3.それぞれの星花祭 後編 Side吹奏楽部
直葉は弓道部の射的場を抜け、志保が演奏する音楽室でのアンサンブル演奏に向かっていた。
志保の出番は音楽室での金管八重奏と、体育館での全部員出演ステージ演奏である。
直葉は志保がよく見える上手側の席に陣取った。
志保も直葉に気づいて、目配せをする。
志保たちが金管八重奏で演奏するのはジャズの名曲、SingSingSingだ。
吹奏楽では定番中の定番とも呼べるような曲である。
普段はドラムやコントラバスと共にベースラインを刻む。
しかし金管八重奏ではその役割は基本的にチューバ1人、つまり志保が1人でベースラインを担う。
こういう時、志保の長所にして短所――人間メトロノームとも称される、機械に等しい正確さと遊びの無さ――はより一層強くなってしまう。
金管八重奏のメンバーには、隣のクラスでトランペットの風原美音もいた。
志保と美音らの8人は、年末にあるアンサンブルコンテストに向けて、先行でアンサンブルを組んでいる。
いわば、現時点では半分遊びで半分本気、のような扱いのグループだ。
このアンサンブルの(実質的な)コンサートミストレスを務める美音のカウントで演奏が始まる。
美音のカウントに合わせ、志保がリズムを刻む。
志保の刻むリズムは極めて正確で、7人の奏者は志保のリズムの上で楽しげに身体を揺らし音を踊らせる。
しかし、直葉は気づいてしまう。
志保だけはあまり動かず、真面目な……むしろ強張ったような目つきで演奏している。
時々、何かに気がついたかのように作り笑いはするけれど、またすぐに元の強張った目つきに戻ってしまう。
(志保殿……。なんだか、苦しそうに見える。楽しくないわけは……無いと思うのだが……。)
結局、志保は強張った目つきと作り笑いを往復しながら演奏を終えた。
美音の合図で志保は立ち上がる。
音楽室には拍手が響く。
直葉も拍手をするけれど、志保の固い表情は忘れられず、どこかスッキリしない気分であった。
「ありがとうございました! 私達の演奏は終わりですが、星花祭楽しんでいきましょー!! 引き続き、吹奏楽部の演奏を楽しんでくださいね!!」
と、美音が元気よく賑やかに締め、八重奏メンバーは一礼する。
出番を終えた金管八重奏は聴衆に一礼と挨拶をすると、楽屋代わりの音楽準備室へ捌けていく。
直葉は先ほどの志保のことを考えてしまっていた。
(志保殿の演奏は確かに素晴らしかった。素晴らしかった。だから……あんなに苦しそうに演奏していたのは、どうしてなんだ……。)
直葉はどうしても志保と話をしたくなり、志保が出てくるであろう音楽室の入口で出待ちをすることにした。
期待通り、志保は音楽室から出てきた。
「志保殿!」
と直葉は志保を呼び止める。
「ああ、直葉さん。来てくれてありがとう。」
一見、素っ気ないように聞こえるけれど顔はにこやかだ。
単純に、緊張が解けて疲れが出てきたのだろう。
その志保の、ほんのりではあるがにこやかな表情を見て直葉は、しようとしていた話は、やはりせねばならぬと確信した。
「志保殿!楽しく素晴らしい演奏だった! 」
まずは明るく志保を褒める。
志保の表情はともかくも、演奏そのものは素晴らしかった。
だからこそ。
直葉は不思議で仕方なくて、志保に問いたいのだ。
失礼かもしれないから聞くのに抵抗はあるが、それでも何かが直葉を後押しする。
「……あの。その。……。」
「? どうしたの?」
基本的に威勢のいい直葉が珍しく口ごもるので、志保は訝しんでしまう。
やっと直葉は意を決したようで、真剣な顔で、
「すごく楽しくて、いい演奏だった。それは間違いない。」
と、演奏についてはよいものだったと念を押した。
「??????」
しかし志保はさらに困惑する。
「……すまないッ。あれだけ演奏がすばらしかったから、私にはどうしても分からないんだッ。」
「あの、直葉さん? 何が言いたいの?」
志保はわけが分からず直葉を問いただしてしまう。
「……志保殿。……あんなにいい演奏を……、苦しそうな顔でしていたんだ?」
やっと直葉が発した言葉に、志保は固まる。
「……そっか。直葉さんにも、そう見えてるんだ。」
志保は悲しげ……というより、申し訳なさそうにうなだれる。
やはり言うべきではなかったか。
直葉は、自分はまた失敗してしまったという思いに苛まれる。
「……楽しい時に水を差して、本当にごめん。」
また私は志保殿を困らせて、悲しませてしまった。ぐすん。ううううう。
だが、うなだれる直葉の肩をたたき、顔を上げさせたのは志保だった。
「……ううん。気にしないで。むしろ……ありがとう。」
「???」
今度は直葉のほうが、わけが分からなくなってくる。
「……顧問の先生にも、みんなにも。ずっと言われるの。もっと楽しそうに吹いたほうがいい、って。」
「そう、だったのか。」
これでは私が追い討ちをかけたみたいじゃないか。
直葉はまたも自分を苛もうとする……が。
「……直葉、さん。」
「なんだろうか?」
呼びかけられ、直葉は志保を見る。
「お客さんのほうから言ってくれたのは、直葉さんが初めてなんだ。それって、それだけ私を見てくれてたってことだし……」
言いながら志保の語尾がだんだんトーンダウンしていき、志保は直葉から少しずつ目を逸らしていく。
どんどん志保が直葉の瞳から逃げていくので、思わず直葉は志保をさらに目でも顔でも追ってしまう。
逃げ切れなくなったと察したのか。
志保は直葉にいきなり向き直る!
「なんだか直葉さんを見ていると、失敗してもいいのかも、って思えるんだ! じゃあね!」
志保も忙しいのだろうか、文字通り逃げるように立ち去ってしまった。
一人、取り残された直葉は半ば呆然とし、数十秒その場に立ち尽くしてしまった。
「……はっ。こんなところでぼーっとしてしまった。」
……オチとしては、私は志保殿に「ありがとう」と言われた?
最後のほうは志保殿が早口で、捨て台詞のように言い捨てていった。
うーん……。確か……。
失敗がどうとか……。
よくわからないが、とりあえず志保殿を傷つけることは無かった、と思っていいのだろうか……?
直葉は結局、考え込むことが増えただけになってしまった。
だが、今日は楽しい忙しい星花祭。
考え込んでいるヒマなんて無い。
「……志保殿がありがとうと言ったなら、ヨシ!!」
ヘルメットを被ってポーズを取る二足歩行の猫を頭の中で飼いながら、直葉は歩き出した。