第163話【現今】内海と食人種管理機構
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【これまでのあらすじ】
内海は理子に会うべく柏木宅を訪問した際、リーという怪物と遭遇する。
理子から遠回しに拒絶され、一旦は渋々帰った内海だが、後にリーが人狼である可能性に気づき、理子から引き離さなければ、と思い至る。
【登場人物】
内海
マグダレーナから利一に譲渡され、利一の式神となった影の怪物。
利一によく似た理子の事を気にかけていて、理子と柏木の交際に反対している。
鈴木理子
不死の怪物を狩る力を持つ少女。
死者からのメッセージを夢で見る事が出来る他、鋭い勘を持ち合わせている。
その出生は謎に包まれており、柏木が現在調査中。
育ての母である井上理子が事故で亡くなり、その騒動から逃れる際、鈴木理子に改名した。
柏木渚(別名ミカ)
不老不死の怪物であり、理子の恋人。
表の立場は、理子が通う高校の非常勤講師。
『渚』や『ミカ』の他に複数の名前を持つ。
リー・ガーフィールド
柏木の友人で、彼と同じく怪物。
柏木に理子の護衛を頼まれ、快く引き受けた。
柏木利一
柏木渚の親友であり、内海の元・主。
数年前に起こった震災に巻き込まれ、亡くなっている。
【現今】
その小さな時計店は、古びた商業区の一画にあった。
真っ直ぐ伸びた線路沿いに車2台が徐行ですれ違える程度の道路が続き、その道路を挟んで反対側に、2階建ての店舗が横並びに続いている。各店舗の2階部分は住居になっていた。
高度成長期に建てられた店舗兼住宅は、建てられた当初こそ様々な店が開店して賑わったものの、現在、営業しているのはたったの3軒のみ。大概はシャッターが下りた状態で、店としての機能を放棄していた。
件の時計店は、辛うじて営業している3軒の内の1軒だった。
看板を兼ねた軒先テントは、長年に渡り風雨に晒され、全ての文字が剥がれ落ちていた。陽に焼けて色褪せた緑色のテントに、比較的濃い緑色で【もがみ時計店】の文字が浮かび上がっている。その事から察するに、元は鮮やかな緑色だったのだろう。
店の正面、右側のショーウィンドウにアンティークの置き時計と懐中時計が幾つか飾られていた。左側には年季の入った木製の扉があり、菱形のステンドグラスの小窓がはめ込まれていた。扉は、所々、焦げ茶色のペンキが剥がれかけていてる。それが外観のみすぼらしさに拍車を掛け、古い店にありがちな、入り難い雰囲気をより濃く醸し出していた。
時刻は夜の11時を過ぎ。近隣の店はどこも閉まっている拘わらず、この古びた時計店からは、明々と暖色の光が漏れている。
内海は上を向いて、色褪せた軒先テントを凝視する。人間の目には剥げ落ちた文字の跡にしか見えないが、怪物である内海の目にはハッキリと【食人種管理機構】の白い文字が見えた。
見えた瞬間、背筋に凍てついた空気を感じた。古びた扉を前にして、頭の中で誰かが問い掛けてくる。
──本当に、それでいいのか?
(いいんだ)と内海は答える。
──利一様はどう思われる?
(関係無い。悪いのはミカだ)
──でも……
「黙れ!」
感情を抑制出来ず、思わず声に出た。
問い掛けて来た声の正体は、己の良心だろうか?
それとも、臆病な性根が頭の中で声として現れたのか?
内海は大きく深呼吸してから、棒状の黒いドアハンドルに手を伸ばす。この扉を開けたら、もう後戻りは出来ない。意を決して扉を引く。
一歩、中に踏み入れると思わぬ解放感に包まれた。本来あるべき2階の居住空間は無く、屋根裏まで吹き抜けになっている。天井には立派な梁が組まれ、筒状のモザイクランプが3つ、ぶら下がっていた。
大胆な改修工事を施した割りには物が少なく、店内は酷く寂しい印象だった。
店の隅にある空のショーケース。申し訳程度に飾られた壁掛け時計。店の奥にある木製のデスクには、飾り気のない電気スタンドが置かれている他、何もない。
「いらっしゃい」
不意に声がして目をやると、デスクの向こうから豊かな毛並みの太い尻尾が現れた。艶やかな金色の尾は、先端にゆくほど細く尖り、白い毛に変わっていた。
ふさふさの尻尾が左右に揺れて、訪れた客に話し掛ける。
「こんな夜更けに、何のご用でしょうか?」
内海は尋ねられてハッとする。豊かな毛並みの尻尾に気を取られていた。
「夜分に失礼。私は内海と申します。南関東に滞在している人狼について窺いたい事があり、こちらに参りました」
「……内海? もしや管理人の内海でしょうか?」
ゆらゆらと揺れていた尻尾がピンと静止して、そのまま弧を描いてデスクの向こうに消えた。代わりに三角の耳が現れて、次いで黒い鼻が見える。
「元、管理人です」と内海は答えた。
「やはり」
尻尾の主はそう言うと、軽々とデスクを跳躍して、内海の前に姿を現す。
「こんばんは、内海。初めまして、私は殯丸。食人種管理機構の相談窓口を担当している狐です」
