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はち  その愛おしい笑みが、貴女の平穏な幸せが、どうかずっと続いてくれますように。

ハーディ視点

 


 据え膳食わぬは男の恥。なんて言葉を言い訳に、女に誘われたらすぐに応じる幼き遊び人。


 それがハーディ・ジュリアス・シュタイエルという男でした。


 しかし遊び人と言えども、好きな女がいないわけではないのです。


 イェルカ姉上のことが、俺はずっと好きでした。


 仲睦まじいアルフレート兄上とイェルカ姉上のことが、羨ましくてたまりませんでした。


 他の女を抱きながら、何度イェルカ姉上のことを考えたか知れません。



「ハーディ殿下、ご相談が……」

「どうしました、イェルカ姉上」


 ある日のこと、俺を毛嫌いしているイェルカ姉上が俺を頼ってきたことがありました。


 まあ嫌われているのは俺が口を開けばイェルカ姉上のおっぱいのことばかり言っているせいでしょうが、深刻な顔をしてどうしたのでしょう。


「アルフレート殿下って、ものっっすっごく、可愛いのです」

「ええ、そうですね。我が兄ながら俺も可愛いと思いますよ」

「でしょう!? そうでしょう!? アルフレート殿下って、とーっても可愛いですの!!」


 深刻な顔から一転、ゆるゆるに頬を緩ませてイェルカ姉上は幸せそうに微笑みました。


 ……そんな笑み、好きでもない男に見せるものではありませんよ。姉上。


「それで……アルフレート殿下があまりに可愛いものですから……どうやら、他の方にも殿下が狙われていらっしゃるようなのです。……性的な意味で」


 こうやってコロコロと変わる表情を見ていると、イェルカ姉上とアルフレート兄上は似た者同士でお似合いだなと思います。


 しゅんと悲しそうにしているその顔を見ると、頭を撫でて慰めてやりたくなりました。

 けれどもイェルカ姉上は、そんなことは望んでいません。姉上の心を癒せるのは、彼女の愛するアルフレート兄上なのですから。


「それは心配ですね。可愛い上に頭がゆるふわな兄上ですから、騙されたらほいほい付いていってしまいそうですし……」

「そう! そうなのです。もうわたくし心配で心配で……」


 イェルカ姉上は、アルフレート兄上のことを心から愛しています。

 兄上を前にすると他のものなんて見えなくなるくらいの重さの愛で、いつも真っ直ぐに言葉をぶつけるような人。


 ああ、兄上が羨ましいです。こんなにも、愛されているだなんて。


「……なら、俺が身代わりになりましょうか」

「えっ……?」

「俺がアルフレート兄上の寝室で、兄上のふりをしましょう。兄上はイェルカ姉上の寝室にでも入れておけばいいと思いますよ。そうすればイェルカ姉上が兄上のことを見守れますし」

「でも……ハーディ殿下はそれでよろしいのですか?」


 愛しい貴女の不安を和らげるためなら、俺は何だってできますよ。

 俺はイェルカ姉上に、アルフレート兄上とともに幸せになっていただきたいのです。


「はい、俺のような遊び人に相応しい役目です。俺がうまくやりますから、どうか安心してください。夜の間、本物のアルフレート兄上のことは姉上に頼みます」

「はいっ、畏まりました。ハーディ殿下。責任持ってアルフレート殿下のことはお守りします。……ありがとうございます、ハーディ殿下」


 その愛おしい笑みが、貴女の平穏な幸せが、どうかずっと続いてくれますように。



 さらさらの金髪の鬘を被って、兄上の服を着て、兄上らしくあざとい少年を演じて。


 騙されて俺に抱かれて喜ぶ奴らの姿は、滑稽で仕方ありませんでした。


 ひとり、そう笑ってもいられない酷い女もいましたが。


「……イェルカ姉上、どうなさったのですか!?」

「……あら、ハーディ殿下」


 ナントカ・ドーティ・クーイとかいう名前の男爵令嬢――後から調べてみると正しくはナディア・ドロテア・カークという名でした――の相手をした次の日のこと、涙を流す愛しい人に会いました。


 愛しい人は窓から外の景色を眺めて、真珠のような美しい雫を頬に伝わせていました。


 そばに近づけば、イェルカ姉上は小さな声で、ぽつりぽつりと話してくれました。


「あのね……昨夜、アルフレート殿下に毒薬が盛られたのです」

「毒薬ですか!?」

「はい……宮廷医の処置で、お命は助かったのですけれど……お守りできなかったことが不甲斐なく……っ、苦しまれていた殿下のお姿を思い出すと、犯人のことが許せなくって……」


