暁に祈る
作中の用語は歴史学者の指針に従って「当時の人々が使っていた呼称」を用いました。
また旧仮名遣いと旧字体は雰囲気作りの演出です。
「全員、整列!」
駅の構内に声が響き渡る。待合室で寝ていた俺は驚いて目を開けた。
真っ暗だった。
盆休み前の残業を終えて久々に飲んだ酒が思ったよりも応えた俺は、酔っ払ったまま自宅のある駅を寝過ごし、終点手前の無人駅で降りた。
終電が行った後だったので帰る手段を失い、明日からは休みということでホームの待合室で寝ていたのだが、突然の大声に驚いた。
だが周囲は暗闇で、誰かがいる気配もない。
「揃つたか?」
再び大声が響く。
「小隊長殿、田中伍長の隊が來てをりません!」
「何ぃ? たるんどる!」
どこの軍隊だよ。
つか、何かの撮影か?
「申し訳ありません、田中伍長、ただいま到着しました!」
「貴樣、何處に行つてをつた?」
「用を足しに行つてをりました」
「馬鹿者!」
おいおい、トイレぐらいで怒るなよ。
「貴樣への處罰は作戰終了後とする。整列せよ」
「はい!」
複数の足音がして、辺りに静寂が戻る。
「では作戰行動の確認を行ふ」
マジで、どこの軍隊だよ。
「本日未明より、各自の自宅前に散開し、合圖の野火を以て家々に歸還するものとする」
何だよ、その作戦?
「今年で終戰より七十五年が經過し、孫や曾孫の代で供養が斷絶してゐる者は、この場にて待機とする」
おい。
「更に今年は支那大陸より疫病が持ち込まれ、滿足に供養が行へないなど不測の亊態も有り得る」
コロナのことかー。
「そこで貴樣らは、涙を飮んで戰略的転進を厭ふものではないと心得よ!」
「はい!」
「よぉし、それでは分隊ごとに進發せよ」
足音も高らかに大勢の人々が行進してゆく。
「勝つて來るぞと勇ましく」
俺が寝ている待合室の横を歌いながら通り抜ける。
「誓つて故郷を出たからは」
この歌は軍歌か。
「手柄立てずに死なりやうか」
フラグ立てんじゃねーよ。
「進軍喇叭聞く度に」
途中でチラリと見た後ろ姿は背中に大きな袋と小銃を担いだ兵隊そのものだった。仄かに光っている。
「瞼に浮かぶ旗の波」
歌声が遠ざかる。行ったようだ。
部隊が行ってからボソボソと話し声が聞こえて来た。
「軍曹殿、居殘りでありますか?」
「儂のところは昨年、孫の代に遷つて、軍人の供養は出來ないなどと云はれてな」
「これは失礼致しました」
「良ひ。貴樣の殘つてゐる理由は何だ?」
「空襲で家族全員が死亡し、兄弟の子が面倒を見てくれてゐたのでありますが、その者もこちらに入り既に數年であります」
「何處も似たやうなものだな」
どうやら数人が居残り組のようだった。お盆休みに先祖供養をするにしても、軍人に対するイメージが悪いから、こうして取り残されてしまうのか。
「靖國で會はむと誓つた戰友も、年々減つてゐる」
「寂しひものだな」
しんみりされると居心地が悪い。
「さて、それでは儂らも行くか」
「軍曹殿、何方に?」
行く当てもなしにどこへ向かうのだろうか。
「最近はな、護國神社へお参りする若者が增えてゐると聞ひた」
「靖國ではないのですか?」
「お盆休みに故郷へ歸るのは、今も昔も変はらぬものよ」
「諒解しました! お供致します」
兵隊たちが急いで立ち上がる雰囲気が伝わって来る。
「嗚呼あの顔であの声で」
また歌いながら行くのか。
「手柄頼むと妻や子が」
せがまれたから手柄を立てたかったのか。
「千切れるほどに振つた旗」
それはヤケクソじゃないのか。
「遠ひ雲間にまた浮かぶ」
おいおい、全然勇ましくないじゃん。
俺は何故か涙が止まらないままに、眠りに落ちていた。
翌朝、夜明けの空を見ながら俺は背筋を伸ばした。
「兄さん、ここで一晩明かしたのか?」
掃除道具を持ったおばさんが驚いた表情をしている。
「夜中に、出ただろう?」
「兵隊さんの話ですか?」
おばさんは大きく頷く。
「お盆の時期は必ず出るって噂で、しかも連れて行かれると言われているのに」
「昨夜の話では、各ご家庭に帰るとのことでした」
「はあ、それじゃ連れて行かれるのはあちらへ戻る時だね」
おばさんは驚くと同時に、納得したように頷く。
もしかして、俺、超ヤバかったのか。
今更ながらにゾッとした。
今年は帰省出来ないけど、来年からは先人に感謝を捧げよう。
俺は一年間の平穏無事を、暁に一際輝く星に祈った。