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亡き乙女の空に羽ばたく為に  作者: ちゅんぴ
第6歌 罪が返り咲く音
63/90

6-(0.3) 少年が作った罪

 次第に強くなる雨音と彼女の静かな寝息を聞いていたら、瞼が重くなってきた。夢と現実の境目をさまようこと数分、あと少しで完全に眠りに落ちるだろう域にまで達したとき、背後からの突然の声に意識が呼び覚まされた。


「うぅ……ん、エドガー……」


 自身の呼び名と同じ単語を漏らすか細い声に、胸は狂ってしまったかのように早鐘を打つ。自分のことなのかそれとも彼女が敬愛する作家のことか判断のしようがないが、すっかり心は掻き乱されてしまっていた。胸の奥と腹の底がじんわりと焦げていく。心音が内側でやけに響いた。

 雨が降り頻る秋の午後だというのに、密着している彼女の体温を差し引いても、体が熱くてたまらない。おでこの生え際に汗が伝う。

 この夢のような時が永遠に続いて欲しくもあれば、心臓が破裂してしまわないように一刻も早く終わって欲しくもある。幸福感や焦燥、不安が綯い交ぜになりてんで頭と心の整理がつかない。


 そんなふうに奮闘している中、まるで悪夢から覚醒した時のように、思い切り体が跳ねる。腕に添えられていたアンジェの片手がふいに下腹部まで滑り落ちてきたのだった。

 彼女の小ぶりな手が暖炉の火のように熱を持っているような錯覚に陥る。下腹部がじりじりと焦がされていく。その電流じみた灼熱は、下方に伝っていき、緊張により縮こまっていた秘部に点火した。

 襲いかかる灼熱へ向けて心中で必死に静止の声をあげるが、そんなことお構い無しに秘密の部位は無慈悲に熱を帯びていく。これ以上自分が自分でなくなってしまう前に、下腹部に添えられた手を慎重に背後に持っていく。その際、小さな手の柔らかい感触に腹の奥がこそばゆくなった。

 これで万事解決と言えれば良かったのだが、あいにく蒸れきった脳と欲求不満を募らせた彼処はそう楽に済ませることを許してはくれないようだった。


 未だ高鳴る心臓の音を聞きながら静かに腰を起こす。アンジェに視線をやり、眠っていることを確認してから戸口へ向かう。

 扉を前に、アンジェに背を向け腰を落ち着かせると、冷気がのぼせた体をくすぐった。自身のズボンに手を忍ばせる際、唾を飲み込む音が普段よりも大きく鳴った。掌に吐き出して雨で洗ってしまえば問題ないだろう。

 そんなことを考えている間にも、すっかりその気になった彼処は今か今かと忙しなく急かしてくる。彼女が今起きないことを切に願いながら、熱くそそり立ったものを片手で静かに擦り始める。

 生理的に漏れ出てしまう喘ぎを封じるため片方の腕で口元を塞ぐ。それでも、必死に助けを乞うようなくぐもった呻きと、恥部から発生する粘着質な水音までは封じられない。その為、それらをかき消してくれる水車と雨の音に感謝の念を抱いた。


 無我夢中で彼処を摩擦する掌は、いつの間にか、背後で眠る想い人の内部に見立てられていた。逆らうことの出来ない荒波に追い立てられ、とうとう絶頂の兆しが見え始めた。快楽に陶酔するあまり、脳も神経も麻痺しきっていた。


「エドガー……?」


 突如せり上がった心臓は、ズボンの中で急停止した片手と共に凍りつく。

 澄んだ声は、興奮状態の脳が生み出した幻聴ではなく、確かに、現実で発せられたものだった。思考の歯車は狂ったように乱れ一向に噛み合わず、何と言葉を紡げばいいのかさえ考えることができなかった。


「私のこと、呼んだ?」


 今までの比ではない程の熱が、一瞬で顔を覆った。愚かにも、恍惚のあまり口元を塞ぐ腕の力が緩まっていたあげく、彼女の名前を呼んでいたらしい。全身が石のように固くなっていくのをひしひしとじながら、ぎこちなく言葉を紡ぐ。


