5-⑧ ここが私の、本当の居場所。
私は、一日と経たないうちに再度アンナ達の元を訪れる事となった。カーヤからの手がかりによって得られた様々な情報は、一人で抱え込むにはあまりにも恐ろしくて、重苦しいものだったからだ。
家にいるのは、幸いにもアンナとカーヤだけだった。どうやらこの家の主は、ただいま学生のお勤め中との事だった。アンナは、案外驚く事なく私を迎えてくれた。おそらく彼女にとって、私がここに戻ってくるのは想定内の事だったのだろう。やはり私の子分にする人間は、私の事をよく理解してくれる人間に限る。
アンナは、いち早く私の得た情報を聞きたいとばかりに、カーヤに居間で待っているよう命じてから、私を別室に連れていった。どうやら私が連れてこられたここはアンナの部屋らしかった。
アンナは、やはり私の予想通り、手がかりとその情報の提示を求めてきた。私は、今すぐにでも彼女に泣きつき、全てを話してしまいたかった。だが、私の善性がそうする事を咎めた。
アンナは、カーヤの真相を知れば間違いなく悲しみ、絶望に暮れるだろう。それはカーヤへの愛情から来るものではなく、ルーカスという罪深い人間への信頼が、彼女をそうさせるのだ。そうすればアンナは、かつての私のように、心の居場所に裏切られ深く傷つく事になってしまう。
おそらく、その裏切りは、アンナにとって初めてのものではないのだろう。何せ、私とアンナは同じ条件からカーヤに導かれる事となったのだ。いわば同胞というやつだ。ならばアンナが、あの男に抱いていた感情というものがどういった類のものか察しがつく。
私は、悔しくて悲しくてたまらなかった。なぜアンナはあの男に出会い、そして、近しい存在となってしまったのか。彼女がどうしようもなく不憫でならない。
私は、いったいどうやってアンナに話せばよいのかと、ろくに回らなくなった頭を必死に動かそうとした。すると、いつまで経っても口を開かない私に対し、アンナが口を開いた。
「なんか凄く顔色が悪いけど、何かあったの?」
私は、そのたった一つのアンナの言葉だけで、心に誓った。何としても彼女に事の真相は話さないと。ただ、カーヤとルーカスの危険性については強く言及しておかなければならない。
なのに、私の口からは一向に言葉が出てこず、その代わりとばかりに、両目から熱いものが溢れてとまらなかった。そのせいか、アンナが動揺したのが僅かに感じられた。私は、どこまでも深い悲しみに胸を痛めながらも、何とか言葉を発した。
「何も、何も分からなかったの。カーヤの事も、何もかも」
アンナは、そんな私の言葉を聞いても、不服そうな表情は一切見せなかった。それが、余計に私の胸を締め上げた。
「ごめんなさい。何もアンナにとって良い情報は得られなかった」
それが、今私が言える精一杯の言葉だった。
私はただひたすら苦しみに喘ぐことしかできなかった。あれ程手に入れたかった真相というものが、これ程までに残酷だとは思いもしていなかった。私にとっても悲しいものであったし、何よりも、アンナにとって最悪な代物でしか無かった。ようするに、私の努力や慢心は、禁忌をこじ開ける忌まわしい鍵でしか無かったのだ。
涙を拭う事もせずに俯いていると、頬に手が添えられた。そして、その手は俯いていた私の顔を僅かにあげ、私の目線を自分と合わせた。すると、アンナは彼女の額をゆっくりと私の額に当てた。それはまるで額同士のキスのようでもあった。瞬く間に私の両目からは涙が流れなくなった。その代わり、額を源に、全身にぬくもりが浸透していくのがわかった。そのぬくもりは私の核をも覆い、長い間色褪せていたそこに豊かな色彩を蒔いた。
