第159話【1975年】◆目覚めた利一と現れたハインリヒ◆
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【これまでのお話】
利一は場を収める為、相手を無力化するマグダレーナの軍服を使用したが、力の反動を受けて倒れてしまう。
利一が寝込んでいる間、人狼の襲撃を受けたリーは、隠していた正体──自身も人狼である事を曝して応戦するが、駆けつけたチェスターに目撃されて、逃走してしまう。
利一はそんな事とは知らず、亜空間の部屋で寝込み続けていた。
【登場人物】
柏木利一(42歳)
紙を媒体に術を行使する祓い屋。
尽きない活力と、呪いを無効化する力を持ち、対象を無力化する軍服を保有している。
性別を自在に変える事が出来るが、一応は人間に属する。
ミカとは30年来の付き合いで、複雑な想いを抱えている。
ミカ(別名マイケル)
夢魔の青年。
人間を操る力を持ち、自由に性別を変える事が出来る。
家族を狩人に殺され、加害者の娘であるメアリーを憎んでいる。
チェスター(愛称チェット)
人間から吸血鬼になった青年。
メアリーの不幸を願うミカと対立している。
メアリー
狩人と呼ばれ、怪物を無力化する血を持つ少女。
妹共々、母親に売られ、怪物達に監視されて生きてきたが、当の本人はその事実を知らない。
高校卒業と同時に、怪物達の家畜にされようとしている。
ヴィヴィアン・ジェファーソン
特別な呪いを受けた長寿の人狼。
これまで自身の種族をひた隠しにしてきたが、聴聞会の呼び出しをキッカケに、秘密を公にした。
ハインリヒ(ハインツ)(別名ヘンリー)
ミカの前妻マグダレーナの弟。
とある理由からミカを怨んでいる。
目標に到達する為の道筋が分かる能力を持つ。
リー
チェスターの父親役で町の有力者。
その正体は人狼で、現在は逃走中。
【1975年】
──中年の利一は夢を見ていた。子供の頃の夢だ。
真っ黒な空間に2つの月が浮かんでいた。月は時折、上下に瞼を閉じたかのように消えては現れた。目を凝らして見れば、上下の瞼が閉じられる刹那、薄い白濁の膜が月を覆い隠す。
(鳥の瞬きに似とる)
眼前に浮かぶ2つの月を見て、夢の中の利一──少年の利一はそう思った。
周囲は墨で塗り潰されたかのように真っ黒で、僅かな光源もなかったが、不思議と利一の姿は闇に染まる事なく見えていた。
「では……市は代わりに何を差し出す?」
2つの月が尋ねる。
「全てや。足の先から頭の天辺まで、血も肉も一滴残らず、俺の全てをお前にやる」
「魂もか?」
訊かれて、少年の利一は力強く頷いた。そして「お前が望むなら」と言い放つ。
すると──2つの月はくつくつと笑い出す。
「何が可笑しいねん」
少年の利一は訝しむ。
「これが笑わずにはおれるか。自己の犠牲を顧みず他者を助けようとする、その純真たる傲慢さ──正に私が知る市だ」
「……龍神、手を貸してくれ」
「お前は私のものになると言いながら、あの男と逃げたのだぞ? なのに今更、手を貸せと?」
「ああ、そうや。ここで俺を見捨てるのであれば、二度と市には会われへんぞ。それでええんか? よう考えてくれ。これがお前と俺にとって、最後の好機や」
少年の利一はそう言って、闇に浮かぶ2つの月を見据えた。
──夢はここで終わる。
中年の利一は、ハッと目が覚めて起き上がり、右手を見てから、瞼を擦る。
やけに現実感のある夢だった。一瞬、今の実年齢が分からなくなる程だった。
夢の中で、少年の利一は必死に龍を説得していた。あれは、かつて実際にあった事だ。
ミカに裏切られて彼の奴隷となり、そして地獄の門を開けさせられた。
それを思い出して、深い溜め息を吐く。
(熱はもう引いとる……)
己が倒れてから一体何日経過したのだろうか?
(ミカは?)
