師匠と弟子
親友と言う名のユフィガチ勢なので、ヨルハは尊敬している。
ミストルティンの国王、ラインハルトはテーブルに両肘をつきながら顔の前で腕を組む。
拝んでいるように見える姿だが、彼の内心は似たようなものだ。
「して、例の二人の仲は?」
「毎日の交流は重ね続けており、ヨルハ様は連日贈り物を欠かさず、マメに手を変え、品を変えて話題作りをしております」
「ユフィリア様も当初は困惑が強かったものの、最近は悪からず思っているようです。
ヨルハ様がユフィリア様の興味や趣味嗜好に寛容な姿勢も大きいでしょう」
次々と上がる二人の王宮での生活。
ヨルハが惜しみなく好意を示し続けているので、ユフィリアの態度も軟化している。
反抗的という訳ではなかったが、もともとユフィリアが積極的に臨んだわけではないのだ。油断は禁物である。
「陛下、少々お耳に入れていただきたいことが」
手を挙げたのは、アクセル公爵である。
「申してみよ」
「ユフィリア様の妹アリス嬢が、愚息エリオスと婚約を申し出ています。まだ公表されていませんが、学園や街で二人が並んでいるので外に出られたら会うことになるやもしれません」
申し訳なさそうなアクセル公爵に、ラインハルトは一瞬だけ眉を顰めた。
バーバラからも、アリスの無作法ぶりを聞いている。
ヨルハと会ったら、間違いなく血が流れる。絶対王宮には入れてはならないと厳命を飛ばしてあった。
「そうか。王宮に来ないならどうでもよい。勝手にさせておけ」
「それだけでなく、たびたびユフィリア様とヨルハ様を侮辱しております。こちらでも注意はしていますが、聞く耳を持たず……。
二人を破談にするのは簡単ですが、下手に反対すればユフィリア様に怒りの矛先が向かう恐れがあります。いっそのことこのまま結婚させ、二人を平民に払い下げたほうが今後の処理をしやすいでしょう」
「なるほど。それで放置か」
害悪が蚊帳の外にいる分には放置し、後に備えている。
アクセル公爵の考えは理解し、彼の杞憂も十分に理解できた。
「はい、放置です。幸い、二人は婚約して舞い上がっています。これは私の意見ではありますが、ユフィリア様の婚姻の真実を知る前に、ゼイングロウに送り届けたほうがよいと具申させていただきます」
ラインハルトは頷いた。
アクセル公爵家はエリオスを完全に見限った。アリスを当面大人しくさせるための道具として使い捨てると宣言したのだ。
冷酷な判断だが、アリスが王宮で騒ぎを起こすことに比べれば些細な事。万が一にでもユフィリアが怪我でもしたら、ヨルハが怒り狂う。
後で文句をつけようにも、引き継ぐ爵位もない二人は何もできまい。貴族と平民には大きな隔たりがある。
ゼイングロウの国王夫妻に当たる二人に何かすれば、すぐさま不敬罪で捕まえられる。
ちらりとこの会議場にいる顔ぶれを見渡すが、そこにはハルモニア伯爵はいない。跡継ぎであるブライスもいなかった。
(ふむ、事の重大さを軽視しておるようだな)
長女に興味がないとは聞いていたが、あれだけの結納金を貰っておいて王宮に挨拶しにも来ない。
獣人を見下しているのか、それともユフィリアの婚約者を見下しているのか――いずれにせよ、その見る目のなさに呆れた。
その分、こちらがゼイングロウやヨルハに恩を売りまくり、今後の窓口として色々と交渉できる。
幸いなことに、ユフィリアの友人のマリエッタは両親や兄よりよっぽどユフィリアの好みを熟知していた。
特にマリエッタのアドバイスは役に立ち、父のバンテール侯爵ともども毎日登城している。
マリエッタが零すユフィリアの幼い頃からの苦労話や、アリスのせいで散々諦めた色々なことを聞くたびにヨルハが静かに憤慨している。
ユフィリアの刺繍作品を奪い取っては自分が作ったと吹聴したり、家庭教師や学園で出された宿題を押し付けたり、ユフィリアの楽器やドレスやアクセサリーを奪って好き放題していたこともしっかり伝えている。
「殺そう」
すべてを知ったヨルハが提案でもなく思い付きでもなく、決心を表明した。
それを目の前で呟かれたバンテール侯爵は泡を吹き、マリエッタが嫌そうな顔をした。
「あれが死んで喪中になったら結婚が遅くなりましてよ」
愛しい番との結婚とドブメスの始末を天秤にかけて、即座に番との時間を取ったヨルハである。
形跡なく始末するのは簡単だが、近い肉親が死ねば祝い事は延期せねばならないのだ。死体を隠す手はあるが、ユフィリアが行方不明になった妹を気にするかもしれない。
前々から噂のあったハルモニア伯爵家の所業は、事実として知れ渡った。
当然それは、同席している役人の貴族や控えている使用人の耳にも入り顰蹙の嵐だ。
なんとなく察してはいたが、ここまでハルモニアの令嬢姉妹の扱いに差があったなんて思わなかった。
