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亡き乙女の空に羽ばたく為に  作者: ちゅんぴ
第4歌 殺されてゆく私
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4-5 そこで見た光景

 あいにく、彼の通っている公園の詳しい位置は知らないが、こうなったら片っ端から探してやる他ない。公園なんてそれらしい場所はここら辺にかなりあるが、全てしらみ潰しに探すしかない。非効率な方法だが、理性よりも本能が先走った。

 初めに見つけた公園は親子連れしかおらず、ハズレだった。二つ目の公園は、こじんまりとしていて人が一人もいなかった。私は次なる場所へ向かおうと歩を進めた。


 そこで、肝心な懸念点を失念している事に気がついた。

 それは、私がいきなり現れてエドガーに謝ったら空気はどうなるだろう、といったごく当たり前の懸念である。

 そうすると、何も事情を知らない女の子は、知らない人間による突然の登場に驚くだろう。せっかくエドガーが自分の自由時間を人の為に削ってあげているというのに、その時間を奪う事となる。エドガーはそんな私を自己中な奴だと思いはしないだろうか。

 私は急に生じた迷いのあまり、来た道を引き返そうと足を動かそうとした。

 だが、次の瞬間にはそんな私の不安を無理やりぬぐい去ろうとでもいうように、新たな考えが浮かんでいた。ならば、いっその事エドガーと私二人で例の女の子の面倒を見ればいいのだ。そうだ。そうすれば、エドガーの負担も減るし、何より私の不安も激減するだろう――。そうと決まれば前進あるのみだった。私はいつの間にか駆け出していた。いち早く彼の元へ辿り着きたい一心で。


 歩道を覆っている枯葉を踏み締める音が足元から響く。もうこの季節になると並木通りの木々は葉を落とし禿げた枝を晒していた。だが、そのような見応えのある景色を鑑賞していられる程の余裕は今の私にはなかった。

 冷気が胃に入り込む痛みも気にかからないまま走り続けていると、視界の前方に見覚えのある建物が現れ始めた。それは大学の図書館だった。エドガーに厄介になる前こそ入り浸っていたものの、もう今となっては週に一度向かうくらいとなっていた。私は図書館の前を走って通り過ぎる。次の目的地は、図書館のやや向こうにあった。

 私は正直のところ、次の目的地にエドガーがいると確信していた。何故かというと、エドガーはあの図書館が付属している大学に通っているらしく、帰りかけに通うのにちょうど良い距離だからだ。

 それに、以前エドガーはあそこで女の子に本の読み方を教えていると言っていたような気がする。――この時の私は、あまりの昂り具合に、自分の記憶の食い違いにまるで気がついていなかった。


 私を出迎えたのは、またしても並木通りだった。落ち葉の群れを踏みしめながら、走る勢いは落とさずに石畳の上を走る。むしろ先程よりも走る勢いは増していた。それは紛れもなく、この胸の高鳴りのおかげだった。

 きっとここにエドガーはいるだろう。何せ彼自身がそう言っていたのだから、間違いない。ああ、もうすぐ会える。そう思うだけで昂りは熱を増していった。

 そこで、ふいに私の脳裏を掠めた疑問があった。元々エドガーの居場所を知っていたのなら、なぜ今まで関係のない公園にまで探しに行っていたのだ?

 私は、半ば無意識にその疑問を脳内から取っ払った。先程の私は疲弊していた上に混乱状態だったのだ。そんなに体調が悪いとなると、知っていた事も忘れてしまう可能性だって大いにある。たったそれだけの事なのだ。そんなふうに大雑把に結論を出し、そのまま自分の外側へと放り投げる。それはまるで、髪の毛にくっついた小さなゴミを取り払う時のような、至って軽い心地だった。それはそうだ。考えたところで価値はないのだから。


 そのまま通りを抜けると、大きく開けた場所に出た。特にこれといった遊具はなく、曲がりくねった円状の遊歩道の外側の至る所にベンチが置いてあった。ベンチに腰掛けて本やら参考書やらを読み耽っている者がちらほらいた。おそらくはここから近い、エドガーの通っている大学の生徒だろう。やはりここは大学の空き時間や帰りの寄り道に利用する場所として適しているという事だ。

 だが、残念ながら遊歩道付近のベンチにはエドガーらしき人物は見当たらない。そこで、湖が見える方の遊歩道には、良く見れば独立したスペースがある事に気がついた。そこへの道は遊歩道とは繋がっておらず、危うく見過ごしてしまう所だった。私は焦る思いでそこへと駆け寄る。

 と、あちらからも何やら駆けてくる影があった。その影には間違いなく見覚えがあった。


 どくん、と激しく心臓が波打ったかと思いきや、次の瞬間には呼吸も忘れ、全身凍り漬けにされたかのように私の中の全てが静止した。

 そして私は思い出した。ここに通っているとかつて私に伝えたのは、エドガーではなく、今この瞬間前方から走り寄ってくる“あれ”だったという事を。

 私の心臓は尋常ではない悪寒に震え上がった。

 私は確かにエドガーを探していたのだ。なのに、実際にここにいたのは彼ではなく“あれ”だった。

 という事は、私は知らず知らずのうちに、彼女に誘われていたのではないか――彼女と初めて会った時がそうだったように。


“あれ”は、相変わらず、不気味なまでに無邪気な愛くるしい笑顔でこちらへやってくる。それなのに私は動けない。この場から逃げようとしても、全身がまるで金縛りにあったように動かない。

