流れ取り
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
おおっ! またゴールだ!
すげえ。この試合、乗ってるなああっちのチーム、1回戦とはいえ、サッカーで6-0なんて、そうそう出るスコアじゃないだろ? まだ10分くらい残ってるぜ、時間。
序盤からいい流れだとは思っていたけどな。最初の点が、コーナーキックからヘッドで合わせる、理想的な得点だったろ? あそこから、もりもりチームが攻め気を出してきたように思えんだ。
対する向こうのチームは、防戦一方。序盤は疲れがまだないと思うんだが、動きがにぶい。トラップのミスを、うまいところ相手方に取られてるな。支配率もシュート本数もボロ負けじゃねえか? ひっくり返すのはむずいだろうな……。
「流れ」は本当に存在するのか、どうか? この議論、前々からたくさん行われてきたらしい。集団競技なら、「誰かの奮戦に勇気づけられて、士気があがる」と説明できるかもしれん。だが個人戦の場合の流れは、どう説明したらいいのか?
俺もはっきりしたことは分からないが……流れってのは確かにあるんじゃないかと、感じた経験がいある。
そのときの話、聞いてみちゃくんないか?
「最近さ、ウチの犬の調子が悪いんだよ」
そんなことをあいつが言い出したのは、宅飲みがひと段落して、一卓囲む用意をしているときだった。
アルコールが入って、気が大きくなってからやるマージャン。どんなチョンボがあるか読めないんで、俺はひそかに楽しみにしていた。
ちゃぶ台に毛布をかけて雀卓代わり。点棒を数えている間も、延々飼い犬の話をしてきた。
近所に住んでいる俺は、その飼い犬のことは小さいころから知っている。もう10歳くらいになるだろうから、人間でいえば還暦間近ってとこ。そりゃ体のどこかしらも悪くなるだろうさ。
「だからさ、今回の勝負は勝たせてもらう。あいつのためにもな」
きりっと締めくくってくるあいつに、俺は苦笑いしたよ。
――そんな心配なら、マージャンなんかせず、さっさと家に帰って動物病院にでも連れて行ったらどうだ?
だいたいこんなことを言ったと思うが、あいつは意に関した風は見せず。そのままそれぞれの風を決めて、半荘が始まった。
東二局。親になった俺は快調だった。
親ならガンガンあがって、連荘を維持すべし。最初にマージャンを教わったときに、叩き込まれたモットーだ。
安手であっても構わない。特急券をすぐに鳴き、ドラが手元に固まれば、強引にでもリーチをかけていく。更に、バラバラの配牌であろうと、無駄ヅモなく手が広がりまくり、誰よりも先にテンパイすることもあった。
すでに2位との差さえ、20000点を越えての7本場だ。8連荘は役満扱いのローカルルールだったから、もう一度連荘すれば、それだけで皆から16000点ずついただける寸法。とっておきのダメ押しってやつだ。
――これは、もらった。
今回の配牌でも、リャンシャンテン。つまり必要な牌があと3つくれば上がりという状態。完全に流れが俺に来てる、と思ったね。
その一巡目で「ポン」と手を突き出しつつ遮ってきたのは、犬のことを話していたあいつだ。
俺が最初に捨てた白を鳴き、場にさらす。いわずもがなの特急券だが、単体では1飜役。すでに5連荘を越え、2飜しばりが設けられているから、これだけではあがれない。
――ホンイツ? いや、トイトイの線も捨てがたいか。
俺の手牌は、今ので字牌が切れた。攻めるなら、これから字牌、風牌は即切り態勢だが。
「ポン」
三巡回らないうちに、またもあいつが鳴く。今度さらされるのは「中」。否が応でも俺たち三人の目の色が変わる。
――大三元、あるか? 誰もまだ「發」出してないもんな……。
白、發、中の三枚を、鳴いてでもそろえられたら、大三元の役満。3位のあいつにとっては、起死回生の一手になる。
じりじりと様子をうかがうも、あいつはツモ切りを連発。すでに手ができあがっているのかと、ひやひやしてきた。
そして俺が引いてくるのは、はじめての「發」。
――切れねえ。
あがり牌を出したら、あがった人は出した人からがっつり点数をいただくルール。直撃すれば点数がひっくりかえる。
もしあがらなかったとしても、同じように鳴かれたら責任払いだ。犯罪者ほう助のような扱いで、たとえ他のあがり方をしようが、払うのは俺になる。
だが、發は俺の手の中で、どれともつながらない。もう一枚くれば話が違うが、このまま一枚だけ持ち続けた場合、せっかくのテンパイ近い配牌が台無しだ。もちろん8連荘にも支障が出る。
――もともと8連荘はダメ押し。どうせもう一度親は来るんだ。ここはおりる……!
