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亡き乙女の空に羽ばたく為に  作者: ちゅんぴ
第7歌 散りゆく約束
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7-2 どこよりも美しい場所

 ホルテに案内されたのは、こじんまりとした廃教会だった。そこかしこにあるステンドグラスは、曇り空の憂鬱さをかき消す程に未だに美しさを保っていた。


 私は、ここを新たな隠れ家にできないかと辺りを見回す。一部雨漏りしている箇所はあるものの、雨風を凌ぐには事足りる程度のものだった。だが、そこで我に返る。私は一応犯罪者だ。ホルテに迷惑はかけられない。そんなふうに一人考え事をしていたら、ホルテが私の腕を引っ張っていった。

 ホルテに連れられて人っ子一人いない礼拝堂を通り抜け、中庭の方に向かう。そこには天井に窓があり、中央には放り出されたオルガンがあった。部屋には全体的に蔦が生い茂っているものの、不思議と不潔な感じはしない。むしろ、神秘的という言葉が似合う。


「今日は雨だから見えないけど、晴れてる日だとあの天上にある窓から太陽の光がさして綺麗なの。それにそこにあるオルガンも、ちょうどその光に照らされて……」


 ホルテは、夢心地のようにそう言った。


「私、現実を忘れたい時によくここに来るの。静かで、どこか現実離れしてて、違う世界に来たみたいな感覚に陥ってね。幸せな気分に浸れるから、好きなの」


 私は、彼女の紡ぐ言葉をただ黙って聞いていた。確かに、太陽の光が出ている日はこの場所の美しさは神々しいまでのものだろう。その荘厳な光景は容易に想像できた。だが、今の私には、そう語る彼女の方がその光景より何倍も美しいと感じてしまった。何かを素直に美しいと語れるホルテは、まるで神の加護でもあるかのような輝きが溢れていた。私は、そんな彼女にいつの間にか見とれていた。

 私の視線に気がついたホルテは、「な、何よそんなに人の事じっと見て」と照れたように言い、それを悟られまいと話題を変えた。


「そういえばアンナって家出してるんでしょ? その、良ければだけどここを使わない?」


 確かに以前、ルーカスの住居を訪ねてきたホルテにその様な事を話した覚えがある。

 私は思案した。ルーカスの住居から出てきた以上、もうあそこには戻れない。そしてそれは同時にあの雑木林に健在する廃墟も同様である。となれば、また寝床を確保する必要がある。そういった点では、ここの廃教会は利用するのに都合が良かった。

 そんなふうに考え込んでいると、またもやホルテが口を開いた。


「実はここから私の家近いの。それこそ歩いて三分もたたないくらい。本当なら、家に泊めてあげたいくらいなんだけど……」


 ホルテの言いたいことは分かる。以前彼女に詳しく聞いたが、彼女と両親の仲はかなり良くない。その為、泊めたくてもそれができないのだろう。それに、私は、これ以上誰の迷惑にもなりたくなかった。なので私は、そのホルテの提案に肯定の意で返した。

 すると、ホルテは「本当に!?」と嬉しそうに喜び、ある約束をしてくれた。それは、毎日三食分の食糧と、就寝の為の布団――ホルテの家でもう使わなくなったものだが、温まるには申し分ないとの事――をホルテがわざわざ持ってきてくれるという事だった。


 それ以外にも、何か欲しいものがあればできるだけ希望に添えるようにする、と言ってくれた。そこで私は、娯楽用の本が欲しい、と頼んだ。リュックの中には、以前ルーカスに買ってもらった本が入っているものの、先程の雨で濡れてしまっている事だろう。幸い、ホルテはそれも引き受けてくれた。

 私は、思わず溢れそうになる涙を堪える。こんなにも私の事を考えてくれている人がいるという事実願望どれ程幸福か、身に染みて感じた。

 話が一段落すると、ホルテは、持っていたビニール袋の中から数個のライ麦パンを取り出した。


「これ食べて。見るに、お腹空いてるでしょあんた」


 私は小さく「ありがとう」と礼を言って受け取った。それらは一目瞭然パン屋で購入したものだろう。昔の嫌な記憶が蒸し返しそうになり、既のところで封をした。

 その後ホルテは、就寝用の布団を持ってくる為にここを離れた。私は、礼拝堂に戻り、リュックを床に置き、ベンチの一つの上に腰を下ろした。辺りに埃は散見されるも、生活するにはさほど気にならない程度だった。ホルテから貰ったライ麦パンを口に含むと、自分でも驚く程の速さで平らげてしまった。どうやらよほどお腹が空いていたらしい。

