第162話【1975年】◆プロム前々日◆
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【前回のお話(第161話)↓】
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【前回のあらすじ】
利一は政治的な理由から上層部との対立を避けてきたが、急激な状況変化を機に一切の迷いを捨て、戦う覚悟を密かに決める。
そんな中、利一はある女と交わした契約を思い出していた。
【登場人物】
柏木利一(42歳)
紙を媒体に術を行使する祓い屋。
尽きない活力と、呪いを無効化する力を持ち、対象を無力化する軍服を保有している。
性別を自在に変える事が出来るが、一応は人間に属する。
ミカとは30年来の付き合いで、互いに複雑な想いを抱えている。
ミカ(別名マイケル)
夢魔インキュバスの青年。
メアリーとエミリーの父親に、家族を殺された被害者遺族であり、
9年前に、その復讐として、姉妹の父親を殺害した加害者である。
姉妹を憎んでいて、2人の不幸な未来を待ち望んでいる。
人間を操る力を持ち、自由に性別を変える事が出来る。
チェスター(愛称チェット)
人間から吸血鬼ヴァンパイアになった青年。
メアリーとエミリーの護衛兼監視を担当していたが、2人が不幸になる未来を知り、救おうと決意する。
メアリー・ウォーカー(姉)
狩人と呼ばれ、怪物を無力化する血を持つ少女。
妹共々、母親に売られ、怪物達に監視されて生きてきた。
高校卒業と同時に、怪物達の家畜にされようとしている。
エミリー・ウォーカー(妹)
狩人と呼ばれ、怪物を無力化する血を持つ少女。
姉共々、母親に売られ、怪物達に監視されて生きてきた。
姉の高校卒業と同時に、怪物達に殺されようとしている。
ミカに真実を聞かされ、運命に抗う事を決意する。
紆余曲折うよきょくせつを経て、チェスターと恋仲なった。
ヴィヴィアン・ジェファーソン
特別な呪いを受けた長寿の人狼。
これまで自身の種族をひた隠しにしてきたが、聴聞会に呼び出された事をキッカケに、秘密を公にした。
狩人を監視する現場責任者だったが、敵の襲撃を防げなかった責任を追及され、降格処分される。
ハインリヒ(ハインツ)(別名ヘンリー)
ミカの前妻マグダレーナの弟。
とある理由からミカを怨んでいる。
目標に辿り着く為の、道筋が分かる力を持つ。
降格処分されたヴィヴィアンの、後釜として現れた。
ジェシカ・ウォーカー(愛称ジェシー)
メアリーとエミリーの母親。
夫の死をキッカケに心を病み、檻つきの病院に長期入院していた。
まともな判断能力を失っている時期に唆され、娘達を怪物に売ってしまう。
エミリーの殺処分に承諾してしまった後、罪悪感から自殺した。
バディ・ウォーカー
メアリーとエミリーの父親。
若い頃にミカの家族を殺害してしまい、長年、罪の意識に苛まれてきた。
ふとした事で、ミカの正体が自分が殺した怪物の遺族だと気づき、耐えきれずミカに真実を打ち明ける。その結果、ミカに殺害された。
【1975年】
──何故、卒業まで待つのだろう?
利一はずっと疑問に思っていた。
わざわざ普通の人間として育てておきながら、高校卒業と同時に幽閉するよりも、最初から幽閉して血を搾取していた方が遥かに効率が良い。
両親が揃っていた9年前ならともかく、父親が死んで、母親が心を病んだ後であれば、いくらでもやりようはあった筈だ。
だが怪物達は酷く非効率な方法でメアリーとエミリーを囲い、僅かな血や爪、髪などの採取を行ってきた。
一見、人道的とも思える手段を選んでおきながら、卒業した途端に非人道的な手段に切り替えるのは違和感がある。
──高校を卒業する事に、何か意味があるのだろうか?
