とある貴族令嬢の憂鬱
連載スタートです。お付き合いいただければ幸いです。
チョコレート色の屋根と白い建物が並び立つ、瀟洒な施設。綺麗に整えられた花壇の花に、剪定された緑の木々が生い茂るこの場所は、ミストルティン王立学園である。
主に王侯貴族の令息や令嬢が通っていた。一部豪商や、若くして債を見出された平民もいる。
ミストルティンの貴族たちはこぞってこの学園に子供たちを入学させ、経歴に箔をつけさせようとしている。
学園では制服を採用しており、男女別の制服が規則となっている。
男子は白いシャツにグレーのハーフコートにタイ、そしてチェックのスラックス。
女子はパフスリーブの白いブラウス、短いポンチョとリボン、その下にワンピースである。
ちょっとしたお洒落にボタンや装飾は凝ったりちょっとリボンを大きくしたりレースをつけ足したりしている生徒もいる。
皆がだいたい同じ制服の中、ひときわ美しい少女がいた。
太陽の光に反射して輝く白銀の長い髪、同じ色のまつげは淡く紫がかった空色の瞳を引き立てている。薄く色づいた唇と薔薇色の頬が白い肌に人としての温かみを与えていた。
清楚にして優美。どこか浮世離れした雰囲気。
紅茶を傾ける指先すら芸術品のようで、通りすがる生徒たちがその美貌にひっそりとため息を漏らす。
なんのカスタマイズもしていないスタンダードな制服ですら、彼女が着れば煌びやかなオーラを放っているように見える。
彼女こそ淑女の鑑、ユフィリア・フォン・ハルモニア伯爵令嬢である。
「ご機嫌よう、ユフィ。隣いいかしら?」
「あら、マリー。どうぞお座りになって」
そこへ食事が載ったトレーを持った桃色の髪の少女がやってきた。
彼女はマリエッタ・フォン・バンテール侯爵令嬢だ。ユフィリアの幼馴染であり、気安い間柄である。
了承を得て遠慮なく座ったマリエッタは、ユフィリアの前に紅茶と慎ましいお皿しかないのに気づく。
「食事はしないの?」
「エリオス様が珍しく誘ってくださったので、待っていたの」
だが、ここにはユフィリアしかいない。すっぽかされたのだ。
マリエッタの窺うような視線を感じたユフィリアは、にこりと笑う。気にしていないから、そんなに不愉快そうな顔をしなくてもいいのだ。
「もうお昼休み終わるわよ?」
「そうね、念のためサンドイッチ入りのセットを頼んでよかったわ」
だがハイティーではなく、普通のティーセットなのでつまめるサイズである。
学食のティーセットには小さめのスコーン、サンドイッチ、クッキーなどが日替わりで楽しめる。
「婚約者をほったらかして何しているのよ、エリオス様は」
「そうね、どこにいらっしゃるのかしら。毎回違う女性といるから、把握するのも疲れてしまいましたの」
アクセル公爵からも怒られているのに懲りないものである。
エリオス・フォン・アクセル公爵子息は、ユフィリアの婚約者だ。
幼い頃からとびきり愛らしかったユフィリアを気に入り、親の権力で婚約者にした。しかし非常に飽きっぽい性格で、捕まえた魚に餌はやらない男であった。
学園を卒業したら、どうせ結婚するのだからとユフィリアをほったらかしにしている。
一応、婚約しているので贈り物や手紙は来るが、すべて従者の代筆である。プレゼントも適当な花や流行り物を贈ったと丸分かりである。
酷い時は、その時のお気に入りの女の子へのプレゼントと丸被りしている。
困ったように眉を下げるユフィリアの様子に、マリエッタは複雑だ。いくら政略結婚でも婚前からこの状態で大丈夫なのだろうか。
家同士の繋がりを求めての婚姻は珍しくないが、それでも時間とともに愛情を育むものである。
(こーんな可愛いユフィを置いて、エリオス様は何してんのよ!)
