第164話【現今】理子と疑われたリー
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【登場人物】
鈴木理子
不死の怪物を狩る力を持つ少女。
死者からのメッセージを夢で見る事が出来る他、鋭い勘を持ち合わせている。
その出生は謎に包まれており、柏木が現在調査中。
育ての母である井上理子が事故で亡くなり、その騒動から逃れる際、鈴木理子に改名した。
柏木渚(別名ミカ)
不老不死の怪物であり、理子の恋人。
表の立場は、理子が通う高校の非常勤講師。
『渚』や『ミカ』の他に複数の名前を持つ。
リー・ガーフィールド
柏木の友人で、彼と同じく怪物。
柏木に理子の護衛を頼まれ、快く引き受けた。
志摩
件と呼ばれる怪物。
小型の馬に似た姿をしている。
過去や未来を断片的に見る事が出来る他、姿を隠す事が出来る。
内海
マグダレーナから利一に譲渡され、利一の式神となった影の怪物。
利一によく似た理子の事を気にかけていて、理子と柏木の交際に反対している。
殯丸
食人種管理機構に勤める狐の怪物。
【現今】
──月曜日。
理子は自室のベッドに寝転びながら、アイボリー色の天井を見上げていた。時刻は朝の5:59。あと1分で目覚まし時計が鳴る。徐に手を伸ばし、時計の背面にあるスイッチを下げると、そのまま起き上がって溜め息を吐く。
昨晩は酷く寝つきが悪かった。浅い眠りのまま一晩過ごし、朝日が顔を出した頃にようやく深い眠りにつけた。だがそれも、悪夢に魘され直ぐに目が覚め──今に至る。結局、取れた睡眠はほんの1時間程度。
土日の2日間、理子は柏木の自宅に通った。柏木は己に不都合な事実を省いた上で、過去のあらましを話してくれた。
理子は出来るだけ事細かに追及して、柏木から話を聞き出したが、肝心なハインツとの因縁については、終にその詳細を聞く事は叶わなかった。
それでも、彼の過去の重要な部分──1956年から1986年の30年間における重大事件については、やっとその詳細を知る事が出来た。
理子は頭を押さえ、再び重い溜め息を吐く。聞かされた過去の話を思い出すだけで、気分が滅入る。それは今朝見た悪夢と合わさって、理子を大いに悩ませた。
「大丈夫? 昨夜はあまり寝れなかったようだけど」
不意に志摩の声が耳に響く。だが姿は無い。部屋には理子しかいなかった。
「うん。大丈夫、平気だから」
理子は姿の見えない志摩に対して、明るい調子で返答したが、本心は違っていた。
今朝、理子はまた死者の夢を見たのだ。遠くで船の汽笛が鳴り、僅かに磯の香りが漂う、活気に満ちた港街。そこにいた白金髪の青年バディと幼い少年ジミーの夢。
夢の中の2人は、とても仲良さげに喋っていた。まるで歳の離れた兄弟のようだ、と思った。
バディはジミーを連れて暫く歩き、家族らしき男達と合流した。
そして──
ジミーを殺したのだ。
(……悪夢だ)
今まで見た夢の中で、一番見た事を後悔した。あの惨たらしい夢が死者からのメッセージだと言うならば、一体何を伝えたかったのだろうか?
残酷な光景ばかりに気を取られて、上手く思考が追いつかない。注目すべき箇所は何なのか? そもそも、あれは誰が見せた夢なのか?
(ジミーが私に見せたの?)
夢でジミーと呼ばれていた少年が、柏木の息子ジェームズなのだろう。
夢の中で幼いジェームズは、何度も父親に助けを求めて泣いていた。それを思い出すだけで、胸が苦しくなり目に涙が浮かぶ。
「おい」
突然、どこからか年配の男の声がする。だが志摩同様、姿はない。
理子は驚いて軽く腰を浮かした。
「何が平気やねん。平気とちゃうやろ? 無理して嘘つくなや」
声の主は穏やか口調で言った。
理子は慌てて「すみません、リーさん」と謝る。
「謝んな。俺に気ぃつかうんのも、謝るんも無しやって、昨日そう決めたやんか。【さん】づけもいらんし。……で? 今朝はどないしてん?」
訊かれて理子は、躊躇いながら「実は」と切り出す。
「また夢を見たんです。多分、渚の息子君の……」
震える声で見た内容を説明したが、具体的にどのようにジェームズが殺害されのか、その詳細は恐ろしくて話せなかった。
リーは相槌少なめに夢の話を聞いてから、柏木にも話す事を勧めた。
理子は素直に「はい」と頷くが、内心は話したくない、と思った。
既に話した内容をもう一度誰かに話すのは、正直骨が折れる。況してや被害者遺族である柏木に、息子の殺害状況を話すのは躊躇われた。
だからと言って隠すわけにもいかない。
理子は三度目の溜め息を吐く。
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身支度を整え、朝食を済ました後、理子はいつも通り家を出た。
今週はテスト期間だが、先週から続くいざこざで、全く勉強に身が入らなかった。責任を感じた柏木が、こっそりテストの範囲を教えてくれたが、流石に出される問題内容までは教えてくれなかった。