發を退け、別の牌をスタンと河へ置いて。
「ロン」
牌を倒し、そいつがあがりを告げてきたんだ。
役は白、中の2役。この状況では最低限度のあがり。
だが、親は流れた。8連荘は消え、子になったことで、あがったときの点数も減る。
そこからは完全に、流れが変わった。俺は捨てたばかりの牌と、同じ牌ばかり持ってくる「キルクル」の法則にはまり、足踏みしている間に、ちまちまと他の3人に稼いだ点をむしられていった。
マージャンのあがり役は多い。ちょっと振り返れば、いくらでも手を組み替えられたのに、連荘を逃してからの俺は明らかに精彩を欠いてた。配牌をぱっと見て、ひらめいた手に向かって猛進し、玉砕していく。
南場入りしての親もすぐ流れてしまい、終わってみればあいつがトップに躍り出ていた。
「さっそく、この勝利をあいつに捧げに行くぜ!」と、あいつは片づけを終えると、早くも帰る準備。同じ方向の俺もそれに合わせて支度をして、同時に友達の家を出たんだ。
「完全にやられたな。あそこのあがりで、全部持ってかれた感じだぜ」
帰り道で、先ほどの半荘を振り返る。運の向きが、あれをきっかけにすべてひっくり返っちまった。
あいつは「悪いね」と笑いながら、手をひらひらさせる。心なしか、その手に黄金色の糸らしくものが、ゆるく巻いて風になびいているのが見えた。
「あんまりいい流れだったからね。ぶった切らせてもらったよ。おかげでいい贈り物ができそうだ」
「例の犬……ペコだっけか? 戦勝報告で、そいつが良くなるのか?」
「いや、ただ勝つだけじゃ、あんま意味なかった。今日のような勝ちだから、意味がある」
首をかしげる俺。やがてそいつの家の前まで来て、ガレージ横の縁側へ寝そべるペコのそばへ。
モップのような毛を生やす、コモンドールのペコ。大型犬のはずなのに、こいつは10年前からさほど体が大きくなっていない。ただ毛だけがぼうぼうに長くなって、寝そべっていると本当にモップの一部かと思ってしまう。
すでに日が暮れて長く、白い毛並みも夕闇の中へ沈みかけていたが、あいつが近づくとぴくりと体を震わせ、顔を持ち上げた。
「いい『流れ』があったよ。ほれ、受け取りな」
あいつが手を伸ばすと、今度は手のひらや腕ばかりでなく、体中から先ほどのような黄金色の毛が浮き上がり出す。それがあいつの手を伝い、ペコへペコへと流れていくんだ。
白い毛並みがすっかり金色に変わり、一瞬きらめいたかと思うと、すぐ光は引っ込んでしまう。
ペコ自身はというと、先ほどのぐったり具合はどこへやら。四本足で立ち、しきりにあいつへ向けて鼻を鳴らしている。夜中に吠えないあたり、しつけが行き届いているといえるのか。
「これであと、数か月は大丈夫だろう。ありがとね」
あいつの礼を受けながら、俺は不思議な気持ちでいっぱいだったよ。
それからも何度かあいつを遊びに誘ったんだが、特に対人戦で強かった。
追い詰められて、追い詰められて、完全にやられるってところで、流れを一気に引き寄せ、逆転する。そんな勝ち方ばかりだったんだ。
観客がいれば盛り上がるかもだが、やられた方は面白くない。友達の中では、あいつと一緒に遊ぶのを遠慮する者が出てくる始末。
あいつ自身、数年間はその逆転劇に恵まれたが、ある時からぱたりとそんなことはなくなり、人並みの勝ち負けに終始するようになる。
もしやと思って尋ねてみると、ペコが亡くなった日を境に、あの流れをぶった切るような勝ち方はできなくなったのだとか。