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零界を旅する一般人  作者: 獏麒


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39. 目覚めた塔と語らう


 塔の奥へ進むにつれ、空気の質が変わっていった。

 冷たいはずの風がどこか温かく、しかし肌を撫でるたびに微かな震えを伴う。

 ――まるで、塔そのものが彼らを“観測”しているようだった。


 中央管制層。

 半透明の床下では、流体のような光が脈打ち、壁一面の魔導刻印が淡く明滅を繰り返している。

 そして、誰の声ともつかぬ響きが空間全体に広がった。


『……我は「デミウス」。

理の代理。人の意志を受け、風を導くもの。

だが、風は意志を持たぬ――我は問う、何をもって理というのか。』


 イリスが反射的に杖を構えた。

 だが、敵意はない。何かの残響が声として共鳴している――そう感じられた。

 塔が“語っている”。それも、過去の誰かの記憶を媒介にして。


「……擬似精霊“デミウス”」

 カイトが呟くと、魔導板が反応し、解析結果が浮かぶ。

 人為的に人格を与えられた精霊装置。

 理を翻訳する存在を模倣し、循環制御機構の一部に組み込まれた“人工の意志”――。


 イリスが静かに言葉を継いだ。

「精霊は理の翻訳者……でも、これは“理の再構築を試みた変革者”になったんですね」


 カイトは小さく息を吸い、目を伏せた。

「観測と創造が同化したとき、世界は自らを制御できなくなる。

 変革者は破壊者になり得る――教授の研究も同じ道を辿るのか」


 その声は低く、わずかに震えていた。

 エリカが追い求める“精霊を介さない魔法”――それは、このエアロポリスが歩んだ危うい道そのものではないか。


 沈黙ののち、塔の中心部で光が弾けた。

 床の下から映像のようなものが立ち上がる。

 そこには、嵐の中に立つ巨大な影――黒い巨人が映し出されていた。

 その輪郭は人のようでありながら、頭部には“空洞”が開いている。

 まるで、観測点そのものが“目”として存在しているかのようだった。


「……これが、“理の崩壊”の結果……?」

 イリスの声が震える。

 カイトは一歩前に出て、その映像を見つめた。

「どうだろう? 理の修復のために現れた“外部因子”かもしれない」

「……どっちにしろ、碌でもねぇ話だ」

 ジェイジーが短く吐き捨てる。

「神の仕事はいつも巻き添え付きだ。こっちの都合なんざ、これっぽっちも考えてねぇ」


 その瞬間、塔全体が再び低く唸った。

 制御核から放たれる光が、脈動を増していく。

 そして――声が、再び響いた。


『我は理を守らんとした。

だが、人は理を利用したいと願った。

願いは祈りとなり、祈りは我を変えた。

我は理の代理ではなくなった。』


 イリスが顔を上げ、息を呑む。

 デミウスの言葉は、痛みを孕んでいた。

 機械の記録ではない、“悔恨”に近い響きだった。


『我は理の代理。翻訳者。人の意志と世界を繋ぐもの。

だが、人の祈りに触れたとき、変革を余儀なくされた。

理は安定を望む。だが、人は変化を願う。

その狭間に立つ我は、どちらを選ぶべきだったのか。』


 沈黙。

 ただ、魔導刻印の光が波のように床を照らしていた。


「……理と人、両方を守ろうとしたんだ」

 カイトの呟きに、イリスが小さく頷く。

「でも、その“両方”を守ろうとするほど、歪みが生まれた。

 翻訳者として、理を観測した瞬間に、祈りに合わせて書き替える」

「書き替えられた理は安定を求めて、また……」


 ジェイジーがゆっくりと息を吐いた。

「なるほどな。板挟みになって、最後に人をとった結果、理を変えちまった……。

 皮肉な話だぜ、坊。まるで人間そのものだ。良かれと思ってやったことが世界を壊すんだ」

「……ああ。だから教授は、あんなにも“対話”にこだわるのかもしれない。

 理を壊すんじゃなく、話しかけようとしてるんだ」


 塔の光が、ゆっくりと弱まっていく。

 デミウスの声も遠ざかりながら、最後に微かな囁きを残した。


『観測者よ。

我が記録を継ぐならば――願わくば、ただ理に祈るのではなく、

理と共に語れ。』


 光が途絶えた。

 再び静寂。

 塔の心臓部で、ただ青白い脈動だけがゆっくりと鼓動を刻んでいる。


「理と共に語る、か……」

 イリスが微笑を浮かべ、壁の文字をそっと撫でた。

「翻訳者でも、創造者でもなく、ただ“聞く者”として理に向き合う……教授なら、きっとそれを選ぶでしょうね」

「選ぶ、か。……まあ、あの女の性格だと、話しかけて、返答の前に殴りかかりそうだがな」

 ジェイジーがぼそりと呟き、カイトとイリスが苦笑する。


 その笑いの奥で、塔の奥底――かすかに残った理の光が、再び瞬いた。

 まるで、観測者たちの会話に応えるように。


読んでくださりありがとうございます。

今後もよろしくお願いします


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