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亡き乙女の空に羽ばたく為に  作者: ちゅんぴ
第6歌 罪が返り咲く音
59/90

6-(2) 旅先で出会ったのは

 朝日が覚醒を促し、僕は気持ちの悪い感覚に苛まれながら起床した。

 最悪だ。思い出したくもない事を夢にまで出してきやがって。どこまで悪趣味なんだ。そんなふうに、自分の脳への苛立ちが募った。


 居間に向かうと、アンナとカーヤはまだ起きていなかった。僕は、気分転換を兼ねて朝の散策でも洒落こもうかと庭先へと向かう。すると、郵便受けに何やら手紙が入っていた。それは、なんと実の母宛からだった。

 未だこれが現実かどうか疑う中、玄関から誰かが出てきた。こちらへ向かってくる足音の方へと目線を配ると、家から出てきたのはカーヤだった。カーヤは、すぐ近くまでやって来るなり、背伸びして僕の手元を覗き、口を開いた。


「手紙……?」

「あ、ああ。どうやら僕の親からきたみたいだ」


 僕は、カーヤの呟きに対し、咄嗟に返答した。なぜだか妙に居心地が悪い。


「ってことは、わたしのおばあちゃんとおじいちゃんからってこと? なんて書いてあるの? 見せて見せて!」


 カーヤは、今にも僕から手紙を取り上げそうな勢いで、ねだった。

 対して僕は、カーヤの気分をなるべく害さないよう気を遣いながら、それを断った。


「いや、その、これは大事な事が書いてあると思うんだ。だから、悪いけど他の人には見せられない。ごめん、カーヤ」


 僕は、謝罪の言葉を口にしながら、カーヤがたった今放った言葉に強烈な緊張を覚えた。カーヤからしてみれば、僕はどうやら父親のような存在らしい。というか、あの口ぶりからして父親そのものに映っているのだろう。

 思えば、初めて出会った時もパパ扱いされた覚えがある。僕は、それを考えるなりさらに精神が重たくなった。僕には父親なんて役割似合わない。そもそもこんなに大きな娘をこの歳で扱うというのも非現実的ではあるが、それ以上に僕の人としての性質が親という器に向いていない。


「うん、わかった。大事なことなんでしょ? なら、仕方ないよ」


 カーヤは、想像していたよりもすんなりと僕の拒否を受け入れた。そして、意気揚々と語り始めた。


「ままも大事なことは隠そうとしてたもの。るーかすも同じなんでしょ? 感じ取ってみたいな、るーかすの綺麗な音色」


 カーヤは、まるで夢物語を語るかのようにそう言った。カーヤの詩的な表現に少々面食らったものの、彼女の言う“まま”という存在が気になった。果たして、カーヤは何からどのようにして生まれた存在なのだろう。

 だが、僕はそれをカーヤ本人に直接問う事はしなかった。なぜだか、その真相は僕には触れてはならない禁忌であると、本能が静かに告げたのだ。小心者の僕は、その魂の警告に従い、何の変哲もない話をしながら、カーヤと共に家の中に戻った。


 手紙に目を通すと、このような事が書かれていた。母は膵臓癌を患い、国内随一の病院に入院しているらしかった。そして、おそらくもう長い事生きられないだろうから一度だけ顔を合わせておきたい、との事だった。


 僕は、正直物凄く嫌だった。実家には極力関わりたくなかった。だが、母が入院している病院はここから遠く離れた都市に存在しており、ここから向かうにはあちらで一泊する必要があった。母は、余計にもその事まで考慮し、既にホテルの予約をとっているとの事だった。これではもう断りようが無かった。

 アンナにしばらく家を空けるという旨を伝えると、案の定彼女は驚いていた。それもそうだろう、僕は基本的に遠出をしない人間だ。それに、彼女からしたら突然留守番を任せられたのだから、余計に情報処理に時間がかかった事だろう。

 アンナと僕二人にしか見えないカーヤの存在はともかく、アンナを家に一人にするのは危険な事だという事くらい承知していた。それに、一応逃亡犯である身として心細いことこの上ないだろう。それらの想像から、僕は思い切って母からの申し出を断ろうかとも考えた。

 だが、アンナは僕のその思い切りを察したのか、母の元に行くように促してきた。その為、僕は嫌々ながらも母と生まれて初めて顔を合わせる事にしたのだった。


 出発日、寂しがるカーヤにお土産を買ってくる事を約束して家を出た。列車に長い事揺られ、何度も乗り換えを行い、ようやく目的地のある都市へと到着した。

 地図を見ながら歩いていると、すぐに病院を見つける事ができた。面会へと向かうと、母は既にここに息子が来る事を看護師達に伝えていたのか、病室にいたスタッフはそそくさと出ていった。