 満腹になったことで副交感神経が優位になったのだろう、途端に眠気が襲ってきた。それだけでなく、全身にどっと疲労が押し寄せる。休息を求める意識に従い、私はベンチの横になりそっと瞼を閉じた。すると、瞬く間に夢の世界への扉が開かれた。


 深く沈んだ意識の裏では、鳥の囀りが静かに響いていた。暗黒だった世界は徐々に光を帯び始め、やがて広大な青い空が現れる。そしてそこには、銀の鳥の群れ。まるでいつか見た夢のように、彼らの踊るような飛翔は私を祝福しているようだった。幸福に巡り会えたという奇跡。それを、祝福しているように――。

 いや、そんな訳が無い。あってたまるものか。

 私は、未だに空を舞う鳥の群れに不満を漏らした。あるいは、怒りとでも言おうか。侮蔑されている気分だった。


 私はお前たちを手に入れる事が、ついぞ叶わなかった。私の理想の姿をしたユーレイも、私に人らしい感情の数々を教えてくれたあの男も、私の為に存在している訳ではなかった。ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!


 私は、血を吐く勢いで天に向かいそう叫んだ。結果、何も手に入れることのできなかった私を、彼らはああして飛び回ることで嘲笑しているのだ。視界が赤く染まる程の怒りが駆け巡る。その狂った視界に映る銀の鳥は、まるで血塗れ状態なようでいて愉快だった。

 本来ならば、アレこそが真なる銀の鳥の姿。そうではなかったか。いつの間にか私は、そういった欲望を忘れていた。それもこれもあいつのせいだ。あいつが、私なんかに、私みたいな狂人に人らしい感情を植え付けたから! その代価として、私は以前の愉悦を忘れ去ってしまっていた。ああ、なんて惨い。大切な人を失った後だというのに、満足に心の昂りも覚えられない。


 虚しさのどん底へと落ちていく私の意識に、だれかの声のようなものが木霊した。それは徐々に鮮明になっていき、やがては幼い少女のものだとわかるまでになっていった。

 この声には聞き覚えがある。なんて落ち着く声だろう。その声に耳を傾け、安寧を得ようとした刹那。それまで落ちていた意識が覚醒した。

 私は、妙に居心地のいい感覚と共に重たい瞼をゆっくりと開ける。すると、朧気な視界に映ったのは銀髪に銀色の瞳を持つ美少女だった。彼女は、私の横に座り絵本を朗読していた。

 なんであんたがここにいるんだ、そう問おうとしたところで、自分が横になっている材質が全く別のものになっていることに気がついた。おそらく、布団を持ってきてくれたホルテが、寝ている私をそのまま柔らかい布団の上へと移動させてくれたのだろう。


 私は黙ってカーヤを見る。特に相手からの反応を期待している訳ではない。ただ、この存在は相変わらず意味がわからないと不審に感じただけだ。私があれだけ拒絶したというのに、未だわたしに付きまとっている。

 すると、カーヤは絵本から視線を上げ、私に向かって口を開いた。


「おはよう、あんな。なんでこんなところにいるの?」


 カーヤは相変わらず笑顔だが、かえってそこが恐ろしさを感じさせる。つい先程、私を追い詰めたことに無自覚でいる。まさに生粋の純粋さとは、こういうものの事を言うのだろう。


「私はもうあそこには帰らない。むしろ、なんであんたがここにいるの。あんたは父親が大好きなんでしょ。なら、ずっとあいつと一緒にいればいいじゃない」


 そう言うと、カーヤは、何故か嬉しそうに微笑んだ。


「やっぱり。あんなもわたしと同じってこと、わかってるんだね。わたしはぱぱが大好き。あんなもぱぱのことが大好き。ね? おんなじでしょ。だからわたしは、そんなあんなと一緒にいたいの」


 さっぱり意味がわからない。会話が成立していないにも程がある。私は、目の前の怪物と会話をするのが馬鹿らしくなってきて、無視を決め込むことにした。それに構わず、カーヤは一人で話し続ける。