アリスだけでなく、それを助長させているハルモニア伯爵夫妻や兄のブライスにも白い目が向けられている。
きっと、今後ハルモニア伯爵家がどんなにゼイングロウやヨルハに助力を乞うても無駄だろう。
本日のマリエッタ・フォン・バンテール侯爵令嬢のお口は絶好調だ。
クッキーを片手に仏頂面で頬杖を突く姿は、ややはしたない。そんなことより彼女がもたらす情報が大事なヨルハは、ピンと姿勢を正して聞いている。
ヨルハにとって、マリエッタは師匠だ。
ヨルハの知らない番の趣味や嗜好を熟知している。この前のお茶会に用意した紅茶やケーキも気に入ったようで頬を緩ませていた。
「あと、最悪なのはエリオス様ね。ユフィの元婚約者だけど、女癖が最悪でユフィとの約束を破るなんてしょっちゅうよ。今はフリーになっているらしいけど、ユフィの扱いを知っているまともな令嬢は避けているわ」
知ってはいたが、そんな男にユフィリアが煩わされていると思うと腹が立つヨルハ。
殺そうかと思ったが、そんな小物はいつでも殺せる。今、ユフィリアと距離を詰めている状態でエリオスが死んだら何か勘繰るかもしれない。
その結果、ヨルハに対して嫌悪や恐怖の視線が向いたら――ヨルハは耐えられない。
「でも、最近学園でこそこそアリス嬢と会っているの。本人たちは隠しているつもりだけど、旧温室で密会しているから……淑女会のサロンで使う部屋からだと丸見えなのよ。中等部のアリス嬢は知らないし、男性のエリオス様も知らないのね。
淑女会……まあ、レディの中のレディと認められた人たちがやっている趣味の交流会なんだけど、客人は多いの。大半の女子生徒が一度くらいは誘われるし、礼儀正しい男性なら特別ゲストとして招待されるのも珍しくないわ」
つまり、ジェントルマンとして例外なエリオスは一度もお声がかからなかったのだ。
本当に糞である。苦しめてから殺したいと思ったヨルハである。
「あ、ユフィはすごいのよ。一年で最初に声を掛けられたの! ユフィは頭がいいだけじゃなくて、楽器の演奏も上手よ。手先が器用で刺繍も上手だから、ヨルハ様も頼んでみたらいかが?」
「い、嫌がらないだろうか?」
「今なら平気よ。完成品を分捕る妹もいないし、せっかく作った刺繍をすぐに失くす婚約者じゃないもの。組紐なんかも上手よ」
そう言って、マリエッタはツインテールを片方解く。
周囲はぎょっとするが、その細いリボンが糸を編んで作られた紐だと気付いて目を丸くした。
「これは三年前、友情の証としてユフィと交換したの。私が作ったのは、すぐにアリス嬢に見つかって……交換したその日にユフィの頭から毟って奪い取られてもうないけどね」
マリエッタの持つ組紐は三年も使っていると思えないほど綺麗だ。
「大事なものだけど、ユフィの騎士様にならみせてあげる。ここぞという勝負の時に願掛けで使っているの」
バンテール侯爵は、ヨルハ相手に敬語を使わない娘にずっとおろおろしている。
だが、ヨルハのお目付け兼保護者役のシンラとコクランが、穏やかな顔で首を振って許容しているし、ヨルハ本人が微塵も気にしていないのでスルーされていた。
「綺麗な紐だ。すごく丁寧で細かい……」
「今はもっと手の込んだものを作れると思うわ。ユフィは凝り性なところもあるから。
あ、それなら刺繍店を教えたほうがいいわね。ユフィが家から持ってこれているならいいんだけど……まあいいわ。お薦めは繁華街の大通りを一本入ったところにあるの。そこのお爺さん、頑固でね。呼んでも家に来てくれないから、こっちから出向くの。扱っている糸が本当に素晴らしくって――」
マリエッタのマシンガントークから、店の名前やお薦めの商品をメモしていくヨルハ。
彼がマリエッタを見る目は尊敬と好意に溢れている。
愛する番を大事に思ってくれる味方なら、ヨルハも寛容だった。
「あ、そうだ。ユフィに会えるなら、今欲しいもの聞きだしてあげる!」
「すぐ手配する」
ユフィリアは未来のゼイングロウの貴婦人。彼女の接見は制限されていたが、それは主にヨルハの機嫌を損ねないためだ。
ヨルハが許可を出したのなら、と皆は動き出した。
手芸店に向かう馬車に乗りながら、ヨルハは考える。
(元婚約者……ねえ。勝手に自滅しそうだ。ユフィが幸せになる間、アイツは長く苦しんで後悔して、懺悔して、絶望すべきだ)
ユフィリアが幼い頃から苦しんだのだから、それよりもっと苦しんで欲しかった。
元婚約者のエリオスに対して、ユフィリアは全くと言っていいほど興味がない。今まで、義務で接していたのだろう。礼儀を通すための交流だけだった。
正直、そんな奴に構っているならユフィリアにアプローチする時間に充てたい。
「いつでも殺せるし」
絶対強者は、獰猛に嗤った。
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