4-9 カーヤとは
「あんなばっかりずるいよ、わたしにもおんなじことやって」
カーヤが、そう喚くのが聞こえた。そこで私は、まともになりつつある頭で始めてカーヤがここに存在する事を思い出した。途端に私の内側は恐怖で侵され、ルーカスの両手が離れる事お構いなくベッドの奥に縮こまった。
その私の反応にルーカスは何かを思い出したような表情をして、ベッドの上にあがってきた。
「まさかアンナは、カーヤが怖いのか? さっき図書館で放心状態になってたのは、もしかしてカーヤが原因なのか?」
ルーカスは、縮こまる私のすぐ傍まで来て、小声でそう問うてきた。
私は、言葉を紡ぐ余裕もなく、ただ頭を軽く上下に振る事しかできなかった。
「仲良しだと思ってたけど、どうやら違かったんだね。ごめん、カーヤはこの部屋から出すから、ちょっと待ってて」
そう言うなり、ルーカスはベッドから下りて、カーヤに振り返った。
「カーヤ、後で撫でてあげるから、今日もこの部屋から出て欲しいんだ。今日もアンナと大切な話があるから……」
カーヤは、そう促されると、先日のように何ら疑う素振りなく部屋から出ていった。カーヤが完全にこの部屋から離れていった事を確認すると、ルーカスはこちらへと戻ってきた。
「上がってもいいかな?」
ルーカスは、ベッドに目線を配りそう尋ねてきた。おそらく、ベッドの上で至近距離で話がしたいのだろう。私は、何を今更そんな事をわざわざ聞くのか、と彼の律儀さに感心を覚えながら「うん、来て」と頷いて答えた。
ルーカスは枕をどかすと、何もなくなったそこに腰を据えた。そこは私と彼の目線がちょうど交差する場所だった。私は、彼を上目遣いで見上げる事しかできずにいた。何から話せば良いのかわからなかったからだ。
そんな私の心中を察してくれたのか、ルーカスが先に口を開いてくれた。
「ねぇ、アンナは……どうしてそんなにカーヤが苦手なんだ? あっちの方はどうやら、君のことが大好きみたいだけど……。僕と読み書きの練習をしてる時も、君のことをよく嬉しそうに話していたよ」
神妙な声色で紡がれるルーカスの声色に、不思議と私の内側に張り付いていた緊張感が薄まっていく。私は、なんと答えれば正解なのかしばらくの間悩んだ。その間、部屋には静寂が満ちていたが、ルーカスは催促してくることはない。ただ私が声を発するのを黙って待ってくれていた。散々悩んだ末に私は、そのままのことをそのままに話す事にした。
「……カーヤは、私の脳が創り出した幻覚だから。なのに、自我を持ってるのが不気味で怖くてたまらないの。それに、どうして私にしか見えないはずの幻がルーカスにまで見えてるのか……それが意味わからなくて、嫌なんだ」
後半になるにつれ、私の中でこれまで蓄積されていた恐怖心が外界へと放出されるかのように、私の声は震えていった。初めて言葉にしてみて、おかしいのは自分なのではないかという懸念も湧いてきた。
だって、あまりにも信じ難いような話で、とても本当の事だとは思えなかった。ルーカスの方を恐る恐る見る。彼が私の突拍子もない言葉にどのような反応を示しているのか、それが怖かった。頭のおかしい奴だとでも思われているのではないか……そのような不安が胸を埋め尽くす。
だが、私のその不安は杞憂で終わった。ルーカスは、至って真剣な眼差しで、問うてきた。
「どうしてアンナはカーヤが幻覚だとわかるんだ? 何も、君を疑っている訳ではないよ。ただ、なぜそうなのか、気になったんだ」
そう言う彼の声は優しかった。
「私の話が嘘じゃないって、信じてくれるの?」
私は、両目に涙をためて彼に聞いた。
「正直に言うと、まだとても信じられないよ。あのカーヤがアンナの幻覚だったなんて……。そんなカーヤと僕がこれまで交流できていたのも、あまりにも奇妙すぎる、怖いくらいだよ。だから、完全に信じるためにも、アンナとカーヤの本当の事を聞きたいんだ」
「本当の、事……」
私は、そのフレーズに胸が軋むのを感じた。
ここで私の異常な性癖をルーカスに打ち明けるのは憚られた。たたでさえ精神状態が深刻であるのに、それ以上の負荷を与えることなど到底できる事ではなかった。故に、私は少しぼかして話し始めた。