「いや、ごめん。なんでもないから、寝てていいよ」


 あからさまに上擦った声よりも後に小屋内に響くのは、雨と水車の鳴き声のみ。

 歯車は必死に回転を続ける。先程の様子だと、恐らく彼女は今しがたしていたことを分かっていない。寝起きな上、半ば寝ぼけている彼女の目は、まだ暗がりに慣れていなく、文字通り闇しか映していなかっただろう。

 世界の終わりが訪れたかのような絶望感と、無意識に彼女を慰みものにしてしまった罪悪感と後悔により、甘い痺れと強烈な灼熱は消え失せ、欲求不満を必死に訴えていた箇所も大人しくなった。普段の僕とは程遠い不徳な部分を突きつけられてしまい、じんわりと恐怖が募る。未知なるもう一人の自分が内在している背徳的な心地が、意識の中を闊歩した。

 ひとまず頭を冷やそう。このままでは、とても彼女の隣で眠りにつける気がしない。極力音を立てないように、静かに扉を開ける。相も変わらず、雨は振り続けている。開いた扉の間に身を滑り込ませ、外へ出、慎重に扉を閉める。

 花畑に、冷たい空の涙が忙しなく打ち付ける。しばらくその寂しげな風景を眺めているうち、心身を蝕んでいた熱も冷えていき、小屋の中へ戻った。


 アンジェは、やはり無事眠りに落ちていた。その心配なまでに素直な少女の姿を視認した瞬間、これまで幾度となく苛まれた気持ちの悪い目眩に襲われた。為す術もなく体が崩れ落ちる。反射的に腕を着いたため、顔面を思い切り床に打ち付けることは回避できた。だが、即座に心臓がどくんと飛び跳ねた。

 すぐ真下に愛らしい寝顔があった。いけないことをしている感覚はあるのに、体に力が入らなくて動けない。長いまつ毛。筋の通った鼻。ふっくらとした唇。

 彼女の愛らしい寝顔に、先程のようなのぼせてしまいそうな熱とは違う、ふわふわとした温もりが全身を包み込んだ。空気も、雨音も、浅い呼吸音も、心臓の鼓動も。全てが甘くとろけてきっているかのよう。

 そんな時、突然アンジェはぎこちなく瞳を開いた。屈めた体は息を吹き返し、反射的に退いだ。


「あっいや、ごめん」


 だめだ。うまく呂律が回ってくれない。


「ちょっと目眩がして、その、咄嗟に手をつけちゃって」


 彼女は反応を示さない。彼女は亡骸のように身動きひとつせず、沈黙を貫いていた。まるでそれらの機能が元から備わっていないかのように。


「アンジェ……?」


 彼女の肩をさする。それでも反応はなかった。嫌な予感が走り抜け、彼女の胸に耳をあてがう。鼓動は正常に響いていた。顔を上げ、再度彼女の虚ろな瞳が視界に入る。

 もしかすると、目を開けたまま寝ているのかもしれない。かなり無理やりな憶測だが、アンジェなら有り得そうだ。そう思うとそれまで緊迫していた精神は綻んだ。

 その時だった。


「良いですよ、誤魔化さなくても」


 普段通りの明るい声が暗い小屋内に響いた。だが、今はその声が無機質に聞こえてならなかった。彼女の発言の意味が理解できない。嫌な予感が駆け抜け、一気に周囲の空気が重くなった気がした。


「僕は」

「心配しないでください。私が起きてしまって都合が悪いと思いますが、この前本を買ってくれた分、お金は要求しません」


 二度目の弁解のために発しようとした言葉は、冷静の皮を被った酷く主観的な対応により打ち消された。

 頭部を堅牢な鉄で殴られたのかと錯覚した。むしろ本当にそうであればどんなに良かったことだろう。彼女の言葉の意味をまともに理解出来なくなるほどに脳みそがやられてしまえばどれほど幸せだっただろう。それでも残酷に、脳は彼女の発言を何度も反芻し、その意味を心に植えつける。


「ちがう、僕は何もしようとしてない、誤解だよ」

「だから言ったじゃないですか。そんなに誤魔化さなくていいですよ。タダでどうぞ」


 アンジェリカという少女は、反道徳的な事を平然と言い退けた。

 今、彼女は誤魔化すと言ったか。それが、彼女が認識していた僕の存在の答えであるなんて、どれ程気が狂えば信じられるだろうか。


「なんでそんな、当たり前みたいな」


 それは彼女への糾弾ではなく、信じたくない現実を必死に否定する嘆きに近かった。微塵も動かず彼女の瞳を注視するがそんな誠意の表明は欠片も響かないようで、彼女は黙って僕の手が出るのを待っているようだった。