「どうしてあんなはわたしのことがそんなに嫌いなんだろう。おんなじなのに、どうしてだろう。……もしかして、おんなじだからかな?」


 腹の奥底で不満をぶちまける。誰がお前と同じなものか。現に私はもう、カーヤの父親であるルーカスという人物には幻滅している。なので好きでもなんでもなければ思い入れもない。……全く感謝の念が無いと言えば、嘘になるが。

 何せ彼は、行き場のない私に無償で衣食住を与えてくれた。それだけじゃなく、色々なことも――。そこで、私は急に胸に込み上げてくるものがあったので、考えるのをやめた。


「そういえばね、さっき変な男の人があんなの所に来ようとしてたから、追い払っておいたよ。前のほるてたちみたいに、地面にへたりこんで動けなくなってた! やっぱりアレって相当痛いんだね。わたしも、すごく痛かったもん」


 私は、カーヤの言葉を半ば聞き流していたが、その発言によりふいに浮かんだある説があった。そしてそれは徐々に現実味を帯び始め、私は恐怖でいっぱいになった。全身鳥肌がたち、固まった眼球でカーヤを見る。


「もしかして、あんた……あの、ホルテ達にした攻撃って、中絶された時に受けた痛み?」


 私は、震える声でそう尋ねた。


「ちゅーぜつ、っていうのはよく分からないけど、ままがよく考えてたことだから、きっとそうだと思う!」


 カーヤは、おぞましい程に可憐な笑顔でそう答えた。

 私は、気が遠くなっていくのを感じた。全身を引きちぎられる激痛など、生身の人間が耐えられるわけが無い。だが、現にホルテや彼女の元取り巻き男たちも生きている。ということは、死に至る程の激痛を生きながら何分と与えられた訳だ。それはもちろんホルテ達だけでなくカーヤ本人も同様だろうが、考えるだけでおぞましかった。

 カーヤという存在の不可解さを再び目の当たりにし、私の頭は錯乱から沸騰しそうだった。そこで、ふいにルーカスのある言葉が思い出された。それは、ホルテがあの住居の玄関先に倒れていた日のことだ。カーヤは、ホルテとその取り巻き共と喧嘩していたルーカスを守る為、ホルテ達にある攻撃をしたのだとルーカスに打ち明けた。


 “わたしがうまれなくされちゃったときに感じた痛みとか、苦しみとかを、そのまま感じさせたの”


 そうカーヤは説明していた。うまれなくされちゃった時というのは十中八九、中絶された時を彼女なりに表現したものだろう。そして、その後ルーカスは、こう言っていた。


“なぜだか分からないけど、恐ろしいんだ。カーヤがじゃない。僕自身が怖いんだ。それだけじゃない、カーヤの言っていた言葉、その全てが怖くてたまらない……。あの言葉の意味を理解出来た訳でもないのに、こうなんだ。変だ……こんなの、おかしすぎる……”


 これらの事を踏まえると、あの日の時点で、実の父親であるルーカスには無意識下でカーヤの言葉の意味が理解できてしまっていたという可能性が出てくる。長い事、あのルーカスの発言が気がかりだった為、疑問が解消して僅かに晴れやかな気分には……ならなかった。それもそうだろう。ルーカスにとってもその現実は辛いものであるし、何より、私自身がその事実を嫌悪しているのだ。

 複雑な心境に陥っていると、ふとカーヤが口を開いた。


「そういえば、ほるても来たけど、ほるてには何もしてないから安心して。少し前までわたしと同じだった人だもん。さっきの男の人みたいに、追い払ったりはしないよ」

「さっきの、男の人……?」


 私は、怪訝そうに聞き返した。


「うん。その人、攻撃して追い払っちゃった」


 こんな廃教会に、男の人……?

 もしかして、私以外にもここに居座っている人間がいるのだろうか。いや、その可能性は薄いだろう。本当に居候がいるのだとしたら、これまで一度もホルテに気が付かれないというのはありえない。という事は、偶然ここへ立ち寄ろうとしたのだろうか。


 でも、だとしたら、なぜこんな夜に?

