表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
亡き乙女の空に羽ばたく為に  作者: ちゅんぴ
第7歌 散りゆく約束
70/90

7-(2) 君の為なら僕は

 テオの方へ向かう。幸い彼は、舌を噛みちぎって自決している事もなく、ただ絶望を漂わせた虚ろな瞳で僕を見上げるだけだった。そんな彼に僕は詰問を始める。


「お前とアンナはどういう関係なんだ」


 テオは、それまで虚ろだった表情に穏やかな笑みを浮かべ、答えた。


「娘だよ。義理のね。いや、正確には、なる筈だった子、かな」


 そう答える彼に、僕は間髪入れずに畳み掛ける。


「なぜ殺そうとした」

「彼女を救う為だ」


 テオは即答した。

 何が救うだ、この傲慢野郎。そう罵ってやりたかったが、僕は次の質問に移行した。


「その彼女というのは誰の事だ」


 そうだ。彼の言う“彼女”とは、アンナの事なのか、それともアンナの母親の事なのか。それが最も重要である。

 すると、テオはさも当然とでも言いたげなふうに答えた。


「ああ、彼女っていう表現がいけなかったね。彼女達と言うべきだったか」


 僕は、テオの言う意味がさっぱり分からずに眉をひそめた。


「彼女達というのは、もちろん、あの子――アンナちゃんと、その母リゼだ。リゼは、僕の最愛の女性だった」


 やはり、僕の予感は的中していた。テオは、アンナの母親の恋人だったのだ。

 それからもテオは淡々と語る。僕は罪人の自白を聞く心地でそれに耳を傾けていた。


「リゼはいつも悲しんでいた。娘を、心の底から愛せない事に。だってそうだろ。リゼだって、好きでああなった訳じゃないんだ」


 自分の子供を愛せない親などこの世の中に腐るほどいる。だが、テオの悔恨を孕んだ声色から、リゼという人物は、単純な毒親という訳ではないように思える。テオは、なおも語る。


「リゼは幼少から両親に愛されずに育った。そうなんだ。愛されなかったのは、リゼの方なんだ。だからリゼは、子供ができたら自分みたいに寂しい気持ちにさせないよう精一杯可愛がってみせる、って子供の頃から思っていたそうなんだ」

「それでも、結果はああだったじゃないか」


 僕がすかさず反論すると、テオは「そうせっかちになるな、まだこの話には続きがある」と僕をさとした。僕は、不服ながらも黙って彼の語りを聞く事とした。いちいち反論するよりも完全に聞き手に回ってしまった方がはやい、そう判断しての事だった。


「何も、リゼは最初から娘を嫌っていた訳ではない。子育てという重責を感じながらも、大切な夫と共に娘を愛そうとした。寂しがり屋なリゼは、夫と支え合いながら生きていくだけで幸せだったんだ。だが彼女に待ち受けていたのは希望ではなく、それとは果てしなく真反対のものだった」


 おかしい。圧倒的有利な立場に置かれているのは僕の方の筈なのに、何故だかテオの見上げる顔が恐ろしかった。一見無表情に見える彼の相貌の奥に、計り知れない闇のようなものを見た。


「あろう事か旦那は、妻よりも娘を愛したんだ。それも、人間的な意味だけでなく、一人の異性として。これがいったいどういう意味か、分かるだろう?」


 喉が詰まったように声が出なかった。つい今しがたテオの口にした事実が、どれだけの重さを有しているかを理解してしまったからだ。僕は、できるならばこれ以上聞きたくないという思いもあった。だが、それと同時に、全ての責任を果たすために彼女の身に起きた事柄から逃げてはならないという自戒もあった。


「旦那は妻を裏切りながら、娘に彼なりの愛情表現を繰り返し行っていた。そしてある日その事がバレてしまってね。当然、旦那は警察送りにされたさ。でも、肝心の娘は、父親の処遇に不満を持ち、傷ついている母を責めた。どうして父と離れ離れにするんだ、私は父の事が大好きなんだ。そう言って聞かなかった。そんな訳で、母――リゼは、娘に嫉妬心と嫌悪感を覚えてしまったんだよ。自分よりも旦那に愛されていた事、そして虐待していた父を愛していると口にする事に対してね。でも、そりゃあ仕方ないだろう。だってリゼの反応が君たちの言う“普通”なんだから」


