6-(0.4) 色褪せてゆく世界
何かに覆い被さるように身を屈めている男の下で、人影が蠢いた。セピア色の長い髪、行き場のないように放り出された細い両腕、男に抱えあげられた生気のない両脚。
視界に入れるのもおぞましいその光景は、変化していく。男の広い背中は次第に細くなり、頭部は鳶色の髪の少年のものとなり、それまでぼやけていた周囲には薄暗い小屋の内部が浮かんでいった。
目の前でか弱い少女を犯しているのは、間違いなく自分自身だった。頭部を固定されているかのように、視線を外すことができない。虚無の中で宙吊りにされた魂は、ただその現場を傍観することしか許されない。
「良かったな」
それは、いつか家屋でアンジェと交わっていた男の一人の声だった。
気がつけばあの日男に蹴られた時のようにうつ伏せに倒れていた。顔だけ上を向くよう固定され、嫌でも映像が目に飛び込んでくる。瞳を閉じようとしても自分のものでは無いかのように言う事を聞かない。
「初恋の相手で童貞卒業できるなんて最高じゃねぇか」
耳元で大音量で響く男の声に鼓膜が破れてくれることを願うが、耳は大きな音に晒されても痛みさえ感じない。
「虚栄心から崇高な風を気取って俺たちみたいな人間を軽蔑してたが、結局はお前も同じだったんだ。貴重な初めての体験、それも想いを寄せる女の身体を支配する感覚はどうだった? ……身も心も苦しくて他は何も感じなかった? そりゃあ嘘だろ、だってお前、なかなか終わらせなかっただけじゃなく最後にはしっかりとあの子の中に出してたじゃないか。何もかもどうでもよくなったから自分を制御できなかったなんて甘えた言い訳は通用しないぞ。自暴自棄とかいう便利な言葉で逃げるな。失意に呑まれたと自分を騙していたが実際は、自分の所有物だって証が欲しくて精を吐き出したんだろ。もっと貪り尽くして今まで他の男に抱かれた分まで自分の色に塗りつぶしたい、その強欲な精神をひた隠しにしようだなんて、卑劣にも程がある。現に、お前の化けの皮は剥がれちまったんだから。高尚で誠実なフリは、反って滑稽だ」
違う。高尚で誠実な人間を気取っていた訳ではない。恋というものが怖かったんだ。僕みたいな埃塗れの人間を心の底から好いてくれる人が果たして本当にいるのか不安で、そんな自分を誤魔化していただけに過ぎなかったんだ。――だからもう、やめてくれ。
それでもその自己防衛の為の声は自身の内側に反響するのみで、男の声を制止することはかなわなかった。
「涙に濡れた瞳を直視しても陵辱を辞めないどころか、自分以外の何ものも映していない美しい水晶に魅入る始末。俺たちに怒り心頭に突撃してきた奴と同一人物とは到底思えないな。あの時お前が怒ってたのは、大切な人の身が危険に晒されていたからじゃなくて、惚れた女を他のやつに味わわれるのが許せなかったからなのか」
男は、「やっぱりあんたに流れる犯罪者の血は本物だった訳だ」と愉快そうに嗤う。
「ルーカス様は相変わらずですね」
鈴のような声が、鼓膜を突き破らんばかりに反響した。かつて、親のような慈愛で包み込んでくれた懐かしい声色。今はそれが、自身の魂を狩りに来た死神の声のように聞こえてならない。
「心の底から信頼し合える人が存在すると本気で思っていたのですか。誰かに理解してもらおうだなんて傲慢な気持ちを持ってはいけないんですよ。あなたは無価値で愚鈍などうしようもない人間なのですから。――本当は心の奥底では理解っているんでしょう。あなたが酔いしれていた暖かくむず痒い感覚は、ただの承認欲求と抑圧してきた性欲の暴走でしかなかったということに」
目前では相も変わらず醜悪な映像が流れている。
「――ごめんなさい、エドガー」
耳に水が入った時のようなくぐもった音響が耳を浸食した。
視界が開ける。少し経ってから、眠りから目覚めたのだとわかった。薄暗い寮の自室を、カーテンの隙間から射す月光が淡く照らしていた。身を起こす。その月からの美しい贈り物が視界を飾っても、脳内では先程夢の中で投げかけられた言葉の反芻が繰り返されていた。
