第15話 【5月29日/30日】理子と水着と意地悪な恋人
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理子が通う高校には、一昨年までプールが無かった。学校がプールの着工を開始したのは、理子が1年生の時だ。長い工事期間を経て、ようやく今年度からプールの授業が始まる。プールの授業は1年生は必須。2、3年生は希望者のみの受講とされた。
理子も真新しいプールとあって、プールの授業を選択した。
「理子、プール選択したん?」
柏木は音楽準備室のソファーに座りながら、隣にいる理子に尋ねた。
「うん、そう」
理子が答える。
2人が付き合いだして、丁度1ヶ月。昼休みに準備室で過ごすのが、2人の日課になっていた。
不思議な事に、あれだけ入り浸っていた生徒達は1人も訪ねて来ない。それどころか、廊下を歩く人の気配すら無かった。
理子は、最初のうちこそ不思議に思っていたが、今ではすっかり都合の良い状況を楽しむようになった。
「へぇー水着買うん?」
柏木は、理子の体を舐めまわす様に見ながら訊く。理子本人は余所見をしていて、その目線に気づいていない。
「んー……中学の水着がまだあるし……出来れば節約したいんだよね。でも……サイズが……」
「サイズが?」
理子は顔を赤らめながらポソッと言う。
「…………キツイ……かな?」
「……」「……」
「……」「……」
「……」「……」
「……」「……」
「……何よ?」
「……何も言うてへんやん」
「もうっ!」
理子は恥じらい、拗ねた態度をした。柏木はそんな彼女をいじらしいと思う。だが同時に、恥じらう姿に加虐心をそそられた。悪戯心に駈られて、すぐ女性にちょっかいをかけたくなる。これは柏木の悪癖だ。理子がまだ知らない、彼の一面。
人間は脳が複雑な分、様々な一面を持っている。怪物も同様だ。普段、温厚な柏木にも、歪で禍々しい一面があった。この時、それが表に出た。
「……俺、りっちゃんのスクール水着姿見たいな~」
「はぁ!?」
理子は驚く。いきなり何を言い出すのかと……
「えぇやん! 見せてや!」
「何で!? いきなり」
柏木はお構い無しに懇願する。
「いや、だってぇ~見られへんやん。プールの授業覗く訳にもいかんし。理子がこっそり拝ませてくれたら嬉しいなぁ~アカンかな~」
「変態」
理子が言い放つ。
「はい変態です」
柏木は素直に認めた。
「ロリコン」
理子はすかさず言う。
「それはちゃう」
柏木はこれを否定した。
「どこが違うの?」
「俺の好みは20代半ば以上。でも理子は別……特別。だから理子の【今の姿】が見たい。今しか無いから目に焼き付けたい。やがて大人になり、歳を取り、老いていく君を逃さず見たい。だから見せて欲しい……今の理子を……」
この返答に理子の心が揺らいだ。柏木は最後の一押しをする。
「見せてくれたら、俺が新しいスクール水着買うし!!」
「…………」
結局、理子は新しい水着につられて承諾してしまう。
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土曜日
理子は、中学生時代の水着を持って柏木の自宅にお邪魔した。
「ふふふ……さささ、入って、入って」
柏木は至極機嫌が良い。下心丸見えで今更隠す気も無いようだ。理子はやや引きつつも家の中へと進む。相変わらず、掃除が行き届いて部屋や廊下は埃一つ無い。
「渚って綺麗好きだよね。毎日掃除してるの?」
「いや全然」
(?)
「週に数回、掃除してくれる人が来てくれるねん」
「へー家政婦さんみたいな?」
「うん、そう。それより……」
「それより……?」
「……」「……」
「……」「……」
「……」「……」
彼が何を言わんとしてるか、理子は十分理解していたが……やはり抵抗を感じる。そんな理子の心情を推察した柏木は、
「……やっぱり……止めようか。大事な恋人に無理強いはしたくないし……理子が嫌ならそれでいいよ。ごめんね……我が儘言って……」
と言って、寂しそうに微笑んだ。残念そうな顔を見た理子は、期待させておきながら土壇場で踏み切れない事に、罪悪感を抱く。
「えっと……別にいいよ。水着に着替えても……渚が喜ぶなら……」
つい、恋人を喜ばせたくなり、自分から譲歩する。
「ホンマに?」
「うん」
柏木は心の中でガッツポーズをした。でも決して表には出さない。理子の手を取り感謝を伝える。
「ありがとう理子、めっちゃ嬉しい」
「あ……うん」
理子は戸惑いながらも、柏木が喜んでくれた事が嬉しかった。恋人を喜ばせたいと言う純真な心に付け込まれ、彼女は良い様に操作されている。けれど本人はその事に気づいていない。
それから理子は脱衣場に行き、スクール水着に着替えた。だがやはりサイズが合わない。着れなくはないがキツイと感じる。新しい水着が必要だった。
理子が着替えている間、柏木はピアノを弾いていた。
暫くして、柏木の背後に位置する扉が開く。柏木が振り向くと、扉の影に理子がいて、恥ずかしそうにこちらを見ている。
(くぅっ!! めっさ可愛いぃ!!)
