第7話 【4月25日】理子と名前と愛しい時間
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コンビニを出発してから、どれぐらい走ったのだろうか?
車内では耐え難い沈黙が続いていた。
車が何処へ向かっているのか、理子には全く分からない。だが、一刻も早く到着しと欲しいと、彼女は願う。
気まずい空気。息が詰まりそうだった。結局、静寂を破ったのは彼の方だ。
「……ミヒャエル・ワーグナーって言うんは、ドイツにおった頃の名前やねん。柏木渚が帰化してからの名前で……だから……その……騙してすまんかった……かんにん」
柏木のいつもの大阪弁。やはりミヒャエルは柏木だった。
「やっぱり! 何ですぐに教えてくれなかったの?」
「……鈴木さんのリアクションがおもろぅて……つい」
柏木は、煌めく様な爽やかな笑顔で答える。
「何それ! ムカつく!」
すかさず怒る理子。
「あはは嘘嘘、冗談やん」
「……むぅ(怒)」
「てか、お前こそ何で大人の飲み会に紛れ込んでんねん。しかも酒頼むし! 焦ってんで俺!」
「うっ! それは! ……すみませんでした」
理子は痛い所をつかれた。
「……まあ、えぇわ。何事も無く無事やったし。もう合コンなんか行かんといてな」
「……はい」
(あれ? お酒じゃなくて駄目なのは合コン?)
「はい」と答えて疑問が浮かぶ。
やがて車が目的の場所に着いた。海だ。海水浴シーズンにはまだ寒い。それでも疎らに人がいる。
浜辺のコンクリートの土手に、2人で並んで座り、話の続きをした。
「ドイツ出身なの?」
「いや、全然ちゃうで」
(?)
理子の頭にクエッションマークが浮かぶ。
「色々事情があって……出身は北欧やねんけど、名前を変えつつ、世界中旅しててん。んで、今は日本」
「そうなの?!」
理子はふと、柏木の髪を見た。その視線に柏木が気づく。
「知ってる? この髪色、日本ではプラチナブロンドって言うけど、本当はtowhead言うんやで」
「へぇ……(towheadの発音だけ、やたらネイティブだな……)どう違うの?」
「人工的に脱色したのが、プラチナブロンド。生まれつきの髪色がtowhead…日本風に発音するならトウヘッドかな?」
「ふーん……あっ質問しても良い?」
「どぞ」
「さっき旅してたって言ってたけど、教員免許はいつ取得したの? そもそも何で名前を変えて移り住んでたの?」
「知りたい?」
「当然」
柏木は、人差し指を自身の口元に当てる仕草をして、こう言った。
「残念! 内緒や」
「はっ? 何それ? ズルっ!」
「鈴木さんがもうちょい大人なったら、教えてあげなくもないな~」
完全にからかっている態度だ。大人云々を言うならば、柏木の態度こそ大人のとは言い難い。
散々、幼気な少女をからかい、図々しくも何度も呼び捨てにしておいて、今更「鈴木さん」呼ばわりする事にも、理子は得心がいかなかった。
「散々、呼び捨てにしといて今更……」
──と言いかけて言葉が止まる。
理子の拗ねた様な表情に、柏木は真顔になった。彼は、彼女が何を言いたいのか察した。
「……また、名前で呼んでええの?」
理子は頷く。
「……今日だけでも……良いから、また呼んでよ」
「……」
理子にそうお願いされた柏木は、一呼吸してから彼女名前を口にした。
「理子」
──それは特別な響きだった。
声のトーンや柏木の表情から、理子に対する確かな愛情が声に反映されていた。理子は耳まで赤くなる。
「私もさ……あの……名前で呼んでもいいかな?」
もじもじと恥ずかしそうにしながら、小声で訊く。自信無さげに、チラチラと弱々しい視線を送る、愛らしい少女。
柏木はいやらしい目で、その姿をじろじろ堪能した。それから、したり顔で答えた。
「えぇよ、ただし今日だけな」
理子は眼前でほくそ笑む柏木に、手の平で踊らされてる気がした。それでも了承を得て、彼の名を呼ぶ。
「……渚」
うつむきながら、たった3つ発音する。それだけで勇気が要った。胸が妙に苦しい。普段、呼吸をするのに、これ程労力を要しただろうか? そう思い、理子は恐る恐る顔を上げ、柏木の方を見る。
優しく微笑む柏木。その表情から嬉しい気持ちを読み取り、理子自身も嬉しくなる。
ただ、柏木の目はどこか寂しそうにも見えた。
理子はむず痒くなり、走り出したい衝動に駈られる。普段から恋愛関係に縁がない分、感情が許容範囲を大きく越えた。
そんな理子を弄ぶかの様に、柏木は彼女の名前を連呼する。
「理子、理子、理子、理子ちゃーん、りっちゃん、おーい理子」
「ちょっ!! 何それ! やめて! もうっ!!」
つい反撃と言わんばかりに手が出た。肩を叩かれた柏木がわざとらしく倒れる。
「あたー、やられたー! 粉砕骨折したわー! めっさ怪力やーん」
完全に棒読みだ。
「もうっ……嘘つき!!」
そのリアクションに対して、理子がつっこむ。そんな下らなくて、愛しい時間が過ぎていった。
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