「おい」
向かいのベッドから、不機嫌な響きが発せられた。視線を移すと、その声の主は険しい表情に不満を湛えていた。
「毎晩毎晩魘されててうるさいんだよ。おかげでこっちは寝不足だ。明日なんて数学の試験があるのに勘弁してくれよ。ほんとお貴族様はイイよな。真面目に取り組まなくても金も権威もあるから余裕なんだろうよ。高慢な上に悪夢なんか見て人の安眠を妨害するなんて、タチ悪すぎるんだよ」
彼の言葉のほとんどが脳に受理されなかったが、割り込みを許さない気迫と呆れたような語気に、こちらに立腹だという事は理解できた。
「悪い」
反射的に漏れ出た生気のない声は、空中で霧散した。
「あまりにも続くようだったら、意地でも部屋を変えてもらうからな」
腑に落ちないようにそう吐き捨ててから、彼は再度眠りに落ちた。
それからの数ヶ月、何度その悪夢に罪を糾弾されたか分からない。そして一度目が覚めると、脳内で幾度となく反芻される彼らの声が、再度眠りにつくのを許さなかった。
そして同室の生徒から苦情を受けた学校側は僕を睡眠障害と見なし、一人部屋へと移した。まるで独房に押し込められた囚人のように、意味の無い一日がまた始まる事に疑問を抱きながら、徐々に窓に差し込める朝日を眺めた。
その時僕は、廊下を歩いていた。すると、前方から横に列を作った三人の生徒が歩いてくるのが見えた。そのうちの一人に見覚えがあった。数ヶ月前まで同室だった生徒だ。
彼は僕に気がつくと露骨に顔を歪め、他の二人も物珍しいものでも見るような不快な視線を向けてきた。距離が縮まるにつれ、何だか相手側の空気が張り詰めていくように感じた。すれ違う間際、気まづそうに沈黙を守る二人に構わず、同室だった生徒が立ち止まり口を開いた。
「最近良い夢は見れそうかい?」
挑発めいた口調が耳に届いた。それはすぐにこちらに向けられた言葉だと理解し、こちらも足を止めるが、返す為の言葉が口から出ず、ただ視線を斜め下にやるだけだった。
正確に言えば、その時足を止めたのは反射的なものであり、元から応答する気など微塵もなかった。長い間楔で幾重にも絞殺され続けている自我は、嫌味を浴びせられた際の対応など忘れてしまっている。
他の二人の小声を遮るように、元ルームメイトは再び口を開く。
「礼拝の時、君目立つんだよね。悪い意味で」
彼は無言なまま立ち尽くす相手に呆れたのか、それまで黙って見守っていた友人二人と歩き出す。やがて三人分の足跡は遠ざかっていった。
あの日から日曜の礼拝は耐え難い苦痛と化していた。
礼拝時の僕は、聖歌と牧師の説教に罪を嘲笑されながら息苦しさを覚え、青い顔をしながら俯きいち早く時が過ぎ去るのを願う卑しい人間だった。
あれらは耳を通過し僕の秘められた奥底にまで辿り着き、僕の禁忌をこじ開け眼前にそれを吊るしあげる。まさに処刑の時間であった。それでも本当は、臆病な精神は罪を糾弾する何者かの声をただずっと待ち続けていた。
木の硬い温もりに背中を預ける。休日だというのに賑やかでないここの公園は、心を落ち着かせてくれる。いつも耳を苛む、薄汚いと囁きかける声が聞こえてこない。雲一つない澄んだ大空を、鳥が自由に羽ばたいている。なんて優雅な在り方だろう。
「僕が全て悪かった。許してもらおうだなんて甘ったれた考えは持ってはいないよ」
ふわふわと浮いていた意識は、突如耳に届いた会話によって急激に張り詰める。
「ただ、謝罪の言葉を言わないまま時が過ぎ去るのは君の心をずっと傷つけ続けると思ったんだ。何も言わずに消えることなんて、できない」
罪状を宣告されたかのように、鼓動が早まり心音が身体中に響く。命を狙われている手配犯のような心境で、周囲に視線を配る。その際眼球が、くたびれた木製の扉を開ける時の軋んだ音を内側で鳴らした。
