夏のともし火
やかんの中からもういいかいと
声がするもんだから
蓋を開けてみると
小さな父親が此方を見ている
やれ彼岸だお盆だと
お坊さんが川岸の向こうで
手招きをしているではないか
此処は夢うつつの
宿場町
洗面台に蝸牛ののたまった跡があって
昨日忘れていた水星の欠片が
コップの中に入ってゐた
夏の香りは
僅かに残る凌霄花の香りか
蟻が群がる鼠の死骸は
この暑さで
すっかり腐ってしまった
いけませんな
旅の雲水さんが
りんりん鈴を鳴らして
僕の頭の中は
いけないことばかり
浮かんでは消え
夏の刹那に
台所の包丁で桃を剥くと
仏壇にそっとお供え
僕は悪い子なんかじゃない
凡て魔物の所為
夏の仕組みは
墓参りのお線香のぬくみ
布団がぎっしり詰まった廊下に
毘沙門天が煙草を吸って
くつろいでいるから
僕は旅人に言って
コートの中の風を少し分けて貰った
夢じゃないか
幽かなともし火を辿って
家に帰る逢魔が時の遊びは
神社に古いはさみを捨ててった
あの子の経血を嘗めとる妖怪の様な
夢の後は
いつだって陽だまりの跡が
痣になって頬に残っている
仏間に行くと逆さまに吊るされた
観音菩薩が蚊取り線香に
赤い紐で天井から
さては墓魔のしわざ…
線香の香りが蚊帳の中まで入ってきて
旅人も夕飯が喉をつかえて
咳を繰り返している
夏が充満してきて
僕はごめんなさいと謝り続ける
夢うつつ
缶蹴りの後の甘い桃の香り
夕暮れ時の鴉は赤い眼
神社であの願いは
呪いとなって夏にやってくる
過去はどうして問いかけてくるの
問いかけはバケツの紫陽花に
雨は止んだか
小さな雨蛙が地獄経を唱えるから
僕もマントを羽織って
宿場町の怪人になろう
洗面台の雨漏りがいつまでも耳に残る
やかんの中からもういいかいと
声がするもんだから
蓋を開けてみると
小さな父親が此方を見ている
やれ彼岸だお盆だと
お坊さんが川岸の向こうで
手招きをしているではないか
此処は夢うつつの
宿場町
洗面台に蝸牛ののたまった跡があって
昨日忘れていた水星の欠片が
コップの中に入ってゐた
夜は、夜の唄を詠う
僕が眠る頃
あの田んぼの中では
蛙もいびきをかくのだろうか
雨夜の町を夏小僧が
楽しそうに屋根から屋根へ
妖怪という一種の概念
夢から醒めれば
一つ目小僧が豆腐小僧と
恋バナを其処の喫茶店で
たましひを集める真っ黒怪人が
ブラウン管の調子が悪いと
あちこち叩いている
置いてけぼりの気持ちの中に
過去はあるでしょうか
あの線路の傍には枯れた花が
手向けられていた
夏はもうすぐですね
蝉時雨には黒マントの男が
たましひの入る小さな小匣を
墓に供える
宿命ですら呪いには敵わない
夢うつつに雨の中舞い踊る西陣織の娘を見た
紫陽花の露が蝸牛の足跡を消してしまう
雨音が心の扉を叩く
夏の訪れはもう、すぐだと云うのに
心は何時だって過去のまま
置き忘れたあの赤い傘は妖怪のものかな
紫陽花の幽霊が過去を探す
夕べは打ち上げ花火が凄かったのよ
懐古の呪文はあの家の老婆がお念仏を唱えるように
たましひの有り様は
さわさわと揺れる凌霄花の葉の間に
夢の在り処
通りゃんせあの子が欲しい
古町に山彦が木魂します
夏の陽炎は真っ赤な炎となって
行者が燃え滾る炎の上を歩いてゆく
お寺の隅の方では
真っ黒い影がぼんやりと
祭りの様子を眺めています
たましひの有り様とは…
花火の火がうっかりバケツの中に入って
そっと覗きこんだら一匹の金魚が
刻の止まった様な真昼の呪文
老婆が見ているブラウン管の中で
ジッと蝉が御経を上げている終戦記念日の頃
古町も死んだかのように
影さえ動かない
過去は呼びかけても戻れない少年時代
上がり框の所に引っかけてある下駄が
すべての問題は過去に置いてきたと言って
黒い影が縁際で煙草をふかしている
まぼろばの宿
鏡の幻は何時かの追憶
鏡に映る万華鏡
硝子の中の極彩色
おや黒い影があぜ道を歩いています
通り魔が背後から飴玉をくれた