(渚のケチ……問題用紙ぐらいコピーしてくれても良いじゃない)
など、と脳内で文句を巡らせる。下劣な考えだという自覚はあったし、口に出さない理性もあった。だが、不満が顔に表れた。苛立ちが眉間のシワを深くする。
信号の無い交差点に差し掛かり、理子はしかめっ面で左右を確認した。
この通りは、近くの国道に抜けられる為、裏道にも拘わらず交通量が多く、監視カメラも設置されていない。その為、朝夕の通勤と帰宅時間帯は歩行者の横断を優先しない車が増える。
左手から大型のワゴン車が来るのが見えて、理子は横断歩道の手前で歩みを止めた。近づく速度から察するに、おそらく、あのワゴン車も歩行者を優先する気はないだろう。
「理子っ!」
リーが理子の名を呼ぶ。だが、自室の時と同様、そこに彼の姿は無く、付近には理子しかいなかった。
「はい?」
思いがけない呼び掛けに、僅かな不機嫌さを滲ませる。どうせまた、己の調子を心配して声を掛けてきたのだ、と思い込んでいた。
「大丈夫です。ちょっと疲れてるだけ──」
理子が全部を言い切るより先に、耳を裂くようなブレーキ音が響いて、理子の両足が宙に浮いた。体が重力に逆らって、ぐるりと一回転する。
訳も分からず見上げると、リーの顔が目に飛び込んできた。いつの間にか彼に抱き上げられ、最後に立ったいた場所──横断歩道手前よりも数メートル後ろに移動していた。
リーは理子を抱き上げたまま、交差点に止まったワゴン車を睨む。勢いよく後部座席ドアが開き、中からスーツを着た男が2人、女が1人、急ぎ降りて来る。全く見知らぬ男女だった。
「リー・ガーフィールドだな?」
降りて来た若い男はそう尋ねる。
理子が戸惑っているともう1人の男が口を開く。
「我々は食人種管理機構の者です。ガーフィールド氏にお訊きしたい事があって参りました。ご同行をお願い致します」
次いで女が理子の方を見て、ペコリとお辞儀をした。
「鈴木理子さんですね? 初めまして、私は殯丸と申します。ご安心下さい、私達は貴女の味方ですよ」
殯丸と名乗った女はそう宣った。
(は!? かんりきこう? って何?)
理子が混乱していると、急に周囲の色味が濃くなり、光陽が消えた。
次の瞬間──また天地がひっくり返る。理子は急激な重力負荷を受けて平衡感覚を失い、目を回す。
リーは理子を確と抱えて軽々と跳躍し、空中で大きく一回転した。その拍子に理子の通学鞄がアスファルトに落下する。
すると、落下した通学鞄を中心に半径5メートルの地面や塀、電柱や標識が大量の墨で塗られたかのように黒く染まった。
(──影だ)
と、リーは瞬時に思った。次いで、以前感じた気配を察知する。
リーは理子を抱いたまま、通学鞄の周囲を浸蝕する影を避けて、近くの民家の屋根目掛けて豪快に着地した。
着地した瞬間、大きな音と共に瓦が割れる。だが、家の者が外の様子を窺う気配もなく、通行人や車が来る気配もない。
「……成る程、人払い済みっちゅーわけか」
恐らく、無関係な人間が来られぬよう【人避けの呪い】を施しているのだろう。誰も騒動に気づけぬのは、そのせいだ。
「えらい随分なご挨拶で……なぁ、内海さん。これは一体どーゆー事です? ご説明頂けませんか?」
リーは影に向かって話しかける。
「内海さん、貴女なんですか!?」
理子が影に向かって叫ぶと、アスファルトに面した鞄の陰から、女の両手が現れて、鞄を掴んだ。すらりとした腕が地面から伸びてゆき、持ち上げられた鞄の下から内海が顔を覗かせた。
「内海さん!」
理子は責めるように名前を呼ぶ。
それに対し、内海は険しい顔で「お嬢さん」と呼び返す。
「すまない、お嬢さん。事情は後で話すから」
内海が鞄の陰から全身を現すと、鞄を中心に広がっていた影が内海の足元に収縮して、彼女の影に変わる
「リー・ガーフィールド、降りて来い! お嬢さんを離せ!」
内海はそう言って、リーを鋭く睨み付けた。
「遠慮しとくわ。地面に降りたら、俺を捕縛する気ぃなんやろ?」
リーは屋根から降りる事を拒む。
先程、リーは内海の気配を察知して素早く宙に舞い上がり、朝日に照らされた屋根に避難した。そうしていなければ、内海の影に捕まっていただろう。
「どうして、リーを狙うんですか!?」
「狙うだなんて……我々はただ、彼に話を伺いたいだけですよ」
と殯丸が答える。
「話ってなんやねん」
リーは怪訝に尋ねる。
「貴方の種族名を確認させて頂きたい」
「……へぇ、そりゃまた何でやねん」
「もしや、ガーフィールド氏は……人狼ではありませんか?」
人狼という単語を聞いた途端、リーの表情が更に険しくなった。
「人狼は数ある食人種の中でも最も危険な種族であり、徹底した食事管理を必要とします。その為、人狼には登録義務が課せられているのです。登録されていない個体は見過ごせません」
