1.罠は踏み砕くもの
不自然なほど整然と削られた岩壁。
等間隔に取り付けられた魔導ランタンが、青白い光で通路を照らしている。
磨き上げられた鉱石の床、その上を――三人の影が駆け抜けた。
「なんで、こんなことにっ!なってんだよっ!」
悪態をつきながら、青年はひたすら走る。
焦りを抑え、転ばぬよう足を運びながら、頭の片隅でただ一つ――“死にたくない”を繰り返す。
後ろを振り返れば、通路を埋め尽くすほどの巨大なスライムが、床石を溶かしながら迫ってきていた。
逃げても追いつかれる。
それを理解しながらも、諦めてここで足を止めるなんて選択肢はなかった。
「いやぁ、すまないね。まさか、あれが罠だとは思わなかったんだよ」
前方で軽やかに笑う女――マチルダ・ハートランド。
人族最強のひとりにして、脳筋の権化。
彼女の後ろで、イリス・シュミットが叫ぶ。
「どう見たって罠でしょ!? なんでマチルダさんはいつも、あからさまなスイッチを踏むのよ!?」
「踏んでみないと、わからないだろう?」
「わかってくださいよっ!」
焦げた匂いと共に、後方で床が崩れる。
熱風が吹き抜け、スライムの粘液が波のように迫ってくる。
「カイト君!迅速をかけるから、絶対転ばないで!
――“カーク・ヴィント”!」
詠唱と共に、青年とイリスの体が淡く光に包まれる。
風が脚を押し、速度が一気に上がった。
だが、横を見れば――
「……あれ? 私の分は?」
素の身体能力のまま、二人に追いついてくる元凶。
その顔に浮かぶのは、どこか楽しげな笑みだった。
(おかしい。この人、笑ってやがる……!)
そして青年――カイトは、改めて思う。
――どうしてこうなった。
ーーーーーー4ヶ月前ーーーーーー
うだるような暑さに包まれた夏の午後。
静まり返った団地の一室で、カタカタとパソコンのキーボードを打ち込む音が響く。
「……これで、終わりっと……あー、疲れた……
これを保存して、教授に送って、後はチェック待ちっと」
どこにでもいる大学院生、丸山海斗。
彼は今、ついに修士論文を終えたばかりだった。
仮説が外れ、機械は壊れ、教授は課題を増やし、データは消えた。
学部生のフォローをし、酔っ払った同期の介抱をし、ときに一緒に倒れ。
それでも諦めず、何とか書き上げた。
だからこそ、今は自分を褒めてやりたかった。
「ご褒美、買いに行くか……」
気の緩み、それが油断の始まりだった。
部屋を出て、階段を降りようとしたその瞬間――なんでもないところで足を滑らせた。
「あっ」
手すりを掴もうと咄嗟に伸ばした手が、空を切った。
いや、違う。すり抜けた。
「は?え、ちょ……なんっ!」
困惑と一瞬の浮遊感の後に、落ちていく身体。
床にぶつかる寸前に、重力の感覚が消える。
視界が暗転し、音が遠のき、世界がノイズ混じりに崩れていく。
落下ではない。沈降。
黒の海に沈むような、終わりのない感覚。
やがて、一筋の光が現れた。
その光が彼の全身を包み、次の瞬間――
「うわああぁ……!? はっ、ここ……森?」
湿った空気、知らない木々、虫の鳴き声。
階段を踏み外し、落ちた先は見知らぬ森だった。
読んでくださりありがとうございます。
初投稿です。頑張ります!
次回もお時間をいただけると嬉しいです。




