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亡き乙女の空に羽ばたく為に  作者: 一色空
第2歌 交わる運命
19/33

2-(4) 何も無い夜 * 2-6 違和感

エピソードタイトルに*が入っているのは、異なる語り手のエピソードが掲載されている事を意味します。

 その日の晩はマリーと同じサークルに入っているという女と過ごした。より正確に言うならば、マリーとその女と三人で一夜を共にした。

 こういう時はだいたいマリーの家ですることが多い。マリーは顔が広く、積極的な性格をしているため、マリーの家に訪問してくる人間は数しれない。

 マリーの友人ニコラ曰く、その大半が男であり、僕のようないわゆる都合の良い関係というものを浅いのか深いのか分からないが、築いているらしい。

 もちろん、今晩の女含め他の女もマリーと意気投合するような気質をした人間であるが故、そういったことに抵抗はなくむしろ大胆で、パワフルな者ばかりだった。


 それでもやはり僕にとってもマリーが一番良かった。彼女に対して情愛はない。良いというのは、自分にとって都合のいい距離感と関係性という意味である。

 そして向こうもそれを理解していた。それどころかそんな僕に対して興味を募らせているようだった。


 マリーには幾度となく僕自身について話して欲しいとねだられたことがあったが、僕がそれに応じたことは一度もない。

 それでも彼女は僕に愛想をつくことはなく、それに反してますます好奇心を掻き立てられるようだった。おそらく女には、硬い甲羅の中に隠れた男の本心というものを暴いてみたい本能が元から備わっているのだろう。


 事が終了してからしばらくすると、マリーと同じサークルの女は寝息をたて始めた。マリーはというと、疲れたような様子を感じさせないいつもの活力に満ちた瞳をしながら、質問を浴びせてきた。


「昨日は誰のところに行ってたの?」

「ベラだよ。相変わらず面倒くさい奴だった」


 この時間が来る度に一応返答しておく。適当なことを口にしても問題ない、そんな空気がある。


「なんでそんなこと言うんだか。あの子とっても良い子じゃない」

「同性の友人からしたらそう見えるのかもしれないけどね。こっちからしたら、興味無い相手に気味悪い言葉をかけながらやるなんてできるわけが無いんだよ」

「そんなに特別に思われてるなら少しは優しくしてあげればいいのに」

「あいつにとって僕が特別なんじゃなくて、少しでも多くの異性を自分の元に繋ぎとめておきたいだけだよ。要するにかまってちゃんなんだ」

「そこまで言うなら関係を持つのをやめたらいいじゃない。別に無理して続けるものでもないでしょう。それとももしかして、そういう貴方こそ、自分にとって都合のいい相手を手放すのが惜しいのかしら」

「そうだって言ったら、あんたは僕に愛想でもつくのか」

「そうねー、今でもあんまり良くないけどさらにイメージダウンしちゃうかしら。ああでも、今の関係を終わらせる気にはならないからそこは安心していいわよ」

「そうか。それは良かった」


 ほぼ棒読みな皮肉を最後に、寝室に沈黙が満ちた。その静けさが妙に不愉快になり、その冷たい空気を断ち切るように口を開く。


「そういえば最近、不思議な子供に会った」

「子供?」


「ああ。本の読み方を教えてくれって言うから、仕方なく付き合ってやってる」

「ふーん。貴方ってドライなようでいて結構子供には優しいのね。男の子、それとも女の子?」

「女の子だよ。だいたい十二歳くらいかな」


 そんな年齢の子で字が読めないなんてきっと深刻な事情があるんだろう、そう思ったら何だか断れなかった。と、そこまでは口にしなかった。ただの上辺だけの間柄の相手に、そこまで自分の心をさらけ出すことは憚られる。

 マリーはつい今しがた、僕のことを優しいと言った。ノリで言った言葉か本心かは分からないが、どこまでも自分には不釣り合いな言葉に胸中が不快感を訴えた。

 それに、同情が優しさかと問われたら異を唱える者もいるだろう。それにその情の根底にある薄暗い罪悪感に気がついていないわけではなかった。


「もしかして、貴方ってそういう趣味?」


 マリーは、愉快そうにくすくすと笑った。


「くだらないからかいはやめろ。そんな特殊な趣味は持ってない。――それに、僕が誰かを好きになるなんてことはない」


 するりと自然に口に出た堅苦しい最後の言葉は、マリーに向けられた会話の一部というよりも独り言めいていた。

 寝室内の空気は以前よりも重苦しくなり、それきり彼女が口を開くことはなかった。流石にもうその空間に耐え忍ぶのは苦痛を超えて地獄であると判断し、時間的にも帰宅するにはちょうどいいということもあって服を着始めた。


「また明日か明後日に来る」

「明日は他の人と約束があるの。だから明後日に来てちょうだい」


 短い承諾の言葉をマリーに伝えた後、彼女の住居を後にした。


* * * * * * *


 朝、目が覚めると初めに視界に入ったのは銀色の天使だった。まだ横になったままの半覚醒状態の私に、カーヤは、「やっと戻ってきた! 昨日ぶり、あんな」と気前の良い挨拶を口にした。

