33. 書架の森にて
昼下がりのアーカム・ネリア。
学園通りを抜けると、石畳の先に小さな商店街が広がっていた。
魔導具店や紙屋、そしてカフェが並ぶ通りには、研究者と学生が行き交い、穏やかな風が吹き抜けている。
「この時間帯は本屋が空いてるんですよ」
イリスが軽やかに歩きながら振り返る。
「昼食後の学生は大体寝てるか、図書棟にこもってますから」
「……それは教授にも当てはまるな」
「間違いなく。その筆頭ですね」
二人の笑い声が、通りの陽だまりに溶けていく。
やがて辿り着いたのは、〈書架の森〉と呼ばれる大きな書店だった。
天井まで届く棚が並び、古書と魔導書の香りが入り混じる。
魔法の光球が棚の上を漂い、読者の視線を柔らかく照らしている。
「おぉ……本当に“森”だな」
「ここ、噂では教授が学生の頃から通ってるらしいですよ。誰も教授の年齢を知らないんですけどね。店主さんともすごい古い顔なじみで。」
「つまり、教授の未払いが溜まってるパターンか?」
「……たぶん」
その瞬間、店の奥から低く張った声が響いた。
「ふん、あたしの店ではツケなんて許してないよ」
白銀の髪を揺らしながら、ゆっくりと姿を現したのは一人の女店主。
尖った耳と、わずかな皺を刻んだ、しかし年齢を感じさせない美しい顔立ち――老エルフだった。
「あははは……すみません」
気まずそうに苦笑いをするイリスとカイト。
イリスは棚をすり抜けるように歩き、ある一冊を取り上げた。
古代言語で書かれた、理論魔導の書。
「これ、ヘルダム・シンの碑文と似てる書式なんです。解析に使えるかもしれません」
彼女の指先が、ページの刻印をなぞる。
その仕草がどこか儀式めいていて、カイトは無意識に息を潜めた。
「……文字って、祈りに似てるよな」
カイトがぽつりと言うと、イリスは目を瞬かせた。
「祈り、ですか?」
「あぁ。言葉を通して“理”へ触れようとする。
たとえば教授は理を分解して理解しようとするし、イリスは言葉の形から理を感じ取ろうとする。
でもどっちも、世界に対して“こうあってほしい”って語りかけてる気がするんだ」
イリスは少し考え、静かに笑った。
「面白いですね。学問も、祈りも、理を安定させる手段……」
「つまり、教授も祈ってるってことだな」
「うわ、想像つかない」
二人は吹き出した。
本を選び終え、外に出ると、午後の風が通りを包んでいた。
イリスは腕に抱えた書籍を抱き直しながら言う。
「次、あっちのカフェ行きましょう。教授が『唯一、味覚が死なない店』って言ってたところです」
「……それ、褒めてるのか貶してるのかどっちだ」
「両方です」
カフェ〈ミネルヴァ〉のテラス席で、カイトは湯気の立つ紅茶を口にした。
イリスは隣でノートを開き、買ったばかりの本をまとめている。
街のざわめきが遠くに溶けていく午後。
ヘルダム・シンで見た青白い光が、ふと脳裏をよぎった。
「ねぇ、イリス」
「はい?」
「理って、俺たちが観測するたびに少しずつ“形”を変えるんだろ?
もしそうなら、君が書いてるノートも、世界の形を変えてるのかもな」
イリスはペン先を止め、わずかに微笑んだ。
「なら、優しい形に変わってくれるといいですね」
柔らかな風がページをめくり、陽の光が二人の間にこぼれる。
穏やかな午後の時間が、ゆっくりと流れていった。
――その静けさの奥で、世界はまたひとつ、形を変えようとしていた。
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