舐めると何故か神社の鳥居の下
お面を被った狐の嫁入りが
りんと鈴が鳴り
玩具匣のブリキの人形が踊りだす
此処は何処か黄泉比良坂
目が覚めると
金魚が嗤っている
朝焼けが僕を泣かすから
こっそり海で拾った骨を
家の裏に埋めました
何時か綺麗な花が咲くかな
夏の呼び声はたましひの鼓動
嬰児の眠る顔には邪が潜んでいない
子宮の中に過去の記憶を置いてきた
前世には仏様と鬼がにらみ合う隠し部屋がある
拾った石ころを港町で砕いたら
祖母の顔が映りこんでいた
次の祭りは何時ですか
もうすぐ夏祭りの時期
日が昇る前の空は
妖しい秘術を隠しこんでいる
ちょっと喇叭を吹いてみます
涼しい風が吹くかどうか
故郷はいつも呼んでいる
懐かしい子供だった君を
向日葵畑の中
蝉を探していて
サクマドロップの缶を見つけたり
夢は其処にありますか
いつか旅立てますか
夏のたましひは
炎天下に昔を地獄に宿して
あの赤き提灯は狐面の男を神社に呼ぶのか
手水鉢の中の金魚は夏の記憶の鍵を持っている
永遠に永久になれ
永久機関を工場裏で内密に造り続ける人殺し
夕べの夢はそこの雑木林の
古道の風に孤独になりにし
朝顔の露の中には幻の秘密が隠れている
朝焼けには
昭和の欠片が神社に堕ちていた
其れはケロヨンの人形
ロート製薬の薬匣
何故だか朝からうらぶれた気持ちになって
こっそりと神社の中で煙草に火をつける
亡くしたものはありますか
懐かしい記憶を脳髄は羊水の中で次々と無くす
陽だまりとは妖しの呪文
ようけ気を付けなされ
老婆が嗤う
夕焼けの
ぼんやりした意識の下で
古時計が世界転覆の機会を伺っている
目玉がぎょろぎょろと
ブリキ人形が玩具箱の中で
家主にばれないように蛍石を隠しこんでいる
過去とはもう戻れない郷愁のようだ
西の方に落ちる夕焼けが
たらいの中の雨蛙を暗闇に連れてゆく
遠い昔、古町
遠い記憶が心を苛む
雨に濡れた梅雨には
冬のような寒さで
過去の古傷が痛むと
旅人が銭湯で
辛かった想い出を
お湯に流す
何故人は過去から逃げられないのだろう
あの東慶寺に咲いた赤い椿は
今年も懐かしい想い出を
文で寄越してくれるのだろうか
亡くなった想い出は
梅雨の雨の中で
ただ静かに庇の下に隠れている
この間
死んだ姉様が
棺桶から目を醒まし
驚いて茶碗をひっくり返した
ご覧よ
あそこの柱の古時計が
逆さに動き出したら
蚊帳の中は大洪水になる
老婆の皺を数えている内に
雨の道にはぽっと灯りが灯る
夢ばかり追っているから
お前は大人になれないまま
もう年寄なのだと
泣き顔の僕に
お坊様が云う
梅雨はどうしてこんなに心切なくなるのか
雨の匂いにいろはにほへと
露だと知って紫陽花は
薄い目を開くのだろうか
旅人よ
雨の中の車には
お日様の匂いがしない
ただ薄羽蜉蝣が
葉の裏でひっそりと
露に濡れて羽化を待っている
過去とはもう戻れない宝物
未来はあの木の下のタイムカプセル
雨が
緩やかに頬を伝ってゆく
君が大人になる頃
この哀しみが
想い出のポケットに
大切に仕舞われてゆく
路地裏には
雨に濡れながら旅人が
真っ黒いおばけと百物語
泥だらけの田んぼには
泥田坊が次の通り人を待って
蛙の鳴き声を聞きながら
ジッとたちん坊
それを知っている彼の子孫は
涙で袖を拭う
昔町、昔道
過去の人の足跡
過去は戻れず未来は遠い
人はどうして戻れない過去を想う
其処に置いてきた故郷
行きはよいよい
帰りはこわい
あんまり過去の事を想いなさるな
棺の中の昏い物が甦えるから
辻占の婆は云う
通りを一陣の風が通り抜ける
見知らぬ子供達のはしゃぐ声
蝉時雨
遠雷
軒の下の猫
刻の止まった様な真昼の呪文
老婆が見ているブラウン管の中で
ジッと蝉が御経を上げている終戦記念日の頃
古町も死んだかのように
影さえ動かない
過去は呼びかけても戻れない少年時代
上がり框の所に引っかけてある下駄が
すべての問題は過去に置いてきたと言って
黒い影が縁際で煙草をふかしている