いち 殿下可愛い! 好き!
「イェルカ・フォン・シルベスター公爵令嬢! 貴様との婚約を破棄する!!」
国王陛下の誕生祭にて、アルフレート・ジュリアス・シュタイエル王太子殿下はそう宣いました。
アルフレート殿下の左腕には、ナディア・ドロテア・カーク男爵令嬢がしたり顔でひっついておられます。
わたくし――イェルカ・フォン・シルベスター――はたった今、婚約破棄を宣言されたようでしたが、その心は意外なほどに落ち着いておりました。
人々のざわめきの中、わたくしは笑顔でアルフレート殿下のもとに近づきます。
「あら殿下、今日は婚約破棄ごっこですか? 可愛いですね」
「ごっこ遊びではない! 僕は本気なのだっ!」
あらあら、本気という設定でしたのね。なるほど。
それでしたらわたくしも、気合を入れてお付き合いいたしましょう。
プンプンと怒ったように顔を赤らめるアルフレート殿下は、今日もたいへん可愛らしいです。
……ああ、そのさらさらの金髪を撫でてさしあげたい!
そのキラキラとした碧眼を潤ませて泣かせたいっ!
「その目はなんだイェルカ! 人前でそんな、キラキラとした愛らしい瞳を見せるでない!」
あら、いけません。わたくしとしたことが。
ついつい殿下を愛でるときの目をしてしまっていたみたいです。
今宵のわたくしの役柄は、どうやら悪役令嬢。
下手な振る舞いは控えさせていただきましょう。
……あとでいっぱい可愛がってさしあげますからね! アルフレート殿下!
「わたくしとの婚約を破棄するとおっしゃいましたね、アルフレート殿下。理由をお聞かせ願えますか?」
溢れんばかりの愛を必死に抑え、わたくしは冷静に振る舞って殿下にお尋ねします。
「理由だと? はっ、自分の胸に聞いてみるが良い」
「え? 胸に触りたい? あら殿下ったら積極的!」
「違う!! そんなこと言ってない! イェルカ、本当にやめてくれ。頼むから。……そっ、そういうのは、ふ、ふたりっきりのときにな……」
後半の台詞を小さな声でゴニョゴニョとおっしゃると、頬を真っ赤に染めて、アルフレート殿下はうつむいてしまわれました。
ああ、もう十四歳であられると言うのに、どうしてこんなにも可愛らしいんでしょう。これだから殿下をからかうのはやめられません。
でも、そうですね。うんうん、なるほど。
わたくし、殿下が何をなさりたいのか分かりましたわ!
殿下、最近流行りのあの小説に憧れていらっしゃるのですね!?
わたくし、精いっぱい演じさせていただきます!
「胸に聞いてみても分かりませんわ。わたくしは誠心誠意、殿下のおそばでお仕えしてきましたもの」
アルフレート殿下はぱっと顔を上げ、まだほんの少し赤い頬のまま、キリリとした表情を作られました。
はい、本日の殿下の本気、見せてくださいませ!
殿下はきっと、悪役令嬢断罪ざまぁをなさりたいのでしょう! さあ、ざまぁしてくださいまし!
「君の噂を聞いた。君がナディア嬢を虐めていると」
「あら、証拠がございまして?」
無論わたくしがナディア嬢を虐めている事実はございませんので、証拠など出てくるはずがありませんけれど。
何か偽装したとしても、わたくしは王太子殿下の婚約者の公爵令嬢。
学園でも大した成績を収めていないナディア嬢が、策略でわたくしに勝てるとお思いで?
嘘をついても暴かれるのが目に見えておりますわね。
「ナディア嬢、証言を」
「はい……っ、アルフレート殿下……」
あらナディア嬢。その涙はどこから持ってきましたの?
突然出てきたので、わたくしびっくりしてしまいましたわ。
そうね、貴女の嘘泣き能力だけは認めてあげてもよろしくってよ?