 来ないでくれ、そう叫びたいのに舌が思うように動かない。銀色の悪魔は、そんな私に構わずにこちらへとやってくる。まるで世界がモノクロになり時が止まったかのような錯覚に陥る。そんな世界の中、カーヤだけが動いていた。ゆっくり、ゆっくりと、走馬灯のようにその映像は流れた。


 ――おかえり、アンナ。


 カーヤは、私にめいっぱい抱きつくなりそう言った。

 私は、その幻覚の言葉に対して何も返せなかった。返そうとも思わなかったし、何より脳内が漂白されてそれどころではなかった。だが、さらに脳を溶かす光景が目に飛び込んできた。

 奥から新たに現れる人影があった。その人物を認識した瞬間、それまでかろうじて私を繋ぎ止めていた命綱のようなものが、ぷつりと切れて奈落の底へ落下していった。彼は驚いたように目を瞬かせた。

 気づけばそれまでモノクロだった世界は、彼の登場により元の色彩を取り戻していた。だが、そのさまざまな色彩も今の私には無いに等しかった。驚愕という言葉がちっぽけに感じる程に、私の全細胞が狂乱に陥っていたからだ。脳の処理する情報がまるで現実味がなく、自分は今タチの悪い夢の中に囚われているのではないか、そう感じてしまうくらいには。


「アンナ!?」


 彼――エドガーは、そう驚愕したきり数秒間立ち止まっていた。私とエドガーの距離は五歩とないだろう。それなのにも関わらず、お互い言葉を発する事ができずにいた。エドガーの方の事情は不明だが、私は主にカーヤとエドガーのあまりにも偶然すぎる同時出現への驚愕と、何よりエドガーへの負い目が、私が言葉を紡ぐのを妨害した。


 エドガーは何故か後ろめたそうに目を伏せた。本来ならば悪いのは私の方なのに、なぜそのような態度をとってしまうのか、エドガーの善良すぎる精神にさらに申し訳なくなった。

 私は、そのエドガーの素振りをきっかけに、僅かに我を取り戻す事ができた。彼に対する申し訳ないという感情が、これまで凍結されていた脳を働かせたのだった。

 私は、未だ抱きついているカーヤから身を引くと、その挙動がエドガーに不可思議に映っているか否か等気にする余裕もなく、謝罪の為に口を開いていた。


「あの、エドガー。ごめん、さっきあんな酷い事言って。……本当にごめん」


 私は、なるべくエドガーの瞳を真っ直ぐに見据えて謝罪した。それから、緊張に胸を踊らせながら意を決して本音を伝えようと試みる。が、それはエドガーの迅速な返事によって遮られるかたちとなった。


「いやいや、そんな事は別にいいんだ。第一、アンナは具合が悪かったんだし、強い言葉を放っちゃうのも分かるよ。それより体調の方はもういいの?」


 エドガーはそう言うと、心做しかカーヤの方へ視線を配った気がした。そして、妙に堅苦しい笑顔を浮かべ、言った。


「でもまさか、アンナがカーヤと仲良しだったなんて、本当に驚きだよ」


 私は一瞬、何を言われたのかわからなかった。

 そして脳が先程エドガーが放った言葉の羅列を処理した瞬間、それまで私の全てを覆っていた燻るような熱は急速に冷めていった。まるで体温というものが消失したかと思える程に辺りを冷たい空気が包んだ。

 その冷気は私の細胞から体内に入り込み、心臓まで到達すると、心と思わしきものを濁りひとつない雪色に侵食した。それはまさしく思考の停止であった。いや、より正確に言うならば、ある程度思考する能力が残っているからこそ停止の直前にまで追いやられたのだ。


「――カーヤが……見えるの?」


 気づけば私は、無機質な声色でそう唱えていた。まるで自分が放った言葉だという実感が湧かなかった。それこそ、壊れたロボットが意味のわからない言葉をひとりでに放つような、口が私の意思に関係なく勝手に機能したかのような揺れた心地だった。そのくせ、私の脳は自分で放った言葉の意味を理解する事を拒んだ。

 それでも無慈悲にエドガーは、ごく当たり前の会話をするかのような口ぶりでそんな私の問いを訝しんだ。


「何言ってるんだ、アンナ。やっぱりまだ調子が悪いのか?」


 エドガーは、先程の私の問いをおかしなものだと思ったようだった。

 私はそれを認識するなり酷い痛みに襲われた。それは身体の内側から強烈に破裂し、全身を砕いていくかのようだった。割れた脳髄が溶けていくのがわかった。

 徐々に視界が暗転し始め、最後に視界に映ったのはこちらへ駆け寄ってくるエドガーの姿だった。意識が途切れると、それまで私を苛んでいた激痛の嵐が止んだ。だがそれは一時的なものに過ぎなかった。

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