47. それぞれの風に押されて
翌朝の研究室は、いつもより少し騒がしかった。
夜通しの実験道具がそのまま置かれ、窓から差し込む光が器具の縁を柔らかく照らしている。
エリカは寝不足の気配を微塵も見せず、魔導板を操作しながら二人に向き直った。
「さて。昨日の“祈りの観察”だけれど……見たね?
偶発とはいえ、あれは確かに“理が返した”痕跡だ。」
イリスが真剣に頷く。
「水面の位相が反転し、祈りに合わせて波紋が……。魔力じゃ説明できません」
「そこが面白いんだよ、イリス。
“意志の方向だけがずれた反応”なんて、普通は起こらない。」
エリカは新しい魔導板を展開し、地図を空中に浮かべる。
「――そこで次に調査してほしいのが、ここだ。
“ユグルヴァイン”。精霊との距離が最も近い、狼人族の里」
地図上に広がるのは、アーカム・ネリア東方の深い森と渓谷。
精霊の活性が強く、“祈り”が生活に根付いた土地だった。
「精霊が濃い場所では、祈りと理の揺らぎも大きく現れる。
昨日の反応は偶然だ。もっと“敏感な環境”で確認する必要がある」
「……教授の研究は精霊を介さない方法なのに、あえて近い場所へ?」
イリスの疑問に、教授は小さく笑った。
「正反対の場所を知ることで、初めて差分が浮き彫りになる。
理と対話するには、精霊の声の大きさも把握しておく必要があるんだよ」
地図を閉じ、さらりと言い足す。
「正式な伝手はない。一応手紙は渡すけど……交渉は君たち次第だね」
カイトが苦笑した。
「また大変な依頼ですね、教授」
「大変じゃなかったことがあったかい?」
そのとき、研究室に重い足音が近づいた。
⸻
「お、全員そろってるな。ちょうどいい」
ジェイジーが大きな荷袋を背負い、煙草をくわえながら入ってきた。
「ジェイジーさんも一緒に行くんじゃ……?」
イリスが問いかける。
「あ〜……それが、そうもいかなくてな」
ジェイジーは頭をかき、少し視線を落とす。
「ギルドから北方で“魔獣暴走”の鎮圧依頼が入った。
規模がでかい。放っておくと死人が出るタイプだ」
「……!」
マチルダの表情が厳しくなる。
「つまり、こっちは来られないってことだね」
「あぁ。悪いな。
本当ならお前らの面倒みながら研究に付き合うのも悪くなかったが……優先度が逆転した」
それは戦士として、ただ当然の判断だった。
ジェイジーはカイトの前に立つと、肩をぽんと叩く。
「坊。ギルドで軽く鍛えたが……お前は“見て考える”タイプだ。
戦闘は嬢ちゃんとマチルダ嬢に任せろ。
お前は、観測に徹しろ」
「……わかってます」
「嬢ちゃん、坊の無茶を止めてやれよ。教授に似て妙に危なっかしいからな。
マチルダ嬢、剣の仕事は前に出るだけじゃねぇだろ? 頼んだぜ」
エリカに視線を向ける。
「教授、あんたは知らん」
「私は無茶しないよ。……どこかの教授とは違って」
「へっ、この期に及んで皮肉かよ」
研究室に一瞬、柔らかい笑いが生まれた。
⸻
翌朝。
アーカム・ネリアの転送塔の前で、三人は出発の準備を整えていた。
朝の風は冷たく、街の喧騒もまだ眠っている。
ジェイジーが重い盾を背負い、静かに言った。
「じゃあ……ここでお別れだな」
「ジェイジーさん、どうか気をつけてください」
イリスの声は真剣だった。
「ありがとな。……だがお前らこそ気をつけろ。
精霊が濃い場所ってのは、俺より危ねぇかもしれねぇ」
カイトは苦笑を浮かべる。
「否定できない……」
ジェイジーはその顔を見て、少しだけ目を細めた。
「三人で行くことになるが、気張れよ。
いつかまた合流する。
それまで――」
ひらりと片手をあげる。
「生きて観測を続けろ。
死んだら報告が聞けねぇからな」
「そこなんですね」
「そこだ」
マチルダがくすりと笑い、マントを直す。
「戻ってきた頃、カイトが成長してたら褒めてやってね」
「おうよ。……じゃあ行くか。北も風が荒そうだ」
ジェイジーは踵を返し、転送塔へと歩き出した。
その背中が見えなくなるまで、三人は静かに見送っていた。
「私達も行こうか、新しい旅へ」
マチルダが歩き出す。
カイトは深呼吸をし、二人の後を追った。
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