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亡き乙女の空に羽ばたく為に  作者: ちゅんぴ
第5歌 ある少女の願い
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5-⑦ 導き出された答え

 私は、唐突な真実を突きつけられ、その衝撃に頭の中が震えていた。だが、それと同時に、さらに彼女ら――カーヤとアンジェリカの親子について知れたことに対する歓喜が、胸に沢山の花々を咲かせていた。私は、一縷の希望にかけて、それきり無言で佇む少年に対し提案を投げかけた。


「その事実には何とも言えないけど……でも、私はもっと彼女の事を知りたいの。よければ少しお話してくれない? もちろん、お供えし終わってからで」


 先程の彼の言動といい、今の彼の伽藍堂な佇まいといい、承諾してくれる可能性は極めて低そうに思えた。だが、意外にも彼は、その私の提案に対して首を縦に振ってくれた。そんな彼の仕草は、どこか人形のように見えて不気味に思えてしまった。

 だが彼がそうなってしまうのも無理は無い。何せ、近親が亡くなったのだ。しかも先程の彼の口ぶりからして、アンジェリカは自ら命を絶ったのだろう。そんな事、できれば思い出したくない筈なのに、こうも話す事を許してくれるだなんて……と、私は彼の心境がよく掴めずに、ただ不思議に思う事しかできなかった。


 私と少年は、墓地から離れ、スラム街の入口付近に健在する飲食店に場所を移した。どうやら個人経営の店らしかった。一般的な個人経営の店と比べると粗野な空気が漂っているものの、いったん足を落ち着けるには十分なレベルに店内は整理されていた。


 少年の分は私が奢る事にした。なんと言ったって、付き合わせているのはこちらの方なのだ。その礼としてのつもりだったのだが、私は致命的な事を忘れていた。彼は、おそらくあのスラム街の住人である。ならば、この私の奢るという行為は、貧乏人への同情心から来るものと思われるに違いない。

 少年は、不満こそ口にしなかったものの、抱え込んでいる空気をさらに重たくした気がした。それに微かにこちらを睨んだ気さえする。私は、嫌な汗をかきながらも注文を済ませ、少年も同時に済ませた。


 私も彼も飲み物しか頼まなかった。私の場合は、アンナから貰ったサンドイッチのおかげでそれ程空腹を感じていなかったからだが、少年の方は、何だか意地を張っているようにも見えた。もしかして彼は、自分は人に恵んでもらう程不幸な人間では無い、とふてくされているのでは無いだろうか、なんて失礼な事を想像してしまった。

 そこで私は、まだ互いの名を名乗っていない事に気がついた。私は、慌てて自己紹介をした。


「私はホルテンジア・ヴァイス、呼び名はホルテで良い」


 すると少年の方も丁寧に名を名乗ってくれた。彼の名は、ユリアンというらしかった。

 私は早速、自身の高鳴る鼓動を感じながらユリアンに再度質問した。君とアンジェリカは実の兄弟なのか、と。するとユリアンは、店員の運んできたドリンクに一度だけ口をつけてから、澄んだ瞳で私を見やりながら、答えた。


「確かに俺と姉さんは血は繋がってるけど、母親が違うんだ。ようは腹違いの姉弟だ」


 私は、そのユリアンの回答に何故か心臓が一際大きく揺れるのを感じた。何かが私の中に眠る小さな生命を呼び覚まそうとしている、そんな感覚だった。そして私は、その小さな生命とやらがいったい何者であるのか、その事から無意識のうちに目を背けた。


「そう……。なら、完全に血が繋がってるって訳ではないんだ」


 私は、気づけばそう口走っていた。途端、ユリアンの表情が僅かに固くなったような気がした。それでも、私のとち狂った口は加速するのをやめようとしなかった。


「ならさ、ユリアンはお姉さんに対して、ただの姉っていう以外の感情って覚えた事があるの?」


 私は、自分で言っておきながら、その質問の意味がわかっていなかった。おそらく、脳が理解するのを拒んだのだろう。

 ユリアンは、私のその問いを聞いた途端片眉を上げ、それまで澄み切っていた瞳を僅かに鋭くした。


「いったい何が聞きたいんだよ。言ってる意味が分からない」


 案の定、私自身も密かに思っていた事をそのまま言われ返してしまった。確かに私自身も、私の発言について分からなかった。だが、今ならよく分かった。なぜだか自然と湧き上がる理論が頭の中に浮かび上がっていた。

