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ずれた価値観

おかしくなった家族の中で唯一まともな感性が残っているブライス。



「坊ちゃま! お帰りなさいませ……奥様は、ご無事のようですね」


 ご無事という前に僅かに執事の声に途切れがあった。無事というには躊躇われるくらい、服装は乱れていた。

 目立つ怪我はないが、お世辞にも正常な精神状態とは思えない。ぶつぶつとアリスのことだけを呟き続けるソフィアは異様だ。

 最初はときどき話が通じない時があるくらいだったが、どんどん悪化している。

 とりあえず、ソフィアを自室に戻るように促して、イアンに会いに行く。

 部屋の前まで行き、ノックをするが返事はない。


「父様? 母様の件で少々相談したいことが」


「……入れ」


 低く唸るような声だ。機嫌が悪いのが、顔を見なくともわかる。

 前までは神経質に撫でつけられていた銀髪に艶がなく、白髪に見える。赤い瞳は精彩無く淀み、顔色も悪い。深酒が増え、不摂生も理由の一つだろう。

 心なしか着ている金の房飾りのついた深紅色のハーフコートやシルクの白シャツまでくすんで見えた。

 以前のイアンはブライスに当たることはなかった。その前に、別で当たり散らして嫌味を吐き出していたからなのだろう。

 今になって、この家の歪さ分かる。

 一方的に役割を押し付けられ、努力を正当に評価されない。円滑に手を回すのが当たり前に思われる。

 心は窮屈で、居心地の良さなんてどこにもない。

 以前ならこの時間なら家族五人で食卓を囲み、なんてことのない話をして――その日常は、遠い夢幻のようだ。


「ソフィアがどうかしたのか? いや、それより今日はどうだった? バンテール侯爵に取り次いでもらえそうか? ソリオ子爵家との事業の話は……」


「それよりは母様です。また部屋を抜け出し、また若い女性をアリスと勘違いして連れ帰ろうとしていました。今日は金茶髪にも見えないほぼ黒に近いような髪色の平民に話しかけていました。母様は一度療養させたほうがいいかと。田舎の別荘にでも……」


「またその話か。それはおいおい考える。それより事業は? 融資してくれそうな提携者は見つかったか?」


「それは……」


 やや強引にソフィアの話を遮ったイアンは、社交の結果を聞いてくる。口籠り首を横に振るブライスに、イアンはますます不機嫌になった。

 ブライスの望む結果は何一つ得られなかった。

 露骨に失望の滲む視線に晒され、ブライスも居心地が悪い。そんな目をするなら、イアンが行けばよかったのに、本人は執務があると家に残った。そこにいても事業や融資のお断りの手紙に囲まれて不機嫌になるばかりだ。


「ダメか……もう王都の、いや、国内の貴族にあてはないのか?」


 沈痛な面持ちのイアン。

 ユフィリアを嫁がせることに引き換えで得た資金は、底をつきかけている。アリスがいた頃の散財だけでなく、その後の事業に不振が続いている。

 それだけでなく、今年の領地では獣の魔物が荒らしたせいで主産業の小麦が大打撃を受けた。収穫直前の小麦を食い、農地を踏み荒らして領地で消費する分すら賄えるか微妙な線だ。

 事業で挽回しようにも、新たな話を立ち上げても誰も食いついてこない。


「今年は番様とやらの輿入れがあるとかで、輸入品の人気はゼイングロウ製品ばかりだ……」


 交易事業でメーダイルの宝石や織物を入手したが、売り上げは今一つだ

 安定した需要があると踏んでいたが、ここ数年メーダイルの商品の人気が続いていた分、飽きられているのだろう。真新しさを感じず、今年に流通が増えたゼイングロウの独特な模様や品に市場を奪われた。