「イェルカ様は……わたくしが男爵家の生まれだからと、わたくしを召使いのように扱われて……っ」
ほうほう。
わたくしの友人にも男爵令嬢――もちろんナディア嬢ではありませんわよ――がおりますが、わたくしは家柄を理由に彼女たちを召使い扱いなんてしておりませんわ。ナディア嬢に対しても同様です。
甘ちゃんなナディア嬢なんかよりも、きちんと使用人としての教育を受けているメイドの方がよっぽど役に立ちますもの。貴女に何か頼んだら、むしろ面倒なことをしでかされそうですしね。
「零した紅茶をスカートで拭けだとか、肩を揉めだとか、足を舐めろだとか……っ」
いや、スカートで紅茶を拭くなんてそんな非効率的なことを命じて何になりますの?
吸水性も悪いですし、そんなことをさせたら着替えさせる必要も出てきますし……。
って、そんなことより! なんですの!?
わたくしの肩を貴女が揉むなんて絶対嫌ですわっ!
それに足を舐めるですって?! 虫唾が走るわ!
そんなこと、普通の召使いにだってやらせないわよ!
……ナディア嬢、ご覧なさい。
真に受けたアルフレート殿下が瞳をうるうるさせていらっしゃるじゃありませんか。
大丈夫ですわ殿下。わたくしの肩も足も胸も何もかも貴方様のものですから。
殿下可愛い! 好き!
「他にも、発育のためにと胸を揉ませられたり……」
ナディア嬢、本当にお隣にいらっしゃるアルフレート殿下をご覧になって?
泣きそうでいらっしゃいますわよ。
貴女が殿下を泣かせましたら、そのときには……分かっておりますわよね?
「あまつさえ、わたくしの寝込みを襲ってきましたの!! 色欲悪魔という噂は本当だったのですわぁ!」
あらあらあらあら。
殿下がとうとう泣いてしまわれましたわ。
けれど人前で涙を見せまいと、必死に誤魔化して拭っていらっしゃる。
ああ、お慰めしたい。
抱きしめてさしあげたい!
しかし、今宵のわたくしは悪役令嬢役。
今はまだそのときではございませんね。
それにしても……わたくしって、女の子にまで手を出す女だと思われているのかしら?
色欲悪魔と言われましても、わたくしはアルフレート殿下のお体にしか興味はありませんのに。
まあそれは一旦置いておくとして、ナディア嬢の方ですが……どう潰してさしあげましょう?
「なんて酷いことを……失望したぞ、イェルカ……!」
ええ、アルフレート殿下。分かっておりますわ。
わたくし、行間を読むのは得意ですの。
これは……「僕以外の人に胸を揉ませるなんて酷いことをしたな。君の胸は僕のものなのに。失望したぞ、イェルカ。あとで僕が揉んでやるから覚悟しておけ!」――ですわねッ!
「うぅっ、アルフレート殿下ぁ……!」
「ああ、ナディア嬢。そんなに悲しまないでおくれ」
ナディア嬢をぽろぽろと涙を零し、その豊かなお胸――わたくしのと比べたら大したことありませんけれど――をむぎゅうと殿下の腕に押しつけております。
ああ、哀れねナディア嬢。殿下のお顔が青ざめていらっしゃるわ。それほどまでに貴女のことがお嫌なご様子。
……まあ、無理もない話ですけれど。
「でも殿下、わたくしもいけなかったのです。殿下がイェルカ様とご婚約なさっている身であると知りながら、わたくしは貴方と愛し合ってしまったのですから!」
……お? おっ?
お前いま何て言った?
愛し合っている?
「イェルカ様、わたくしを虐めた件については許してさしあげます。ですからその代わりに、殿下の婚約者の座から引いてください」
え? 図々しいが過ぎるのでは??
「あら嫌ですわ。婚約者の座は、学生の間の虐めなんていう些細なことを理由に譲れるものではありませんの」
お断りですわ、ナディア嬢。わたくしがアルフレート殿下と愛し合っているのですからね!
「お願いです、イェルカ様。どうか……わたくしと殿下の、お腹の子のためにも!」