 イェルカ姉上は肩を震わせて、悲しそうにぼろぼろと泣いていました。


 いったい誰が、そんな酷いことをしたのでしょう。

 アルフレート兄上に毒を盛って、イェルカ姉上をこのように悲しませて。


 俺の大事な人を傷つけた者に、許しがたい憎しみを抱きました。


「……泣かないでください、イェルカ姉上」


 眦に口づけ涙をすすれば、彼女は驚いたように涙を止めました。


 見開かれた愛らしい瞳には、今だけは俺しか映っていません。貴女を泣き止ませることができたことを、とても嬉しく思いました。


「な……何をなさるのですか!?」

「俺が犯人探しに協力します。アルフレート兄上を害した大罪人は必ずや裁いてみせましょう」

「ハーディ殿下……。――たまには頼りになるのですね」

「たまにだなんて失礼ですね」

「……ありがとうございますっ、ハーディ殿下」


 その日の彼女の涙の味と笑った顔は、今でも俺の宝物。





 アルフレート兄上に毒を盛ったのは、調べてみるとあの夜の相手であったナディア・ドロテア・カーク男爵令嬢でした。


 俺はイェルカ姉上と協力して、ナディア嬢の罪の証拠を集め、そして――


「ナディア・ドロテア・カーク男爵令嬢を、今から断罪いたします。王族殺害未遂の罪です!!」


 アルフレート兄上の、イェルカ姉上へのサプライズプロポーズの場だったというのも。


 王太子の交替を面白おかしく発表する、父上の誕生祭での余興だったということも。


 俺にとっては、それらはメインイベントではありませんでした。


 俺にとってこの日は、愛する人を傷つけた極悪人を裁く断罪の日。


 イェルカ姉上と計画したナディア嬢の断罪は、俺にとって――……イェルカ姉上への愛の、集大成でした。


「死ねぇええっ!!」

「危ないっ、イェルカ――!!」


 あのとき。ナディア嬢がイェルカ姉上を突き刺そうとしたとき、驚いて動けなかった体を呪いたくなりました。


 アルフレート兄上が床に倒れた音ではっと我に返り、次いでふらりと倒れそうになったイェルカ姉上を抱きとめました。


「イェルカ姉上……っ」


 目覚めたイェルカ姉上には笑ってお話ししましたが、実は俺も勘違いしていたのでした。イェルカ姉上が、本当に剣で貫かれてしまったのではないかと。


 安らかな顔で目を瞑っていたイェルカ姉上の息を確認し、次に脈を確認しました。その後剣に貫かれたように見えた体をよくよく見てみて、全く血が出ていないことに気づいたのです。


 本当に、何の奇跡か。


 剣はイェルカ姉上のおっぱいの谷間に挟まっているだけでした。


 そのとき俺が思わず安堵の涙を流してしまったことは、イェルカ姉上もアルフレート兄上も知らないでしょう。





 そうして、時は過ぎて――数カ月後。


 俺とイェルカ姉上とアルフレート兄上は三人でゆったりと一緒に過ごしていました。

 イェルカ姉上は赤子にお乳を飲ませ、アルフレート兄上は眠る赤子を抱いています。


「イェルカ姉上、やっぱすげぇおっぱいですね」

「ハーディ殿下。いつまでそんなことおっしゃるつもりです? まったく、授乳シーンをそんないやらしい目で見られましたら、貴方の娘にもよくありませんわよ」


 呆れたようにそう言うイェルカ姉上は、先日無事に赤子を出産して母になりました。


 生まれた子はやはり宮廷医の予想通りの元気な男の子で、彼はクレスと名付けられ、今はアルフレート兄上に抱かれています。


「クレスももちろん可愛いですが、エミーもとても可愛らしいですわ……」


 イェルカ姉上が愛おしげにお乳をあげている子はエミーという名の女の子で、俺とナディア嬢の間に生まれた子です。クレスが生まれた一週間後に生まれました。


 ナディア嬢はエミーを生んですぐに、処刑されるのを恐れてか自殺してしまいました。


 イェルカ姉上はナディア嬢のことをたいそう恨んでいるはずでしたが、生まれたばかりで母を亡くしたエミーを哀れに思ったのか、その知らせを聞いたときには泣いていました。


「イェルカ姉上がエミーの乳母になってくれて、俺はとても感謝しています」


 俺はエミーの他にも四人の子を持つ父親ですから、エミーばかりにかまけているわけにはいきません。

 他の子の母親となった令嬢たちもみんないっぱいいっぱいで、エミーの世話をどうすればいいのか困っていたところ、イェルカ姉上が乳母を引き受けてくれました。


 公爵となったアルフレート兄上は王宮の近くに建てられた邸宅にイェルカ姉上と住んでいて、俺が今いるのもその邸宅の一室です。エミーは親権は俺にあるまま、ふたりの家で育てられています。


「あら、わたくしたちもハーディ殿下には感謝しておりますわ。ねえ、アル?」

「ああ、ハーディのおかげで僕は性的に襲われることなく生きてこられたし、僕らを害したナディア嬢の罪を皆に明かすことができた。……まあ、彼女は正式に罪を裁かれる前に自ら命を絶ってしまったが……」