近くのベンチには一組の男女が腰掛けていた。おそらく会話の発生源はあそこだろう。
「消えるなんて、それこそ勝手ね。私、あなたに嘘つかれているのを知っていたから私も黙っていることがあったのよ」
だめだ。息苦しい。――窒息しそう。
「私今、あなたとの赤ちゃんがお腹にいるの」
それからの会話は何も聞こえなかった。脳はひたすらアンジェリカという名の少女との日々の映像を流し続ける。
「私、運良く子供ができにくい体なんですよ。どうやら普通の女の子は悲観するらしいけれど、私にとっては神からの祝福も同然です」
ゆっくりと立ち上がり、機械のように歩を進ませる。足を動かしているからか、少し思考ができるようになってきた。
謝りたい、そして確認したい。消せない自分の罪がさらに重なっていないかを。
海岸へ向かうも、浜辺には誰もいなかった。そのまま海沿いに進んでいく。渡り鳥とさざ波が奏でる音色が、錆び付いた心に染み渡る。
彼女は海が好きだった。きっとまたここに来るだろうから、ずっと待っていよう。全てを壊してしまった以上、あの頃には戻れない。最悪、目にしただけで逃げられるかもしれない。もしかしたら、これまで幾人の相手をしてきた彼女にとってあの夜の出来事はさほど深刻ではなく、もう僕のことなど心に残っていないかもしれない。それでもいい。彼女と幸せな日々を過ごせた、その事実だけで充分だ。それ以上は望まない。あの日の非道を謝罪したら、もう二度と彼女の前に現れないようにしよう。
懐かしい潮の香りに導かれるまま足を動かしていたら、気づけば海岸の端の方まで来ていた。
前方に何かが見えてくる。きっと見てはいけないものだ。とてつもなく恐ろしいもの。そう本能が告げるのに、足は止まってくれなかった。
ようやくその何かが人型であることを視認できた。
岩礁の上で仰向けに転がる体は膝下から海水に浸かっていた。血のまとわりついたセピア色の髪の間で割れた頭部が露になっていた。茶に緑のさした美しい瞳は、この世界を何も映すことなくただ静かに沈んでいた。
冷たく硬い壁が背中を撫でる。日はとうに暮れている。
視界の端にポスターが貼られていた。白いドレスを着用した美女が、大きく描かれていた。彼女の掌の上で、緑色の宝石が輝いていた。
「きれいだ」
なんてさびれた声色だろう。不思議な感覚だ。確かに自分の口から放たれたものだというのに、まるで自分の声だと感じない。
「あはは」
試しに笑い声を上げてみる。声音は認識できるが、安物のラジオから漏れ出たような他人の無機質な声にしか聞こえない。自分の声だという実感が湧くまで試みようとしたが、すぐにどうでもよくなったのでやめた。
ふいに右手を地に這わせると、爪が何か固いものに触れた感覚があった。ガラスの破片だった。それを手繰り寄せて鋭利な先端を自分の手首に走らせる。綺麗に一直線に刻まれた傷口から赤い涙が滴り落ちた。それはタイルの床を伝っていく。
「おい、大丈夫か!?」
大きな声に、蚊の鳴くような声で応答する。
「たすけて」
それは自らの救助を懇願するものではなく、もう帰らぬ人となった少女の救命を求めるものだった。
学園の制服を着ていたため学校に連れ戻された。海辺の町の路地裏で、腕から血を流しているところを男性に救出されたらしい。
保健室にて、飛び降り自殺の第一発見者というのは君であっているかな、と先生は言う。その意味がわからず呆然と見返す。
「近辺の海岸で少女の死体が発見された。その第一発見者が我が校の制服を着ていたと、君に呼びかけられたらしい男性が仰っていたのだが」
先生を無言で見る。そういえば、そうだったような気もする。あの後、浜辺を歩いている男性に話しかけた覚えがある。
そして、先程聞こえた言葉を思い出す。
しばらく天井に目線を向けていると、見かねた先生が口を開いた。
「どうやらご自宅で遺書が発見されたらしい」
息が詰まり、視界が暗転していった。
