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零界を旅する一般人  作者: 獏麒


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41. 帰還と教授の本心


 山岳地帯バルムを後にし、カイトたちは再びアーカム・ネリアへ帰還した。

 研究塔の転送陣を抜けると、見慣れた街の風が迎えてくれる。

 あの嵐のような風と違い、穏やかで、どこか懐かしい。


 教授の研究室の扉を開けると、いつもの光景がそこにあった。

 机の上には報告書の山と、トマトジュースの空瓶が四本。

 教授は回転椅子をくるりと回しながら、目を細めて言った。


「やぁ、ハスター。依頼を受けてくれて、そしてこの子たちを無事に帰してくれて嬉しいよ」


「それが仕事だからな。ジェイジーって呼べ」

 赤銅色の髪をかき上げながら、男は肩を鳴らす。

 教授はくすりと笑った。


「相変わらずだね。まぁここまで顔を出すとは思ってなかったわ」

「現場ってのはな、報告書だけじゃ伝わらねぇもんがある。

 それに――あんたの弟子たちが命拾いしたんだ。

 礼の一つくらい、聞いてやろうかと思ってな」


 教授はくすりと笑った。

「言ったじゃないか。“嬉しい”って」

「そりゃ安上がりだな、請求書に変えとくぜ」

「ツケを増やすならいくらでも」

「おい、減らせ」


 イリスが思わず吹き出し、カイトも肩をすくめた。

 張り詰めていた空気が、ほんの少し緩む。

 外では、塔の外壁を撫でる風が静かに鳴っていた。



「さて――報告を聞こうか」


 カイトは頷き、魔導板を展開する。

 バルム遺構での出来事、擬似精霊〈デミウス〉との対話、

 そして祈りが理に干渉するという観測結果を順に伝えた。


 教授は一言も挟まず、静かに聞いていた。

 淡い光が瞳の奥で揺れ、時折わずかに頷く。

 報告が終わると、彼女は椅子の背に身を預け、長い息を吐いた。


「――“理の再構築を試みた変革者”か。

 ……本当に、興味深い」


 そう言いながらも、その声音にはかすかな痛みが滲んでいた。


「教授、やっぱり危険ですよ。あの塔と同じことが起きたら……」

 イリスの言葉に、教授は首を横に振る。


「危険はもとより承知の上さ。

 未知を覗くっていうのは、そういうことだよ」

「……ヘルダム・シンの時も、そう言いましたね」

「当然だ。私はまだ“観測者”である前に、“干渉者”でいたい」


 教授は指先で机を軽く叩き、空中に魔導式を展開した。

 数式と文様が光を帯び、理の流動を示す円環が浮かび上がる。

 青白い光が壁面を撫で、研究室の空気がわずかに震えた。


「通常の魔法は、詠唱や魔法名を通して精霊が翻訳し、理へと渡す。

 けれど、その翻訳は誰のものでもない。

 強い願い、強い魔力、強い意志……それらが横取りできてしまう」


「……他人に奪われる魔法、か」

 カイトがぽつりと呟く。

 教授は頷き、瞳の奥に冷たい光を宿す。


「だから、私は“誰にも奪われない魔法”を作りたい。

 私だけの言葉で、私だけの理を動かす――

 他の誰の祈りにも、翻訳されない魔法を」


「それは……精霊を介さない干渉、ですね」

 イリスの声がわずかに震えた。

 教授はゆっくりと頷く。


「ええ。精霊を排して理と直に向き合う。

 けれど、それは同時に、神々の意志に近づくことでもある。

 理を越えた“願い”は、上層へ波紋を投げかける」


 教授は椅子を回し、窓の外――研究塔を包む風を見た。

 橙の光が髪に反射し、静かな光の輪をつくる。


「人は、祈りを通して世界を形作る。

 だが、祈りが大きくなりすぎれば、それは神の耳に届く。

 ……神々は理を通して秩序を保つが、同時に干渉を望む存在でもある」


 ジェイジーが腕を組み、ぼそりと呟いた。

「要するに、あんたは“神の言葉”を自分で翻訳しようとしてるわけだ」

「そうかもしれないね。

 でも私は――“借りものの言葉”で世界を動かしたくないんだよ」


 教授は振り返り、二人に微笑んだ。

「誰にも奪われない魔法。

 それは、誰かを排除するためじゃない。

 ただ、自分の言葉で理と対話するための、一対一の“祈り”だ」


 イリスがその言葉に目を見開いた。

 カイトはしばらく沈黙し、静かに頷いた。


「……教授、それが“祈りを超えた祈り”なんですね」

「祈りを超えた“理解”――と言ったほうが近いかな」


 教授の唇が、わずかに笑みの形をつくった。

 その瞬間、外の風が塔を包み、どこかで鐘の音が鳴った気がした。

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