マリエッタはエリオスが嫌いだ。幼い頃から大っ嫌いだ。
マリエッタと初めて会った頃のユフィリアは、四歳の頃。
天使か妖精のように愛らしい少女が愛嬌たっぷりににこにこ話しかけてきたのでびっくりして大興奮――だったらしい。日が暮れてお別れになったとき、マリエッタが大泣きして嫌がっていたと、今でも家族にからかわれる。
ユフィリアと仲良しになりたい同年代の子供は多く、マリエッタは親友の座を死守してきた。
百面相をするマリエッタの心が、ユフィリアには手に取るようにわかる。
「ああ、そうだわ。マリーに渡したいものがあったの」
そう言ってユフィリアは一通の封筒を差し出す。
受け取ったマリエッタはすぐに開いて、目を見開いた。その後、すぐに顔を顰めなかったのは根性である。
「そういえば、ユフィの誕生日は来月だったわね」
今回はちゃんと開くの? ――その一言はぎりぎり飲み込んだ。
ユフィリアの誕生日は何度も招待状を貰っているが、ここ数年開かれたことがない。
理由は分っている。ユフィリアの妹のアリスだ。
美人で優秀な姉に嫉妬しているのか、何かとイベントをぶち壊す小娘である。
毎年毎年、ユフィリアの誕生日に必ず体調不良になって「私がこんなに苦しいのに、お姉様がみんなにお祝いされるなんてずるい!」と訳の分からない暴論を振りかざして中止になるのだ。
一度や二度ならともかく、そろそろ二桁に入りそうなので仮病なのは間違いない。
だが、ハルモニア伯爵夫妻はアリスを溺愛しているので、その我儘を許している。しわ寄せは、姉であるユフィリアにばかりきた。
年が近く同性であるユフィリアを、アリスは目の敵にしていた。
ユフィリアが主役になるのが許せないと癇癪を起こすのだ。
外野のマリエッタが訴えたところで、伯爵夫妻の依怙贔屓がなくなるわけがない。
「何もないわ。いつも通りよ」
あっけらかんとユフィリアは言う。この大人びた少女は、家族に対してある意味絶大な信頼を置いている――自分を無下に扱い、アリスの我儘を優先させるとい理不尽な人間だというものだけど。
つまり、またアリスがぶち壊すだろうということだ。
「でも、招待状は出しておかないといけないのよね」
それはハルモニア伯爵夫妻の体裁のためだ。やると言って直前に取り消すのだから、ないも同然だと思う。
むしろ、律義に予定を開けた招待客に失礼だ。
ユフィリアをちゃんと祝う気があるというポーズに、付き合わされる本人も迷惑だろう。
「プレゼント、期待していいわよ」
マリエッタはにやりと笑う。何か企みの気配を感じつつ、ユフィリアは頷く。
正直、家族や婚約者よりマリエッタのプレゼントのほうが期待できる。
「ふふ、楽しみにしているわ」
そんなにユフィリアを喜ばせる自信がある物とはなんだろう。
アリスに奪われないプレゼントといえば書籍くらいだ。勉強嫌いのアリスは、活字をみるとすぐ眠くなる体質である。
流行りのロマンスノベル、外国の詩集、古代の歴史書の写本かもしれない。
できれば錬金術に関する本がいいな、とちょっと期待しているユフィリアだった。
マリエッタに招待状を渡したものの、今年も流れるだろうと思っていた。
何故そんなに嫉妬するか分からないが、アリスはユフィリアが注目を浴びるたびに泣き叫ぶのだ。
酷い、ずるい、と稚拙な理論を振りかざしてその座を降りるかアリスに譲れと要求する。
可愛いはずの妹が、ここ最近では面倒くさいと感じている。
アリスは可愛い、可哀想な子だからと溺愛しつつ叱らない両親に、それに同調する兄。
自分の家なのに居場所がない。ユフィリアは今十六。十八になって学園を卒業したら、エリオスとの婚姻が待っている。
二つ年上のエリオスは今年で卒業だが騎士になるための入団試験や、官吏になるための試験も受けていない。三男のエリオスには受け継ぐ家督がないから、自分で職を探さないといけないはずだがその様子はなかった。
(この前の二級錬金術師の試験は合格したもの。卒業までに一級を取れればいいけれど……)
ハルモニアの国家錬金術師は一級から三級まである。
一級は王宮に勤められる。二級なら貴族のお抱えくらいになれる。三級でもお店を持てるくらいには立派な資格だ。
令嬢のユフィリアが難関の資格を得たのは、将来の不安からだ。夫になるエリオスがまともな職に就くとは思えなかった。いくらアクセル公爵家が裕福でも、不真面目なエリオスに重要な仕事は任せないだろう。
そのつもりならもっと口うるさく干渉してきただろうけれど、成績が悲惨でも女遊びが酷くても沈黙を貫いていることからして、成人したら放り出すつもりなのだ。
きっと多少の金の無心には応じるだろうけれど、それがユフィリアのほうへ流れてくる可能性は低い。
だから、ユフィリアは自立できる資格を取った。
今の家族も、未来の家族もユフィリアに対して無関心だ。
ユフィリアは後悔が残らないように、今の自分にできる精一杯をやっている。
なのに、なんでだろう。こんなに空しいのは。
教室に移動する途中、中庭で派手なオレンジ色を見つけた。エリオスの髪だ。
彼と同じ学年の女子生徒と木陰で密着している。ユフィリアとは手も繋ごうともしないのに、腰に手を伸ばしている。
囁き合って、じゃれ合って、笑い合って――仲睦まじい恋人のよう。
(こんな目立つ場所で堂々密会か……はあ、もしまともな就職先を斡旋してもらっても、絶対にトラブルを起こすだろうな)
エリオスは頭が悪い。なのに、いつも調子に乗った言動をしては周囲に怒られるのだ。
隠せない嘘をついて、バレる秘密を作る。
(結婚後、一回は見逃してやるとして、二回目は離縁状を叩きつけてやろう)
一度目は猶予として修復して、二度目は強烈な制裁を加えるという書面を残せばいい。不義密通――不倫の離婚はやった側が有責で慰謝料が発生する。
一度目で離婚と騒いでも、きっとアクセル公爵家が何とかして仲を取り持たせるのは目に見えていた。あちらもエリオスと言う不良債権を抱えたくないはずだ。
だが、一度許して二度目となれば相手も説得しづらいだろう。
(本当は結婚したくないんだけどな)
あんな顔だけ男、できればアリスに譲ってやりたいくらいだ。
アリスは何かと「公爵家の婚約者なんてずるい!」と、こちらの苦労も知らずに嚙みついてくる。
離婚したとしても、実家に戻る気はゼロだ。
ヒステリーな妹の世話を押し付けられながら、出戻りだと嫌味を言われて仕事を手伝わされるのが目に見えている。
それなら一人暮らしをする。独身を貫いたほうがいい。自分一人を養うには不便のない資格は持っていた。
ユフィリアの心とは裏腹に綺麗な青空が広がっている。
読んでいただきありがとうございました。