やがて冬季休暇が訪れると、実家へと帰省した。窓の向こうに広がる異質な世界に目を向ける。
自分も、この世界も、音を亡くし色は廃れ、生きていない。死んでもいない。今見えているもの、そしてそれを見ているこの意識は、いったいどこにあるというのだろう。何のために在るのだろう。誰が、いったい何者がこれを現しているのだろう。
全ての人間は機械仕掛けであり、広がる風景は無機質にひっそりと周囲に佇んでいるだけ。どうやって作られているのだろう。ほんの僅か、恐ろしかった。この意識だけ独立しそして孤立し、だだっ広い空虚に置き去りにされている。
黄昏に沈む太陽も、夜空に浮かぶ満月も、こちらに視線を寄越さない。奴らは意思はあるが、感情というものがない。交互に空を入れ替る、永遠にその繰り返し。何かに言い付けられた使命をただ機械的にこなすだけ。そんな不気味な在り方に疑問を抱かない歪な存在。作りものの地球の周囲に浮かぶ、大きな穴と小さな穴。その中に広がる真空に、この意識が吸い込まれてしまえば、この世界は完成する。無人の廃都が描かれた白黒の絵画のように、無感情に満ちた真にがらんどうの世界となって。
だが、外界は一向に此方への干渉を窺わせない。それ故自ら全てを終わらせ虚無にかえる事を選んだ。俗世に向けて書き残しておく事はないかと思案するが、自分の遺書など誰も目を通さないだろう事を察し、辞めた。遺書からアンジェリカを連想してしまい、ある気がかりが浮上した。彼女の遺書にはいったいどんな内容が書かれていたのか。そして、なぜ死ぬことを選んだのか。
だが、そんな疑問もあと少しで跡形もなく消失する。彼女への悔恨と懺悔も、排他的な世の中への絶望と憎悪も、無意味に漂う無価値な意識も、全ては無に溶け合う。
自室にあった金目のものを売り、ピストルを購入する。そして列車に乗り、実家から遠く離れた田舎町の森へと向かった。因縁なのだろうか、その田舎町は、かつてアンジェと過ごした海岸のある町の隣に面していた。
闇がたちこめる森の中、銃口を咥える。
死ぬ直前のアンジェもこんな心境だったのだろうか、と、心中で独りごちる。
大切な人の後を追えるなんて、至極幸せじゃないか。そう思っているはずが、震える指は一向に引き金を引こうとはしない。
そんな時、突如少女の悲鳴が聞こえた。驚愕に支配されながらも叫び声の方へ向かうと、少女が複数の男に襲われていた。
ああ、これは以前も目にした残酷な光景とそう違いない。
彼女はいつも笑顔だけれど、決して強いわけではなかった。その事に気が付けなかったからこそ、次は必ず助け出さなくてはならない。おぞましい悲劇から、過酷な日々から、はやく救い出さなければ。彼女が心から笑っていられるように。思うまま自由に生きられるように。もう僕以外の人間に穢されてしまわないように。
襲っていた男のうち一人の額に弾丸を打ち込み銃殺した後、恐怖で金縛り状態になっている他の連中も同じように処分した。思考がまとまらぬまま、虚ろにさまよっていた視線が横たわる見知らぬ少女を捉えた。
「大丈夫だった」
感情の籠っていない声色で発せられた案ずる言葉に、相手からの返答はなかった。呆然と立ち尽くしていると、少女の震える唇が何か音を発した。
「やだ、やめて。ごめんなさい」
視界の先の少女は、小さく開いた口の中で途切れ途切れに呟いた。
その言葉が耳に侵入してきた刹那、鬱蒼と張り詰めていた脳みそは氷のように固まった。
それはいったい誰が口にしたものだっただろうか。それは過去の出来事だっただろうか。いや違う、今現在こうして僕の視界の先に現れているではないか。
「殺さないで」
またもやか細い声が耳に侵入してきた。
絶望という毒ガスで膨れ上がった脳みそと、好き勝手切り裂かれ続けている胸の奥で、ばつん、と何かが激しくちぎれる音がした。
いったい誰が彼女を殺した。いったい誰のせいで彼女は絶望した。
いったい誰のせいで今もこうして彼女は僕を苦しめる!