 どう考えても不自然だ。もしかして、何か特定の目的があってここにやって来ようとしたのだろうか。その考えが頭に浮かんだ瞬間、全身がゾクリと悲鳴をあげた。そういえば、私が殺した母には恋人がいた。そして、未だに報道されない母の死亡事件。それらが繋がった瞬間、私は強烈な恐怖を感じとった。

 何か、知ってはいけない事を察してしまったような心地に支配される。いや、自分の身の安全の為にも、この可能性は十分に有り得る事だと常に念頭に入れておかなければならない。

 母の恋人は、あえて警察に頼らずに自分の手で私を殺そうとしている。そうする事で、異常者に想い人を殺された復讐を成し遂げようとしている。


 頭が捻れるような激しい痛みに襲われる。ダメだ。これ以上考えては、私は本当に壊れてしまう。けれど、警戒しておく事に越したことはない。故に、私は未だに絵本の朗読を続けるカーヤに頼みをこうた。


「お願い、カーヤ。明日、私が起きるまでずっとここにいて欲しい。それで、またさっきの男の人が来るようなら、追い払って欲しいんだ」


 私は、憎い相手に対して情けなく思いながらも懇願する。するとカーヤは案の定、その依頼を受けてくれた。

 それから、眠ろうとしても中々眠りにつけなかった。どうしても男の存在が気がかりで仕方なかった。そして、そのまま一睡もできぬまま、夜が明けた。男は、あれから来ることはなかった。


 おそらく、すべては私の勘違いだったのだろう。全て思い込みだったのだ。そう安堵しつつも、胸のざわめきはおさまらない。

 役目を終えたカーヤは、「また来るね!」と言い残して去っていった。私は、不安からその小さな後ろ姿を呼び止めようとしたが、できなかった。もう、これ以上あの妖精を利用したくなかったのだ。それは罪悪感から生じる感情というよりも、自分という一つの存在への諦めに近かった。

 仮に、私の最悪な予想が当たっていたとしても、受け入れるべきなのかもしれない。そんなふうに感じる自分がいた。何せ、本当なら私は、もう数ヶ月前に母の手で殺されている筈だったのだから。現在の状況は、ただそれが延長されているだけにすぎない。ならば、その延長の精算ももう時期やって来るというのは、何もおかしな事ではないような気がした。

 私は、眠気によりろくに回らない頭で、そんなどうしようもない事を考えていた。目を閉じても、様々な思考が邪魔してきて一向に眠れそうにない。その苦痛の中私は、数時間そうして布団の上に横になっているだけだった。


 朝日が登り、鳥の囀りが耳に届く。もうそのような時間になってしまったのか。そんなふうに呆然と考えていたら、足跡が聞こえてきた。コツ、コツ、と、その足音は徐々に大きくなってくる。間違いない。私の方に向かってきている。

 やっと私は、死ぬのか。そんなふうに、ぼんやりと思った。不思議と恐怖はない。ただ、妙な納得感があるだけだった。そして、人影が礼拝堂に入ってくる。その正体を目にした瞬間、私は一気に現実世界に引き戻された。


「おはよう、アンナ。今日も持ってきたわよ」


 私を見下ろすのは、間違いなくホルテだった。そして、ホルテは私のすぐ真横のベンチに布を広げ、その上にビニール袋で包まれたサンドイッチを置いた。


「その感じ、よく眠れてないんじゃない?」


 気がつくと、ホルテの顔が私の顔のすぐ近くに迫ってきていた。

 私は、しばらく我を忘れた後、とてつもない後悔に襲われた。ホルテという素晴らしい友人がいながら、私は自分の命を放棄しようとしていた。ここまでお世話になっているのに、なんて無責任な事か。

 私の頬には、気がつけば細い涙がつたっていた。


「ちょ、どうしたの、何かあったの、アンナ?」


 ホルテは、突然の事に慌てふためいていた。私は、小さな声で「なんでもない、嫌な夢を見ただけ」と返した。もう自分の命を蔑ろにしたりなどしない、それが唯一私が彼女にできる恩返しだった。

 それから私はすぐにホルテの持ってきてくれたサンドイッチを平らげ、ホルテに見守られながら眠りについた。ホルテは、私が再度起きるまでずっと傍にいてくれていた。


 その後、私は彼女の提案で、二人で旧市街地に向かった。私たちが足を運んだのは旧市街地のさらに奥にある、自然の多い場所だった。路面列車が走り、その向こうには海が見えた。そして古い町並みに調和するように、緑が生い茂っていた。

 私は、その時だけ嫌な事をなにもかも忘れ、心の底から楽しむ事ができた。そしてやはり、自然の美しさに魅入るホルテの横顔は、この世界の誰よりも美しかった。

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