 やたらと大きな病室の中央にはベッドが置かれており、その上に誰かが横になっていた。窓からは、風にざわめくトウヒを見る事ができた。僕は病室の入口から動けないでいた。心做しか、両膝は僅かに震えていた。

 室内に満ちた静寂を破るように、母らしき人物が口を開いた。


「こっちへおいで」


 僕は、そのしゃがれた声に従った。恐る恐るベッドへ向かうと、かつて実家に飾られていた写真で目にした事のある女性が、年老いた姿でそこに横になっていた。


「ああ、ルーカス。君がそうなんだね」


 母は、僕の名前を口にしたかと思うと、両目から涙を流し始めた。


「良かった、君は私に似たんだね。思っていたよりも可愛い顔をしてるじゃないか。あぁ、こんな事ならもっと早く会っておくんだったねぇ。ごめんよ、実の息子からずっと逃げてきたような母親で。何か、何か話しておくれ。君の声が聞きたいんだ」

「……別に僕は、恨んでなんかないよ。お母様の事」


 僕は、そう言うのが精一杯だった。

 それからは、母の謝罪と、実際に会えた事への喜びの語りを聞かされる事となった。僕は、それをまるで人形になったような心地で聞いていた。これまでどれ程僕が薄暗い扱いを受けてきたか、知った上でのこの有様だ。もうここでの会話は母による自己満足にすぎなかった。

 長くこれまでの後悔を語り続ける母に対して、僕はほとんど口を開かなかった。そして面会時間が訪れるまで、僕はその場から逃げる事ができなかった。


 最初で最後の母との会話は呆気なく終了し、僕は宛てがわれたホテルへと向かった。チェックインをすませ、スーツケースを部屋に置くと、裏庭とやらに向かってみる事にした。どうやらここのホテルの裏庭には教会があるらしい。

 日の暮れゆく空の元、坂道を上がっていった。すると途中、草むらの上に負傷した鳥が落ちているのを発見した。僕は、手当をしようと考えてその鳥に手を伸ばす。そこで、背後から声が降り掛かった。


「人間が無闇に手を出してはいけないよ」


 僕は手を止め、背後を振り返る。すると、一人の男がそこに立っていた。


「野鳥は回復能力に優れている。しばらく見守っていよう」


 男は、そう続けた。

 そうして僕と男は、負傷した鳥を数十分と眺めていた。お互い無言だった。しばらくすると、鳥は歩けるようになった。男は、「飛ぶまでにはまだ休息が必要だが、我々にできることは無いだろう」と言った。

 僕は彼の言う通り、鳥の事は忘れる事にし、目的地の教会へと向かう事にした。すると、どうやら男も教会に向かうところだったらしく、共にそこへと向かう事にした。

 僕は、教会に着くなり礼拝堂に向かった。

 いったい僕は、どうすれば数多の罪を償える事ができるのだろうか――。

 気がつけばそのような事を考えていた。

 すると、同じく礼拝堂にやってきた例の男が、僕の肩に手を掛けてきた。


「ぼーっと突っ立って、何か懺悔したい事でもあるのかい?」


 僕は、その手を払い除けて言い返した。


「人の内に勝手に入ってこないでください」


 自分でも驚く程に低い声が出た。その声色で察したのか、男は真剣な表情で謝ってきた。


「いや、ごめん。冗談で言ったつもりが、君にとってはそうではなかったようだ。さっきのはどうか忘れてくれ。僕は君の事が気に入っているんだ」


 僕は、唐突に好意を口にされて何も言い返す事ができなかった。なぜ先程会ったばかりの人間を、しかも僕のような人間を気にいるのか……全くもって意味不明だった。


「おや、もしかして疑ってるね? 嘘なんかじゃないさ。ホントだよ」

「それにしてもどうして僕なんかを?」

「自分よりも小さな生き物に注意を払う事ができる程優しい心の持ち主だったから――と言いたいところだが、本音を言えば、僕は鳥が好きだからだ。だから、鳥を助けようとしてくれた君の事も好きになったんだ。人を好きになる理由なんて、そんなもんさ」


 僕は、優しい、と言われた事に強烈な違和感を覚えながらも――ここが聖なる場であるからこそ余計に――彼を信じる事にした。そして、まだ互いに名を名乗っていない事に気が付き、僕は彼に自分の名前を伝えた。もちろん、本名のルーカスの方を。すると、男も名を名乗ってくれた。