 それはもう片方の私、つまりは先程まで眠っていた小さな生命とやらが理解している事だった。そしてこの瞬間、私は、その小さな生命の正体を、内側に向くもう一つの目で確認した。それと同時に私はユリアンに対し、“その子”が聞きたくてたまらない質問を率直に投げ掛けてみた。


「ねぇ、ユリアンってさ。お姉さんとセックスとかした事ってあるの?」


 私が質問を言い終わると、一瞬間が空いてから、強くテーブルを叩く大きな音が店内に響き渡った。ユリアンは、拳をテーブルの上に置いたまま立ち上がると、まるで化け物を見るかのような憎悪と軽蔑に満ちた瞳で私を見下ろした。そして荒々しく口を開いた。


「何言ってんだお前、頭おかしいのか!? そんな事人に聞いてどうすんだよ、この、クソ気持ちわりぃ……」


 ユリアンの口から放たれる声は、最初の方こそ威勢の良い怒鳴り声だったが、次第に、何かに怯えるような、あるいは、込み上げる嘔吐物を堪えるかのような呻き声に変わっていった。

 この時の私には、ユリアンがどうしてそこまで激怒するのかが理解できなかった。ただ、どうして答えてくれないのかという焦燥が私を襲った。その焦燥は、徐々に恐怖へと色を変え、私を飲み込もうとしていく。

 そんな中で、私の中に未だ宿る小さな生命――幼い私の姿をした無垢な妖精が、現実の私との境界を飛び越え、私の思考を操る。今では過ぎ去りしものか、はたまた未だ私そのものであるものなのか判然としないその妖精は、迫る不安を抱えながら、ユリアンの怒りの問いに答えた。


「だって、母親が違うって事は、半分他人って事でしょ? なら、そういう事しても、半分は許されるって事じゃない」


 するとユリアンは、またもや私に詰問をするようなかたちで問いかけてきた。だが、その声は先程のように威勢の良い怒鳴り声ではなく、怒りと恐怖が綯い交ぜになったような、重々しく静かな声だった。


「もしかしてお前……姉さんの稼ぎ所を知ってて、俺にそんな質問を……?」


 私とユリアンを取り囲む空気がさらに重たくなった。それは紛れもなく、彼から発せられる鬱蒼とした殺意が、そうさせているのだ。まるでこちらを窒息させようとするかのような尋常ではない気迫に心臓が押し潰されそうになる。私が息苦しさのあまり石のように固まる一方、ユリアンの方は言葉を紡ぐのを辞める気配がない。


「お前もそうやって、姉さんを見下してたんだな。綺麗な顔して、心の底では姉さんの事、汚れてるだの、尻軽だの、そんなふうに思ってたんだろ。でも姉さんはそんな女じゃない。確かに馬鹿な人だったけど完全に倫理観を持ち合わせてない訳ではない。むしろ、この世の中が汚れてる事を知ってるから、こんな俺の事をずっと想っててくれたんだ」


 ユリアンは、何かに取り憑かれでもしたかのように一方的に捲し立てていたが、徐々に彼の声は力の弱いものになっていった。


「……そうだ、そうなんだよ! 俺の事を、いつも一番に考えてくれてて……だから、あんな稼ぎ方までして……」


 それはまるで私に対してではなく、自分に必死に言い聞かせているように聞こえた。そして同時に、何かに怯えているような、苦しそうな表情へと変わっていった。

 もうこの時点で、店内にいる数少ない人間が、私たちへと――より正確にはユリアンへと、奇異の眼差しを向けていた。

 私は、あまりのユリアンの勢いに、何も言えないでいた。数秒とも数分とも感じられる長い時間が経つと、ユリアンは、いくらか平生を取り戻したのか、見開かれたままの瞳を数度瞬かせてから、どさりと腰を下ろした。その様子は、さながら彼自身の身体が重たい荷物のようであるかのようだった。


