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亡き乙女の空に羽ばたく為に  作者: ちゅんぴ
第4歌 殺されてゆく私
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4-10 告白/2

「……私は、いつ頃か変な趣味を持ってたんだ。人の血が好きで好きでたまらなかった。まるで目に見えない人の命を見ているような感じがして。でもそのうち、人の血が欲しいとまで思うようになった。それである日、ある女の子とトラブルを起こしちゃって、母からも友達からも軽蔑されるようになった。それまではまだよかったんだ」


 私は、喋りながら話し相手のルーカスの顔を見る事ができないでいた。俯いたまま、ひたすらに言葉を紡ぐだけの機械と化していた。ゼンマイ仕掛けの唇は、狂ってしまったかのように止まることを知らなかった。


「問題は私がこの歳になってまで、友達の血だらけの傷を舐めた事だった。あの時の私は完全に狂ってた。おかしかった。まるで悪魔に取り憑かれたみたいだった。友達が嫌がってた事も分からないで、私はさらに求めた」


 話していくうちに息苦しくなっていくのが分かる。それでも一度開いた口は苦悩を吐き出す事をやめなかった。


「そしたらやっぱりその子は私を嫌った。しかもその事を不良たちに話して、私を裏切った。それで私はまんまと不良たちの罠に引っかかった。本当に馬鹿だった」


 私の両目から液体が流れ出た。なので私は両目を見られないように、両手で覆った。その両手の指は、消え去ったと思っていた精神的苦痛の再来を堪えるかのように、爪を立てた。それでも苦痛は和らがなかった。


「私は奴らに森の中に連れてかれて強姦されそうになった。でもそうはならなかった、あの友達が来たから。その子は綺麗事を吐くと、それを気に入らない不良たちのターゲットになっちゃって、逃げていった。それを奴らは追いかけていった。私は何もできなかった。動くことさえできなかった。でもまたあいつらがここに戻ってきたらどうしようって思って逃げる準備をした。……その時に、銃声が響いたの」


 私の声は、震えたまま次第にしぼんでいった。改めて言葉にする事で、これまでの非日常的な出来事が全て現実だったのだという事を再認識させられたからだ。それまで私を包んでいた夢のヴェールは、効果をなくし始めていた。


「……それで……それで……」


 私は、言葉に詰まった。次に起こった出来事が、鮮明に思い出すには、そしてそれを人に言うにはあまりにも恐ろしすぎて、中々言葉が出てこようとしなかった。私の体の震えは増すばかりだった。

 そんな中私は、救いを求めるような心地でルーカスを上目遣いに見やった。すると、私の緊張感はさらに増す事となった。普段朗らかな笑みで私を癒してくれるルーカスは、なぜか張り詰めた表情でいたからだ。私は、無意味に求めていた癒しを諦め、そして全てを諦めたような生気のない声色で、言葉を零した。


「……森の中に出ると、不良たちも、エマも死んでた。撃ち殺されてた。ただ、エマだけは死ぬ直前だった。彼女は私に、助けて、って言った。でも、私はそうしなかった。裏切られた事が悲しくて憎かったから」


 私は、とうとう嗚咽を堪える事ができなくなった。本当ならばもう何も考えずにこの場でこのまま泣き喚きたかった。自分の罪に対して思い切り泣いた事はなかった。だからこそ、今になってその欲が暴れ始めていた。

 私は説明を休止し、思いのままに泣いた。それでもルーカスは、私の罪や現状に対して、不満を口にする事なく沈黙を貫いていた。私はそれを一種の赦しと捉え、僅かな間感情に任せて泣き崩れた。しばらくして、再度口を開いた。もちろん、俯いたままで。


「私は怖くなってその場を逃げた。そしたら帰りに犯人のものらしきピストルを拾ったの。拾っちゃったの。当時の私は、それが嬉しかった。だってそれでいつでも死ねるようになったから」


 目の前から、大きく息を飲む音が聞こえた気がした。


「でも、それは間違いだった。隠してたそのピストルが母親に見つかった事で、元から私を異常者として軽蔑してた母親は私、を」


 私を、殺そうとした。

 そう口に出したかったのに、なぜか言葉が出てこない。私は口を開けながらルーカスに視線をやった。私は、必死になって本来続く言葉を紡ごうとしたが、口からは荒い呼吸が出てくるだけだった。それを見兼ねたのか、ルーカスが顔を真っ青にして――これまで見た事もない程の余裕の無さそうな顔色で――私に聞いた。


「――それで、どうしたんだ」


 そのルーカスの声はかすれていた。

 私は、たったそれだけの短くシンプルな問いのおかげで、心を縛っていた緊張という名の鎖が解けていくのがわかった。それは決して安心したからでは無い。私が、ルーカスに対して隠し事をするのを諦めた……いわば、彼に好かれるよう取り繕う事を完全に諦めた事を意味するものだった。