チェスター宅の書斎にて──
利一は、桃色と白色の斑模様に彩られた立方体を眼前にして、疑問の答えを見つけた。
『ウォーカー夫人が遺した契約書だよ。自分の娘が高校を卒業するまでの間、極普通の人間らしい生活が出来るように、と望んで……彼女は上層部と契約を交わしたんだ』
ハインツはそう言って、手の平に浮かぶ立方体を利一に見せる。
書斎にはミカとヴィヴィアンもいた。2人はハインツの説明に眉一つ動かさない。察するに、この愛らしい彩りの立方体──契約書の存在を最初から知っていたのだろう。
『でも、まぁ……まさか卒業後に、娘が家畜にされるなんて思ってもいなかったんだろうね。頭が足りない女だ。僕らにとっては、都合が良かったけど』
ハインツはニッコリ笑って、契約書を持っていた手を握る。契約書は淡い光の粒になって、空中に溶けるようにして消えた。
この契約書があったからこそ、姉妹は今日まで無事に生かされてきたのだ。わざわざ回りくどい手段を選んだのも、選ばざる得なかったのだ、と納得しかけて──また疑問が湧く。
『そもそも何故、ウォーカー夫人は契約書を交わしたんだ?』
利一が尋ねた途端、部屋の空気が硬直した。ヴィヴィアンの表情が曇り、ミカの口元がほんの僅かに強張る。
『あぁ、利一は知らなかったんだね。ウォーカー夫妻の間には、もう1人子供がいたんだよ』
『もう1人?』
怪訝な口調で聞き返す。
『そう。メアリーにはお兄ちゃんがいたんだ。バディ・ジュニア、可哀想な子だよ。ウォーカーは最初に授かったジュニアを上層部に献上して、自分と身重の妻の安全を買ったんだ』
利一はハッと目を見開く。子供を生け贄に保身を図る親──その構図は、己の境遇と酷似する。不意に苦い気持ちが甦った。
狩人として多くの怪物を殺めてきたバディ・ウォーカーは、皮肉な事に怪物と恋に落ち、子をもうけた。怪物からも狩人からも追われる身となり、追い詰められたウォーカーは、長子を人身御供に差し出して、身重の妻を守ろうとした──とハインツは語る。
『ウォーカー夫人が上層部と契約を交わしたのは、夫がジュニアを献上した後だよ。もしかしたら彼女は、メアリーを手離したくない一心で契約したのかも知れないね』
利一はふと気づいて、ハインツに鋭い眼光を向けた。
『……お前はウォーカー夫妻が住まう地区の管理人だった筈だ。ならば当然、夫人が契約を交わした現場に立ち会ったんだろう? その契約が高校卒業までの期限付きなのは……お前が夫人を言い包めたからじゃないのか?』
言われてハインツは満面の笑みを浮かべた。
『確かに……ウォーカー夫人と多少のお喋りはしたね。だから、それが何? 僕は管理人として仕事をこなしただけだ。君にとやかく言われる筋合いはないよ』
利一はそれを聞いた途端、背筋がぞわりと冷える。同時にウォーカー家の不幸は最初からこの悪魔の仕業だった、と確信した。期限付きの契約も、ウォーカー夫人や姉妹らをより一層苦しめたくて交わしたに違いない。コイツはそう言う奴だ、と思った。
(もしかして……ウォーカー氏が長男を手離したのも……コイツが仕組んだんとちゃうか?)
