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亡き乙女の空に羽ばたく為に  作者: ちゅんぴ
第7歌 散りゆく約束
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7-1 見えない未来

「これが僕の全てだ」


 ルーカスは、震える声でそう言った。

 対して私は唖然としたまま、何も言えないでいた。


 ルーカスがカーヤの父親? ではカーヤはなぜあのような姿をしてるのか? そもそも私がカーヤを認識できているのは何故? それにルーカスが、あの夜の殺人犯の正体?

 一気に様々な、衝撃的な情報が流れ込んできて、脳の処理が追いつかなかった。


「僕の話した事から分かるように、僕は……これまで君を利用していたんだ。最初の頃なんかは、アンジェと重ねて、本当の君を見ようともしなかった」


 分からない。本当に、今の自分の心境が分からない。今私がどう思っているのかも、どのような感情を覚えているのかも、何もかも。それでも、私はルーカスに向き合うと決心した。以前、彼が私を受け入れてくれたように、私も彼の事を受容しようと。

 だが、今の私は、彼に紡ぐ言葉が見当たらなかった。彼の事を肯定する術を知らなかった。あるいは、そうしたくなかったのかもしれない。

 これまで自分は愛されていると思っていた。私は、ある種の彼の特別だと。だが、実際はどうだろう。私は、彼にとって過去の人間の面影に過ぎなかったのだ。


「ごめん……これまでずっと隠してた。それもこれも、全部僕が弱かったせいだ。もしもあの時死ねていたら、君が母親を殺す事にもならなかった」


 ルーカスは、俯く私に対し、訥々と言葉を紡ぐ。今にも萎んでしまいそうな弱々しい声色だった。

 それに対し、私はようやく、震える唇を叱咤して言葉を発する事ができた。


「……私、ルーカスは悪くないと思う。だって、人には最初から聖人も悪人もいないでしょ。ただ、誰もがそのどちらかになり得る可能性を持ってるってだけで。だから、ルーカスは一時的に社会の枠組みから外れた行動をしたってだけで、悪人では、ないよ」


 強ばった声色で放たれた言葉は、果たしてルーカスに向けたものなのか、それとも自分自身に対してのものなのか――それは私本人でさえも、判断できなかった。

 そして一瞬、脳裏に閃光が走った。その閃光はある光景だった。ある日の夜、外に出たルーカスの後をカーヤに連れられて追った末に見た光景。数人の女たちと性的に戯れていたような、そのような気味の悪いあの映像は、カーヤの創り出したものではなく本物だったという事だ。それに、それ以上に私の胸中を煩くさせるものがあった。カーヤの母親を、殆ど襲うかたちで――。そこで、私の脳は思考をシャットアウトした。


「ルーカスの事……私、嫌いじゃ、ないよ」


 私は、そう言った。そう、言っただけ。その言葉の内側は空っぽであり、なんの意味も含んではいない事が自覚できた。

 ルーカスは、私の空虚な言葉を耳にして何かを察したようだった。彼は、ぽつりと呟いた。


「……ありがとう」


 それは、私と同様になんの感情も込められていない空虚な声色だった。

 それきり私もルーカスも口を開かなかった。まるでこの空間にだけ、時間という概念が存在しないかのような静けさだった。

 時間が経つにつれ、先程襲いかかってきた数多の情報が蘇ってきた。私の頭は、あまりの情報量とそれらに対する拒絶反応から、激しい痛みを訴え始めた。それを見かねたルーカスは、


「ごめん。いきなり色々な事話しすぎた。今日はもう、お休み」


 と、私に休息を促した。

 私は、無言でその場を立ち、この部屋の主に何も言葉をかけぬまま、部屋を後にした。

 自室へと戻ると、カーヤがベッドの上で絵本を読んでいた。彼女は、私の存在に気がつくなり、絵本から目線を私にあげて「おかえり!」とどこまでも無邪気な笑顔で喜んだ。

 私は、そんなカーヤに近づいていくと、両手で彼女の細い首を静かに絞めあげた。


「私はね、あんたの父親を最初から利用するつもりでここに来たの。だから、私があいつに利用されてたっていうのもお互い様なの」


 それはカーヤに向けて放たれた言葉ではなく、間違いなく私自身に言い聞かせる言葉だった。私は、どうしようもない苦しみを彼女にぶつける事で楽になりたかった。

 それに彼女が憎らしかった。ルーカスの実の子供だと思うと、収まりきらない憎悪が腹の中で煮えくり返るのだった。

 だが、どれ程首を締めども、カーヤは苦しそうな素振りを見せない。それもそうだ。だって彼女は、


 彼女は、なんだ?