「何はともあれ、ハーディ殿下にはとても感謝していますの。……ありがとうございます、ハーディ殿下」


 幸せそうに微笑むイェルカ姉上を見れば、アルフレート兄上の身代わりになったのも価値があることだったのではないかと思います。ふたりの幸せを守れたのなら、俺もとても幸せです。


 エミーの授乳を終え、イェルカ姉上とアルフレート兄上は、エミーとクレスをベビーベッドへと寝かせました。

 パステルカラーのベビーメリーはどちらにも可愛らしいものが付けられていて、そんなこども部屋の様子からも、ふたりがエミーのことを我が子のように大切にしてくれている事がよく分かります。


「じゃあ、ふたりのことをお願いね。愛しい貴方」

「ああ、任せろイェルカ。愛している」


 ただイェルカ姉上が俺を玄関先まで見送りに行くというわずかな別れの前でさえ、ふたりはいってきますのチュウをしています。相変わらずのラブラブっぷりです。



「今日はありがとうございました。ハーディ殿下。お気をつけてお帰りください」

「はい、イェルカ姉上。……ところで、ひとつ伺ってもいいですか?」

「はい、なんですか?」

「どうしてあんなにエミーのことを大切にしてくださるのです?」


 憎き相手の子どもなのに、自ら進んで彼女はエミーを育てると言ってくれました。


「そうですね……」と少し考え込むように視線を落とした彼女は、ぱっとこちらに目を向けると聖母のような柔らかな微笑みを見せました。


「ナディア嬢の罪は、到底許せるものではありません。けれどクレスをお腹に宿すことができたのは……きっかけを作ってくれたのは彼女ですし、その点だけは感謝しています。それに、母がどんな人であれ子どもであるエミーには何の罪もありません。そして、わたくしは……ハーディ殿下に恩返しがしたいのです」

「恩返しですか?」

「わたくしは、ハーディ殿下が快諾してくださったままアルの身代わりになっていただきましたが……後から、遊び人だと思われていた殿下にも愛する人がいたのだということを知りました。あの日まで全く気づかずにいて、ごめんなさい。お辛い役目を押しつけてしまっていたのなら、ごめんなさい。あの日の告白の答えを……今、返させていただきたく思います」


 まさかあの日の話を今されるとは思わず、俺は思わず目を見開きました。

 あの日――アルフレート兄上から、イェルカ姉上の妊娠の話を聞いた日。


 俺はイェルカ姉上のおっぱいに一瞬触るという馬鹿な悪戯をした後、堪えきれずについに思いの丈を呟いてしまったのでした。


『俺はイェルカ姉上のことをずっとお慕いし、愛していました』と。


 そのすぐ後にアルフレート兄上がやってきて、それ以上の話をすることはないまま、なかったことになったとばかり思っていました。聞かなかったことにされたとばかり。


「殿下のお気持ちは嬉しく思い、受け取りました。しかしわたくしは、アルだけを殿方として愛しています。それは絶対に変わりません。ですから殿下と同じ形の愛を、殿下に向けることはできません。けれど、家族として……わたくしはハーディ殿下のことを、家族だと思っております」


「……はい」


「ですから家族としては、愛しておりますわ。ハーディ殿下。殿下のおかげで、わたくしたちの幸せは守られましたの。……本当に、心から感謝しています。ありがとうございました。いろいろ大変だとは思いますが、何かあればこちらも力の限りお支えしますので……ハーディ殿下も、どうかお幸せに」


 イェルカ姉上。この言葉を貰えて、俺は報われた気がします。


 貴女が今、俺だけに向けているその慈愛に満ちた笑顔を。

 俺がどれだけ嬉しく思っているのか、貴女が完全に知る日はきっと来ないでしょう。


「はい、イェルカ姉上。では、また」

「はい、また」


 笑顔で手を振って邸宅を出た後、俺は人知れず泣きました。

 好きな人にはっきりとフラれたというのに、心は晴れ晴れとして、どうしようもないほどに満たされていました。



 愛しいイェルカ姉上。本当に大好きでした。


 俺もいつかイェルカ姉上を、家族として愛せるようになりたいと思います。


 イェルカ姉上は、俺の初恋の人でした。

 俺の愛おしい人でした。


 けれど、もうイェルカ姉上のためだけを思って生きることのできる日々は終わりです。俺には他に、守るべき女と子どもたちがいるのですから。


 必ずや俺も、幸せな家庭の形をつくってみせましょう。

 イェルカ姉上とアルフレート兄上に負けないくらいに、幸せになってみせましょう。


 そしていつか――「家族として、愛しています」と、貴女に本心からの、二度目の愛の告白をしますから。


 俺がこの恋心を捨てて貴女を家族だと思える日を、どうか待っていてください。イェルカ姉上。



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