平凡なモーニングと非凡な私たち
前回を短編で書いてしまい、中編に出来なくなったので、一話ずつリンクを貼って最後に一つの連載小説として見やすいように投稿し直します。
前回→ https://ncode.syosetu.com/n3294hy/
ずっと続けばいいねなんて
全てが始まったのは五歳の時だった。もっと前から始まってはいたけれど、動き始めたのはこの時から。
父と十歳離れた兄と狭いアパルトメントの一室で暮らしていた。母親は自分を産んですぐに家を出ていったらしい。父は酒に溺れ、ありとあらゆる所から借金を繰り返し、兄は家に帰らなかった。たまに返ってきたと思ったら私を殴り、そしてまたどこかに行く。
父は酔っていない日なんてなくて、私の頬を撫でながら殴りかかって来た。おかげで日々は地獄の繰り返し。一日一回食事が出来ればラッキーな方で、それ以外は部屋の片隅で殴られないように震える日々。身体はあざだらけで骨と皮しかなかった。
家を出ようにも扉は固く閉ざされたまま、外に出る事さえ適わない。いつしか殴られる事にも慣れてしまい、人形のように佇む日々が続いた。
そんなある日の事だった。
突然、閉め切った扉が開いた。そしてスーツ姿の人がなだれ込んできて、瞬く間に父を撃ち殺した。何度目かの銃声ののち、音は止み私の足元で止まる。顔を上げると見知らぬ男性が立っていた。その人は微笑み私に手を伸ばす。
そして、頭を撫でた。
産まれてこの方、頭を撫でられるなんて初めてで私は驚きのあまり固まってしまった。そして男性はこう言った。
「うちにおいで」
後から聞いた話だが、父が借金をしたところの一つにマフィアの下っ端がいたらしい。その下っ端は組織の帳簿からお金を騙し取り、それがばれて処分されここに辿り着いたのだとか。私を拾ったのはマフィアの幹部の息子だった。
その日から一日三食、睡眠時間八時間の生活が始まった。誰かに殴られる事もなく、時折会う私を拾った人はいつも優しい声で話しかけてくれる。その人はどうやら次のボスに選ばれるために頑張っているみたいだ。
何を頑張るかなんて、五歳の私にでも分かっていた。殺し、密売、ドラッグ。ありとあらゆる犯罪の掃き溜めに、私は引き取られたのだ。けれど悲しきかな、あの狭い部屋で生きている時よりもずっと幸せだった私は、彼に恩を返すためにこう聞いたのだ。
「私に出来る事は?」
すると彼は笑ってこう言った。
「君は可愛いし、きっと将来も美人になるだろうね」
陽に透けて輝く髪を撫でられながら。
「だから、僕のために働いてよ」
その日から私は殺し屋としての訓練を始めた。最初こそ音を上げそうだったが、一年経つ頃には身体に馴染んでいてまるでそれが当たり前だったかのように生活をしていた。幸いにも物覚えが良かったため勉強は簡単だったし、運動神経にも恵まれていたからナイフも銃も簡単に扱えた。
そしてもう一つ、特筆すべきは体質だ。
時折人間の中には変わった能力を持つ物が生まれる。瞬間記憶だとか絶対音感とか、分かりやすい物から聞いた事のない物まで。私はその中の一人だった。
自覚したのは彼に出された食事に手を付けた日。
晩餐会で私を猫可愛がりしていた彼は、私を膝の上に乗せ食事をしようとしていた。けれど他の人が話しかけてきたのでフォークを持つ手を止めたのだ。お腹が空いた私は彼の手からフォークを奪い一口食べた。
次の瞬間口内がひりついて、咳が込み上げた。それを見た彼が食事に毒が盛られた事に気づき、必死で私を救おうとした。が、数分後に咳は収まり私は何食わぬ顔で彼を見ていた。その食事には、致死量の毒が盛られていたそうだ。
