4-6 突きつけられる真実
目が覚めると私を出迎えたのは見知らぬ天井だった――残念ながらそうはいかなかった。私の視界に今映っているのは、エドガーにあてがわれた私の部屋の天井……それから、脇でこちらを見やるエドガーと、私を覗き込んでいるカーヤだった。
その二人を視認するなり、意識を失う直前の出来事が脳内を占領し、私は一刻も早くここから逃げ出したくなった。
だが、そんな私の心境にお構いなしに、エドガーまでもが私を覗き込んできた。それは私の心臓を握りつぶす事と同義だった。
「よかった、目が覚めたんだね。具合が悪いのに無理しちゃダメだよ」
再度訪れた激しい頭痛によって、私を案じるエドガーの言葉など頭に入ってこなかった。そんな事を知らないエドガーは、続けて「これからは気をつけるんだよ」と優しく言ったが、それも当然私の頭は無視をした。
そんな事よりも重大な事が私の目の前で繰り広げられ、今も続いているのだ。私の頭は再度激痛を訴えた。これまで真だと信じていた現実があやふやな状態となったばかりか、最悪な可能性の一つが真だというかもしれないのだという事を痛感するには、十分すぎる光景だった。
いつの間にかエドガーの姿が見えなくなったが、そのような事はどうでもよかった。なぜなら、私を最も恐れさせる怪物が、すぐ近くにいるのだから。相変わらずその怪物は、この世の誰一人として刃向かう事を許さないような愛らしい笑顔で抱きついてきた。
「あんな、久しぶり! ずっと会いたかったんだよ」
そう言いながら頬擦りしてくる怪物のような少女カーヤ。その尋常ならざる存在感に、私の胸中は恐怖を訴える。その恐怖は私の中に生じたありとあらゆる要素を含んでいた。
カーヤという奇妙な存在に対するもの、エドガーと友達だというのは彼女の思い込みではなく事実であった事、そして何よりも恐ろしいのが、なぜエドガーにはカーヤが見えているのかという事だった。
だが、私の脳は確かに覚えていた。ある日の夜、カーヤがこの部屋にやってきた時に覚えた、エドガーへのある疑惑を。カーヤは確かに幻想から生まれた存在なのだ。そのような存在を認識できる相手となると、カーヤと同じまぼろしの存在しかないのではないか。私の頭が一際強く痛みを訴える。
ならばあの夜に見た光景はどうなるというのだ。なぜ二人はあのような私の嫌う類の光景を見せつけたのだ。それともまさか、エドガーは生身の人間で、カーヤが見せたあの光景は幻覚ではなく実際のものだったとでも? エドガーが以前頻繁に夜外出していたのは、ああいう下劣な行為をするためだったとでも?
自分で考えておいて、それはありえない事だ、と心中で断言する。私は確かに覚えているのだ、彼がそういったふしだらな行為を嫌っているという事を。故にあれはカーヤのせいによる悪質極まりない幻覚なのだ。そうに違いない!
そう思考を巡らせている間もカーヤが何か言ってくるが、そんなの対応できる余裕等なかった。頭の中がこんがらがって、今に破裂してもおかしくはない。難解な情報が膨大に荒れ狂い、私の頭はとうにオーバーヒート直前だった。
いつまでもじゃれてくるカーヤがいつも以上にウザったく思えて思い切り突き飛ばす。それと同時に、エドガーが入室してきた。彼は片手に水の入ったグラスを持ち、壁際でポカンとしているカーヤに目をやった。
「えーと、二人ともどうしたんだい?」
エドガーは私が放つカーヤへの拒絶の空気を感じ取ったのかもしれなかった。それでも良かった。カーヤという幻覚は、今や私に害を与える存在でしかないのだ。それ故、私とカーヤを引き合せる事はいけない事だという事を、お節介なエドガーには知ってもらう必要があった。
黙りを決め込んでいる私に、エドガーは気まづそうにグラスを手渡した。私は少しづつ中に注がれている水を口に含み、やがて飲み干した。エドガーは、空になったグラスを受け取ろうと私に手を伸ばすが、私はそれに応える事無く代わりに問うた。
「あんた達、私のなんなの?」
私の声は混乱と疲弊のせいかかすれていた。
それは私の煮詰まった脳が発させた、本来の私ならばあえて避けるような代物だった。知らない方が私にとって都合の良い事はある、それはとっくのとうに理解しているつもりだった。だが、もうこうなってしまっては、平生の判断を下す事など到底できやしない。先の事も頭に無いまま、この混乱を鎮める事だけを考え、私は彼らの答えを待った。
