01 仮置き令息の婚約解消と新たな婚約
私は、アーヴィン・エイジア。
この国の伯爵家三男で、第一王女の婚約者。
つい先程、契約に基づいて解消したばかりだが。
目の前にいる元婚約者の王女マリーシャは、晴々とした顔で新しい……否、長年望んでいたランドル・ルベルク公爵令息と見つめ合っている。
「アーヴィン・エイジア伯爵令息よ。長年に渡る仮染めの婚約、ご苦労だった。立場を弁え、しっかりと代理を勤めたと聞いておる」
……そういう事だ。
ランドル様の生家であるルベルク公爵家は、元は王族派の筆頭で、先代は宰相を勤めていた。そのため、ランドル様は幼い頃から兄と共に父に付いて城に上がり、その際にマリーシャ様と出会う。
双方、一目惚れだったそうだ。
マリーシャ様は柔らかい金色の髪に、宝石のような赤い目を持つ美女。ランドル様も少し濃い金髪に新緑に似た緑色の目を持つ美男。並ぶとそれはそれは絵になる。
マリーシャ様とランドル様の仲は貴族の間では有名で、まだエスコートの叶わない二人がそれでも夜会で目配せする様子や、バルコニーで密かに逢瀬する様子は、若い婦人を良い意味で楽しませていた。
だが、二人の婚約が結ばれると思われたその矢先、ルベルク公爵夫妻が不運な事故で亡くなってしまった。
喪が明けた後に発表された遺言により、嫡男が成人するまではルベルク公爵の弟……兄弟にとっては叔父が二人の後見人兼公爵代理を勤める事になった。嫡男であるランドル様の兄が成人し公爵家を継いだ後、叔父にはランドル公爵がいくつか所有する領地の一つと新たな屋敷を与えるという文も添えられていたという。
しかしルベルク公爵代理は、貴族派筆頭の公爵家と懇意になり、ルベルク家は王族派筆頭から貴族派に寝返った。元から彼は貴族派の人間だったからだ。
もちろん、マリーシャ様との婚約は無かった事になる。王としても敵になった者を懐に入れたくはなく、逆に内部に入り込む予定だった公爵代理は表向き王命を了承した。
そうして、派閥の対立によって引き裂かれた不幸な恋人が誕生したわけである。
次男であるランドル様は独り身を貫き最愛の人を待つ事は可能だが、マリーシャ様は王家唯一の子であるため女王として王位を継ぐ事が決まっている。つまり彼女の方は、生涯独身を貫く事も、王位の放棄も叶わない。
実際にランドル様との縁がなくなった瞬間から国内外の貴族からあからさまな接触が増えた。彼女の伴侶は「王配」になるのだから当然だ。
だが、マリーシャ様はランドル様以外認めない。
ランドル様もマリーシャ様を諦めない。
そこでどうなったか。
ランドル様の兄は、できる限り叔父の動きを抑えながら、成人して正式にルベルク公爵となった後に貴族派から王族派に戻ると王に密かに約束し、マリーシャ様とランドル様は結ばれる日を待つと決めた。
だが、その間マリーシャ様に婚約者がいないのは、事情があるとしても体裁が悪い。それに婚約者の不在を利用する輩もいる。
そのためマリーシャ様の婚約者に適当な子息を仮置きしようとなった。
その適当の条件が、不測の事態が起きた場合に権力と金で握り潰せるよう国にとって重要な家ではなく、だが一応王配になる事も考えて伯爵家以上。
面倒のないよう王族派か中立派の家である事。
三男か四男。
学業が苦手なマリーシャ様を引き立たせるためそこそこ賢く。
見た目は万一マリーシャ様が心変わりしないように地味な男児。
派閥間の諍いが面倒だという理由から中立で、地方に領地を持つ伯爵家の三男、学生時代の成績は中の上、見た目は黒髪に地味な顔立ちの私は、全て当てはまった唯一だった。
王命とあっては末端の伯爵家は拒否などできず、私が十歳の年に、七歳になったマリーシャ様の仮置きの婚約者となった。
……これで分かっただろう。
私が、いきなりきらびやかな壇上に上げられた、端役にもなりきれない、ただの厄介者だという事が。
始めはまだ良かった。
私の機嫌を損ねて婚約を解消するか仄めかされては面倒だし困るからと、子ども相手にしてはやけに丁寧に接してもらえていた。
だが小さい頃の私には権力に抵抗する勇気もなく、それを悟り始めた周囲は、あからさまに私を蔑ろにするようになる。
その最たる存在が、他でもないマリーシャ様だ。
美しく儚げな彼女の内面は、我が儘で気が強く、私はよく三つ年下の彼女に肉体的にも精神的にも暴力を加えられた。
特に機嫌が悪くなるのが、夜会だった。
隣に立つ地味な私が周囲から失笑され、ランドル様に群がる貴族派の女に嗤われる。ダンスも一番始めに踊るのだが、いつも器用にヒール部分で何度も足を踏まれていた。私の足の甲にはまだ痛みと痣が残っている。
彼女の八つ当たりはそれで終わらない。
夜会の次の日には必ず私の王配教育の場に現れて、なっていない、と教師の代わりに罵りながら鞭を振るう。王族派の教師に至ってはそんなマリーシャ様を「多忙な中わざわざ時間を作って不出来な仮置き婚約者を律する立派なお方」と褒め称える。
王配教育が完了した後は、マリーシャ様の執務の手伝いをさせられ、ねちねちといびられ、ストレスの捌け口にされた。
それでも堪え忍んだ十五年。
ルベルク家嫡男の成人から数年経ち、紆余曲折を経て公爵家の権限は叔父から嫡男の手に戻り、貴族派の情報を手土産に王族派へと戻った。
そして今日、二十二歳になったマリーシャ様と、二十四歳になったランドル様は、晴れて正式に婚約が結ばれた。