「お前は、僕に今言ったことを理解してるのか」


 呻きは、彼女の作りだした壁を通過することはかなわない。

 ――性処理に彼女を利用する無情な男の一人だとしか認識されていない。その残酷な事実が胸の奥に重く深く突き刺さり、心臓の皮が剥がれていくような痛みが滲んでいく。


「――ふざけんな」


 雨音を割いて暗闇に響く泣いているようにも聞こえる悲しみを押し殺した声は、間違いなく彼女を責め立てるものである。その訴えは凍える魂の破片として、無情な想い人に降りかかった。

 それでもアンジェは怪訝な気配を僅かに覗かせるだけで、焦る素振りも抵抗の意思も一切窺わせない。どこまでも純粋な瞳で見上げる相手は、たかが下衆の糾弾など意に介さなかったようだった。


「私は何とも思わないので好きに使っていいですよ」


 あっけらかんとしたアンジェと同じ声が、秘めた恋心とちっぽけな自尊心を冷笑するように鼓膜を震わせた。

 打ち付ける雨音は、肉を叩く乾いた音によってその規則性のある音響を邪魔された。茶に緑のさした美しい瞳が驚愕を携えながら、たった今自分の頬を平手打ちした手に視線をやった。


「エドガー?」


 かすかに開かれた彼女の口は、こちらに疑問を投げかけるような声色であの作家と同じ名を零した。


「誰だよそれ。そんな人間僕は知らない」


 自分でも今まで聞いた事がないほどに低い声だった。それに対して一切反応を見せない彼女。その瞳の奥で、嗤う影が蠢き、貶す声が脳に直接反響する。


『生まれてはいけない人間だって自覚を持たないからそうなるんだ。裏切られたからって暴力に走るのか、自分よりか弱いものには手を出せるんだな』


 自分の声にも他人の声にも聞こえる、鉛玉のように重い批難が、非力な両手を突き動かした。

 視界の下に映る細い両足を掴み、躊躇いを感じる前に即座に股を開かせる。なぜ自分がそのような行為に走ったのか判然としないが、おそらくは、自己をなじる非難の声に対抗してのことだったのだろう。


「うぁ……」


 それまで平生通りだった彼女も、いつもより数段階高い声を漏らし、居心地の悪さを感じたのかはたまた羞恥心を覚えたのか、足に力を入れて閉じようとした。

 本来ならばその彼女の反応に理性の咎めを覚えるであろうに、当時の自分は愚かにも即座に我に帰れるほどの余裕を持ち合わせていなかった。そればかりでなく、それまですましていた彼女の態度が崩れた事実に安堵を覚えると同時に軟弱な人間を力で組み伏せる快感と、普段健気で素直なアンジェを辱める背徳感が波のように押し寄せたのだ。


「どうした、恥ずかしいのか」


 縋るようでいて嬉しさを含んでいる小物じみた声が木霊した。

 僕に乗り移った悪魔は、本来僕の持ち合わせている尊厳や道徳心を置き去りにし、被虐的な彼女のさらなる痴態を期待し始めた。彼女を再度開脚し先程よりも強い力で押さえつけ、スカートの裾から露になった下着を視姦する。それも彼女が嫌でもこちらの視線を感じるように、僅かに頭を彼女の股に近づけた。

 大切なものが壊れていく音が破片となり、自身の出生から始まりこれまで受けてきた理不尽な冷遇により作り出された一つの人格を滅多刺しにした。

 だが、正気を失った僕はその苦痛を素直に受け入れることができないほどに、心が麻痺していた。いや、もしかしたら僕は意図してその苦痛に気が付かないふりをしたのかもしれない。自分に流れる犯罪者の血に悔しさを覚えながらも、背徳感に支配される快感に悦びを感じていた。