「……私は、昔から遊んでくれる相手が少なかったんだ。だから、イマジナリーフレンドをつくりあげた。それは、銀髪に銀の瞳を持つ女の子だった。私が好きな童話の銀の鳥、それが元ネタでできたのが、その女の子だったの。それで……それから数年経って、家出する事になった。その時、初めて向かったところが人気のない海岸だった。まるで何かに呼ばれたみたいだった。その誘われる心地のまま奥まで行って出会ったのが、カーヤだったの。それに、最初会ったばかりの時、あの子は自分の名前さえ持ってなかった。それで名前をつけて欲しいって頼まれたの。だから、カーヤっていう名前は、私がつけたの。あの子の第一印象通りの、純粋っていう意味で」
私は、当時の事を思い出しながら、なるべく詳細に語ったつもりだった。
ルーカスは、何やら考え込んでから、口を開いた。
「その、これはあり得ない話かもだけど……そのアンナのイマジナリーフレンドとカーヤの見た目が似てるっていうのは、単なる偶然で、実は二人は別人っていう可能性は……?」
「その事ももちろん考えた。でも、あまりにもあの二人、同じなんだよ、似てるっていうレベルじゃない、同じなの。それに、カーヤは普通の人間じゃない、だってあの子自身が私に言ったの。自分は生きてないんだって……!」
私は、訴える心地で必死にルーカスに詰め寄った。ルーカスは、そんな私の背中を案じるように優しくさすった。実際、この時の私は気が動転していた。ルーカスは、私を心配そうな瞳で見ながら、言った。
「生きてないっていうのは、カーヤの冗談じゃなくて本当の事なの?」
「本当だよ、だって、傷が一瞬でなくなったんだもん」
そこで自分は、しまったと思った。これでは私がカーヤに対して行っていた事がバレてしまうかもしれない……。だが、ルーカスは傷についてそこまで深く考えないようだった。ルーカスは特に私の発言に触れる事なく再度考え込んだ。
思ってみれば、傷ができる事などそこまで珍しくないのだから当然だろう。怪我なりで負った、そのように彼は解釈しているのかもしれない。そう思った途端、私の胸に安堵が広がった。そんな中、唐突にルーカスが口を開いた。
「傷が一瞬で消えるってとても信じ難い話だけど、アンナがそこまで言うなら僕は信じるよ。そこで、少し話が逸れるんだけど……どうやらカーヤは、ここの雑木林に住んでるらしいんだ。ほら、この家から真っ直ぐ歩いたら分かれ道があるだろう。その分かれ道の向こうに、かつて軍の基地だった廃墟があるんだ。そこに住んでるって言うから、僕はてっきり、カーヤのこれまでの言動からも、無断で家族と暮らしてるって思ってたんだ。それ自体は別に良いんだけど、アンナは、その事について知ってるの?」
私は、なんだそんなことか、と幾分か軽くなった心地でルーカスの問いに答えた。
「そのことならもちろん知ってるよ。だって、あそこを見つけたのは私だもん。ルーカスの家で暮らすようになる前は、あそこで雨風を凌いでたの。もちろん、カーヤと二人で」
「ということは、アンナが僕に拾われてからは、ずっとカーヤはあそこで一人で暮らしているのか。それも、ろくに食糧もない場所で……」
ルーカスは、これまで以上に神妙な面持ちになった。彼がそうなるのも無理はない。あのような小さな女の子がろくに飲み食いもせずに一人で廃墟で暮らしているなど、到底信じられる事ではない。それが不自然ではないのは、幽霊や妖精など、およそ生きた人間ではない代物に限る。ということは、カーヤは自然と生きた人間ではないという事になる。
そんな時、突然部屋の扉をノックする音が響いた。次いで、扉の向こうからカーヤの声で「ねぇ、まだお話してるのー? もう待ちくたびれちゃったよ」と発せられるのが耳に届いた。私は反射的にルーカスに抱きついてしまった。ルーカスも、まるで怪奇現象に遭遇したかのような硬い表情で扉の方を見ていた。ルーカスは、震えて何も言えないでいる私の頭を撫でながら、真剣な瞳で言った。
「カーヤが来てしまった以上、とりあえず、僕はあの子の相手をしてくるよ。その時に、街に出て本当に他の人には見えない存在なのかっていうのも試してみるよ。しばらく一人にしちゃうけど、なるべく早く帰ってくるから、どうか落ち着いて待ってて」