「私を、殺そうとしたの。それも、泣きながらごめんね愛してるとか言いながら。おかしいよね。警察に突き出すわけでもなく殺そうとするなんて。――だから私は、自分の死が奪われる前に、相手を殺した。……母親を、殺してきたの」


 私の目から再度涙が零れた。だが、先程のように大粒ではなく妙に細くて冷たい感触だった。今更ながらに不思議に思う、人間に似たロボットが一丁前に涙を流せるだなんて。


 この時、私はもうルーカスに捨てられても良いと思っていた。それは覚悟というよりも先述の通り諦めに近かった。むしろ、捨てて欲しかった。これ以上、人間のフリをした化け物に優しくして、期待させて欲しくはなかった。ならば一思いに拒絶してくれた方が良かった。全く不思議だ。

 つい先程まで拒絶される事をあれだけ恐れていたというのに、今となってはそれを望んでいる。全くもって矛盾だらけだった。これではまるで本当に壊れた機械ではないか。それとも、人間そのものとでも言おうか。


 何より、ルーカスにこれ以上迷惑をかけたくない。その気持ちが大きいように思う。これだからお人好しは勘弁なのだ。人が良すぎるとこうして面倒な事に巻き込まれる。その純粋な心は美しいものではあるが、この薄暗い世の中で生きていくには辛すぎるものだった。

 その時、私をぬくもりが包んだ。私は、かつて母にされた時のように、驚愕から全身が固まった。それはいったいどうして、という素直な疑問から生じた驚きだった。もちろん、あの時のように私のどこにも凶器は突きつけられていない。私を抱き締めるルーカスの腕にさらに力が入った。私は、訳の分からないまま、彼の言葉を耳の間近で聞くこととなった。


「――すまない、すまなかった、本当にごめん。……本当に、ごめん」


 ルーカスは、そう嗚咽混じりに呟いた。

 どうして彼が謝るのか私にはてんで理解ができなかった。何より、これまで彼の優しさを利用し、騙していたのは私の方なのだ。

 それだというのに、ルーカスは私を責めるどころかこうして半ば泣きながら謝罪の言葉を繰り返している。全く意味がわからない。どうしてお前ばかりいつもそうして謝るのだ、まるで自分が全て悪いとでもいうように――。

 気づけば私の内側は複雑な色で染め上げられていた。それは自分の不甲斐なさから生じたものでもあったし、いつも自己犠牲が目に余る彼への怒りから生まれた色でもあった。それ故だろうか、私は彼に、なんとしてでも私自身の悪質さを分からせようという気に苛まれ始めた。


「どうしてあんたが謝るの。悪いのは私の方なのに。だって私は」


 勢いづいていた私の声は徐々に震え、先ほどまでと同じように萎んでいった。


「だって私は、カーヤが幻覚なのを良いように、好き放題してたような奴なんだよ」


 そう口にする途中、内側から膨れ上がる緊張と恐怖のせいで息が詰まりそうだった。それでも、何とか最後まで言い切る事が出来た。だが、これではまだ足りない。私の残虐性を示すには、まだ足りないのだ。故に私は、震える心臓を叱咤しながら、何とか言葉を繰り出させた。


「私はカーヤの純粋さを利用して飼い慣らそうとした。無垢な心を騙して私の快楽の為に痛めつけた。これが、これが本当の私なんだよ」


 私は、言い切ると同時に心臓が激しく締め付けられるような感覚に陥った。それは私の呼吸をさらに乱れさせた。このまま息が出来なくなってしまえばいいのにとさえ思った。そうすれば、ルーカスにだってこれ以上迷惑をかけることはない。件の事件だって締まりは悪いが一旦解決という事になる。

 そう思っている筈なのに私は、気がつけばルーカスの背中の衣服を強く握り締めていた。両目からはこれまで以上に涙が溢れ出した。どうにか止めようとしても、壊れた蛇口のように溢れ出して止まらない。

 私は、胸に走る激痛の正体も知らぬまま、ルーカスの背中に腕を回した。そしてそのまま強く抱き締めた。本当は彼に拒絶して欲しかったのではなかったのか。そう自分自身に問うてみても、全身に流れる感情を誤魔化すことはかなわなかった。どうか離れないで欲しい、そう切実に願うのは、紛れもなく私の内側全ての細胞だった。


 ふと影がさしたかと思えば、ルーカスが私の背に回していた手を私の後頭部へと移し、真正面から涙に濡れた瞳で私を見据えていた。私は、ぼうっとそれを見あげた。それと同時に、彼の顔が私の顔へゆっくりと近づいてきた。私はそのまま身動き一つせず、ゆったりと流れる時に身を任せた。

 そして時が経つと、私の額に軽く当たるものがあった。ルーカスの額のぬくもりは、私の額から全身へと染み渡っていった。そのあまりの心地良さにあれだけ溢れていた涙は止まり、これまでに感じた事のない類の感動が胸中を満たした。それは解放感のようでもあったし、同時に、私の胸に空いていた穴を優しく撫でるルーカスの思惟のようでもあった。