 頭を上げ彼女の表情を見やると彼女は潤んだ瞳で首を横に振った。


「どうして、そんなに勿体ぶるんですか」


 彼女の震えた声が嘲笑うように耳を通過する。

 彼女の両脚を押さえつけていた両手が、諦めたように脱力した。なぜもっとこちらの望むように嫌がる素振りを見せないのか。そう彼女への不満を腹の中でぶちまけた。

 心の底では後に引けそうにないまでに昂った許されざる悪の自分に焦燥を募らされておりながら、同時に、それまで大切にしていた父親への憎悪を忘却してしまいたい悪徳を歓迎していた。自分にも周囲にも殺され続けていた人並みの欲望を解放する方法が脳内を占領していった。


「お前こそ、なんでそこまで人を否定するんだよ」


 両手を細くしなやかな首に添え爪をたてた。爪がくい込んだ箇所が、朱色に滲んだ。そのとき初めて彼女の苛立たしい顔が痛みと怯えに歪んだ。彼女のその表情が、抑圧され続けてきた事により凶悪と化した欲望に火をつけた。


「なあ」


 その声は怒りを潜めているようでいて、喜びを隠し通せていなかった。


「僕がこれまでに一度だって、そういう人間だと思わせるような言動を見せたことがあったか」


 言葉は舞い散る落葉のように自然と落下する。

 彼女の態度を非難する言葉に不相応な、誠実さの欠片もない醜い敵意のようなものが僕を満たした。


「それとも元から僕なんかにはさほど興味がなくて全ては上っ面で芝居だったのか。そうだよな、お前はいろんな奴の相手をしてきたから、人に気に入られる方法なんて熟知してるよな。楽しかったか、阿呆な人間を弄ぶのは。愉快だったか、勘違いしている男を鑑賞するのは。……お前まで腹の底では僕を汚れた人間と思ってたなんて気づかなかったよ、お前の役者ぶりの演技には感服だ」


 這い上がってくる感情を吐き出す途中で、異様に涙を零してしまいたくなった。だが、そんな魂の訴えも虚しく、僕はあれほど暖かいと感じていた想い人を置き去りにしたまま、戻って来ることができなかった。彼女は口を僅かに開け、放心したようにこちらを見上げ黙っていた。


 なんて酷い奴だ。

 色褪せた心はそう思うことでようやく、彼女への特別な感情を死守しようとしていた自己の嘆きを完全に黙らせた。

 茶に緑のさした美しい瞳が、僅かに見開かれた気がした。だがそんなことに気を取られることなく彼女の秘部を覆い隠す薄い生地を白いしなやかな脚へと滑らせ、取り除けた。そうすることが前もって定められていたかのように機械のような両手は自然と動いた。

 それが初めての自殺だった。


 最中、彼女は僕の不慣れな上にただ欲望をぶつけるだけの乱暴な行為に苦しみを覚えていたのかそれとも恐怖を感じていたのか、謝罪の言葉を繰り返しながら涙を流していた。その涙を見てもなお凶悪な昂りは沈むことなく、むしろ癖になっていた背徳感をもう何段落か底上げした。

 彼女との幸福な日々の記憶、胸中で開花していた温もり、そして苦痛あるいは恐怖に涙を零す想い人、それら全てが心無き心の瞳に何とも滑稽に映った。

 事が終了すると、叱られた幼子のように小さく啜り泣く少女に軽蔑の眼差しをぶつけてから、静かに小屋を後にした。


 帰路の途中、それまで漂白されていた自身の内部は徐々に感情を取り戻し、先程の事件を深く回想できるまでに脳が沈静化すると、途端に気分が悪くなった。

 旧市街の公園のベンチに腰掛けるも、今何を考えるべきなのか、何一つとして分からない。頭と心は混ざりあい固形物のガラクタとなって、今はもう砂塵と化した。辺りが暗くなっても到底動き出す気にはなれなかった。それでも馬鹿みたいな生存本能が足を寮まで動かした。案の定寮長に説教されたが、ほとんど頭に入ってこず、部屋に戻っても廃人のようにただベッドに横になることしかできなかった。


 あれきり浜辺に向かうことはなかった。自分にはもう会う資格などないといった至極当然の戒めでもあったし、初恋の相手が自分を目にした途端美しい瞳に非難と拒絶の色を浮かばせる光景が自然に浮かび再会を拒んだ。そして何よりも、憎悪の対象である実の父と同じ過ちを犯してしまった絶望が僕の世界全てを覆った。

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