ハインツが、どのようにウォーカーを言い包めたのかは不明だ。ひょっとしたら、息子の方に声をかけて、その身を差し出すように唆した可能性もある。何せ相手は幼い子供、親を救う為だと言われたら、それに従うのは想像するに容易い。
実のところ真相は不明だが、ハインツがウォーカー家に不幸を齎した事に変わりはなかろう。
他者が幸せに過ごす事が許せない──そう言う輩は、他人の不幸を見て心の平穏を得る。
──幸災楽禍。
ハインツの笑みを見た瞬間、脳裏にその文字が浮かんだ。
他者を貶める為にわざわざ回り道を選び、時間と労力を惜しまないような輩を相手にするのは、とてつもなく精神を消費する。
利一はハインツに憤りを覚え、喉の奥に淀みを感じた。淀んだ気持ちを吐き出して、悪魔を罵倒したい衝動が込み上げる。それを必死に堪え、己に言い聞かせた。
──今ではない。
──今、正面から対立すべきではない。
『いよいよ明後日はプロムだね。3度目の襲撃以降、人狼達に動きは無いけど、彼らが諦めたとは思えない。皆、今まで以上に気を引き締めて護衛に当たって欲しい』
ハインツの言葉に利一は眉を顰める。
『正気か? あの2人をプロムに行かせるのか?』
『僕らだって、好きで行かせる訳じゃないさ。契約を交わした以上、そうせざる得ないんだ』
『……もし、契約を守れなければ?』
『人並みの高校生活を送らせる代わりに、卒業後の人生を貰う──それが契約内容だからね。それに反したら、僕らはメアリーに手出し出来なくなる。貴重な家畜候補を失うのさ』
利一の瞳の奥に、僅かな光が灯る。希望の光だ。
(ほな……ウォーカー姉妹を卒業までに逃がす事が出来れば……強制的に人並みの生活から外れて……幽閉を免れるんか?)
それが事実であれば、姉妹を救う手立てとなり得る。
するとハインツは、利一の思考を読んだかのように『メアリーの場合は、ね』と付け加えた。
利一は一瞬キョトンとしてから『はっ』と聞き取れない音量の掠れ声を出す。
先程からハインツは、エミリーの名前を口にしていない。その事に気がついて、ある矛盾に気づく。
(エミリーさんの卒業は今年とちゃう)
にも拘らず、エミリーは姉の卒業と共に殺されようとしている。つまり、エミリーの身柄は契約に含まれていないのだ。
『どういう事だ……何故、ウォーカー夫人は長女だけを──』
利一が言い終えるより先に、ミカが口を挟む。
『ジェシーにとってエミリーは継子なんだ。上層部の連中は、エディに他の女を宛がって、子供を作らせた……そうして産まれたのがエミリーだよ』
利一は数秒間、絶句した後「何人?」と呟く。
宛がわれた女が1人だけとは思えない。産まれた子供はエミリー1人ではない筈だ。
(何人おる? メアリーの異母兄弟は一体何人産まれた? 犠牲になった子供は何人いる?)
それを考えて、怒りに震える。
ハインツはそんな利一を嬉しそうに見つめた。
『メアリーの異母兄弟については、実のところ僕も把握してないんだ。管轄が違うからね』
ハインツは続けて説明する。彼いわく──
エミリーの実母は、出産の際に脳出血を起こして亡くなった。実母を失ったエミリーはミカを含む怪物達に育てられ、5歳の誕生日を機にウォーカー家で暮らし始めたのだ、と言う。
勿論、その決定を下したのは上層部の連中であり、ウォーカー夫妻の意思は完全に無視されていた。
『ウォーカー夫人が夫と不仲になり始めたのは、この頃だね。まぁ無理もない。息子を奪われ、夫はせっせと余所で子作り、挙げ句の果てに他の女が産んだ子を押し付けられたんじゃ……ねぇミカ?』
ハインツは意味あり気に目を細め、ミカに同意を求めた。
『お優しいミカの事だから、当然、傷ついたウォーカー夫人を慰めてあげたんでしょ?』
利一は内心ハッとする。
ミカは以前、ウォーカー夫人との不倫を仄めかす発言をしていた。あれはエミリーを煽る為の虚言ではない、と察した。
不仲な夫婦と夢魔が1つ屋根の下で暮らして、問題が起こらない方が不思議だろう。
利一の脳裏に、夫人を誘惑するミカの姿が浮かぶ。
傷心の人妻を落とすなど、ミカにとっては簡単だろう。夫は余所で子作りをしていて家には不在がち。夫人を誘惑する隙は十分にある。家にいる姉妹は暗示で操ってしまえば済むし、邪魔になるのは同居している同僚だけだ。
(いや……案外、邪魔ではなかったのか……?)