尻尾の主──金色の狐はそう言って、後ろ足で立ち上がり、一礼する。
「滞在している人狼と仰いましたね? 詳しい話をお聞かせ願いましょう」
「……私が担当していた地区に、人狼と思しき男がいるのです」
殯丸は「ほぅ」と感心した風に言って、糸のような細目を少し開く。
「思しき……それはつまり、未登録の人狼がいるという事でしょうか?」
「あくまでその可能性がある、という話です。ですから、その者が……彼が本当に人狼なのか、それを確かめたい。登録されている人狼であれば、こちらで確認出来るでしょう。もし……確認出来ないのであれば──」
「その者が未登録の人狼である可能性が高い──と?」
内海はコクンと頷く。
「ですが、貴女の仰る彼とやらが他の種族である可能性もあるのでしょう? 抑々(そもそも)、人狼だと疑う根拠は何ですか?」
「それは──(どういうべきだろうか?)」
内海は間を置いてから「私は」と切り出す。
「私は管理人でした。己の職務に責任を持ち、最後まで責務を果たしてきた、と自負しております。ですから、決して誤解なさらないで頂きたいのです。管理人として得た情報は口外すべきではありません。私自身、それを重々承知しています。だから今からお話しする内容は、それを踏まえた上で話したのだ、とご理解下さい」
内海は前置きを述べてから、険しい口調で続けた。
「殯丸は【ベッドの下の男の子】をご存知でしょうか?」
「ええ勿論。存じてますよ。この仕事に携わる者で、その事件を知らぬ者はいないでしょう」
「私が人狼だと疑う男は、その事件の主犯である【マイケル】の友人なのです」
それを聞いた途端に、殯丸の全身の毛が逆立つ。
「なんと!? では……貴女が担当していた地区に彼が──マイケル氏がいたのですね?」
訊かれて内海は「はい」と答えた。
マイケルとは、柏木渚がかつて名乗っていた名前だ。
「それだけでは、ありません。人狼と思しき件の男は、1975年の襲撃事件の犯人と同じ名前なのです。あの犯人が生きていれば、年齢的にも丁度合う」
「……だが、人狼は人よりも短命です。仮に犯人ならば、もう寿命は尽きている筈では?」
殯丸は怪訝な顔で、そう言った。
「呪いで寿命を延ばす事だって出来るでしょう!?」
(ヴィヴィアン・ジェファーソンがそうだったじゃないか!)
───と言いたいのを、内海はぐっと我慢する。
ヴィヴィアンの事情を知っている者は極少数だ。内海が知っている、という事実は、内海しか知らない。知られては都合が悪い。だから、知っていると公言するのを控えた。
殯丸の目には、内海が何かを焦っているように見えた。
「失礼を承知で窺いますが、内海は罷免されたと聞いております」
「……罷免された怪物の言は信ずるに値しない、と──そう仰いますか?」
「率直に申し上げて、そうですね。……もしや内海は、手柄を立てて、管理人に返り咲こうと思ってらっしゃるのでは?」
それに対し、内海はキッパリと「違います」否定して、更に続ける。
「手柄など、どうでも良いのです。私は秩序を乱す食人種が許せない。人に害を為す怪物は、例え誰であろうと絶対に許せないのです。取り分け人狼は人にも、怪物にも害を与える、言わば毒です。その毒が……私の大切な人の側にいる事が我慢ならない!!
何としても排除しなければ──」
──理子の身に危険が及ぶかも知れない、という言葉を飲み込んで、内海は胸が苦しくなる。
思い出したのは、理子ではなく利一の顔だった。利一の事を思う度、罪悪感の海に投げ出される。心が溺れて呼吸もままならない。
「内海、落ち着いて下さい。一体、何の話です? 大切な人とは誰の事ですか?」
殯丸は困惑気味に尋ねた。
「すみません。全て最初からお話します」
内海は、胸の痛みを堪えてポツリポツリと打ち明ける。
マイケルこと柏木が、理子を連れて内海のもとを訪ねて来た事。
理子がハインツに狙われた事。
的井と2人でハインツを殺処分した事。
そのせいで管理人をクビになった事。
そして理子を訪ねて、リーと遭遇した事。
殯丸は一通り聞いてから、僅かに黙り込み、大きな溜め息を吐いた。
「内海の主張は分かりました。一先ず、リー・ガーフィールドが人狼として登録されているか調べてみましょう。それでもし登録が無い場合は直接リー本人と会って、人狼であるかどうか問いましょう。その際、彼の側に鈴木理子がいたならば、彼女をこちらで保護します。それで良いですね?」
「はい! ありがとうございます!」
内海は安堵の声色で感謝した。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。
貴方の今日の残り時間が、楽しいものになりますように。
Thank You for reading so far.
Enjoy the rest of your day.