「――何って……」
エドガーは、困ったように言葉を濁した。それから間髪いれずに、カーヤが勢いよく答えた。
「わたしはもちろん、あんなの大切だよ。わたしとあんなはおんなじだもんねー」
カーヤは普段と変わらない調子で明るく自信満々に言い放った。
私は、その彼女の回答があまりにも不服であえてそれに応える事はなかった。
私がお前と同じだと? お前のような意味のわからない化け物と同じにされてたまるか――そう思ったところで、これまで感じていた不快感がより強く現れた。
それは盲目になっていた私に、先程から私の胸中に巣食う恐怖の正体を自覚させたのだった。私はカーヤの事を平然と化け物扱いしたが、そういう私だって化け物ではないか――。
その時、私を先程から支配している恐怖は、昼間エドガーを探しに家を出た時とほとんど同じものだったのだという事に気がついた。何しろ、私は彼に出会う前に、カーヤに自らの煩悩をぶつけている。そしてその事を彼が詳細に知りでもしたら、いったいどうなるだろう。
答えは明白だ。私を化け物を見るような目で見て拒絶する事だろう。エドガーが幻覚だとしてもそれは嫌だった。なぜ自分でも幻覚かもしれない相手にここまで執着心を募らせているのかは分からないが、彼に拒まれる事は、今一番怖い事なのは確かだった。
きっと私がここまで想うのも、エドガーが生身の人間である事の証拠のようなものだろう。私はそう自分に言い聞かせた。それに自然と不思議にそういった確信が湧いているのも事実であった。
私は、問に対して未だ答えを出せないでいるエドガーへと視線を配った。その瞬間、私の中にあった不安が和らいだ。彼の様子を見て、自分の中の確信が本物であるとわかったからだ。
エドガーは、何やら口をもごもごさせながら照れるように頬も瞳も朱色に染めていた。おそらく恋人かなんかとでも考えてしまっているのだろう、そんな有様だ。この浮かれぽんちな様子こそ、エドガーたる証であり、同時に彼が私の願望が見せている幻覚ではない事を示している。
もし彼が幻覚ならば、ここで言い淀む事などない筈だ。カーヤのようにはっきりと私の所有物であると答える事だろう。――この時の私は、私がよりリアルな、それも生身の人間と微塵も変わらないような幻覚を無意識に望んでいるという可能性を、完全に見失っていた。
まるで喉に何か詰まったかのようにいつまでも答えられないでいるエドガー。その代わりに、カーヤの明るい声が部屋に響く。
「るーかすもあんなのこと大好きだよね、だってわたしはるーかすともつながってるからわかるもん」
瞬間、私は現実の感覚を忘れかけた。混濁とした思考の数々で煮詰まっている頭でも、今しがたカーヤの口にした言葉を処理する事は容易かった。それはむしろ脳がある単語に敏感であるが故の事かもしなかった。
カーヤの口からは確かに、ここにはふさわしくない人名めいた単語が発せられた。そしてその単語は、以前何度も彼女の口から発せられていたものであり、同時に私が聞きたくない言葉でもあった。
目線の先にいる青年は、心做しか体をビクッと震わせた気がした。そして火照っていた彼の顔面は次第に色をなくし、焦点の合っていない虚ろな瞳は斜め床に視線をやった。
それを見るなり目眩に襲われ、今の私の脳内のように視界が揺らいだ。私は、その彼の様子により残酷にも悟ってしまった。私が否定したかった現実が本物であったのだという事を。
数秒間だとも数分間だとも分からない時を沈黙が包んだ。目線の先にいる彼も私も、何も口にする事ができなかった。カーヤは、そんな私たちを不思議そうに見つめている。そして、いつまでも何も言わない私たちがなんとも不思議だと言わんばかりに、再度カーヤが口を開いた。
「あれ? なんで二人ともなにも言わないの? へんなの」
ぼやけていた視界は徐々に戻りつつあった。私の目線の先にいる彼は、時折見せる異世界を眺めるような神妙な面持ちへと表情を変えたかと思うと、すぐに何かを堪えるような緊迫感を感じさせる顔色となった。そしてそのままカーヤへと視線をやるなり、厳かな声色で退出を促した。