 僕は、その語りを聞きながら上手く息ができずにいた。目からは自然と涙が溢れてくる。両手は震えていた。


「その上、旦那は罪悪感からか、それとも絶望からか留置場で自殺した。まぁ、おそらくそのどちらもだろう。どうやら旦那は、警察に連行される前にずっと泣いていたらしいからね。正常な愛し方ができない自分が憎くて仕方がないって。それはともかく、娘は、大好きな父の存在を失った事で、解離状態に陥った。それまでの父との関係は全て記憶の底に封じられ、代わりに“父は病死した”という記憶が防衛本能として埋め込まれた。僕、アンナちゃんの気持ちわかるなぁ。だって、元からいた人が自分にとって納得のいかない理由から消えるよりも、病死という仕方がない理由で消える事の方が、まだ楽なような気がするからね」

「やめろ! もうそれ以上は」


 気づけば怒鳴っていた。相変わらず、目からは涙が溢れて止まらない。目の前の男から放たれる言葉の一つ一つが、ざらついた鋭い刃となって僕の心を削っていく。

 全てを拒否したい、そう本能が叫び続けた。だが同時に、それが許されない事であるというのも理解していた。


「おや、逃げるのかい。君の大切な人の真実から」


 テオは、軽蔑の眼差しで僕を見る。


「そうやって、知りたくない事に蓋をするのかい? 胸糞が悪いから? どんな理由であれ、それは無責任なんじゃないかい? 無知でいるままを選ぶのは自由だが、どんな残酷な現実も受け入れなくてはこの世は変えていけやしない。それなのにも関わらず、君という坊やは……」


 僕はそのテオの発言に反論できないでいた。そうだ。この世界には残酷な現実がありふれているのにも関わらず、多くの人間がその事について深く知ろうとしない。果たしてそれは、自分たちだけ平和で穏やかな世界に生きていたいという潜在的な本能ゆえなのか。

 そう考えた瞬間、僕の精神は根強い憎悪で溢れかえった。そして、僕の中で荒れ狂う憎悪の嵐は、強烈な勢いで増していった。それは、理不尽なこの世に対するものでもあったし、同時に、アンナの惨たらしい真相を淡々と語る目の前の男へと向けられたものでもあった。

 僕は、気がつけば隠していたピストルを手にしていた。そして、銃口は拘束されたテオへと向けられていた。不思議な事に、ピストルはかたかたと震えていた。まるで何かに怯えるかのように。


「長話が嫌になったのかい? まぁ、それは仕方ないだろう。でもね、ルーカス君。これは友人からの助言のようなものだけど。肝心な時に度胸がないようじゃあ、大切な人は守れないよ」

「黙れ、僕は殺人は初めてじゃないんだ」


 そう、その筈なのに。何故だか僕は、いつか自分の喉を撃とうとした時のように、なかなか引き金を引けないでいた。

 テオは、震えた声によって放たれた僕の発言に、一瞬驚いたように目を見開いた。だが、何故か次の瞬間には、嬉しそうな表情へと変わっていた。そして、彼は信じられないような事を口にする。


「そうか。それなら安心だ。じゃあ、僕を殺す代償に、一つ頼みを聞いてくれ」


 僕は、そのテオの発言に体が固まった。あまりにも自然に、彼が自分の死を受け入れるものだから、呆気にとられてしまったのだ。そんな僕に気がついていないのか、彼は変わらず淡々とした口調で会話を進める。


「僕の願いは、リゼ――アンナちゃんの母親を幸せにすることだったんだ。それには、リゼとその娘の間に生じた強固な壁を完全に無くさなければいけない。率直に言うとだね、一つになってしまえばいいんだ。だから僕は、リゼが娘と無理心中した後、彼女達二人ともを食べようと思っていたんだ。そうすれば理解し合えなかった親子は完全に一緒になれる。どうだい、素敵だろう? といっても、それも今では叶わぬ夢となってしまった。なぜならリゼは心中する前に娘に殺されるし、その上現在僕はこうして、君によって殺されかけているからね」