「僕はテオドールだ。気軽にテオと呼んでくれ」


 そうして差し出されたテオの右手を握り、僕たち二人は握手を交わした。ざらざらとした、妙な居心地の悪さを覚えながら。

 翌日ホテルをチェックアウトしようとしたら、フロントでテオに出会った。どうやら彼も今日をもってこのホテルから離れるらしかった。

 僕とテオは、ホテル付近の公園で散策した。テオは、歩きながらとつとつと語り始めた。


「僕にとってこの旅行は快いもんじゃなくてね。何せ、最近大切な人を亡くしてね。その悲しみを紛らわす為に色々な場所を点々としてるんだ。でも、そんな時に君に出会った。新しい良い友人ができて嬉しい限りさ」


 テオの提案で、ベンチに腰掛ける事にした。僕は、何となしに胸ポケットからアンナの写真を取り出して眺めた。隣に座るテオは、彼の鞄からスライスされたパンを取り出して食べ始めた。僕は、思わず彼の方を振り向いてしまった。


「お腹でも空いてるの?」


 そう聞くと、テオはかぶりを振った。


「何か食べていないと気がすまなくてね。だから、いつもこうして気軽に食べれるようにパンを持ち歩いているんだ」


 なるほど、食いしん坊という事か。その割には太っていない。むしろ、彼は痩せている方だ。

 と、そんなくだらない事を考えていたら、手に持っていた写真を足元に落としてしまった。そしてテオの視線がすぐに写真に移ったのがわかり、僕は気恥しさからすぐに写真を拾い上げて胸ポケットにしまった。

 すると、突然テオが手にしていたパンを落とし、頭部を両手で覆って呻き始めた。


「どうしたんだ、テオ!?」


 僕は、突然の事にそう投げかける事しかできなかった。

 するとテオは、苦しそうに言った。


「いつもの頭痛だ。なに、薬を飲めばすぐに良くなるさ」


 テオは、薬を探しているのだろう、鞄の中をがむしゃらに片手で掻き回した。すると、鞄は開口部を僕の方に向けて倒れてしまった。


「無理するな、僕が探すよ」


 そう言い、鞄の中を垣間見た瞬間、テオはそれを断るように鞄を僕の傍から引き離した。


「大丈夫だ。このくらい」


 そしてテオは呻きながら鞄の中から薬を取りだし、それを数粒飲み込んだ。

 僕は、気が動転していて何も発する事ができないでいた。おそらくテオも、今僕の中に渦巻いているものと同じ類の不安を抱いている事だろう。


「……写真に映っていた女の子は、君の恋人かい?」


 テオは、静かにそう質問してきた。僕は、嵐が吹き荒れる胸中を必死に誤魔化すよう努めながら、答えた。


「ああ、っていっても、数年前に別れてしまって。未だに未練があるからこのザマだ」


 僕の全身に嫌な汗がつたう。

 どうか、どうか僕の緊張が相手に悟られていませんように。そう願いながら、テオの出方を窺う。すると、僕の緊張が嘘かのように、テオは普段の朗らかな様子で口を開いた。


「そうか。それは辛いな。やっぱりルーカス君と僕は気が合うなぁ。何せ、僕も傷心旅行するくらいには未練たらたらだからねぇ」


 あまりにも自然なその反応に、僕は面食らった。もしかして、僕の写真はあまりよく見えていなかったのだろうか。それとも、アレらは僕の見間違いなのか。どちらにせよ、こちらも相手に合わせて何気ない会話を続ける必要があった。

 それから僕らは再度公園を歩き始め、他愛もない話をしながらそのまま駅へと向かった。テオに関してはまだここに残るらしいが、僕の見送りに来てくれるとの事。駅に到着すると、僕らは自身の連作先を書いたメモを互いに交換し、そこで別れた。テオは、車窓から見えなくなるまで手を振ってくれていた。


 僕は、テオが見えなくなってしばらくすると、一気に脱力した。これまで僕を束縛し続けていた緊張が一瞬にして解け、僅かに目眩がした。テオの、あの最後の様子からして、僕への懸念は薄いだろう。だが、決して油断できない事は確かだった。


 なぜなら、彼の鞄の中を垣間見た時――アンナによく似た少女の写真に、その少女と母親らしき人物のツーショット、それから、その母親らしき人物とテオの仲睦まじげな写真があったのだから。

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