「ユフィ……そうだ。あの子はゼイングロウにいるんだ」


 ふと、何をいまさらなことを呟き出した。

 ユフィリアの嫁ぎ先をしっかり確認しなかったから、今の境遇があるともいえる。

 数か月前にミストルティン中の貴族令嬢が集められて、秘密裏に行われた『番探し』。当初、番探しは難航していた。半分あきらめムードが漂い始めていた頃、見つかった。

 番探しは伏せられていたが、宮中で盛んにおこなわれるお茶会や舞踏会。ゼイングロウからの使者が滞在している情報から、噂は出ていた。

 イアンはゼイングロウという大国は評価していても、獣人は見下していた。なので、噂される番探しも下らないと一蹴していたのだ。興味が持てなかった。

 まさか、蔑ろにしていた長女のユフィリアが選ばれるなんて微塵も考えていなかった。

 唐突にアクセル公爵家と王家からの圧力があり、エリオスとの婚約を白紙に。そしてすぐさまユフィリアをゼイングロウへ嫁がせるように要請された。

 その性急さに驚いたが、結納金に目が眩んで特に考えずに許可したのだ。

 ユフィリアが番に選ばれ、ゼイングロウ皇帝の寵愛を一身に受ける身となったことなど、知りもせず。

 目先の金に囚われ、ろくに確認もせずユフィリアを言われるがまま差し出した。

 その姿が、王侯貴族からどれほど滑稽だと呆れられていたかなんて、その時は予想すらしていない。

 金の卵を産むガチョウを、ろくに懐かせもせず粗雑に捨てたようなものだ。

 当然ゼイングロウの皇帝はその様子から、ハルモニア伯爵家に良い感情を持たなかった。婚約者となったユフィリアへの溺愛は、隣国のミストルティンにまで響いているのに、一切の交流がない。

 逆に今も交流が続いている親友のマリエッタ。彼女の家、バンテール侯爵家は凄まじく羽振りが良い。毎日のように社交界へのお誘いや、事業の話が寄せられているそうだ。


「ユフィは次期皇后なんだろう? 皇帝の寵愛を受けているそうじゃないか。あの子は愛想がないが、美しいからな。外見に飽きられてしまう前に、繋いでもらおう。なんとか資金の用立てを頼めばいいじゃないか……!」


「父様? 何を言っているのですか。ユフィを嫁がせた時の我々の対応は褒められたものではないでしょう。また顰蹙を買ったらどうするのですか?」


 小国の没落しかけた伯爵家と、隆盛した大国の皇帝。戦いにすらならない。

 一睨みされただけで、ハルモニア伯爵家は木っ端微塵にされる。ただでさえ悪い評判が、底に叩きつけられる以上に落ちるだろう。


「そこを何とかするのがユフィの役目だろう! 勉強ばかりで小賢しさが取り柄なんだ! そういう細かいことはユフィにやらせればいい!」


 怒鳴り散らし、机を拳で叩きつけたイアン。飛びかけた書類を殴りつけるように押さえたが、力が入ってぐしゃぐしゃに潰してしまう。


(……確かに、まだ輿入れはしていない。ユフィはまだ戸籍は伯爵令嬢だ)


