4 邪気
「さてさて、口の利ける花嫁ちゃんなんて久々だ。着物がぼろだね。真っ白な単衣があるよ。死装束だけど。髪の毛も梳いてあげよう。柘植の櫛があるよ。死化粧の櫛だけど。ちゃんと蛆虫たちが穢れを喰ったから大丈夫」
「は、はあ……」
呪具の中から、使えそうな調度品を蝕神は見繕う。邪気の気配はなく。呪具は本来の用途に戻っていた。身支度を整え、着替えを済ますと蝕神は満足気に微笑み。
「かわいーかわいー。お腹はすいた? 人間が食うものはさすがに外に行かないとだめだな」
「い、いえ、食欲があまりなくて……身体の中になにか入れるのはどうにも苦手で」
小花から滲む邪気。〝式神の器〟として使われたその身にまだ魔性が潜んでいるのだ。蛆虫が少しずつ喰らっていたが到底、底をつきそうにない。蝕神は顎に手をあて、
「気持ちは分かるけど、小花ちゃん細すぎじゃない? だめだよ、ちゃん食べないと」
「こ、これは仕方ないんです~犬神を憑きやすくするためにご飯を抜かれてて……あ、犬神のつくり方って知ってます? 犬を飢餓状態にしてから首を落とすんです。 ひどいですよね! 可哀そう! だから、私も同調しやすくするためにぎりぎりまでご飯抜かれちゃって」
「……そうなんだ、じゃあ、爪がほとんど剥げているのは?」
「あ、や、やだなあ気づいちゃいました? 恥ずかしいな~これは猫鬼が憑りついたときに……まだ治ってなくて。壁や床で爪を研いじゃったんです! おかげで爪は剥がれるし、部屋中が血だらけになるし、もうひどい惨状でした~」
てへへ、と小花は頭をかく。その瞳の中に、螺旋のような邪気が渦巻く。唐突に、蝕神は小花を抱きしめた。
「わっ、わぁ、しょ、蝕神さま! ま、まだ私、お嫁さんになる心の準備がっ……!」
「なんにもしないって~まったくひどいことするよなあ! オレがちゃんと大事にしてあげるから。傷ついた心と身体に効く一番の薬は愛だからね、愛」
「え、ええ、思ったより蝕神さまって気障で紳士なんですね。可愛いなんて言われたのも初めて。て、照れちゃう」
ふ、と蝕神は笑みを消し、小花の顔を覗き込んだ。
「本当に、よく自我を保っていられたものだ。とっとと正気を失ったほうが楽だったろうに」
黒木家の霊媒が長続きしないのは、魔性に意識を乗っ取られて自我が崩壊することだけではなく、身体への負荷も大きいからだ。使役する式神と同じ、器となる巫女も、使い捨てられる駒でしかない。無事呪いを成功させれば、小花の中には奪った魂の穢れごと魔性が戻るし、仮に呪い返しにあったとしても、小花がその受け皿になる。身も心もいっぱいいっぱい。一度決壊してしまえば、器は粉々になって、中身も外身も戻ることはない。それなのに、中身がむちゃくちゃになりがら、未だに小花は〝小花〟の外見を保たせていた。
「だって、私、宝物がありました。自分の名前がありましたから。名前さえあれば、犬にも猫にも狐にも乗っ取られたりしないです。わたしは〝わたし〟なんだから」
にっこりと無邪気な笑みを浮かべる小花の身体から。
泥のような邪気が黒煙を吹いた。
──真っ白な死装束を真っ黒に染めるほどの。