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亡き乙女の空に羽ばたく為に  作者: 一色空
第3歌 安息の日々
36/50

3-(3) 僕達の家

 目を開けるなり視界に飛び込んできたのは、意識を失った場所と同じ風景だった。唯一違うところといえば、不良の三人衆の姿が無い事だろう。それを確認するなり、後頭部に鈍痛が襲ってきた。

 おそらく、先ほど金髪の女に頭部を壁にぶつけられた時の衝撃が、未だ消えていないのだろう。現在はそれの鋭さを誤魔化していたてんかんの症状もない事で、より一層頭に重く響いた。だが、それよりも頭の中を刺激する音が耳に届いた。主に驚愕で。


「るーかす、やっぱり死んでなかったんだ。わくわくして損した」


 あまりに驚いて声がした真横を振り返った。やはり声の通り、隣で残念そうに眉を下げる人物はカーヤだった。今は、そんな悪趣味な冗談なんかよりも、カーヤがいるという事実の方がより大きな驚愕を与えた。


「なんできみがこんなところにいるんだよ!?」


 覚醒するなり大声を出してしまった。そのせいで既にダメージを受けていた頭が再びズキリ、と痛みを訴えた。だが、自分の頭の痛みなんかどうでもよくなるくらいに重大な状態である事は理解できた為、頭痛に構う事なくカーヤを叱りつける。


「きみみたいに小さな子がこんな真夜中に出歩くなんて、危険にも程があるだろ。なんでここにいるのかは知らないけど、とにかく早く家に帰るよ。僕が送っていくから」

「だって、るーかすとずっと一緒にいたいんだもん」

「変なこと言ってないで、さっさと帰るよ」


 僕は立ちくらみを覚えながらもなんとか路地裏の石畳の上に立った。そして済まし顔のカーヤの腕を掴んで立ち上がらせた。意外にもカーヤは嫌がる事なくされるがまま指示に従った。


「そういえば、あの人たちは逃げていったよ」


 歩き出すなり、カーヤはそう口にした。一瞬にして僕の背筋は冷えていった。


「カーヤ。もしかして、僕がされてた事見てたのか?」


 それは絶対にあってはならない事だった。

 不良と喧嘩している光景なんて、この子の無垢な瞳には毒でしかない。もしも僕の不安が本当だとすると、年長者としてありえざる姿を見せてしまった事となる。ましてや、家庭教師とまではいかないまでも、僕はカーヤに学を教えている立場だ。明らかにいけない事だらけだった。

 だが、カーヤから発せられた答えはそれらの不安を抹消してくれるものだった。


「ううん。私がここに来た時にはもう、あの人たちるーかすに何もできないようになってたよ」

「……そうか」


 僕は思わず安堵する。おそらく、僕が意識を失った事で、あいつらは焦ってあの場を逃げ出したのだろう。こんな時に持病が役に立つとは思いもよらなかった。

 そこで、ふいに意識を失う直前に見えた光景が脳裏をよぎったような気がした。けれど、それが具体的にどのようなものだったかまでは思い出せなかった。ただ、何か幻覚のようなものを見た、という自覚だけが薄らと残っているだけだった。


 カーヤに家の在処を尋ねるも、どうやら先日彼女が言っていたように、僕とほとんど変わらない所に住んでいるようだった。なんでも、途中まで僕と全く同じ帰り道だというのだ。

 あのような郊外にこれほどまでの美少女が住んでいるとなれば、自ずと目立つだろう。それでもこれまでその事実を知らなかったという事は、最近引っ越してきたのだろうか、とも考えた。

 だが瞬時にその考察は穴だらけであると自分で非難した。何せカーヤは僕と出会うまでろくな学を持ち得なかった子だ。となれば、相当な貧困層だと考えるのが自然であり、また、そのような人々がそう容易く住居を変更するなど、想像する事は難しい。それでも、このような事は考えても埒が開かない問題だ。何より、本人に問いただすのも気が引けたので、胸中に溜まるモヤモヤとした感覚を残したまま成り行きに任せる事とした。


