それぞれの今後
ハルモニア伯爵家とアクセル公爵家
王宮でヨルハがユフィリアを溺愛している同刻、ハルモニア伯爵家ではユフィリアの婚約白紙と、ヨルハとの婚姻が決まった旨を報告していた。
当主のイアンは王家からの圧力、そしてアクセル公爵家がすでに了承していることに加え、莫大な結納金が支払われることであっさり同意をした。
エリオスとの婚姻はアクセル公爵家とのつながりによる、長期的な融資や事業提携を見込んでいたが現実は甘くなかった。
エリオスの女好きで軽薄な性格をアクセル公爵家はほぼほぼ見限っており、最初こそ多少の融通があっただけで、今後は期待できない状態だ。
一度金銭的な援助があったゆえに、ハルモニア側から破棄は言い出せず、イアンのあさましい期待からユフィリアに婚約を続行させていたようなものだ。
イアンから見れば大金と円満解決でユフィリアを嫁がせることができた。ハルモニア伯爵家からの持参金は不要と言われていたのも嬉しい誤算だ。
逆を言えば、ユフィリアが婚家でどんな扱いをされても干渉させないと言っているようなものだ。イアンは何でも人よりできるユフィリアなら平気だろうと安易に考えていた。
今後はやたら問題を起こすアリスにだけ集中すればいい。
多少の不器量も若いうちなら愛嬌だ――イアンは楽観的に考えていた。
「ユフィリアの婚姻はゼイングロウにて行われるそうだ。婚姻の衣装や式の費用はあちらが全額負担してくれる。
アクセル公爵家との姻戚関係は無くなったが、資金の融通もあったからいいだろう」
家族で話し合いの場を設けられ、ここ数日王宮から帰ってこない長女のことは知っていた。
突如決まった婚姻に、ソフィアは甲高い悲鳴を上げる。
「まあ、イアン! ユフィのような不愛想な子が外国で上手くできるかしら?」
「そうです、父上。ゼイングロウは大国ですが、ユフィの結婚相手はそれなりの相手なのでしょうね?」
ソフィアは一応ユフィリアの今後を心配しているが、ブライスはアクセル公爵家とのつながりを失ったことばかり憂慮している。
「酉の一族の長らしい。王宮で賓客扱いされているのだから、それなりの――」
「まあ、お姉様ったらケダモノなんかと結婚するの!? なんて可哀想!」
イアンの言葉を遮り、憐みの言葉で嬉々としてユフィリアを心配してみせた。
可哀想と口では言うがその顔には笑みが浮かんでいる。にやにやと実に意地悪そうな笑みだが、ソフィアはその表情に気づいていないらしい。
「まあ、アリスは本当に優しくていい子ね。ユフィリアを心配してあげるなんて!」
よくできましたと言わんばかりに褒めちぎるソフィア。
長女のユフィリアはとにかく厳しく叱り、次女のアリスはなにかにつけて可愛がって甘やかすのだ。
本人はこれで両方とも可愛がっているつもりなのが、ソフィアの歪みを感じさせる。
不幸なのはこの教育方針は双方に悪影響しか与えていないことだ。ユフィリアは母の愛情を諦め、アリスは天狗になって外でも横暴に振る舞っている。
おままごとめいたソフィアとアリスのやりとりに、イアンもブライスも何も言わない。
彼らは基本的に、自分自身の損得しか見えていないからだ。それも、ごく狭い視野で完結している。
「父上、私は納得できません。その獣人にそれだけの価値があるのですか?」
不服そうなブライスが詰め寄るが、ちらりアリスを見たイアンは彼をこそこそ手招きする。
ソフィアに褒められ、メイドたちにおだてられて得意満面にアリスが気づいていないうちに耳打ちする。
「アクセル公爵家の倍以上の結納金が支払われた。エリオスと違い、外国ならあちらでトラブルがあっても我が伯爵家には被害が来ないだろう」
その内容に、ぎょっとしつつ目が爛々としたブライス。
イアンもそうだが、ブライスもゼイングロウについては詳しくない。交易の事業はやっておらず、身近に獣人がいないのだ。