柏木は歓喜したが、顔には絶対出さなかった。あくまで平静を装い、手を差し出し理子を呼ぶ。
「おいで、理子」
おずおずと部屋に入る理子。ちゃんと靴下まで脱いでいる所が彼女らしい。
理子が無理矢理着ている水着は、中学生時代のゼッケンがそのまま残っており、紺色の布生地は所々毛羽立っていた。
理子は躊躇しつつも、差し出された手に自身の手をゆっくり伸ばす。理子の指先が柏木の手に触れた……その瞬間、待ち構えていた柏木の手が、力強く彼女の手を捕らえた。まるで捕食者が獲物を捕らえたかのようだ。抵抗する間もなく、理子の体は引き寄せられた。
気づけば、彼女の体は彼の膝の上だ。柏木に対し、横向きの状態で膝の上に座らされる
「……捕まえた」
柏木は理子の顔を覗き込むと、得意気にそう言った。理子に先程とは違う緊張が走る。
柏木は怯える小さな恋人を見て、余計に彼女を愛しく感じた。
「なっ……渚!? 降ろしてっ!」
動揺する理子をよそに、気持ちが抑えきれなくなった柏木は、理子の額にキスをした。理子は咄嗟に目を瞑り、反射的に両腕で胸元を防御する。
理子の反応を受けて、柏木は冷淡な態度に出た。彼女に対して謝罪するでもなく、ただ冷たい目を向け言い放つ。
「何? 嫌なん? ええ言うたん自分やん? 今更渋るなや」
普段の穏やかな口調とは違う、冷淡な態度に理子は不安を覚える。柏木はそんな彼女に配慮する事無く、今度は理子を抱き上げて部屋を移動する。
先程から柏木が、あまりにも軽々と理子を持ち上げてるので、理子は彼の力の強さに驚いた。きっと柏木が本気で理子に何かしようとしたら、どんなに懸命に抗っても無駄だろう。
大概の人間がそうだが、力の差ではやはり女性より男性の方が有利だ。それが公共の利益の為に行使されるのであれば問題無いが、そうでは無い場合……特に、外界と隔たれた室内においては脅威となりうる。
実際、理子は柏木に脅威を感じた。
リビングに到着した柏木は、長いソファーに理子を座らせ、自身も彼女の隣に座る。本音を言えば寝室に連れ込みたかったが、流石にそれは気が咎めた。
「その水着……ゲッケンとかもう要らんやろ? ほかしても(捨てても)問題無いやろ?」
「え?」
柏木がそう言った途端、水着に縫い付けられたゼッケンの糸が切れ、ゼッケンが体から滑り落ちた。
「えええええ!?」
理子は慌てて胸元を押さえ、体を捻って柏木に背を向けた。体を縮めて防御の体勢を取る。
柏木は、その反応を恍惚と魅入った。好いた女性を精神的に辱しめたいと言う欲求が密かにあった。
理子は恐る恐る柏木を見た。
「渚?」
柏木は至極嬉しそうに微笑む。
(!!)
「渚の仕業なの!? 信じらんない! なんて事するのよ! 変態じゃん!!」
「……俺、一切何も触れてへんやん。ゼッケンの糸が脆くなっとっただけやろ?」
「嘘つき!! 絶対、渚だもん!!」
「……」
猛抗議する理子。まるで、大嫌いな獣医に診察される猫の様だ。爪を立て、牙を剥き、身を守る猫……
だが抵抗虚しく体を押さえつけられ、獣医によって薬を挿入される……
柏木が望めば、猫のように理子を蹂躙する事も容易い。理子と言う猫を前に、柏木はどう愛でるか悩む。
(撫でるか? それとも…………いやいや、流石に不味いやろ!! アホか自分!!)