 道中幾度もカーヤに話しかけられたが、まともに相手をする事ができなかった。それは未だ僕を苛む二つの痛みによるせいだった。一つは、アンナを庇った際に不良達に襲われて出来た傷が発する物理的な痛み。そしてもう一つは、あの連中から確かに逃げる事ができたであろうアンナの現状への不安だった。

 情緒不安定な人間は何をしでかすか分からない。帰る場所がないだけでも精神的に不衛生であるのに、その上不良に追い詰められるなんて事、負の感情が爆発してしまってもおかしくはないだろう。それこそ、最悪な場合、自らの命を絶つことだって―――。

 そこで前頭部ら辺が分厚い雲に覆われたように違和感を生じさせた。その信号が何を示しているのか明確に理解する事はかなわなかった。ただ、自分は何かを勘違いしているような、それとも何かおかしな現象について思案したかのような気分だった。


 そんなふうに考え込んでいるうちに、見飽きた雑木林が視界に映った。それまでカーヤの言葉に対して簡単な相打ちしかできなかった頭も、ここまで来ると活発にならざるを得なかった。


「カーヤ、きみの家はこっちの方であっているんだよね?」


 僕は、雑木林方面とは反対の道を指さしてそう聞いた。

 向こうには木々に紛れて住居が点在しており、さらに奥へ進んでいくと、こじんまりとした住宅街が存在していた。あちらへは時々散策に出かける事があったので、送るには好都合だった。

 だが、カーヤは驚くべき事に、僕の問いに対してかぶりを振った。そして、雑木林の方へほんの少しだけ駆け寄って行き、元気良く「こっちだよ! 早く」と催促してきた。僕は、面食らった。数秒の後我に帰ると、いかにも楽しげにこちらを見やるカーヤの元へ歩み寄り、未だ少し困惑しながらも彼女に尋ねた。


「ねぇ、もしかして泊まって行く気? いや、もうこんな時間だし、別に良いんだけどさ」


 家族が心配するんじゃないの、と続けそうになって、すんでのところで口を閉ざした。それはカーヤの何やら複雑そうな家庭環境を考慮しての事だった。すると、僕が再度何かを口にするよりも先に、カーヤが歓喜の声をあげた。


「るーかすのところに行ってもいいの?」

「まあ、うん。今は僕以外に住んでる人はいないし、部屋はいくらだってあるし」


 そこで僕は、思い切ってカーヤに尋ねる。


「もしかしてきみも、家に帰りたくないの?」


 辺りを沈黙が覆った。カーヤは何も答えなかった。それは、答えたくないというよりも、質問の意図が理解できていないように見えた。僕は、たった今自分が放った言葉が失言ではないか不安になった。するとカーヤは、困ったような表情で、困惑気味に言った。


「家って、どっちの家? ままがいたところ? それとも、今の家?」


 一瞬の程、息ができなくなった。僕は今度こそ確信した。僕は聞いてはいけない事を彼女に質問してしまったのだと。

 今のカーヤの言葉から、以前から僕の中で存在していたカーヤへの憶測までもが半ば確定したようなものだった。やはりカーヤの家庭環境は良くない――それもだいぶ――事が窺える。

 だからだろう。僕は、自分自身とかつての光に似通った彼女に、なるべく力になってやりたいと思うようになっていた。僕は小さな両肩をそっと優しく掴み、目線を彼女に合わせた。そして、カーヤの澄んだ瞳を真っ向から見据えながら、もうほとんど残っていないも同然な精神を削る思いで言った。