 僕は一瞬、彼の口にした意味が分からなかった。だが、次の瞬間には彼の言わんとしている事が、理解できてしまうようになっていた。

 僕は、かつて友人だと思っていた人間を改めて見やる。いや、人間なんかではない。こいつは化け物だ。常人では到底理解不可能な人喰いの狂人だ。


「お前……まさか、アンナの母親を――」


 どうやら、僕の考えている事は当たってしまったらしい。目の前の怪物は、いつか見た穏やかな微笑みを湛えて、言った。


「そう。アンナちゃんに撃ち殺された後、家中くまなく探してどうにかリゼを見つけたよ。それで前もって食べておいたんだ。で、そんな僕を今から君は殺す訳だろう。ここからが本題だ。僕の頼みというのは簡単な事だよ。僕を殺した後、僕を食べて欲しいんだ。そして、アンナちゃんの事もいつか食べてくれないか。そうしたら、みんな一つになれて幸せだろう?」


 男の姿をした怪物は、至極当然であるかのように、そう口にした。

 いけない。コイツを野放しにしておくのは絶対にいけない。あまりにも危険すぎる。生かしておく訳にはいかない。僕の中に生じたのは、嫌悪感でも怒りでもなく、そういった使命感めいたものだった。ピストルを構える左手に力がこもる。先程まで僕を追い詰めていた恐怖心は、嘘のように跡形もなく消えていた。


「……どうやらお前は、アンナを殺人鬼だと勘違いしてたらしいが。あの夜の銃撃事件の犯人はこの僕だ。無理心中だか一つになるだか言ってるが、そんな事アンナは望んでない。お前達の勘違いが、アンナに母殺しをさせたんだ」


 だからもう、お前はこの世から消えてなくなってくれ。アンナをこれ以上、危険に晒さない為にも。

 そう心中で唱える僕と反し、テオは自分に向けられた銃口など見えていないかのように、歓喜に満ちた声を上げた。


「まさか、それは本当かい? なんだなんだ、それはまさしく運命じゃないか。だって僕は君に会う以前から、君の事を知っていたんだから。でも、自覚してるだろう? 君のその行動が、アンナちゃんを不幸にしたんだ。僕らはただ単に、君によって勘違いを起こしてしまっただけに過ぎない。何でもかんでも僕らのせいにするのはいただけないなぁ。君は彼女の事が大切なんだろう? なら、彼女の不幸の原因は自分にあると、常に自覚しておくべきだよ」


 情けない事に、またもや僕は、テオの語りに何も反論できなかった。ピストルを構える手に再び震えが生じる。言いようの無い苦しみに胸中を支配され、どうにか息を整える事しかできないでいる。そんな僕にお構い無しに、テオは勝手に話し始める。


「先程の威勢はどうしたんだい? もしかして、僕への敵意が薄らいだ感じかい? それは良かった。自分の罪を自覚する事は君の成長の糧となる。だからお願いだ。交渉のようになって申し訳ないが、君の罪を自覚させてあげたお礼として、先程の僕の願いを聞きいれてくれないか。そうさ、僕らが皆一つになってしまえば、君は罪から解放され、大切な人と一緒に幸せになれるんだ。まさしく贖罪にうってつけじゃないか」


 僕は、最早目の前の怪物と言葉を交える気さえ起きなかった。このような、根本的に破綻した人間にはまともな話が通じない。故に僕は沈黙を選んだ。いや、もしかしたら、何も言わない事により、彼の言葉から逃げていたのかもしれない。

 そのような薄暗い自覚もあったが、今はこれで良いと信じていた。何せ、相手は生かしておいてはいけない類の生き物だ。罪悪感も弱さも、今は閉じ込めておくに越したことはない。人を殺める時に感情は何一つとして必要ない。ただ、大切な人を守りたいという独善的な強い使命感だけを除いて。


 僕が再び静かな殺意に身を任せると、場違いで気味の悪い明るい声が、教会内に木霊した。


「そういえば、人間は何かと自分を幸せにしてくれる特別な存在の事を神と呼ぶよね」


 テオは、曇りのない瞳で僕を見すえ、続けて言った。



 僕の人生の神様になれた事を祝福するよ、我が友ルーカス君。



 その彼の言葉を遮るかのように、廃教会の中で銃声が響き渡った。それを最後に、怪物の声による不快な喧騒に苛まれていた廃教会の中は、永遠の静寂に満たされた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