私が、見た目だけ美しい暴君から解放される日でもある。
さてここで問題なのは。
二十五歳になった、取り柄もない私の婿入り先。
契約書には、確かに「婚約解消時に未婚の女性を候補にする」とあったが……。
集まったのは下から、五歳、十二歳、十九歳、二十二歳、五十八歳、七十三歳の、王族派と中立派の令嬢。
成人前の令嬢は分かるが、私より年上の二人は、恐らく夫を亡くされた未亡人だろう。彼女達も王家の言う「未婚」に入ったらしい。
とりわけ酷い顔をしているのは、ランドル様の婚約者候補としてあげられていた、この場で唯一貴族派の令嬢。
マリーシャ様と同い年の彼女は学生時代から何かと対立していたという。しかも拒絶するランドル様にしつこく纏わり付いては、嫉妬で怒り狂うマリーシャ様を見て嘲笑って遊んでいたのだ。
その意趣返しとしてマリーシャ様は、彼女に私を下げ渡すと言い、不要だと親子で反発しているため現在場の空気が悪い。
誰かに褒められるような秀でたものも無い、ただの男だ。仕方無い。
伯爵を継いだ兄に頼んで除籍してもらいどこかへ放浪でもしようか、と考えていた時、一人の令嬢が王に発言の許可を求めた。
細身の令嬢が多い中、小柄で少しふくよかで、緩く一つにまとめた茶色の髪は癖毛らしくふわふわしている。丸顔で、作りも丸くぽってりとした印象を受ける。二重の目は、赤みがかった黄色で、夕焼けを思い出す色だった。
何というか、女性というより母性を感じさせる令嬢だった。……さすがに女性を、しかも年下をそういう目で見ないが。
それとは別に私は、どこかで見たような、と気付いた。
ぼんやり考えていると、王から許可を得た彼女はこの場を驚かせる発言をする。
「カランド辺境伯家長女リュシアと申します。是非、私の婿としてエイジア伯爵令息様をお迎えしたいのですが、宜しいでしょうか」
「……え?」
私が返事する前に、何故か貴族派の令嬢が「是非!」と答えた。君は私の何なのだろう。
だが他に異論が無かったため、私はリュシア様と婚約を結ぶ事が王命で決められた。
「宜しくお願い致します。後程エイジア伯爵様の元にもこちらから書面をお送りいたします」
「はい、こちらこそ、宜しくお願い致します。……ああ、思い出しました。去年の秋の大夜会で……私がハンカチを渡した方ですよね」
近くで見て、ようやく思い出した。
昨年の秋に催された夜会。
その会場の端で顔を真っ青にして侍女に支えられていた令嬢が目に入った。マリーシャ様は必要無いとばかりに私を放置していたから、給仕に水をもらって声をかけたのが、彼女だった。
侍女は突然声をかけた男に警戒したが、私の素性を明かしてハンカチを差し出すと、少しばかり警戒を解いた。
酒の匂いに弱いらしく、今夜は今年収穫されたブドウのワインがあちこちで振る舞われていたのでそれで酔ったのだろう、と侍女が言ったため、私は二人に帰るようにすすめた。
王家主催の夜会を途中で抜け出す事を気にしていたので、大丈夫だと言って、遠慮する令嬢と侍女をどうにか会場から帰した。
王族ではないが一応王女の婚約者という立場であったし、私が起こした行動は如何なる理由があっても絶対的に私に非があって責められる事になっている。という事までは言わなかったが、実際そうなので、途中退場でお咎めがっても彼女達には行かないだろうと確信していた。
……まあ、気にされてないから、私にも何も無かったが。
私に言葉に、一瞬ぱっと目に赤みが増したように見えたが、リュシア様は柔らかく笑んで
「はい。あの時はありがとうございました。ハンカチは……洗っても白粉が取れなかったので、新しいのをご用意したのですが……お返しする機会が無く……」と、少し顔を曇らせて俯く前には色が戻って見えた。光の加減で赤く見えたのだろう。
「気にしないで下さい。私こそ、馬車乗り場までお送りできず、申し訳ありませんでした」
「いえ、そんな……」
「まあまあ! 二人は運命の出会いをされていたのですね! ならば引き裂くわけにはいきませんわね!」
嬉しそうにそう言ったのは、貴族派の令嬢だった。自分に押し付けられないから安心したのか、表情が令嬢らしからぬ緩み具合だ。
貴族派の言葉だからか表立って同意はしないが、他の令嬢も保護者もどこか安心したような表情をしている。
……ああ、なるほど。
リュシア様はどうも損するタイプの優しい性格のようだ。
私が厄介な余り物で、皆が押し付け合っていたから、名乗り出てくれたのだろう。
しかも私がハンカチを渡した事が却って仇になったようだ。大した事ではないのに、恩義に思ってしまったのかもしれない。
まだ十九の少女に気を遣わせてしまい申し訳無い気持ちでいっぱいになったが、縁ができたからには良い関係でありたいと思い、とりあえず、隣でそっと不安げにこちらを見上げるリュシア様に、ぎこちなく微笑んで見せた。
何故か皆が黙ってしまい、マリーシャ様に至っては「お前……そんな顔ができたの……」と低い声で呟いていたので、どうやら酷い笑顔だったらしい。
やはり私の笑顔はマリーシャ様に初対面で指摘されたように見るに堪えないようだ。しかもずっとマリーシャ様や周囲には見せないように気を付けていたから、尚更下手になったらしい。
……これからはリュシア様が気に入るような笑顔の練習をしなければ……。