私の身体は毒への耐性がとても高かったのだ。彼はそれを逆手に取り、ありとあらゆる毒を私に摂取させた。苦痛を強いられる時もあったが、私は絶対に死ななかった。そうして沢山の毒の耐性をつけた頃には十二歳になっていた。
つい先日、普通の未来が望める身体になったのを奪われた。私はこの先一生家庭を持つ事が適わない。それがどれほど異常だったのか、分かっていたがもう止まれなかった。そもそも、そんな未来を望んだ例はないのだ。
誕生日の日、私は彼に呼び出された。初めて女を武器にして、彼と一夜を過ごした。この人ロリコンだったんだなあと、まだ育ちきっていない自分の身体を眺めながら思った。ベッドに寝転びながら、彼は私の手の平に口紅を握らせた。
「これはキスした相手を殺す事が出来る毒が入ってる」
力では適わないのはもうどうしようもなくて。性別差というのはこの日までにも何度だって感じてきた。
だから、君はこれで人の命を奪うんだよと、抱きしめられながら言ってきた彼に一度頷く。36度の温もりが嬉しくて、これを求めていたのだと彼の胸元に頭を埋めた。この人が今の私の世界の全てだ。手を離されたら私は死んでしまうだろうか。それでもいいや、温もりのない人生なんて意味がない。
彼が悪だろうが何だろうが、私は彼の所有物なのだ。
「初めての仕事をあげよう」
手渡された紙に書かれていたのは、ある人物の殺害依頼だった。書かれた名前に、私は驚きながらも口角が上がってしまったのを気づかれる。彼は優しく、私の髪を梳いた。
「君の、新しい名前を決めないと」
「新しい?」
「そうだよ。そのままじゃこの世界で生きるには難しいからね」
うーん、そうだな。髪を梳く手を止めず彼はうんうんと唸る。やがて思いついたのか、私の頭を撫でた。
「オンディーヌ」
初めて殺した人間は実の兄だった。
父と同じ悪さをしたのかマフィアに目をつけられた彼は、成長した私を見て妹だとは気づかなかった。そのままベッドにもつれ込んで殺してしまおうとしたけれど触れた彼の温度が温かくて、私は実の兄妹だと分かっていながらもその熱を奪い切り、キスで兄を殺したのだ。
初めての殺しの後、屋敷に帰ると門の前に彼がいた。おかえりと微笑み私を迎え入れた彼は、身体に残る匂いに気づき顔をしかめた。そうだ、シャワーを浴びてから帰るべきだった。
「先に殺しなよ」
「温かかったから」
「僕の物なのに、困ったなあ。育て方間違えたかな」
彼に育てられる事自体が間違っているとは言わなかった。あのまま孤児院にでも預けられていたら私は真っ当な生活を送っていたのかもしれない。あくまで、希望的観測だが。
「溺愛したのに他の男に尻尾振っちゃうんだ」
「殺したよ」
「うーん、悲しいね」
たいして悲しくもないくせに、大袈裟に項垂れた彼は私の事を抱きしめた。伝わる熱に、兄だったものの熱を思い出す。死んだら冷たくなるんだなあと、その時初めて気づいた。いつか、私も冷たくなる日が来るのだろうと、その時は彼に殺されるのかななんて、色んな事を考えながら与えられた熱に思考を放棄した。
それから数年後、貴方に会うまでは。
隣から声が聞こえた。
寝ぼけ眼で目を擦り瞼を持ち上げる。白いカーテンの隙間から陽が差し込んで天井を輝かせていた。寝返りを打つと真っ白なシーツの中半裸で電話をしている貴方の姿が映った。何でこの人半裸なんだろうと思い手を伸ばすと自分が目の前の人物の着ていたシャツを着ている事に気づく。着た覚えがないから恐らく着せてくれたのだろう。ベッドサイドのゴミ箱には昨日死体から奪ったワイシャツが見るも無残になって捨てられていた。
独占欲の塊だあ。声に出さずまどろみながら口角を上げる。貴方の身体についた傷痕の中に新しく咲いた花が見えて、お互い様だあと自分の胸元を見やる。そこには大量の花が咲いていて、これはきっと怒られるなと思った。
