42. 研究室で理を見つめ直す
静かな沈黙が研究室を包む。
外では風が塔の側面を撫で、夕陽の光が机の上を橙に染めていた。
ジェイジーが椅子の背にもたれ、ため息をつく。
「……まったく、あんたはつくづく危ねぇ橋が好きだな」
「危うくなければ、世界は変わらないさ」
「世界を変える前に、自分が落ちねぇように気をつけな」
教授は笑って受け流した。
その笑みは挑発でも皮肉でもなく、ただ静かな確信を湛えている。
「理は、私たちの祈りを観測している。
ならば――私たちも理を観測し返せばいい」
その言葉に、カイトとイリスは視線を交わした。
イリスの瞳が、薄明の光を映して震える。
カイトは何かを理解しかけるように、息を呑んだ。
「……教授にとって理を観測するって、どういうことなんですか?」
イリスの声は細く、それでも確かな問いだった。
教授は窓辺に歩み寄り、外の風を見た。
「理は流れのようなものだよ。
誰かがそれを“見ている”ことで、形を保っている。
もし誰も見なければ、世界は輪郭を失ってしまう」
その声に合わせて、風が窓を叩いた。
塔の高みで微かな共鳴が響く。
「観測が、世界を保つ……」
「そう。前回と今回で君たちが経験した通りだ。
そして祈りとは、観測の一形態だ。
けれど、祈りはしばしば“誰かのため”に向けられる。
その時点で理は、他者の言葉に翻訳されてしまう」
教授は小さく息を吐いた。
「私は、それを取り戻したい。
“私が見ている”という一点だけを、理に刻みたいんだ」
イリスは言葉を失った。
理に刻む――それは人が踏み入れるべきでない領域。
それでも教授は、確信を抱いている。
彼女の中では、恐れと希望が矛盾なく共存していた。
カイトは口を開いた。
「教授……それは、世界に自分の意志を残すってことですか?」
「いい質問だね、カイト。
そう、私は“私”という観測者の存在を、理に知らせたい。
私が見て、理解して、記録する。
それが理への祈りであり、同時に応答でもある」
彼女の声は静かだったが、その奥に燃えるものがあった。
カイトはふと、塔の奥で出会った〈デミウス〉の言葉を思い出した。
――風は意志を持たぬ。何をもって理というのか。
教授の言葉は、その問いへの答えに近づく一歩に感じた。
「……教授、それをやろうとするなら、また理が反応するかもしれません」
「ええ。でも、それでいいの。
理は“観測し返される”ことを恐れはしない。
むしろ、観測されることで自らを更新する存在だから」
その瞬間、風がふっと止んだ。
静寂の中で、塔が一度だけ息を吸い込むように鳴る。
まるで理そのものが、教授の言葉を聞いているかのようだった。
ジェイジーが、煙草の火をつけずに弄びながらぼやいた。
「……理だの観測だの、まるで哲学の講義だな。
だが――まぁ、あんたのそういう無茶は見てて飽きねぇ」
教授は振り返り、静かに微笑んだ。
「ありがとう、ハスター。次に依頼するときも頼むよ」
「だからジェイジーだっての」
カイトはそんな二人を見て、どこか温かいものを感じていた。
理を相手にしても、人はこうして支え合う。
祈りも観測も、本質はきっと同じだ。
イリスが小さく呟いた。
「理が、もし私たちを見つめているのなら……
私たちの願いも、きっとどこかに届いてるんですね」
教授は頷き、窓の外の光を見上げた。
「そうだね。
理は形を持たないけれど、風のように、世界を流れている。
その風が私たちの心に触れた時、
人は“理解した”と感じるのかもしれない」
沈黙。
それは重くも冷たくもなく、ただ穏やかに流れた。
風が研究室の窓を揺らし、トマトジュースの瓶が小さく鳴る。
ジェイジーはついに煙草をくわえ、ぼそりと呟く。
「……ほんと、あんたらといると静かな夜が遠ざかるぜ」
カイトは笑いながら答える。
「静かな夜って、意外と退屈ですよ」
「お前らのせいで、そう感じちまったんだろうな」
教授が微笑み、窓の外を見上げた。
夕焼けの光が塔を染め、遠くで風鈴のような音が鳴った。
それはまるで、風そのものが――
彼女たちの“祈り”に応えるように、静かに響いていた。
塔の高みでは、まだ目覚めぬ理が微かに息づいている。
その呼吸を、誰もが知らぬうちに感じ取っていた。
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