倒れている間、利一は、式神を用いて作った亜空間の部屋に避難していた。外界と完全に切り離されいた為、表の状況が分からない。
一先ず、寝汗を湯で流し、身支度を整える。ワイシャツに袖を通し、鏡の前でネクタイを締めた──その時、ふと思い出す。
利一は子供の頃、母親から服装の乱れがないように、口煩く言われて育った。動きやすい短パンを履きたいと母親に言ったが、みっともないときつく叱られ、泣く泣く断念した事がある。
そのせいか、大人になった今でも、服装に乱れがないように心掛けてしまう。
(でも、もう……)
もう母親から服装を咎められる年齢ではない。服装の決定権は己にあるのだ。その事に、今更気づく。
(そうや。……着崩してええんや……もう、ええ歳した、おっさんやねんから)
利一は結んだネクタイを外して、寝台に投げた。
妙に心が軽い。己は自由だと言う事を自覚する。
「稲羽」
利一がそう呼ぶと、どこからか1羽の白い兎が駆けてくる。
「外に出してくれ」
利一は白い兎を抱き上げた。途端に、周囲の景色がぐにゃりと歪んで潰される。舞台の緞帳が降りたかのように暗くなり、また直ぐ様、緞帳が上がる。景色の歪みが消えると、そこは寝室だった。リーが利一の為に用意してくれた来客用の部屋。表の世界に帰って来たのだ。
利一は寝室を出てから階段を降りる。人の姿を探して、赤い絨毯が敷かれた廊下を歩いていると、向こうの曲がり角から人が現れた。
ベリーショートの金髪に、愛らしい顔立ちをした少女。瞬時にメアリーだと分かった。
彼女の方も利一に気づき、一瞬目を丸くしたが、直ぐ様、笑顔で『おはようございます』と言った。
『あ……おはようございます』
今は朝なのか、と思いつつ挨拶を返す。次いで、何故メアリーがここにいるのだろうか、と疑問に思う。
『ミカをお捜しですか?』
メアリーがそう言ったので、利一は酷く驚いた。何故、メアリーは彼をマイケルではなくミカと呼んだのだろうか?
『こちらへ、どうぞ』
メアリーは、今し方来た曲がり角の奥に手を伸ばす。彼女に促されて、利一は奥へと進んだ。
赤い絨毯の続く廊下、どこで買い付けてきたのか、東洋的な調度品が幾つも並んでいる。一際、目を惹いたのは、見事な透かし彫りが施された中国の花台と、その上に飾られた鮮やかな有田焼の花瓶だった。
金持ちと言うものは、何故、異国の物を飾りたがるのか、と思ったが──斯く言う己の自宅も、祖父の代から収集された異国の調度品で溢れていた。それを思い出して、内心、苦笑する。
廊下を進んで着いた先は、書斎の扉だった。ノックをすると中から返事がある。若い男性の声──多分、チェスターだろう。
開けて入ると、部屋の中央にチェスターと幼い姿のヴィヴィアン、それにミカの3人がいた。
『やぁ……久しぶりだね。利一』
3人以外の誰かがそう言った。利一は悪寒を感じて振り向く。扉の陰に隠れるようにして、彼がいた。
──嘘だ。
彼を見た瞬間、そう思い、戦慄する。ダークブラウンの髪に、翠色の眼。中性的な顔立ちの青年。脳裏に焼きついている、悪魔の容姿。
『随分と長く寝込んでいたようだね。具合はもういいのかな?』
彼──ハインツは満面の笑みを浮かべて尋ねる。
『ハインツ……どうしてここに?』
思わず後退りして、3人を見る。皆、気まずそうに黙ったままだ。
『ああ、利一は寝てたから事情を知らなかったよね。説明するよ。ヴィヴィアンは襲撃を防げなかった責任を取って管理人を辞職したんだよ。今は管理人ではなく、僕の補佐になったんだ』
『補佐?』
ハインツが何を言っているのか、理解出来ない。ヴィヴィアンが襲撃の手引きを疑われて聴聞会に呼ばれた事は知っているが、あれから責任問題に発展したと言う事だろうか?
それでヴィヴィアンが辞職に追い込まれたのは分かるが、ハインツの補佐とはどういう意味なのか?
『彼女に代わって、僕が新しい管理人になったんだ。復職したと言った方がいいかな?』
『まさか!! あり得ない!! お前はミゲルを──』
『ああ、あの人狼の子だね。僕が何かしたと思っているの? それは誤解だよ。僕はミゲルを救おうとしていたんだ』
『救う……だと?』
絶対に嘘だと思ったが、口には出さなかった。
『今から16年前、とある人狼の夫婦が食殺事件を起こしたんだ。事態を重く見た上層部は、管理人数名を中心とした討伐隊を結成して、速やかに対処に当たったが……問題が発生してね。件の夫婦の討伐には成功したものの、何者かに妻の死体を奪われたんだ。その腹の中に胎児が潜んでいた。その後、討伐隊が奪われた死体を見つけた時には、既に胎児は摘出された後だった』
ハインツはすらすらと説明してから、満面の笑みでチェスターを見つめた。チェスターは堪らず視線を逸らし、ヴィヴィアンはハインツを鋭く睨む。
利一は、場の空気に異様な棘を感じたが、理由が分からず訝しんだ。
『それで……その胎児は?』
利一が尋ねるとミカが『それがミゲルだよ』と答えた。
「はっ?」──と思わず日本語に戻る。
『そう──そして、ミゲルの実親を討伐したのが、そこにいるチェスターだよ』
「なんやねんそれ!? いくらなんでも、あり得へんやろ!!」
偶然、親の仇がいる町に居合わせるなどと──その上、極身近な関係で巡り会うなど、果たしてそんな事があるのだろうか?