 未だ完全に現実に帰還しきれていない私は、カーヤの爛々と光る瞳が蛍光灯のように眩しく感じながらも、殆ど口の中で「うん、おはよう」と応答する。

 相変わらず廃屋の周囲では野鳥による朝の通知がやまない。私は、それにぼんやりとした頭で聴きいっていた。これまで鬱積していた様々なものが浄化されてゆくような爽やかな心地だった。


 そんな時、唐突にカーヤの呼び声が鼓膜を震わせ、それまで外界の一切を遮断していた私はたいそう驚いて、ビクッと肩を震わせ即座に閉じていた瞼をあげた。


「あんな、ペンって持ってる?」


 私は「ああ、あるよ」と答え、壁に立てかけられていたリュックの中から昨日購入したばかりのペンをとり、それをカーヤに差し出した。カーヤはそれを嬉々として受け取った。

 そこで私は我に返り、現状の異質さにやっと違和感を覚えた。

 カーヤは、溺死という概念さえ存在しなかった無知の化身だ。それがなぜいきなりペンなどを求めたのか。

 なんとなくだが嫌な予感が走る。

 そして、カーヤは何をし始めるかといえばやはり私の想像通り、昨日も目にしたあの小型のカレンダーに何かを書き込んでいるではないか。


 私は、その光景を認識するなりすぐさまカーヤの元へはいより、いったい何が書かれたのか覗き込んだ。

 印の役割なのだろうか、今日の日付に○と書き込まれている。

 そのうえ、昨日のところにも同じく○がついている。私は怪訝に思って――おそらくそれは表情にも出ていたであろう――カーヤ本人を見た。

 するとカーヤは、私の無言の問いかけに応えるようにして、嬉しさを隠しきれていない緩んだ表情で説明を始める。

 その内容がどんなに私にとって害あるものであるかさえ知りえない無垢な少女は、それも、まるでこの喜びを目の前の相手にも分けてあげたい、そんな良い心持ちであるように。


「これはね、るーかすに言われたの。今日がいつか分かるようになれば、るーかすと会える日がやってきたらちゃんと分かるようになるって」


 私は当然ながら耳を疑った。まるで人名のような単語が聞こえてきたからだ。

 それに彼女はなんと口にした? ……に言われた、そんなふうなことを口にしてはいなかったか。


「誰に言われたって?」


 私は、気づけば震えを押し殺した声でカーヤにそう問いかけていた。


「るーかす。わたしの大切」

「……は」


 私の口からは呆れの入り乱れた嘲笑が漏れた。

 まさかここまで幻が現実味を帯びてくるとなると、一周まわって興醒めなのだ。おそらくカーヤには新しい友達でもできたのだろう。

 ということは、そのルーカス、というのも同じく空想上の存在であることは想像に容易い。

 そうであるにも関わらず、なぜか、私の胸中は薄暗い泥沼であるかのように気持ちの悪い感じがした。

 不思議そうにきょとんと見上げるカーヤに対し、私は目を伏せ沈黙を貫いた。そんな私の様子に異変を感じ取ったのか、カーヤは、焦ったように「どうしたの、なんだか変だよ、あんな」と言い、私の片腕を両手で握りしめた。

 その途端、私の胸中に寄生した害虫は息の根をとめ、代わりに快感のようなものが生じた。


「やっぱりまだ疲れがとれてなくてね。心配させてごめんね」


 私はできるだけ自然さを意識しながら笑顔をつくり、カーヤの頭を撫でる。するとカーヤはそのまま私に体重を預けてきた。

 まるで愛らしいペットのよう。そうだ、これこそ私たちのあるべき姿だ――頭の中で呪文のようにそう唱えられているその言葉に、私の心は耳をかそうとしなかった。

 カーヤが、今日は私と一緒にどこかへ遊びに行きたい、と言い出したのはそれからすぐのことだった。

 しばらく思案した後、散歩がてら町の方へ行って、歩きながら良い場所を探そうと提案すると、カーヤは快く顔を縦に振った。

 私は念の為、ペンとノートが新たに追加されたリュックを準備した。あのピストルが収納されているショルダーバッグはいつも通り部屋の隅に隠しておいた。


 秋の午前は肌寒く、町は普段と比べて閑散としていた。生家から去る時に厚めのジャケットを着用していてよかった。道中、またもやカーヤから妙な会話をもちかけられた。どうやら彼女は本に憧れを募らせているらしく、私はどのような本を読んだことがあるのか、と問いかけてきたのだった。


 私は思わずふふっと笑ってしまった。それは嫌味でもなんでもない。もしかして、カーヤは彼女自身のモチーフとなっている銀の鳥の童話が私の口から出るのを期待しているのではないか……そんなふうに思えてならなくて、心をくすぐられたのである。そのカーヤの問に対して私は、最近はミステリー小説に熱中している、と答えた。

