不思議な薬草
ゼイン山脈から豊富な魔力が流れてくるため、ゼイングロウでしか育たない植物が多数あります。
燃えているユフィリアの背中を微笑ましく見つめながら、リス妖精は時計を見る。紅茶を用意しても良い頃あいだ。
たしか、別のリス妖精が今日はクッキーを焼くと言っていたので、お茶請けに丁度いい。
胡桃のクッキーはリス妖精たちの間でも大人気で、何枚焼いても天板が足りないと言われるくらいだ。
てちてちと厨房へ向かっていくと香ばしい空気がそこら中に漂っている。姿を見る前からお腹が減りそうな、甘い匂い。
無意識に小走りになって、厨房へ飛び込んでいく。
ちょうど、竈のオーブンから天板を持って出たリス妖精が目の前にいた。テーブルに運ぼうとしている途中だったのだろう。
互いに気づいた――ぶつかる。
キィーッと悲鳴が聞こえた。
これは人の声ではない。リス妖精たちの声だ。たまにだが、喧嘩をしたり興奮したりするとこの声が出る。
だが、今回はいつもの比ではない。複数あっただけでなく、遠くまで響く悲鳴なんて一度も聞いたことがない。
「何かあったの……?」
嫌な予感がした。勉強を切りあげて、椅子を蹴る勢いで走り出したユフィリア。
場所なんてわからないのに、飛び出して次々と部屋を見ていく。こういう時、摩訶不思議な精霊の大樹の家は困ってしまう。
間取りが物理法則を無視しているのだ。
「どうしよう。どこで何が起こったの?」
リスたちは家族のように暖かで、親切な妖精だ。
稀に魔物がこちらに来ようとすると聞いたし、まさかあの可愛らしい妖精の誰かが?
その時、手をついていた壁がいきなり消えて、別の部屋に転がり出た。
ふわりと広がる甘い匂い。床の木目に散らばるクッキーと黒い天板。
倒れた二匹のリス妖精のうち、一匹は手を押さえているがもう一匹は明らかに様子がおかしい。
背中の毛皮が縮れて剥げて、真っ赤な肌がむき出しになっていた。
周囲のリス妖精たちはパニックでその辺を駆けまわり、高い警戒音のような泣き声を発している。
リス妖精の火傷の形がやけに角ばっているのに気づいた。
「天板にぶつかったの!?」
「きゅぅ…っ」
力なく頷くリス妖精は、ユフィリアの部屋によくティータイムを告げに来る子だ。
ちらりと見た竈にはまだ赤い炎が燃え上がっている。
(魔力を感じる……ここは精霊の木だから竈の火も特別なのかも。調理で使った天板も、普通より熱を持っていたかもしれない)
特殊な性質を持つ炎に影響されているかもしれない。
普通の天板なら、火傷はしても毛並みでここまで重症にはならないはずだ。
ユフィリアはここにある常備薬の種類や場所など分からない。自分の調合した薬なら全部覚えていた。
「清潔なタオルと氷水を持ってきて! 手の空いている子は畑から……いえ、私の工房から薬を! 薬品棚にガラス瓶に入った薄緑の軟膏を持ってきて! 貴方は医者を呼んで!」
生活魔法で患部を清潔にしてから、濡らしたタオルで覆ってそっと氷嚢を当てる。
ちょっとした衝撃が痛むのか、そのたびにびくびくと震えるリス妖精。
(火傷が、皮膚の損傷がひどい……下手に水を当てたら、皮膚が傷ついてめくれてしまう。水を当てたいけれどこの子を水場まで持ち上げられる? あの蛇口だと流水を当てるのも難しそう……動かした衝撃に皮膚が耐えられる? それがきっかけで酷い出血が出たら別の問題が出てくる)
妖精の治療なんてしたことはないけれど、何とか手を尽くしたかった。
ユフィリアの要求にパニックに陥っていたリスたちは、動き出す。本来が勤勉な性格なので、指示があればきびきびと役目をこなしてくれる。
そのうち、一匹のリス妖精が瓶か片手に戻ってきた。
「ありがとう!」
受け取ってその薬のラベルを確認したユフィリア。使う前に薬剤の劣化がないか、念のため確認する。
ゼインアロエで作った軟膏。その名の通り、ゼイングロウ地域にしか生息しない多肉植物で作られている。その植物自体だけでも薬草として効果があるし、滋養にも優れている。
もともと精霊の木の近くに自生しており、先日採取して作ってあったのだ。炎症、火照り、火傷、日焼け等に効果がある。
「ごめんね。薬を塗るけどちょっとひんやりするし、痛むかもしれない」
火傷で重傷を負いながらも、リス妖精は小さく頷いた。
ユフィリアが患部を傷つけないように慎重に塗ると、軟膏の独特の香りとぷるぷるぷりぷりのピンクのお肌が――爛れていない。
ハリのあるもちもちお肌から、うっすら産毛が生えてきている。
ユフィリアが驚いて手を止めている間にも、リスの毛並みは再生していく。禿げるどころか、周囲よりもふんわりもふもふとしている気がする。
痛みがなくなったのに気づいたのか、リス妖精がパッと目を覚ましてしゃきーん☆ と言わんばかりにポーズを取った。他のリス妖精はわーっと拍手をしている。
ユフィリアはあまりに速い展開に付いて行けず、まだ指に残った軟膏を見る。
「貴方も治療しましょうね」
背中の火傷を負ったリスより軽傷のもう一匹の手にも薬を塗ると、これまたきゅぴーん☆ と目を輝かせて謎のポージング。
こっちの火傷も治ったらしい。
呆然とするユフィリアを置いて、リス妖精は厨房を片付け始める。
(ど、どいうこと? 早すぎない? こんなに即効性なの?)