現在視界に移るのは、間違いなくあの日、岩礁に打ち付けられて血塗れとなった身体だった。その虚ろな瞳が心臓をさし貫くようにこちらを見据え、次第に近づいてくるではないか。それは、逃げ場をなくして罪悪に震える魂を捕らえようとするかのようだった。
気がつけば僕は叫んでいた。そんな訳がない。これは彼女じゃない。まやかしだ。偶像だ。それらの意思は言葉として口から出てこず、代わりに腹の奥から出てくる叫び声が夜の森に響いた。それまで鬱積していたありとあらゆる重しを放出するように、本能のままに獣のように叫び続けた。
その時の僕は、世界の全てが自分の敵だと思えてならなかった。世界が自分に向けて、僕が最も嫌がる映像を見せようと残酷で悪趣味な嫌がらせをしているのだと信じて疑わなかった。
絶望に完膚なきまでに呑まれていた意識は、轟音により引き戻される。なんと、右手に握られたピストルが少女の太腿に向かって煙を吐いていた。
先程の映像は消失し、そこにいるのは見知らぬ少女だった。悪夢から覚めた僕は叫ぶのを辞め、自分の中の全てを吐き出した脱力感から、呆然と立ち尽くしたまま息を整える。
通常ならばなんの罪もない人間を撃ってしまったとなると、とてつもない罪の意識が芽生えるはずだ。だがその時の抜け殻だった僕は、その罪に対して、貴重なものに酷い傷をつけてしまったような後悔をほんのり感じるだけだった。
「ごめんね」
僕は感情のない声で謝罪した。
木々のざわめきも、少女の絶叫も、全てがはるか遠く別の世界で響いているかのように意識の外で溶けていった。助けを呼ぶという当たり前な発送も浮かばず、その時の僕の自然は自分にできることは何も無いという判断だった。
そんな頭に唯一あったのは、服に付着した血を洗い流すことだけだった。夢心地なまま森から出ると、幸いなことに、川が流れていた。そこで返り血を洗い流そうと試みた。完全に落ちなかったが、幸い黒いコートは赤黒い色がそこまで目立たない。魂が浮遊した心地と共に川を後にする。
一人で呆けている度、笑いかけてくれた。そんな間抜けな僕を、見過ごさないでくれた。壊れた脳は彼女の笑顔ばかり想い出す。それ以外の全てから目をそらすように。
鳥のさえずりで目を覚ます。周囲を見渡すと知らない場所だった。若々しい緑の草原が広がっており、その向こうにはそう多くない家々が連なっている。背後には木が根を張っていた。今まで幹に背を預ける形で眠り込んでいたらしい。
それにしてもこんな場所にいるなんて、ほんのり夢遊病を疑ってしまう。もしそうだとしても、今更何かの病気を患っていたところで自分のような人間に心配も不安も存在しない。
何故だか、悪夢の後のような気持ちの悪さが胸に広がっている。だが、その不快さは鼓膜を刺激する汽笛の音によりかき消された。
周囲の景色に目を凝らすと、すぐ近くに線路が走っているのが見えた。線路に沿って歩いていくと、すぐに駅に辿り着いた。駅員さんに現在地を聞き、無事帰路に着いた。何か重要な事を忘れているような気がし、胸中の靄が晴れなかった。