 すると予想通りカーヤはミステリーとは何かと質問をした。私は、ミステリーとは、物語に謎が仕掛けられていて、物語が進むにつれて、その答えが明らかになっていくような本だ、と説明した。その説明にあまりピンときていない様子で、カーヤは、「ふーん、なんだか難しそうだね」とあまり関心なさげに返答した。


 カーヤは自分の期待とはかけ離れたことを言われて不貞腐れているのではないか、なんて思ったりしたが、ちらりと表情を伺うと、可憐な相貌に不満げな色は一寸たりとも見られない。私はほんの少しだけ拍子抜けしたが、この純な善性こそカーヤであるのだとすぐに納得を覚えた。

 僅かな沈黙の後、今度は私から話を切り出した。カーヤがうんと喜ぶことを期待して。


「そういえば、昔に私が大好きだった絵本があるんだ。『銀の鳥の庭の中』っていうタイトルなんだけど」


 やはりカーヤの反応は私の期待通りのものだった。その題名が発せられた途端、彼女は私を仰ぎ見て、興奮しきった語勢で喜びを表した。ただでさえ眩しい銀色の瞳はさらに輝きを増していた。


「それ、わたしも大好き! ままの心はよくそのお話を描いていたもの」


 どうやらカーヤの中では私は母親のような立場らしい。そのイメージはあまりにも違和感がありすぎるが、そこはあえてスルーし、私は会話を続ける。


「うん。昔から、あの童話には助けられてきたんだ。幸福の証である銀の鳥。それはまさにカーヤのことだよ」


 カーヤは意外にも、私の最大限の愛情表現に不思議な感覚を抱いたようで、ほんの僅かに細い首を傾げた。


「え? あんなにとっての幸せって……わたしなの?」


 心の底から疑問であるといったふうに、カーヤはそう言った。まるで私は嘘をついているのではないか……そんな訴えもどこかに隠れているような気がした。いや、気がした、ではなく、実際にカーヤはそんなふうに私を怪しんでいる。

 魂の片割れのような存在であるが故か、カーヤの感情は、他の人間のものと比べて格段に私の心に伝わってくるのである。それを考えると、私とカーヤはやはり、文字通り心が通じあっているのかもしれない。


 私は、これまで以上にカーヤとのズレを覚えながらも、先程発した自分の台詞への肯定の意を示した。嘘なんかではなくて本当の事だよ、そう説き伏せるように言っても、カーヤは微妙な反応をするだけだった。喜ぶでも怒るでもなく、あたかも私の心の中で特定の何かを探し出そうとするかのような賢者のようなまなざしで、私の胸元を見つめている。

 私はちょうど図書館の近くまで来ていたのを認識し、この気まづい空気から逃れるように、カーヤから図書館の方へ視線を移す。


「そういえば用事があるんだった。ほんの少しだけここで待っててくれるかな」


 私は早口にそう言うと、図書館の方へ足を向かわせた。入館するなり入口付近の新聞コーナーへと早足に向かう。

 時間帯のせいか新聞を読んでいる高齢者がぽつりぽつりと存在し、私は焦りながら本日分のものが残っているか確認する。当日の分の新聞は需要が高いため複数用意されているのだが、幸運にもその残り一つが余っていた。

 それっぽいページ全てにざっと目を通してみたが、今日も自分の関与する事件についての記載は見つからなかった。そのことを確認するなり早歩きで退館し駆け足でカーヤの元へと戻る。


 カーヤは川を覗き込んでいた。その後ろ姿に声をかけると、カーヤはすぐさま体ごとこちらを振り返り、先程の妙な雰囲気は存在しなかったかのように、普段通りの調子でおかえりを口にした。

 それからすぐに私たちは散策を再開した。私が、「何か気になるところがあったら言ってね」と言ったきり、私たち二人の間に会話は一切なかった。

 それでも魂が通じあっているためか、不安を覚えることも無く、それが自然であるように時が流れた。そんな時、ふいにカーヤが口を開いた。


「あそこ、あそこに行きたい」


 カーヤが指差す方へ視線を配ると、どこかへと繋がる並木通りがあった。連なる木々から生えた紅葉は既に朱色が滲んでおり、通りに広がるのは落ち葉の海であった。カーヤの要望通りに私たちはそこへ足を踏み入れる。紅葉が絶え間なく視界を彩り、もはやここは朱色や黄色で構成された異世界のようでもあった。

 私は夢を見ているような俗世から切り離された感覚で世界を歩く。これまでの全ては単なる悪夢に過ぎなかったのだ……そんなふうに躊躇なく思えてしまう程に、私の心はこの世界に惹かれていた。

 幻想の中にまた幻想が存在する、なんとも不思議な時間である。ふわふわと緩やかな胸中の波に、久々に心を預けている最中、唐突にカーヤが口を開いた。


「ここの奥に大きな川があるんだけど、そこでるーかすに本の読み方を教えてもらってるの。とっても良い場所だよ」

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