(阿保か!! あるわけが無い!!)
利一はハインツを睨む。
『ハインツ!! お前が仕組んだんだろ!!』
9年前と同じだ、と思った。ミカも家族の仇だとは知らずに、ウォーカー家の護衛を引き受けた。そして護衛を勤め始めて数年後、真実に気づき──殺害に至った。
あの悲劇を、今度はミゲルで再現しようとしている──そう思い、激昂した。
『違うよ、僕じゃない。多分、黒幕はリーだ。彼が管理人の目を欺き、ミゲルを匿っていたんだよ。ミゲルの義両親を雇っていたのも彼だしね。もしかしたら、胎児だったミゲルを摘出したのも、リーの仕業かも知れない』
『……一体、何を言ってる?』
利一が困惑していると、チェスターが口を開く。
『そいつが言ってる事は本当だ。リーは人間じゃねぇ。人狼だ』
『本当です。リーは人狼だったんです。恐らく襲撃も……彼の手引きによるものでしょう』
ヴィヴィアンも続けて言った。
『そんな馬鹿な! リーさんは……彼は今どこに?』
利一は震える声で尋ねた。
『リーは現在逃走中だよ。利一が寝込んでいる間に三度目の襲撃を起こし、その結果、正体がバレて、彼は仲間の人狼と共に逃げたんだ』
利一は酷い頭痛がして、頭を軽く押さえる。己が寝ている間に、状況は一変していた。理解と感情が追いつかず、目が回りそうだった。
(ジェファーソンさんは管理人としての権限を失い、代わりにハインツが管理人に復帰? その上、チェスターがミゲルの親の仇で、リーの正体が人狼やて……?)
なんでこんな事態になっているのか、と頭を抱える。
ハインツはその様子を見て、満足そうに微笑んだ。
『僕がこの町に来たのは、上層部からの依頼を受け、行方不明の胎児──ミゲルを探していたからだよ。勿論、彼を救う為にね。やっとの思いで見つけ出して、何度かミゲルと接触出来た迄は良かったんだけど……残念な事に逃げられちゃってね。今はどこにいのやら……』
『まさか分からないと言うのか? そんな筈は無いだろう! お前の能力なら見つけ出せる筈だ!』
『無理、無理。僕だって万能じゃないんだよ。……そうだな……例えば、裏側や亜空間に移動されたり……特別な呪いを行使されたら、見つけ出す事は出来ないよ』
言ってハインツは、利一をじろじろと見て、薄ら笑いを浮かべた。
『……何が言いたい?』
利一は眉間にシワを寄せ、低い声で尋ねる。
『別にぃ? ただ、利一なら、どちらも簡単にこなせると思ってさ』
『俺がミゲルを匿っているとでも言うのか?』
『えっ! まさか。そんな筈ないでしょ? 僕は君の無実を信じているよ』
利一は腸が煮えくり返る思いで、堪らず反論しようとするが、突然、手首を掴まれて我に返る。見れば、ミカに手首を掴まれていた。
「りっちゃん」
「なんやねん!!」
ミカは血の気が引いた顔で、利一を見つめる。酷く具合が悪そうだ。
「……ミカ? どないしてん?」
利一が尋ねるもミカは答えない。そのまま目を閉じると、大きく体を傾けて、あっと言う間に倒れた。
「ミカ!?」
チェスターが直ぐに駆け寄り、次いでヴィヴィアンも倒れたミカを覗き込む。
利一は跪き、何度もミカの名を呼んでから、ハッと気づく。
(俺が倒れてから、何日経った?)
その間に、ミカが活力を摂取していないとすれば、これは栄養不足による飢餓の症状だろう。
「お前っ!? 最後に飯食うたん、いつや!?」
ミカは弱々しく「利一が倒れる前かな」と答える。
「ド阿保!! 何しとんねん、消える気かボケ!! ちゃんと飯ぐらい食えや!!」
「……いや、だって」
「だってもクソもあるか!!」
「……君が、自分以外食うなて言うたんやんか」
確かに、自分の以外の男と寝るなとは言った。だが、それはあくまで男に限った話だ。女に関しては何も言及していない。
利一は「……阿保か」と、呆れて呟く。
「……そうや。俺は阿保やで? 知らんかった?」
ミカは無理して笑みを浮かべる。
「ホンマに……阿保の極みや」
(お前も……俺も……)
ミカは力の入らぬ手で、利一の襟元を掴む。
利一はその手に引き寄せられるようにして、ミカに顔を近づけた。
僅かに風が吹いて、利一の髪を撫でる。髪は瞬く間に伸び、背丈が縮む、肉体は女性特有の丸みを帯びた。
利一は変化を終えてから、黙ってミカに唇を重ねた。
普段ならば、人前でこんな真似はしない。飢餓で衰弱しているミカを前にして焦っていたのだ。
利一は背に刺すような憎悪の視線を感じながら、ミカに活力を与えた。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。
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