突然、リーの背後から強い衝撃が加わった。
理子は弾みで屋根から投げ出されたが、ひんやりと冷たい腕に抱き止められ、落下を免れる。気づけば、殯丸に抱えられていた。
殯丸はそのまま内海の側に着地して、理子を道に降ろす。
内海はすかさず理子の後ろから右腕を回し、彼女の左肩を掴んで抱き寄せた。
「リー!?」
理子はハッとして屋根を見上げた。リーは屋根の上で男達に取り押さえられていた。
「やめて! リーは人狼じゃない!!」
理子がそう叫ぶと、殯丸は確認するように内海を見た。
次いでリーも「せや」と言う。
「誤解や。俺は人狼とちゃうで」
リーは無理に抵抗せず、冷静にそう告げた。
リーを取り押さえいた男達は顔を見合わせてから、内海に視線を向ける。
つられて理子も背後に顔を向けようとするが、内海の腕を振りほどく事が叶わず、彼女の顔を見る事が出来なかった。
「私はただ、未登録の人狼が潜伏している可能性があると思い通報したまでだ」
内海は慌てそう言った後、気を取り直して口調を強め「確かに」と続けた。
「確かに、確証はなかったが、ないからと言って、人狼である可能性を見過ごす訳にもいかないだろう。況してや──」
──と言い掛けて、内海は言葉を一旦飲み込む。一瞬、何かを躊躇してから再び口を開いた。
「況してや人間の少女が側にいたんだ。万が一の事があればどうする!」
それを聞いて、食人種管理機構の面々は顔を見合わせた。
昨晩、殯丸は内海から「人狼らしき男がいる」と通報を受けた。あくまても【らしき】であり、間違いなく人狼であるとは断言されていない。
だが、殯丸は通報した時の内海から鬼気迫る何かを感じた。内海はリーが人狼であると言う確信を持って通報してきたのだ。そして、鈴木理子という少女を保護して欲しいと懇願してきた。
殯丸の中で、元管理人である内海が確信を持って言うのだから、証拠は無くとも人狼である可能性が高い、という思い込みがあった──が、もしかしたらリーの言う通りこれは誤解なのでは、と疑念が湧く。
「……リー・ガーフィール、貴方の種族名を教えて下さい」
殯丸は改めてリーに尋ねる。
だがしかし、リーは黙り込む。
「何故、答えられないのですか? 狩人の血を使えば、直ぐに分かる事ですよ。もう一度お訊きします。貴方の種族名は何ですか?」
殯丸がリーの態度を訝しんでいると──
「……人狼じゃねぇって証明すりゃいいんだろ? だったら、さっさと寄越せよ……血を……飲めばいいんだろ。飲んでやるよ」
リーは酷く険しい顔をして、標準語で吐き捨てるように言った。
理子はその様子を柏木と同じだ、と察する。リーは、種族を悟られずに人狼ではない事を証明しようとしている。それで緊張して、言語に変化が出ているのだ。
男達はリーを屋根から降ろし、理子達の前に彼を連れて来た。
殯丸はスーツの内ポケットから、小さな赤い筒を取り出した。大きさは理子の小指程、上部の白いキャップに輪っかが付いている。そのキャップを回して外し、筒をリーに差し出した。
リーは無言で筒を受け取る。額から一筋の汗が流れ落ちた。
よく見れば、筒は透明な容器で出来ており、赤は中の液体の色だった。
──狩人の血だ。
「飲んで下さい」
殯丸に促され、リーは筒を口元に近づける。表情が一層険しさを増した。
その緊張が伝染して、理子の心臓が早鐘を打つ。
内海は懐疑的な目でリーを見つめる。仮にリーが人狼だとしても苦しみ踠く演技をすれば済む話では、と疑う。
(人間に化けた人狼を探すのは困難だが、他種族のフリをする人狼を見つけるのも、場合によっては困難じゃないのか?)
混血の人狼は稀に他種族である親の能力を受け継ぐ。受け継いだ能力を披露して、自分は人狼ではないと言えば、それで正体を誤魔化す事も不可能ではない筈だ。
(そうだ……確か、リーの仲間にそんな奴がいた筈……)
1975年に、利一が出会ったリーという人狼には仲間がいた。リーが人間に化けて周囲を欺いていたのに対し、その仲間は別種の怪物のフリをして、狩人の護衛を務めていたという。
(……ソイツの名前は何と言ったか……)
つい気になって、朧気な記憶を探ってみる。
──リーの仲間はウォーカー姉妹の祖父役を演じていた。後から聞いた話では、リーと共謀して狩人を拐おうとしていたらしい。その為に正体を隠していた、と。
そして最後は仲間割れの末に死んだ、と聞いた。
(確か名は……トーマスとか言ったか?)
内海が彼の名前を思い出したところで、眼前にいたリーが筒の中身を口に含んだ。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。
貴方の今日の残り時間が、楽しいものになりますように。
Thank You for reading so far.
Enjoy the rest of your day.