「はい、失礼します」
電話を切った貴方は鬱陶しそうに前髪を搔き上げる。後ろの毛が跳ねていて寝起きだという事が分かった。
「起きてんなら言えよ」
「電話中だったから」
「どうせ隣にいるのバレてんだし、声聞かせろって言ってた」
「すぐに会うから待っててねダーリンって言えばよかったね」
枕元に腕をついた貴方は覆い被さるように唇を落としてきた。触れるだけの熱の雨が顔中に降り注いで
思わずにやけてしまう。起き抜けはいつも甘い。毎回こうであってくれればいいのに。
「一週間休みやるから終わったら帰ってこいだと」
「一週間しかくれないの?」
「本人に言え」
何ヶ月潜入していたと思っているのだ。唇を尖らせて文句を言うが、言い出した当人には届かない。立ち上がった貴方はカーテンを開ける。真っ白な海街が陽の光と共に姿を現した。それを見て、帰って来たなあなんて思いながらも目を伏せる。眩しくて適わなかったからだ。
この海街は私を引き取ったマフィアが所有する土地である。詰まる所、彼の管轄だ。船に乗って一時間もすれば本邸のある島までたどり着く。彼がこの海街に私を住まわせるようになったのは、沢山人を殺して成果を上げたからプレゼントという意味らしい。私としては、ここに住まわせる事でいつ何時でも殺せる事を忘れるなと言ってるみたいだった。
「あったかそうだねぇ」
夜明けに出発し十時間以上のフライトだった。ビジネスクラスだったけれど、飛行機は窮屈だしつまらない。いっその事、彼がプライベートジェットを飛ばしてくれても良かったのにと呟いたが、私たちが滞在していた寒い寒い国に彼は睨まれているため、諦めて普通に飛行機に乗った。
そこからフェリーに乗って、やっと家に辿り着いた時には日付変更線を跨いだ所だった。国を横断したせいで夜から夜へと移って来たのだ。そのままシャワーを浴びて、泥のようにベッドにもつれ込んだ。
のが、つい数時間前の事である。
「今何時ー?」
枕元に置かれた時計は午前十時を示していた。結構いい時間に起きれたのではないだろうか。こんな生活を続けていると時差ボケに慣れてしまい、いつでもどこでも何をしていても、簡単に眠って物音ひとつで起きれるようになってしまった。
「モーニングの時間だ」
「もう朝じゃない」
「朝だよー、針がてっぺん差してなければ朝なんだよ」
起き上がり一つ伸びをする。貴方は半裸のまま寝室を出ていった。恥も外聞もないが、この暖かな土地では半裸でも快適に過ごせてしまう。私も私で、シャツを返す事もせずそのままベッドから出た。乱れたシーツを軽く整え、顔を洗うために洗面台へと向かう。お気に入りのスキンケアが顔を出し、やっぱりこれだと頷く。シャワールームから水の流れる音が聞こえ、貴方の匂いのシャンプーが鼻孔をくすぐった。
一週間は私もこの匂いに戻るのかと思いながら、黒くした自分の髪を戻そうと決めた。
モーニングはトーストにポーチドエッグ、ベーコン数枚とサラダ、コンソメスープにラズベリージャムを乗せたヨーグルトだった。コーヒーの匂いが鼻孔をくすぐり私はソファーに投げ出していた身体を起き上がらせる。出来たぞなんて言ってくれないくせに、私の好きなジャムを用意する当たり不器用な奴めと思ってしまう。
シャワーから上がった貴方はやっぱり半裸のまま肩にタオルだけをかけて席に着いた。何一つ調理をしていない私は向かいの席に腰かける。モーニングの時間じゃないとか言っていたのに、しっかりと良質なモーニングを作る貴方は世話焼きだなあと思ってしまう。誰のせいでこうなったのか。私と、彼のせいだろうな。
コーヒー片手に新聞を読む貴方と、椅子の上で膝を抱えマナーなんて気にもせず大口を開けてトーストを頬張る私。
それは確かに、平凡で幸福な朝だったのだ。