 その巨大な疑問が浮かんだ途端、それまで細い首を絞めていた私の両手は脱力した。カーヤは、現状が理解できないといったふうに困惑した表情で私を見上げる。その姿を見下ろしながら、私は無機質に口を開く。


「あんたはルーカスの実の子供なの?」


 私は、カーヤの首から手を離す事を忘れ、空虚な心持ちでそう詰問した。

 ルーカスのあの証言だけでは、それが事実だとはとても信じ難い。何せ、カーヤは肉体年齢はおよそ十二歳程だ。そしてルーカスは現在二十歳。ルーカスがアンジェリカを襲ったのは現在より四年程前。どう考えても、辻褄が合わない。


「うん。るーかすはわたしのぱぱだよ」


 その答えを聞くと、カーヤの細い首に宛てがわれた私の両手に僅かに力が入った。


「どうしてそれがわかるの?」


 対して私は、畳み掛ける。

 するとカーヤは、当然だと言うように答えた。


「だってわたしの半分はるーかすでできてたんだよ? 自然に分かるに決まってるじゃない」

「じゃあ、あんたは何歳なの?」

「うーん。産まれる前に産まれなくされちゃったから分からない」


 そのカーヤの発言は相変わらず意味不明で、こちらを馬鹿にしてるのかと一瞬怒りを覚えそうになった。

 だが、それと同時に浮かび上がった一つのある説に、全身が凍りついていくのがわかった。“産まれる前に産まれなくされた”。この言葉から推測されるのは、およそ一つしかない。

 私の口から、絶句から殆ど枯れた声が漏出する。


「まさかあんた……中絶された赤ん坊……?」


 対してカーヤは、ただにっこりと微笑むだけだった。

 私の身体は即座にベッドから離れ、カーヤから自然と距離をとった。恐怖的な疑問がぐるぐると脳内で回る中、私は立ったまま身動きができなかった。そんな私にお構い無しに、カーヤは――目の前の怨霊は、無邪気に語る。


「凄く痛かったの。かたくてするどいものが入ってきて、わたしの体を引きちぎっていって……。でも、それをした人がヘタクソだったのかな。ままの中に、まだ一部だけ、わたしが残ったの。それが消えないうちに、わたしはあんなにであった。そしてそのときに今のわたしは生まれたの」


 それらの言葉が耳に入ってこないよう、両手で両耳を抑えようとするも、まるで金縛りにあったかのように体が動かない。こういった状況は何も初めてではなかった。カーヤから放たれる尋常ではない異界的なオーラは、一人の人間を拘束するには十分すぎる代物である。


「ねぇ、なんであんなはわたしを嫌うの?」


 気がつけば、私の両眼からは涙がこぼれ落ちていた。その涙は恐怖によるものではなく、間違いなく悲しみのものである。少なくとも、私自身はそう感じた。

 カーヤの問いに、私は心の中でさえも答える事ができない。それどころか、今この瞬間にハッとした程だ。

 何故私はカーヤの事を嫌っていたのだろう。現在胸中にある憎悪は間違いなく先程のルーカスの話を聞いてから生まれたものであるが、嫌いといった感情は、それ以前にもあった。何故だ? 何故私は、こんなにも愛らしい彼女が嫌いなのだ?

 自問に耽る私に構わず、カーヤはさらに畳み掛ける。


「そういえば、なんであんなは血が好きだったの? 原因があるよね。わたしは知ってるよ。だってあんなとは同じだもの。それが何よりもの証拠」


 カーヤは、理解不能な言葉をまたしても繰り返した。対して私は、それを聞かされる事に抗う術を持たず、そのまま不可解という名の奈落へと落ちていく。


「あんなが血が好きな理由。それは人のなかを知れるような気がしたからでしょ。だってあんなは昔から、他人のなかを知りたくてたまらなかったもんね。でも、それはいったいいつから? 近所の森でお散歩してる時に鳥の死体を見てから? ほるての腕を引っ掻いてから? 違うよね。どれもその後の話にすぎないもんね」