私が落ち着いたのを見兼ねてか、アンナはゆっくりと額を離した。私はというものの、なんだか熱に浮かされたようにぼうっとしていた。そして、アンナの顔よりもやや下に視線をやりながら、「ねぇ、また会いに来てもいい?」と、まるでおねだりをするかのような心地で問うた。するとアンナは、「別に、こんなとこでいいならいつでも来てもいいよ」と、相変わらずの平坦な声色で答えてくれた。そしてすぐに「あ、そんな事言うとルーカスに失礼か……」と付け加えた。
おそらくアンナにとって、もしかするとルーカスにとっても、この家はもう既に二人のものという認識となっているのだろう。そんな口ぶりだった。そんな事は、決してあってはならない事だった。私の為にも、何より、アンナの為にも――。
「ねぇ、もうカーヤとルーカスと付き合うのは、やめて」
私は、気づけばそんな懇願を口にしていた。
こんな事を言ってしまえば、おそらくアンナは怒るに決まっている。それでも、せめてこれだけは言っておきたかった。どのように解釈されようと、私の最大の願いを伝えたかった。
だが、アンナは怒らなかった。ただ、「どうして?」と聞いてくるだけだった。その質問に答える訳にはいなかった。あの真相を知るのは、自らパンドラの箱を開ける事を望んだ私だけでいいのだ。故に、私は「冗談よ。ほんとに、ただの」と誤魔化す他なかった。今更アンナとルーカスを引き離す事は難しいだろう。ならば、私に出来る事といえば、あの罪人とその被害者達の真相を隠し続ける事だけだ。
対してアンナは、よく分からないといったふうにきょとんとしていた。私は、そんなアンナに、今日はもう帰る旨を伝えた。するとアンナは、それまで浮遊させていた意識を取り戻し、素早く棚へと向かい、そこから何かを持ってきた。
彼女の手の上にあるのは、鳥の彫刻だった。アンナは、その鳥の彫刻を私にくれた。なんでも、アンナは趣味で彫刻を掘るらしかった。私は、礼を口にしてから、アンナに見送られながら彼女の住居を後にした。
帰路に着いてから、私は重大な事に気がついた。それは、私は再度あの家に向かった際、一度もカーヤに会おうという発想が浮かばなかった事だった。かつてはあれ程までに私を導く存在として惹かれていたというのに、今となってはあの執着が嘘だったかのように、ただの虚しい妖精という印象が浮かぶ存在でしか無かった。そして同時に、これまで長年私の内側に潜んでいた小さな妖精も、影が薄らいでいた。
自室に戻ると、早速アンナから貰った鳥の彫刻を飾った。といっても、最初は飾る場所が無かったので、既に飾られている何かと交換する必要があった。そこで目に入ったのが、幼い私とそれを抱っこしている父の写真だった。
私は、まじまじとその写真を見た。その結果、その写真を展示スペースから消す事に決めた。そして、写真立てを手にし、私はなんとなしにひとりごちる。
「よく見るとこの人、気持ち悪い顔してるわね」
そして、写真立てごと近くに置いてあったゴミ箱の中に放り捨てた。代わりに、何物にも代えがたい美しい贈り物が、そこに鎮座する事となった。その鳥の彫刻は、私が自室に戻る度に優しく迎えてくれた。その為、外出する度に付きまとう家に帰りたくないといった感情が、以前よりも断然薄まった。
だが、薄まったのは、何もそれだけではなかった。アンナの元へ赴くと、高確率でカーヤに遭遇するのだが、何故か日に日にカーヤの姿や声が認識できなくなっていくのだ。思えば、脳に住み着いていたあの記憶も再生される事は無くなり、さらにはその内容も忘れつつあった。
そして、ついには完全にカーヤという存在が認識不可能となった。それでも虚しさや寂しさを感じる事はなかった。
何故ならば私には、様々なぬくもりを与えてくれた特別な人が、この世にいてくれるからだ。その事実だけで、私はもう一人でも生きていける、そんな気がするのだった。
第5章完結です。
次章はある人物について深く深く掘り下げていきます。それだけでなく、これまでの謎が全て判明します。どうぞお楽しみに。