家長のイアンが獣人に差別的な影響が、一家に知識不足や獣人蔑視として出ていた。幸か不幸か、放置されていたユフィリアにはその影響がなかった。
イアンと同じく、ブライスが声を潜めながら聞き返す。
「それほど支払われたと?」
「ああ。少なくともアリスの婚約者探しやデビュタントには困らないだろう。お前だって資金繰りに苦労はしたくないだろう?」
その言葉に納得したブライスは頷く。アリスの金遣いは年々荒くなる一方だ。
今までユフィリアのドレスやアクセサリーを強奪して留飲を下げていたが、それができなくなったらますます買い物にのめりこむかもしれない。
(アクセル公爵家と破談になったら、これからは事業融資もあてにできない)
それは父の時点で失敗していることを知らないブライスは、ある意味幸せだった。
ブライスはヨルハが国王に匹敵する立場だと知らなかった。
貴族は当然家名がある。ゼイングロウ帝国なのだから、皇帝がトップに立ちその下に貴族がいると考えていた。
ただの『ヨルハ』は、精々王侯貴族のお気に入りの騎士や使用人くらいに考えていた。
イアンのユフィリアやゼイングロウへの興味の薄さや、知識不足が浮き彫りになる。その結果、とんでもない勘違いをしていた。
ヨルハの本当の地位をイアンは予想すらしていない。
イアンは利益がなく、好きじゃなければとことん興味が薄い。
家名のないゼイングロウの風習を知らず、『酉の一族』を名乗ってもその真相に辿り着けない。ましてや、皇帝に値する存在だなんて微塵も思っていなかった。
ゼイングロウの風習に理解どころか、基本知識も疎かだった。
イアンの偏った知識と決めつけで、意図せずハルモニア伯爵家の情弱ぶりを露呈しているのにも気づいていない。
結納金だって平民と貴族令嬢の不釣り合いな婚姻なので、ゼイングロウが多額の資金を出したと考えていた。
ここにいる全員が王宮を騒がせるゼイングロウの賓客の人探し=番探しにユフィリアが選ばれたなど、微塵も思っていない。
一方、疎ましい姉が惨めな結婚をすると思い込んでいるアリスは上機嫌だ。
「ねえ、お姉様とエリオス様は婚約者じゃなくなったのよね?」
「ええ、そうよ」
「ふーん。そっかぁ、それじゃあエリオス様もきっと寂しいだろうな」
ソフィアの答えに満足し、アリスは口角を釣り上げる。その表情は下品で獰猛だ。
アリスの記憶にあるエリオスは、華やかな貴族令息だった。
いつもアリスを可愛いと褒めてくれるし、ユフィリアとのお茶会に割り込んでも怒らない。欲しいと言ったらユフィリア宛のプレゼントも譲ってくれる。
なんといっても公爵令息だ。
彼は今、婚約者がいないのだ。ユフィリアの代わりに、同じハルモニア伯爵令嬢のアリスがその座についてもみんな納得するに違いない。
そんなアリスの不穏な考えなど知らず、イアンは目ぼしい嫁ぎ先を考えていた。
そのころアクセル公爵家では、同じようにエリオスに婚約の白紙が伝えられていた。
当主としては痛恨の極みだが、公爵家としてゼイングロウの番探しに非協力的なのはあってはならない。
ここで邪魔をしようものなら、派閥の内外問わず袋叩きにされて王家からも睨まれる。
すぐにエリオスの新しい婚約者を探そうとしたが難しい。
ユフィリアと言う才色兼備の令嬢を散々蔑ろにし、放蕩しているエリオスは有名だった。
しかも当の本人はその間にも、色々な女性に粉を掛けて回っているのだから始末に負えなかった。
「へぇ、あのユフィを好きになる男なんているんだな。顔はいいけどあの性格じゃな~」
へらへらしているエリオスこそ親の威光とその顔だけで人生を渡り歩いている。
それにユフィリアは貴族令嬢として微笑を浮かべていることが多かった。少なくとも、気に食わない社交場に行かなくてはならず始終むくれているエリオスとは違う。
笑顔が必要ない、もしくはその場にそぐわない表情だと判断してエリオスに接さなくてはならないことが多かったのだろう。
