か言いたげな彼女をただぼんやりと見上げていた。そこで、つい昨日目を通した彼女からの手紙を思い出した。
「あの、ありがとう。手紙、読んだ。今でも何が何だかよく分かってないけど……ホルテが、私の事を想ってくれてるっていうのは分かった」
そして、どもりそうになるのを堪えながら、精一杯声を振りしぼる。
「だから……その、ありがとう。ホルテがいてくれて、良かった」
精一杯声を振り絞った筈が、その私の声は、どこかしぼんでいた。胸中が妙にこそばゆく、声の原因はおそらくその変な感覚によるせいだろう。
すると、ふいに私の右手をぬくもりが包んだ。ホルテの両手が、私の右手をそっと包み込んだのだった。そして、ホルテはその美しい海の色の瞳を涙で滲ませた。
「そんなの、こっちのセリフよ。私、アンナがいてくれなかったら、今ごろひとりぼっちでなんにもできなくなってた」
ホルテの瞳から、とうとう涙がつたい落ちた。
「あの日、アンナが私にしてくれた事、未だに覚えてる。一日だって忘れた事なんてないわ」
私は、ホルテの言うあの日というのが分からなくて、思わず声に出してしまった。
「あの日……?」
するとホルテは、すかさず答えた。
「あの日、私がカーヤの……アンナにとって良い手掛かりを見つけられなかった日の事よ。あの時、私が必死で謝ってる時に、アンナは私にぬくもりを与えてくれた。ここから」
そう言い、ホルテは自身の額を愛おしそうに撫でた。
私は、それによりようやく思い出した。ホルテが言っているのは、私が彼女の額に自分の額を優しくあてた時の事だろう。そう認識した瞬間、私の心はその自分の行為を否定した。
違う。あんなのは、優しさなんかに入らない。だって私は、自分の罪を自白して苦しい時に人にしてもらった事を、ただそのまま真似しただけなのだから。
私は、人を喜ばせる方法や、安心させる方法というものを知らない。そんな私の前で、謝罪しながら悲しみの涙を流している人間がいた。ならば、とりあえず以前してもらった事を試してみよう。そのような、機械的な心地でやった行為にほかならない。
「ホルテ……あの時の私に、気持ちなんて何も無かった。ただ、合理的に判断して冷静にやっただけの事だよ」
私は、そう淡々と口にした。
けれど、ホルテは私に対する失望を微塵も見せはしなかった。それどころか、思ってもいなかった事を口にした。
「それでもいいの。だって私にとっては、それが救いになったんだから」
そう言って、ホルテは私を優しく抱きしめた。彼女の体温によるものか、先程よりも熱く感じた。だが、すぐにそれだけでは無い事に気がついた。なぜなら私の瞳からも、熱源が溢れていたからだ。
それからホルテは、持参したリンゴ――丁寧に一口サイズに切られている――を用意してくれた。私は、つい昨日目覚めたばかりでなかなか食欲が湧かず、自分からリンゴを手に取る事ができなかった。そんな私を見かねたホルテは、わざわざ彼女の言う手を使って私に食べさせてくれた。リンゴを噛み締める度、何故だか涙が溢れてとまらなかった。その度にホルテはハンカチで涙を拭ってくれた。
やがて不思議な面会時間は終わり、ホルテは返った。すると、入れ替わるかのように昨日の警官が病室に入ってきた。私は相変わらず黙秘を貫いた。ルーカスは、話すかどうかは私自身が決めていいと言っていた。ならば、私は何も話さない。あのような思い出したくもない事の数々を、知りもしない人間に易々と教えたくなどなかった。たとえそれが仕事であっても、私の心は沈黙を望んだ。
やがて私は退院が決定し、その頃には警官も諦めて私の元にはやってこなくなった。
私は遠くの親戚に預けられる事となった。ホルテとは毎週文通する約束をし、別れた。本当ならばずっとここにいたかったが、現実はそうも優しく微笑んではくれなかった。
そして私は遠くの地でろくに知らない人間達と共に過ごした。その人間達は、数ヶ月前も行方不明になっていた原因を口にしようとしない私に対し不信感を覚えたのか、私を敬遠した。
私は、またしてもひとりになったのだ。その上、心は真新しい穴を空けて。
結果として、ルーカスという一人の人間の消失は、私の心に大きな空洞を宿す事となった。
第7章完結です。これで謎という謎は全て明かされました。比較的短い章でしたが、目を通してくださった方々、ありがとうございます。※物語はもう少し続きます。