夫人の精神が不安定になったり、非協力的な態度を取られるよりも、従順な方が護衛もしやすい。
だから夫人の不満を解消させる為に、ミカを宛がったのではないだろうか?
ウォーカーに子作りをさせる為にも、夫人の不倫は好都合だろう。強要されているとは言え、妻以外の女を宛がわれているのだ。罪悪感が無い筈がない。だが、妻が不倫しているとなれば話は別だ。
強要された不貞と、望んで不貞をはたらくのでは、断然後者の方が罪深い。妻の不貞をウォーカーが知っていたとしたら、妻に対する罪悪感など吹き飛んだに違いない。
それならば、同僚の護衛がミカと夫人の不貞に協力したとしても、何ら不思議ではないのだ。
(ウォーカー夫妻が不仲な方が……都合が良かったんや……もしかしたら上層部の連中は、ハナから夫妻を離婚させたかったんかも知れん)
では──ミカは上層部の命令で夫人を誘惑したのだろうか?
(それとも……)
『彼女と僕はただのお友達だよ』
ミカは冷たく言い放つ。
それを聞いて、利一の心臓が一際弾んで、痛みを感じた。
(俺が思っている以上に、ミカと夫人の仲が深かったとしたら……肉体だけやのうて……心で繋がっていたとしたら?)
だとすれば、ウォーカー殺害は単なる仇討ちではないと言う事になる。裁判では明かされなかった痴情の縺れがあったとしたら、事件の見方も変わるだろう。
ミカはウォーカー夫人に謝罪がしたいと言って渡米した。謝罪には、当然利一とヴィヴィアンも同席した。場所は夫人が入院している病院の中庭。ミカはそこで夫人と対面を果たし、誠心誠意の謝罪をして──夫人と和解に至った。
(そして和解の後……夫人がミカに護衛を依頼してきた……)
その依頼を聞いた当初、耳を疑った。和解したとは言えミカは加害者に違いない。
利一は不思議に思い、夫人に『何故なのか』と尋ねたら──
(ミカに成長した娘達を見て欲しい。長女の卒業を見届けて欲しい、と夫人は言うとったけど……)
ミカと夫人が再会して早々に和解したのも、夫人がミカに護衛を依頼したのも、2人が不倫関係にあったからだとしたら得心がいく。
バディ・ウォーカーを殺害した当時、ミカの方はともかく、少なくとも夫人はミカを信頼していたのだ。そして、その信頼は事件から9年経った後も続いていた。だから護衛を依頼したのだ。
(ミカ……お前はその信頼を裏切るんか。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとは言うても、限度があるやろ。ハインツだけやのうて、お前まで、他人の不幸を見んと気ぃ済まんのか?)
ここまで思い至って、更に疑問が湧く。そもそも何故、ミカは元不倫相手との再会を望んだのか?
その真意が分からない。夫人に謝罪しておきながら、何の罪もない娘の不幸を望むのは理解出来ない。
昔から、ミカの言動には一貫性がなく、矛盾にまみれている。彼の中で唯一ぶれないのは優先順位だ。ミカは自分以外の者に明確な優先順位をつけている。他者を平等に扱わない。順位が上の者には徹底的に尽くし、順位が下の者を容赦なく切り捨てる。
その昔、利一もミカに切り捨てられた経験がある。ミカはマグダレーナを守る為に、幼い利一を犠牲にしようとした。
(今、ミカは何を優先しとる? 何の為に……誰の為に行動しとる?)
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。
貴方の今日の残り時間が、楽しいものになりますように。
Thank You for reading so far.
Enjoy the rest of your day.