柏木の頭の中で、理性的な柏木が、欲望に走ろうとする柏木にツッコミを入れる。
一方、理子は微動だに出来ないでいた。柏木の意図が掴めず、彼女は混乱する。
以前、無意識的に彼を誘惑した事を思い出す。あの時も、今も、彼を受け入れるだけの覚悟は出来ていない。
途端に理子は、この状況に恐怖した。
いつもと違う口調の恋人。いつもと違う眼差しで理子を見て、いつもと違う冷淡な匂いを漂わせている。
理子の小さな胸に不安が押し寄せた。
柏木はまだ悩んでいた。彼の信条としては、決して無理強いはしないと決めている。理子に対しても、理子以外の女性に対しても……
しかし目の前の理子が、可愛くて、可愛くて、仕方がない。つい出来心でちょっかいをかけてしまった。
加虐心を燻られ、それを満たしたい欲求にかられたが、これより先に進むのは流石の彼も良心が痛む。
道徳と背徳の狭間でギリギリの綱渡りをしている様な今の関係を、飛躍的に発展させるのは正しい判断とは言えない。
そもそも本人がこうして拒んでいるのだから、これ以上は手を出す権利は無いのだ。
(おとなしく引き下がるか……)
柏木がそう思った所で、理子が震えながら微かに呟く。
「……」
それを聞いた柏木は、頭が真っ白になる。よくは聞き取れなかったが、確かに「お父さん」と理子は呼んだ。いつの間にか、不安に押し潰された彼女は泣き出していた。
何て事をしてしまったのかと、柏木は呵責の念に苛まれる。急いで自分が着ていた上着を彼女にかけ謝罪した。
「ごめんっ……ごめん理子っ!」
柏木がそう言うと、間髪入れずに理子の蹴りが胴に決まる。
「馬鹿!! もう大嫌い!!」
理子は涙を浮かべて罵った。
「ホンマごめん!」
柏木はひたすら謝り続ける。
「私の事、怖がらせた!!」
「ごめん」
「絶対許さない!!」
「……うん……ごめん」
「この変態!」
「ごめん」
「ごめん以外に言う事無いの!?」
「……」
「先生のくせに、やる事屑じゃん!!」
柏木は項垂れる。
「ホンマに……ホンマに……ごめ……」
謝罪の言葉が次第に詰まり出し、柏木は両手で顔を覆った。
「……渚?」
理子はその様子を訝しみ、柏木の顔を覗き込む。どうやら柏木は本気で落ち込んでいる様だ。理子は唖然とした。
(普通、逆でしょ……)
「………………」「………………」
実に釈然としない。だが、理子はこれ以上責め立てる気が失せ、寛大にも彼を慰める。
「……分かった、もういいよ。もういいから、泣かないでよ。ズルいじゃんか」
理子はそう言うと、ソファーの隣で項垂れる柏木の背中を撫でた。女子高生に叱られて落ち込んでいる先生。
(何か……滑稽)
理子はそう思った。
柏木が項垂れてから数分が経過し、彼は理子に改めて謝罪する。
「つい調子に乗って……やり過ぎた……ごめん」
理子はそんな彼を睨みながら、上着で体を隠す。
「怖かった」
「……ごめん」
「大嫌い」
「……ホンマに?」
「許して欲しい?」
「……うん」
「……」理子は黙る。
「……どうしたら許してくれる?」
「許さない」
「……俺と別れたい?」
「何でそうなるの?」
「……ちゃうの?」
「違うよ」
その返答を聞いて、柏木は心底幸せそうに微笑み、理子を抱き締めた。
「理子愛してる。俺には理子が必要や」
突然の抱擁に理子は戸惑うが、柏木はそんな事お構い無しだ。彼は自信有りげな顔をして理子に言った。
「理子がおらんと俺泣いちゃうで?」
絶対どや顔で言う台詞ではないが、柏木はこれをやや挑発的に言い放った。
もし柏木がずっと低姿勢のまま謝罪を続けていたら、劣勢の状態を覆せなかっただろう。
しかし、柏木は理子の惚れた弱味につけ込み、自分を優勢へと変え始めた。
柏木は理子の目を見ながら、申し訳なさそうな顔をして、ゆっくりと喋る。
「理子は……俺を喜ばせようとしてくれた。水着恥ずかしかったんに、頑張って着てくれて……それなのに調子に乗って怖い思いさせてもて……ホンマにごめん。でも信じて欲しい……欲望に負けていい加減な気持ちで、理子に触れたんとちゃう。理子の事が、心の底から愛しいって思たからや……ホンマは寝室に連れて行きたかったんやけど……流石にこれでも我慢してんで?」
理子は柏木の謝罪をじっと聞いていた。柏木は柔らかい表情を浮かべ、先程より少し明るい口調で続けて喋る。
「俺の為に水着着てくれて、ホンマにありがとう。めっちゃ嬉しかった。もう絶対、悪戯したりせぇへん。約束する。だから、どうか許して欲しい」
「……うん」
理子は小さく頷き、返事をした。柏木はしめたと思う。
「そうや知ってる? プールの水着な、スクール水着じゃなくてもええらしいで?」
「えっ!? 本当?」
「うん。プール開き目前でかなり急な話やけど……先週末に会議で決まってん。明日には正式に通知されるで。だから、理子の好きな水着選んでええよ?」
「やった!」
(ふっ……チョロい……そして可愛い……)
柏木は内心ほくそ笑む。女性経験が豊富な柏木は、謝罪の仕方を心得ていた。
最初に謝罪してから今に至るまでの間に、柏木と理子の立場の優勢・劣勢が、謝罪の中で逆転させられた事に理子は気付いていない。
こう言う歪んだ一面を持つ男と付き合うのは、注意が必要だ。悪い事をしても、結局最後は自分優勢で話を終わらせてくる。柏木は理子をうまく言い包めた。
だが、いつもこうだとは限らない。
(理子は結構、鋭いからな……いつか喧嘩で負けたりして……)
柏木はふとそんな事を思う。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。
貴方の今日の残り時間を楽しんで下さい。
Thank you for reading so far.
Enjoy the rest of your day.