狼、玉砕
入り込む隙間ゼロ
ユフィリアは自室で勉強をしていた。
一級錬金術士の試験もそうだが、結婚式も近づいている。
ユフィリアは衣装合わせをメインで、式の段取りは伝統に倣っているのでそこまでやることはない。
隙あらばヨルハがお色直しを増やそうとしてくることくらいしか、困っていなかった。
(さて、と。そろそろお茶の時間ね。結婚に向けて美肌強化ブレンドにしたから、お肌の調子が良いんだけど、ヨルハ様も輝きを増しているのよね……)
立ち上がった一瞬、足元が揺れた気がした。
怪訝に思い周囲を見渡すが、特に変化はない。
機能美と優雅さを両立させた調度品に、独特の細工模様が施された丸窓、深みのある板目の床。
部屋の隅々までリス妖精たちが毎日綺麗に磨き上げているので、埃一つ落ちていない。
(気のせいかしら?)
その後、何事もなくティータイムを楽しみ、ヨルハを宮殿まで見送って工房に向かう。
水上の御殿がヨルハの仕事場だ。ゼイングロウのトップとして決済をし、会議にも出席している。最近は婚儀関連の仕事で詰まっているそうだ。
途中、そろそろ天日干していた薬草を回収していいかと畑へ向かう。
扉を開くと緑のパラダイス――ではなく赤い。なんか血まみれの人型が落ちていた。
ユフィリアは絶句し、お手伝いのリス妖精は「キューッ」と悲鳴を上げた。
「あら? もしや、以前お会いしたグレン様?」
血まみれでもその褐色の肌と、朱金の髪には見覚えがあった。相変わらず着崩しが目立つ装いで、胸板が見えている。
「よ、よぅ……ちょっと番サマに会いに来たら、運悪く梟野郎に見つかっちまって。
やっぱ別嬪さんだなぁ。……なあ、姉とか妹いる? 似てる? 美人?」
「妹はいますけれど、婚約済みなのでご遠慮願います」
エリオスと婚約したらしいが、割れ鍋になんとやらである。
しかもアリスは気が多く飽きっぽい、一見すると美男子のグレンに靡く可能性がゼロじゃないのが嫌である。
「ふーん、じゃあ俺の彼女にならない? ヨルハみたいな不愛想より、俺のほうが楽しいコトい~っぱい教えてやるよ」
「無理です。遠慮します。お断りします。」
グレンが強引にユフィリアの腕を引き、顔を近づけてニヤリと笑った。
きっと彼は自分に自信があるし、ユフィリアのような大人し気な女性は陥落すると思っているのだろう。
そういうところがとてもエリオスそっくりで、本当に無理である。
リス妖精が周囲をうろついている。グレンを止めたいのだが、方法が分からないのだろう。
ユフィリアの目に、リス妖精の手にあったザルが見える。乾燥させていたゼインアロエである。それをさっと抜き取った。
「な? ……いいだろ? ちょっとくらい」
「だから、嫌です」
全然よくない。
ユフィリアがゼインアロエを握りしめ、容赦なくグレンの口に突っ込んだ。
乾燥させた花びらで中和していないゼインアロエは激苦である。
声ならぬ悲鳴を上げて、グレンの体が反った。口を押えて謎の呻きを漏らしながら、地面をゴロゴロと転がる。
半べそになって井戸に駆け寄り、えづくグレンがちょっと可哀想になってきた。
アロエは乾燥させたので苦みが凝縮されているし、僅かにあった湿り気と粘りで口の中にくっついたようだ。苦みが消えずにずっと口をゆすいでいる。
「うう……苦みが消えねえ! まっず! あ、でも口の中の痛みはマシになったな」
「それは良かったですね。はい、どうぞお茶です」
マグカップを片手に戻ってきたユフィリアは、グレンにお茶を渡す。
基本、女性からの物は拒まないグレンは受け取ってそうっと口に運ぶ。すると、含んだ瞬間に口の中で猛威を振るっていた苦みが流れた。
「うっそ、苦くない! なんかちょっと甘い!」
「ゼインアロエの花びらも入ったお茶です。苦みやえぐみを取ってくれるんです」
感動しているグレンは「へーっ」とカップを引き続きカップを傾けた。
その間にユフィリアはグレンの血を拭いて、清潔にした患部を確認してから塗り薬を取り出す。傷口を覆うようにたっぷり塗り、その上にガーゼで保護、そして動かないように包帯で止める。
(傷は鋭利な刃物による裂傷、および切り傷ね)
きっとヨルハだろう。一見普通の手なのだが、彼の意思次第で爪が鋭くなる。
初対面でユフィリアをナンパしようとしたグレンを警戒しているヨルハ。彼が近づくと過剰に反応して追い払う。