ユフィリア以外の女性なら、すぐに婚約破棄を突き付けられるダメ男の自覚がないエリオス。
「エリオス。もう彼女を気安く愛称で呼ぶのはやめろ。ハルモニア伯爵令嬢、もしくはユフィリア様と呼べ」
「はぁ?」
父親の厳しい眼光も、咎める低い声の意味も分かっていないらしい。
イアンと違い、アクセル公爵はユフィリアの立場を正しく理解していた。彼女はもう、うだつの上がらない伯爵令嬢なんかじゃない。
彼は公爵である。大家とはいえ、小国出身。貴族の誇りとともに、首を垂れるべきタイミングや尻尾の振り方も叩きこまれている。
当然ながら、国内の貴族以外にも目を向けている。特に注意すべき相手は二大帝国なので教育の一環としてゼイングロウについて学んでいた。
エリオスの間の抜けた顔に、いくら当主教育は施していないとはいえ令息としての教育を失敗したと痛感させられる。
結婚後――否、すでにもう彼女は王族同然だ。
すでにアクセル公爵にとって、ひれ伏さなくてはいけない相手である。エリオスなんて常に土下座してもいいくらいだ。
ゼイングロウからの賓客が、王宮で人目を憚らず彼女を溺愛する様子を見た。
そうじゃなくても彼女の耳で揺れる小ぶりのイヤリング一つで、その寵愛が察せられる。
あれは妻が何か月も前から欲しくてため息をついていたパライバトルマリンだ。それはセット売りでしか販売しておらず、チョーカーやブローチなどが付いていた。
そちらのサイズがかなり大きめで、輝きも透明度も申し分なく金額もすさまじいものだった。
職人が一生モノとして手掛けた最高傑作だが、その完成度故に買い手がつかずにいたのだ。
一つならともかく、まとめては――と王族すら諦めるものをポンと与えた。
「まあいい。彼女にはもう近づかぬように。それと、お前の新しい婚約者候補だ」
頭の悪いエリオスには、きちんと説明をしても素通りするだけだ。指示するなら簡潔に絞り込まないとできない。
そんな愚息をユフィリアが引き取ってくれなくなった以上、アクセル公爵家のお荷物をさっさと片付けなければならない。
そんな父親の思惑も知らず、嬉々として釣書を受け取るエリオス。
「へーっ。どんな子がいるかな~? ユフィみたいな融通効かない堅物じゃなくて、もっと優しくて心の広い可愛い子がいいな」
本当に馬鹿だ。父親だけでなく、近くにいた使用人たちも思ったが口にしない。
一生に一度の青田買いを成功させた婚約なのに、エリオスはまだ価値が分かっていない。
しばらくソファに腰かけ、だらしない姿勢で釣書をめくっていたエリオス。いくつも目を通していくうちに、どんどん顔が険しくなる。
「どういうことだよ! 全部行き遅れのババアや成金女のブスばっかじゃねーか!」
釣書を机に叩きつけながら、エリオスは怒鳴る。
エリオスに残された相手はかなり年上か、過去に問題を起こしたか、金で爵位を買った新興の下級貴族のみ。
もはや呆れるしかない――自分にそれだけの市場価値があると思っているのだろうか。いや、思っているからこんなに態度がでかいのだ。
「嫌なら自分で相手を探すんだな」
この女性たちは、少なくとも家柄がしっかりしているか財力が豊富である。
伝手も実力もないエリオスを養える女性だ。
エリオスに地道な仕事など無理だ。誰かにおんぶにだっこにならなければ生活すらままならない。
それはなけなしの親心だったが、エリオスには伝わらなかった。
「当り前だろ! こんなのが家にいるなんて最悪だ! 相手くらい自分で見つける!」
エリオスは憤慨しながら乱暴に扉を開くと、執務室から出て行った。
騒がしい足音が遠ざかるのを聞きながら、アクセル公爵は深いため息をつくしかない。
この中で、正しく状況が理解できているのはアクセル公爵のみ。
割とマシな部類なのはブライス。
それ以外は団子でヤバイし分かっていない。