「カーヤ。どうか正直に答えて欲しい。今いる家には帰りたくないと思っているの?」


 僕は、できる限り優しい口調を意識した。そしてカーヤが自分の本心を隠さずに正直に答えてくれる事をひたすらに願った。

 だが、カーヤの反応は、僕が思っている程重いものではなかった。むしろ軽すぎるくらいのものだった。


「ううん。今の家、別に嫌いじゃないよ。それに、近くにはるーかすがいるもん」

「え?」


 僕は一瞬、彼女の言う意味がわからなかった。


「それに、るーかすが言ってくれたように、るーかすの家に行きたいよ。でも、それだと怒られるから、できないの」


 カーヤは、普段通りの裏表を全く感じさせない態度でそう答えた。

 僕の頭の中では今、注ぎ込まれた情報の波が荒れ狂っていた。カーヤは言葉をそのままの意味で使う事が多い子だ。となると、彼女の言う通り、僕の存在が近くに感じられるような場所に住んでいると考えられる。

 いや、それよりももっと重大な部分を耳にした。彼女は家に戻らなければ怒られる、と。それはやはりそれだとカーヤの家族にとって不都合があるからだろう――それがいったいどんな事かは想像の余地もないないが。


 そんな理不尽な大人達の世界で生きているカーヤを救いたいのは山々なのだが、それは赤の他人の僕が踏み込んでいい問題では無い。僕は結局またこうして、自分の無力さを嘆くしかないのだ。


「―かす、るーかす」


 そこで僕は、カーヤの呼び声により我に返った。目の前にいる、悲惨な境遇を垣間見せない無邪気な女の子に、なんと言えば良いのか分からない。その為、ただぼうっとカーヤを眺める事しかできなかった。だが、ここで永久に思考停止している訳にもいかなかった。


「とにかく帰ろうか。その、もしかしてなんだけど」


 僕は、先程から頭の隅で考えていた事を口にする。それにはかなり勇気がいる事だったが、聞ける時に聞いておいた方が良いように思えてならなかった。


「もしかして、僕の家の方とは違う分かれ道の方にある建物に、カーヤは住んでるのか?」


 雑木林方面で僕の家の近くとなると、もうそこ以外に思い浮かばなかった。それに、もし本当にそうだとしたら、初めて会った日にカーヤが一人で雑木林にいた事も納得できる。カーヤは、唐突な僕の問いに対して平然と「うん」と頷いて見せた。家族から口封じを受けている可能性も考えたが、どうもそれは無いらしい。

 それとも、カーヤがあまりに純粋すぎて、懐いている相手の質問に素直に答えてしまっているだけなのか。とにかく、この事は絶対に口外しないよう心に刻んだ。でなければ、カーヤが家族にどのような報復に合うかわかったものでは無い。


 僕とカーヤ二人並んで雑木林に向かう。木々のざわめきが何処か遠くへ感じた。それは停止しようとしている思考のせいだろう。まるで粘土で塗り固められたかのように、頭部全体が重苦しかった。やがて二手に分かれる地点まで来た。

 そこでカーヤは、ごく自然な足取りで元旧軍基地のある獣道の方へ歩を進めた。僕は何も言えなかった。向こうには僕の知らない世界が広がっているように感じてならず、それが心の奥底に潜む影を呼び起こした。


「じゃあ、またね。じゃ無くて、えーと、おやすみ? こういう時って、おやすみって言うんだっけ? とにかく、おやすみ」


 そのカーヤの愛くるしい別れの挨拶に対して、何も反応できない自分。そんな立ちすくむだけの僕にお構い無しに、無邪気な妖精は獣道の向こうへ消えてしまった。そのまま僕は数分間その場で立ち尽くした。

 カーヤの後を追い掛けて、話をよく聞こうという考えも頭をよぎった。だが、それは最終的にはばかられた。流れる時間と共に、混濁した思考が元の自然な流れを取り戻した事によって。


 先程よりかは比較的冷静になった頭で再度思案してみる。カーヤは、家族と共にあの元旧軍基地に引っ越してきた――隠れ住んでいると考えるのが現実的だろう。その点は僕としては何も問題は感じない。この雑木林がロイエンタール一族の保有地であっても、あのような世間に忘れ去られた場所をどう使われようが一族にとっては些細な事だろう。