 呼吸が、浅く早くなっていく。このままでは窒息してしまいそうな程の苦しみ。

 心臓の鼓動が早鐘を打つ。このままでは心臓が破裂してしまいそうな程の速さ。

 やめて。それ以上は聞きたくない。そう懇願する声は、口からはっせられる事無く体内に霧散していった。


「自分がどうしてああなったのか、分からないままでいるんでしょ? あんなが血を好きなのって、生まれもったものじゃないもんね。それに、あんなはあの事忘れちゃってるんだもんね」


 身体中が叫び始めている。魂の底から訴え始めている。彼女の言葉は聞いてはいけないと。


「それも、自分の意思で」


 気がつけば視界は暗転していた。意識が途切れる間際、私の中の銀の鳥に似た少女が、にこやかに微笑んでいるのが視界に映った。

 降りしきる雨の音で目が覚めた。私は自室の床で倒れていた。重い頭を持ち上げ、これまでの事を回顧しようと試みる。すると、激しい頭痛と共に先程のカーヤの言葉の数々が脳内を駆け巡った。


 ダメだ。ここにいてはいけない。私は、咄嗟にそう判断した。カーヤがルーカスの子供ならば、カーヤは私なんかよりもルーカスと共にいる方を選ぶ筈だ。それに、今となってはもう、私はまともな心情でルーカスに会う事ができそうもなかった。

 カーヤの言葉の一部を思い出す。人の中を知りたかった――そうだ。私は、どうしようもなく他人の心の奥底を覗いてみたいという願望が大きかった。だが、そんな事はできっこないと、幼いながらも私は悟っていた。

 そんな時に出会ったのが、血を流す鳥の死骸だった。自分以外の誰の事も生者だと認識できなくなっていた当時の私は、血液という命の証を目にした事で、確かに他の生き物にも生命が宿っているのだと、強烈に認識する事ができたのだった。あの時覚えた救われたかのような感動を、今になって思い出した。

 だが、いつしかその感動は拗れ、歪み、他者を恐れさせる一つの性質となり得てしまった。

 そして、現在この瞬間も、私の中の感動が、歪み始めていた。


 一人の人間を脳に思い描く。異質だと知ったうえで私を受け入れ、数多の優しさを与えてくれた人。私は、間違いなくその人の事をもっと知りたいと思っていた。今もそうだ。だが、以前と違う点が存在した。

 彼の精神を壊したい。彼の苦しむ姿、悲しむ姿、絶望する姿、それらを見たくてたまらない。言うなれば、彼の心の闇というものを存分に知りたいのだ。

 この願望は決して許されざるものである事を自覚していた。故に、私はそんな自分に恐怖した。そしてじんわりと絶望が侵食していく。私は、やはり人を傷つけなくては幸福を感じられない、外道なのだと。

 私は変わった。ルーカスのおかげで、私は血を求めなくなった。けれど、それが再発しないとは限らない。何せ、彼に求めるものは、物理的な苦しみから、精神的なものへと変化しただけなのだから。


 数十分、数時間と冷たい床の上で自身の人間としての至らなさを痛感すると、私は近くに置いてあったリュックを片方の肩にかけて、この家を出た。

 依然として外は雨が降りしきっていた。けれどそのようなこと、今の私にはさして気にならなかった。林道の入口へと向かう両足は妙に重たい。やはりまだ未練があるというのだろうか。

 背後から駆けてくる足音が聞こえた。私は何となく察しがついて、振り向くことなく足を止めた。その足音がすぐ真後ろまでやってくると、頭上に影がさした。どうやら背後から傘を差し出されたらしい。


「風邪ひくよ」


 慣れ親しんだ声がすぐ真後ろから聞こえるも、背後を振り返ることができなかった。一度そうしてしまえばきっと、私はまた彼の優しさを利用してしまうだろうから。


「利用関係は終わった。ただそれだけの事」


 私は、どうにか感情を押し殺して、無機質な声色で背後の人間に言い放つ。


「ピストルは私が借りてた部屋の机の奥にある。あなたにとっていいものかどうかは分からないけど、せっかく元の持ち主が見つかったんだし、返すよ」


 雨音の中に、大きく息を飲む音が混じった。


「これまでが間違いだったんだ。今まで世話になったよ。ありがとう」


 そう言い放つなり、私は再度歩き出した。着けてくる足音は聞こえなかった。雨に濡れようと、私は歩くのをやめなかった。振り返ることもしなかった。

 もう傷つきたくなかったし、傷つけたくなかった。たったそれだけの事だと、雨と涙に濡れる自分自身に必死に言い聞かせた。


 雨がふりしきる曇り空の下、私は行く宛てもなくただ歩いていた。胸中に広がる無気力と空虚が、私を自然とそうさせた。何処にも行けなくてもいい。ただ歩ければいい。そのような諦観が、私を包み込んでいた。