 店内には痛いくらいの沈黙が満ちた。私は、他人の目が針のように全身を刺す苦痛を覚えながらも、必死に弁明しようと試みた。先程までユリアンの異常な程の殺意に氷漬けにされていた脳は、もうこの頃には通常の働きを取り戻しつつあった。


「あの、違うのよ。私は、あんたの姉さん……アンジェリカを見下してなんてない。本当よ。だって私は、彼女の奏でる旋律に癒される事がよくあったんだから……」


 言い終わり、私はハッとした。私は今確かに、彼女――アンジェリカの奏でる旋律と口にした。だがそれはいったい何の事だろう。現に彼女は既に亡くなっていて、私の記憶が正しければおそらく私は生前の彼女に出会ってさえいない。だというのに、どうしてそのような言葉が自然と口から出てきたのだろう。

 そこで、私はある夢を思い出した。それは、まるで赤子になったかのように、居心地の良い空間で癒される夢。ある時なんかは、殺されもした――下半身から鋭利な刃物で引きちぎられるように。それを含め、ほとんどが悪夢の類だった。けれど、あの空間の心地良さは本物だった。そして、彼女の――アンジェリカの命から、私――いや、“わたし”カーヤの命に注がれる魂の音色も。


 私は、それまでバラバラだったパズルのピースが上手くはまってゆく悦な気分に駆られながらも、同時におぞましい気分に精神を切り裂かれそうだった。こんな真実は先程のカーヤとの問答でとうに行き着いていた。にも関わらず、いざこうしてあの母娘の関係者を前にすると、その真実が現実の色を濃くしていくのだった。

 先程まで耐えれていたのは、この真実があまりにも残酷すぎて、非現実的な物事として、あくまでも実際の私には無関係な事柄として、無意識に脳が処理していたに過ぎない。

 けれど今、その無意識による自己防衛を意識化してしまった。故にもう私の退路は絶たれてしまった。その為私は、縋る思いでユリアンにカーヤの事を打ち明けようと口を開いた。だが、それよりも彼が口を開く方が先だった。


「あんたの言ってる事はよく理解できねぇけど……姉さんの事を悪いように思ってなかった事はわかった」


 そして、私が答える隙もなくユリアンは、彼のズボンのポケットから何やら取り出し、雑に折り畳まれた紙を私の前に出した。そしてそれを広げ、中身を見せてきた。それは一枚の写真だった。


「この男を見かけたら教えて欲しい。その時は今日と同じ時間帯に姉さんの墓の前に来てくれ」


 それだけ言うと、ユリアンはすぐさまその写真を雑に折り畳み彼のズボンのポケットに戻した。そしてそのまま私に何も言わずに席から立ち、店を出ていった。


 私は、相変わらず動けずにいた。それどころか、芯の先から冷えていくのがわかった。先程の写真が網膜に焼き付いて離れない。私を苛む恐怖の原因は正しくそれだった。

 先程ユリアンが見せてきた一枚の写真には、屋外で読書に耽ける少年の横顔が映っていた。その少年は、どこかで見覚えのある鳶色の髪をしており、端正ではあるもののやや童顔ぎみである事が横顔でも窺えた。

 そしてなんと言っても、その少年の映っている箇所に見受けられた、針か何かで刺したかのような幾つもの謎の跡が、ユリアンの憎悪の対象である“彼”の罪深さを、これでもかという程知らしめていた。


 アンナの話していた事を思い出す。カーヤは、本来アンナにしか見えないはずの幻覚なのに、何故かルーカスにも認識可能であると。それは、ルーカスの例が特別な訳では無い。逆に、アンナがカーヤを認識できている事が本来有り得ない事なのだ。

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