 そして私はこの時初めて自覚した。私は、ただ誰かに自分という異端者を認めて欲しかったのだと。そのような単純な望みさえ、自分自身では辿り着く事ができなかった。

 けれど確かに、自分で自分の嫌いな部分を受容する事は難しい。そこでその望みを他者に委ね、求めるのが人間という生き物なのだ。そして私にも、こうしてその望みを叶えてくれた人がいた。それはまるで奇跡のような事だという事を、私の精神は強く訴えた。

 奇跡というおとぎ話じみた言葉は、普段の私ならば頭にも浮かべたくない代物だろう。だが、この時だけは、奇跡というものを信じてしまった。何より、どんな抱擁よりも、こうして互いのぬくもりを静かに共有している方が、何倍も暖かいのだ。

 長い間私を殺し続けていた呪縛が解けてゆく。この時がまさに、初めて自分は誰かと同じ人間であるのだと実感ができた瞬間だった。


 ルーカスがその日私に与えてくれたぬくもりは、心身的なものだけではなく、私の性質的な問題にまで及んだ。ルーカスは、どうにかして私の血液への衝動を抑制できないか、その具体的かつ実行できそうな案がないか、一緒に考えてくれた。案の定私は、これまでそれについて現実的な解決策を考えた事がなかった為、何も思い浮かばなかった。

 そこでルーカスは、妙案を口にした。それは、代わりに他のもので刺激を覚えられるようになれば、徐々に血液への欲も消失していくのではないか、というものだった。ようするに、血液の代わりになる刺激を見つければいい、との事。

 私はその妙案に驚きながらも、最近自分自身に起こった変化を想起した。それは、何故かルーカスの事をもっと知りたくなっていた事、それから、カーヤをもう傷つけたくないと思うようになっていた事だった。


 そこで私に一つだけ思いついた事があった。もしも、他者の心を深く知る事により、悦びを得られるようになったならば、一石二鳥なのではないか、と。何が一石二鳥なのかというと、一つ目はルーカスの事をたくさん知れるという点。そして二つ目は、私の世界が大きく変わるだろうという点。

 何より、これまで私には他の人間が別の生き物のように見えていたのだ。それが根底から覆るだなんて想像もつかない事だけれど、何故かルーカスが一緒にいてくれるならば、そんな難題も乗り越えられそうな気がした。

 だが、そう思いこそすれど、いざ実行するとなっても、やはり難しいものは難しいだろう。私に他者の心とやらを理解するなど、料理の経験が無い人間にいきなり本国の人間の口に合う日本食を作れと言っているようなものだ。となれば当然、私は新たな悦びを得る為に新たに試行錯誤する必要があった。意外にも、そうしている自分を想像してみるのは悪くはないものだった。

 だが、そんなふうに夢物語めいた感情を胸に抱くこの時の私は、自分の考える他者の心というものが、酷く限定的な類である事に、無自覚でいたのだった。


 後日、私はルーカスに、自分もカーヤと会う旨を伝えた。ルーカスは、いきなりの私の心境の変化に戸惑う事無く、快く頷いてくれた。カーヤに会おうという決心をしたのは、ルーカスに全てを打ち明けてから三日程経った頃だった。こんな私を好いてくれるカーヤを拒絶した事が申し訳ないのもあったし、彼女と真剣に向き合う必要があると感じたからだ。何せカーヤは私の孤独が生みだした存在だ。だとすると、カーヤにも強い孤独が存在している可能性はおおいにある。何せ彼女は私の映し鏡なのだから。

 けれど、なぜルーカスにまで認識可能なのか……その点はやはり少し怖かった。何故ならば、以前も考えた通り、カーヤが私の幻覚ではなく、また別の存在であるという可能性が少なからず浮上してしまったからだ。


 それでも、私はカーヤが私の幻想だと信じて、彼女に会った。カーヤは、私の姿を見るなり満面の笑みで抱きついてきた。これまでの私のきつい態度を微塵も気にしていないカーヤの様子に安堵した。

 これ程までに私を好いてくれているなんて、やはり私の創り出した存在なのだろう。そうでなければ、あまりにも都合が良すぎる。そんなふうに緊張と安堵半々の心境で、差し出されたカーヤの手を握った。そしてそのまま、私とルーカスはカーヤを中央にして手を繋ぎながら、三人で公園へと向かった。

 道中、こちらを怪訝な目で見てくる人が大半だったが、もう今となってはそんな事はどうでもよかった。ただカーヤが消失するまで私たちは彼女の望みを叶えてやればいいだけなのだ。そう思うと、これまで暗雲を漂わせていた心中は、瞬く間に晴天を覗かせた。

第4章完結です。第5章に入る前に、1話だけ間章として入ります。

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