って言っても、落ち着くには難しいだろうけど……ルーカスはそう付け加えると、再度私の頬を撫でた。そして「行ってくるね」と言い、扉の方へと向かった。部屋から出ていく寸前、ルーカスは、こちらを振り返ってにこりと微笑んだ。おそらく、私を安心させたかったのだろう。実際に私は、彼のその笑顔でいくらか心が和らいだ。そして彼の帰還をいつまでも待ち続けた。
ルーカスがカーヤと共に家を出てから長い時間が流れた。それも、今の私には、実際の時間よりもより長く感じられた。一人な分、薄まっていた恐怖が徐々によみがえりつつあったが、ルーカスを思い浮かべる事で心の安寧を取り戻していた。
何より、この一件で確定したある事への幸福が私を包んでくれた。ルーカスはやはり、私のうみだした幻覚ではなかったのだ。元から疑ってはいなかったとはいえ、こうして改めて自分の中の確信が事実だと確定すると、嬉しいものだった。何より、これまで彼から与えられた数々のものが本物であったという事は、この上なく私の胸を幸せで満たしてくれた。
なるべくカーヤの事は考えずに、ルーカスの事だけを思い浮かべているうちに、彼は帰ってきた。苦痛の時間がようやく終わりを告げたのと、彼が帰ってきた安心感が私を包んだ。
ルーカスは帰ってくるなり、私の部屋を訪れた。そして今日の顛末を語ってくれた。
結果から言うと、カーヤはやはり他の人間には見えていないらしかった。ルーカスはカーヤと共に街へ出た際、色々な人にカメラを差し出し、それで自分とカーヤを撮ってくれないか、とお願いしたらしい。
すると百パーセントの人々が、もう一人の連れとやらが見えない、とルーカスの提案を訝しんだという。中にはオカルト的発想からルーカスを恐怖の目で見る者もいたという。そしてルーカスは帰り際、カーヤに尋ねた。どうして自分とアンナだけに君が見えているのか、と。その問いに対するカーヤの答えは、「だってわたしとつながってるからだよ」といういつもと同じ意味不明なものだったという。
カーヤを廃墟まで送る途中、カーヤはなんと自分もルーカスの家で過ごしたいと申し出たそうだった。私とルーカスと一緒に過ごす事に拘泥するカーヤは、かなり駄々をこねたらしい。だが、私の事情がある為ルーカスはそれを断ってくれた。そして無断でルーカスの家に来る事も禁じた、との事だった。
私は、その報告を聞くなりあまりの安堵に胸をなで下ろした。少なくとも、もうカーヤが勝手にここを訪れる事はないのだ。それだけでもいくらか安心できた。だが、カーヤはまさに神出鬼没な存在だ。外出時になるべく遭遇しないよう気にかける必要があるのもまた事実だった。
次いで私はルーカスに、カーヤについてどう思っているのか尋ねた。
「正直言って嫌いにはなれない。あの子自体は凄く良い子だし、こっちに悪意があるとはとても思えないんだ。それに、僕に関しては害を与えるとも考えにくい。だから、カーヤとはこれまで通りに接するよ。それに、アンナのうみだした存在が僕にも見えるなんて、なんだか運命みたいなものを感じちゃうし」
ルーカスは、申し訳なさそうに眉を下げたかと思うと、最後の方では嬉しそうに微笑んで、そう語った。
彼の相変わらずのポジティブ思考と屈強なメンタルには、この時にはさすがに感服せざるを得なかった。それとも、ルーカスは、私を不安にさせない為にもそういうふうに振舞ってくれているのだろうか。そんなことも考えた。
なぜって、ここまで不可思議な現象が起こっているというのに、平然としていられる人間なんてそうそういない筈だ。その為当然、私とまではいかないまでも、ルーカスにもそれ相応の恐怖はあるだろう。
それとも、カーヤの可憐な容姿と立ち振る舞いの愛らしさが、ルーカスの恐怖心を打ち消しているのだろうか。もしもそうだったとしたら、カーヤにもルーカスにも腹が立つ思いだった。
どうせならルーカスには、カーヤとはもう会わないで欲しい、そう言いたかったが、さすがにそこまで要求するのは憚られた。きっとルーカスならば私の願いを聞いてくれるだろう、そんな都合の良い事を考えたりもしたが、もうこれ以上、彼を私のエゴで振り回したくなかったのだ。