「今日はお風呂に気を付けて患部は濡らさないように。明日にはかさぶたになるから、そうしたら包帯とガーゼは外していいですよ。
もし熱を帯び、患部が水っぽく化膿するようであればこちらの薬を塗ってなるべく風通しの良い清潔な状態を保ってください」
ユフィリアが説明しながら薬を渡そうとすると、その手を掴んで両手で包み込むグレン。
またナンパかと思ってアロエを握ろうとしたが、今度はへらへらした顔や悪ぶった決め顔ではなく、感動したように目を輝かせていた。
その深紅の瞳に劣らず、グレンの頬が染まっている。
「ここまで誘って、俺に靡かなかった女の子は初めてだ……それに、こんな風に、叱ってくれる子も」
だから何だって言うんだ。
治療の手を止められ、ユフィリアは真顔で苛立ちを耐えていた。目立つ頭部の傷に処置しただけで、まだ細かい傷は残っているのに。
「ユフィリア! 本気だ! 本当に俺の彼女になっ――」
「ぶっ殺すぞ、糞犬」
グレンの人生において、初めての本気の告白はヨルハに遮られた。
ついでにヨルハの恵まれた体格から放たれた蹴りは、見事にグレンの体を浮かせ遠くへ吹き飛ばした。
見事な放物線を描いて消えていくグレンを一瞥し、小さく舌打ちするヨルハ。
グレンとは幼馴染というより、変に関わることが多い腐れ縁なので容赦ない。
昔からヨルハを嫌っているくせに、妙に突っかかってくるのだ。
「……ったく。嫌な予感がしたと思ったら、あの万年発情期」
ちらりとユフィリアを見れば、手に持った薬を見て途方に暮れていた。
そして、もう片方の手にはなぜかアロエが握りしめられている。力強く掴んでいたせいか、ぐにゃりと変形していた。
ヨルハはユフィリア流ナンパ撃退法を見ていなかったので、首を傾げる。
「化膿薬、渡しそびれました」
「リスに頼めば問題ないよ」
「その手がありましたね」
表情を明るくするユフィリア。グレンが蹴り飛ばされたこと自体は気にしていないようだ。
治療中にナンパする余裕があったのだから、ちょっとくらいの流血は平気なのだろう。
むしろ、良いお灸だとすら思っていた。
「変なことされなかった、ユフィ? もっとボコボコにしておく?」
「治療の邪魔をされましたが、問題ないです」
こうして、グレンの本気の恋――初恋は見事に木っ端にされるのであった。
ヨルハはじっと見ていたが、ユフィリアは手にべったり張り付いた干しアロエを剥がすのに手間取っている。
グレンのあの本気の告白に、微塵も感づいていないようだ。
「そんなところも好きだよ、ユフィ」
抱きしめて頬にキスを落とす。
ヨルハは心のままに、感じたままに愛を囁く。
ユフィリアはきょとんとしたが、ややあってはにかみながら俯いた。
彼女がこんなに可愛い姿は、自分だけ知っていればいい。
「そういえば、午後のお仕事は?」
「今日は急遽中止になった。どっかの馬鹿が宮殿の池に魔魚を放ったらしくって、それの捕獲のためにカワウソや鵜の獣人たちが総出で狩ることになったみたいで」
なんだかすごい理由である。ミストルティン王国ではありえないことだが、ゼイングロウ帝国では普通のことなのだろうか。
「旨いからこっそり養殖しようとしたみたい。でも、大きくて結構獰猛な肉食なんだよね。
草食出身の小柄な連中にはすごく危険だから。明日までに捕まらないようなら、俺が出向くけど」
まさかの食用である。
ダントツに強いヨルハにとってはちょっとでかい魚程度だが、リス妖精みたいな小柄で戦いに向かない者にとっては脅威である。
「今日は甘味処に行かない? シンラにお薦めを聞いたんだ。部屋に籠ることが最近多いし、たまには街を歩こう」
思い当たる節があり、どきりとしたユフィリア。
資格試験に向けて、猛勉強中だ。ペーパーテストだけでなく調合もするので、何かと工房に籠りがちだった。
ゼイングロウに向かう前に――婚約アプローチ中にヨルハがたくさんの本を贈ってくれたので勉強は順調だ。
でも、ヨルハには何も伝えていない。
(……大丈夫。ヨルハ様なら許してくださるわ)
そう自分に言い聞かせて、ずるずるとこんなに黙っていた。
むしろ、このお出かけはチャンスだ。一度ミストルティンに行かなければいけないことも伝えなくてはいけない。
勝手に母国に帰ったらヨルハだってびっくりする。
(よし、ちゃんと話しましょう)
やっと覚悟を決めたユフィである。
読んでいただきありがとうございました。