 だが、その身柄はすでにこちらにない。文通すら難航しているのだから、対話するのはもっと難しい。

 イアンができるのは勘当すると脅すくらいだろう。だが、勘当したとしても、ユフィリアはそのままゼイングロウで皇族として生活が保障される。

 イアンが何を言おうと、ユフィリアの将来には関係ないのだ。

 皇帝が婚約者を溺愛していると有名だ。ブライスにすらそれだけ分かっているのに、イアンは理解していないのだろうか。それか、理解したくないのかもしれない。

 発言が支離滅裂すぎる。利益に貪欲で警戒心が強い父親が、急激に愚かで浅はかに見えてきた。


「手紙を出しても、ろくに返事もしない。なんて親不孝な娘だ。アリスのことだって、ユフィが上手く立ち回っていれば何とかなったはずだ」


 そんなわけがない。いつだって姉を羨み、敵対心を燃やし、幸せになることを妨害してきた妹だ。

 イアンやソフィア――違う。ユフィリア以外の家族全員で増長させた強欲な子供。ユフィリア以外、アリスの悪癖や暴走を止めなかった。

 可哀想なアリスと繰り返して誤魔化していた。

 いまさら嘆いても仕方ないとブライスは首を振る。自分だってイアンやソフィアのことを言えた義理ではない。

 ユフィリアがいなくなって、ようやく気付くような鈍感さだ。見て見ぬふりをした結果が、ユフィリアが予定より早く家を出たから露見しただけ。

 最初から、ハルモニア家は歪んでいた。


「ゼイングロウへ行くぞ。近々、ユフィの結婚式があるんだろう? 国王夫妻も出席するそうじゃないか。親族の我々が行くのも当然のことだ」


 イアンの唐突な言葉に、ブライスは咄嗟に聞き返した。


「は? いえ、その……随分早いですね。婚約して半年も経っていないのでは?」


「ゼイングロウの皇帝の強い要望らしい。そうだ、最初からそうすればよかった。直接言えば、ユフィだって逃げられない」


「招待状は来ているのですか?」

 

 あれだけ手酷くユフィリアを見捨てたのに、と。その言葉は飲み込んだ。完全に、どの面下げてという状況だ。

 そう言いたいが、言えない。異様な父親の雰囲気に、言葉が出ない。

 急に上機嫌になりながらも、赤い目を爛々と血走らせるイアンに気圧されていた。


「ブライス。お前も用意しろ。ソフィアも連れて行こう。ソフィアもアリスとの思い出が多いこの地にいるのは辛いだろう。似ても似つかない異国なら、思い出すこともなくなるはずだ。獣人相手なら、無暗に連れ帰ることもしないだろう」


 妙案だと意気揚々としゃべり出すイアンはひたすらに不気味だ。

 言っていることは身勝手で、騒ぎを起こすソフィアを排斥しようとしている。三人の子をもうけ、二十年以上寄り添ってきた妻への仕打ちじゃない。

 イアンの計画は療養ではなく、追放ではないか。


「父様! これだけは答えてください! 招待状は!?」


 相手は皇帝だ。いくら親族でも、いきなり押しかけてよいはずがない。ただでさえ関係はこじれているのだから、慎重に動くべきだ。

 何かしらの誘いがあった前提でないと失礼になる。


「家族に会いに行くのに、理由なんているか?」


 心底不思議そうに言うイアンに、ブライスは顔を青ざめさせる。

 一緒に行ったら、ブライスも非常識な無礼者扱いをされる。ゼイングロウを出禁になるかもしれない。

 同時に、この暴走している両親を放置するのは危険すぎるのも分かっていた。

 ふらふらとおぼつかない足取りで、イアンの部屋から出ていく。そんなブライスを、執事は心配そうに見ていた。


(どうする? ゼイングロウに、この状況で? あの父様と母様を?)


 切羽詰まったイアンと、正気かも怪しいソフィア。どちらも何をするか分からない。

 ブライスは迷ったが、目の届かないところで暴走されるよりましだ。


(母様は療養させたいが……今の父様は何をするか分からない。二人とも様子がおかしい)


 どうしようもない不安に苛まれながらも、ブライスはこの状況の打破ができない。活路が見いだせず、流されるしかなかった。

 ふと、思う。

 いつも背筋を伸ばし、何ら苦労を感じさせずに澄ました白皙の美貌。

 完璧令嬢、淑女の鑑と言われた自慢の妹。

 美しくはあったが、いつも冷ややかで家族と距離を取っていた。


(……昔からそうだったっけ? いや、むしろ良く笑う愛嬌のある子だった)


 アリスなんかより、ずっと天真爛漫で人懐っこい。動物や植物、好物にも興味津々で忙しない。

 傷ついた動物を見つけると、治るまでと両親にねだって手当てするような子だった。

 猫、犬、鳥。どこから拾ってきたのか、鹿なんかも見つけてきた。

 年齢が上がるにつれて、両親が厳しく叱るようになった。それからは庭師の小屋に隠して保護していたものだ。

 ユフィリアは本当に優しい子だった。

 いつから、あんな冷めた目をするようになったのだろう。

 気づいてはいけない何かを見つけてしまった気がして、ブライスは慌てて自室に戻るのだった。





読んでいただきありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
親を(軟禁/監禁含む)処分する強さがあればまだ救われたのに。兄ちゃん。君も親の被害者でもあるからな。
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