びっくりしたけれど、リスたちは元気にお掃除をしているので、まあいいかと部屋に戻るのであった。
後日、畑で何かを挿し木しているユフィリアを見つけたヨルハ。
ふかふかに掘り返した黒い土に、点々と植えられる植物は小さい。
「ユフィ、それなに?」
「ゼインアロエです」
「それ、美味しくないよ?」
はっきりいって苦い。毒はないし食感は面白い歯ごたえで喉越しも滑らかだが圧倒的に不味い。
皮を剥いておくと、なまじ美味しそうなのが腹立つくらい苦いのだ。
思い出して眉根を寄せるヨルハに、ユフィリアは笑う。
「ふふ、これはお薬の材料としてとても優秀なんです。リス妖精たちに軟膏を常備させておこうと思うのですけれど、他にも色々使えそうだから栽培しようかと」
「ふーん」
ゼインアロエは一度根付くと成長も速く丈夫だが、それまでが難しい。基本は育てず、山に自生しているのを採取することが多い。
根付くに失敗して枯れた挿し木を見てユフィリアが悲しむかもしれない。
(枯れる前に山を探して、小さい苗木と入れ替えるか?)
だが、根付かなければ同じ。
数日悩んだヨルハだが、ゼインアロエは予想を裏切り、一週間もすれば二倍以上の大きさになって別の意味でユフィリアを悩ませていたので大丈夫そうだった。
(……あんなに速く成長しただろうか?)
ヨルハは森や山に詳しいが、育成や栽培についてあまり知識はない。植物の群生地などは知っていても、土や肥料についてはさっぱりだ。
だが、楽しそうに畑のお世話するユフィリアの前では些細なことである。
「こんなに成長が速くて巨大化するなら、植える時もっと間隔を取って数を減らすべきだった……」
棘に注意しながらアロエの葉を採取するユフィリア。
肉厚でぷりぷりとした葉は、見るからに健康そうだ。枯れや病気の気配もなく、栄養が行き渡っているからさらなる成長も期待できる。
本格的な薬草の栽培は初めてだが、出だしが好調で嬉しい。
ハルモニア伯爵家では錬金術もそうだが、土いじりも良い顔をされなかったのであまりできなかった。
家人でさえ忘れ去られた花壇の一角を使っていたが、種類も限られていた。
簡単に入手できる種や苗は限られていたし、家族に見つかれば花でないとすぐに引っこ抜かれてしまう。アリスは特に酷く、指先ほどの芽ですらご丁寧に踏み荒らして蔑んできた。
(ちゃんと育てられたのなんてほとんどなかった……)
ヨルハは怒るどころか、重たい鉢や肥料の移動に手を貸してくれる。
シンラから貰った種の芽が出た時は、ささやかなお祝いまで――本当は国を巻き込んだ宴を開こうとしたのだが、それは周囲が阻止した――してくれたのだ。
でも、とユフィリアは首を傾げた。
(こんなに早く育つなんて、精霊の木の力? それともゼイングロウの土地が特別なのかしら?)
育成の参考にした書籍より、だいぶ成長が速い。
きっと土や日当たり、温度が良かったのだろう。それ以外は特に問題はなかったので、ユフィリアはそう考えていた。
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