 ただ、問題はカーヤの事だった。カーヤの家族のような貧民層が、新たな住処――というよりかは隠れ家にやってきて、十分に暮らしていける程の余裕があるのだろうか。いや、無いだろう。となると、今こうして思い浮かぶ中で最も現実味があるのは、まだ年端もいかないカーヤまで労働に出ている可能性があるという事だ。

 どちらにせよ、カーヤが過酷な状況にある事は確かである。カーヤはあの家が嫌いでは無いと言ったが、それはカーヤからしてみれば当たり前となっている為不満を感じないようになっているだけであって、実情はカーヤにとって苦しいものである可能性は非常に高い。


 頭痛がした。これは不良達からの攻撃による名残ではなく、明らかに精神的なストレスから来るものだった。カーヤのように非力で、かつ可憐な容貌を持つ少女が金を得る方法ならば僕はよく知っている。それに確か、ちょうどアンナを助けた路地の辺りにはそういった女達が集うアパートがある。

 もしもカーヤがその女達の一人であるのならば、カーヤが今日このような時間帯にあんな場所に現れたという疑問が、皮肉にも解消してしまう。その想像するのもおぞましいカーヤについての光景と、フラッシュバックしそうになる嫌な光景を、すぐさま鋭い靄で粉切れにしてやった。自分の周囲の世界がどうしようもなく荒廃している現実に打ちのめされながら、重い足取りで普段よりも長く感じる林道を抜けた。


 だが、そういった重苦しい心地は次の瞬間には無くなる事となる。俯いていた頭を上げると、鉛のように重かった僕の全身から力が抜けていった。それと同時に、それまで僕の中を占めていたあらゆる雑念が一瞬にして全て吹っ飛んでいく。

 それはカーヤへの心配を早くも忘れた事を意味する訳では無い。ただ、それと同等の破壊力を持つ現実が目に映ったのだ。

 僕は傷の痛みも忘れ、玄関先に駆け寄った。階段式になっている玄関扉の前に佇む女の子は、僕の足音に気がついたのかやや緊張の面持ちでこちらを振り返った。

 僕は軽く息を整えながら、張り詰めた様子の女の子を見上げた。どうしたの、とは聞けなかった。当たり前のように、自然な感じで迎えてやりたかった。


「おかえり、アンナ」


 僕は頬が綻ぶのを制御できなかった。

 一方、アンナは小さい声で強がりを口にした。


「ただ、忘れ物に気がついて戻ってきただけ」


 そんなふうに言う彼女の声は震えていた。それだけでなく、寒さに耐えるかのように足も震えている。


「大丈夫、護身用のあれならちゃんととってあるから。それよりも、まだきみは鳥の彫刻が終わってないだろ?」


 僕がそう言うと、それまで俯いていたアンナは、顔を上げて僕の目をちらりと見た。それはまるで、叱られると思っていた子供が、大人に許された事に安堵するような仕草だった。


「特訓は終わらないものだよ。ほら、明日もちゃんとパフォーマンスを発揮できるように早く寝るんだ」


 僕は階段を上がり玄関の鍵を開けた。そして背中を押す事で突っ立ったままのアンナを開け放った扉の向こうにやった。それに続いて僕も家の中に入り、玄関の鍵をしめようとした。が、それは既のところで静止した。僕の耳に届いた声が、僕の動きを止めたからだ。


「私の彫刻勝手にいじってたら、許さないから」


 その緊張した声が紡いだ言葉は、短く素っ気ないものだったが、彼女の本心を推し量るには充分なものだった。僕はといえば、その言葉に対して、自分でも滑稽だと思える程の明るい声音で「そうこなくちゃ」とおどけて見せていた。

第3章完結です。ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。

物語はまだまだ続きます。むしろこれからが本番です。

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