 このまま私は死ぬのだろうか。仮にそうだとしても構わない。何せ私は元から死んでいたも同然の生き物だったのだから。むしろあれらの日々が間違っていたのだ。一度生き返った私はおかしな勘違いをしていた。そう、たったそれだけ。

 ルーカスは確かに死んでいた私を蘇らせてくれた。それでもやはり私は私のままだった。変化と感じていたものは単なる異質性の置き換えにすぎなかった。私は結局、人を傷つけなくては生きていけないろくでなしの生き物だったのだ。その現実を突きつけられた今、私に希望と呼べるものは何一つとしてない。

 そんなふうに絶望に浸っていた時。ふと前方から聞き覚えのある声がした。


「え……? まさか、アンナ?」


 その声に、地面にやっていた視線をあげると、目の前にいるのはホルテンジアだった。彼女は薄桃色の傘をさし、もう片方の手にはビニール袋が握られていた。彼女は私に駆け寄ってくるなり、傘の中にずぶ濡れの私を抱き寄せた。その際、彼女の片手に握られていたビニール袋が雨に濡れた大理石の上に落ちた。


「どうしたのよ、こんな所で……」


 ホルテは、驚愕の声を上げて数秒後、何かを察したかのように視線を落とした。そして私を抱き寄せるホルテの腕の力が僅かに強まった。

 濡れた体に、ホルテの体温が伝わってゆく。そのホルテのぬくもりによる安堵からだろうか。それまで押さえ込んでいた感情が、堰を切ったように溢れ出した。私は、気づけば嗚咽混じりに啜り泣いていた。


「私……ホントに、バカだった。どうしようもなくバカだったの」


 私は、ホルテに顔を埋めひたすらに啜り泣く。

 どうして自分は普通の人間になれるだなんて思ってしまったんだろう。どうして自分はあの人に心から好かれていると感じていたのだろう。そう自分自身を責め立てる悔恨の念が、胸中に波のように押し寄せる。


「そう……。そうだったのね。もういいの、あんな所に帰らなくたって」


 そう言って、ホルテは私を抱き寄せたまま、どこかへと歩き始めようとした。それを引き止めるように、私は彼女が落としたビニール袋を差し出し、同時に空っぽになった脳内で唯一生じた疑問を彼女に投げかけた。


「どうして、分かるの? 私があの家を出てきたってこと……」


 するとホルテは、ビニール袋の存在を自分でも忘れていたことに恥ずかしさを覚えたのか、一瞬だけ照れたように頬を赤らめ、受け取った後に質問に答えた。


「どうしても何も、薄々こうなる予感はしてたから。だって私は、カーヤなるものと一時期共鳴してたから、嫌でもカーヤの謎についてよく分かっちゃったの。その事についてアンナに話さなかったのは……傷つけたくなかったから。でも、現に今こうしてアンナは傷ついている。……ごめん、私から、話しておくべきだったわ」


 私は、そんなホルテの謝罪に対し、「そんなことない」と首を振って異を唱えた。


「ホルテは何も悪くない。きっと誰も悪くなんてなかったの。うん、多分……きっと」


 そう言う私の声は、徐々に自信の無いものへと変わっていった。

 誰も悪くなかった? そんなことは無い。そんなのはただの綺麗事だ。悪いのはただ一人、ルーカスという名の男。それでも、そんなルーカスにも事情はある。それを理解していてもなお、私は心のどこかで彼を許せないでいた。騙されていたこと、あの殺人事件を引き起こしたこと、カーヤを生み出しておいてそれに今まで無自覚だったこと……それらへの不満が押し寄せて止まらない。


 ホルテは、そんな私の心境を察してくれたのか、「きっと、それでいいの」と優しく言ってくれた。私はそれで再度救われたような気分になった。いったい彼女がどこへ向かうのかわからなかったので、今からどこに向かうのか、と問うた。

 すると、ホルテは「私の好きな場所」と答えた。それきり彼女から口を開くことはなかった。だが、静かな優しさが肌から伝わってきた。今の私には、それだけで十分だった。

第7章が始まりました。

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