第158話【1975年】◆トムの懺悔◆
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【これまでのあらすじ】
リーから呼び出しを受けたトムは、ミゲルに化けた人狼に襲撃され深傷を負ってしまう。
一方、人狼の出現を察知したチェスターはエミリー達を連れて屋敷に向かい、正体を現したリーと負傷したベンジャミンを見つける。
【登場人物】
トム
メアリーとエミリーの護衛兼監視をしている怪物。姉妹を騙して、祖父のふりをしていた。
エミリー(妹)
狩人と呼ばれ、怪物を無力化する血を持つ少女。
姉共々、母親に売られ、怪物達に監視されて生きてきた。
姉の高校卒業と同時に、怪物達に殺されようとしている。
ミカに真実を聞かされ、運命に抗う事を決意する。
紆余曲折を経て、チェスターと恋仲なった。
ここ数日間、不思議な夢を見続けている。
チェスター(愛称チェット)
人間から吸血鬼になった青年。
メアリーとエミリーの護衛兼監視を担当していたが、2人が不幸になる未来を知り、救おうと決意する。
ミカ(別名マイケル)
夢魔の青年。
メアリーとエミリーの父親に、家族を殺された被害者遺族であり、
9年前に、その復讐として、姉妹の父親を殺害した加害者である。
姉妹を憎んでいて、2人の不幸な未来を待ち望んでいる。
人間を操る力を持ち、自由に性別を変える事が出来る。
ベンジャミン
記憶喪失の青年。身元が分からず、路頭に迷うところをアビーに救われ、リーの家で雇われる。
チェスターと出会ってから、奇妙な夢や幻覚を見るようになる。
メアリー(姉)
エミリーの姉。妹と同じく狩人。
リー
町一番の資産家であり慈善家の男性。
怪物達に協力して、チェスターと親子のふりをしていた。
その正体は純血の人狼。チェスターに正体を見られ、現在逃走中。
【1974年】
もし過去をやり直す事が可能であれば、私は直ぐ様メアリーとエミリーを連れて、どこか遠くへ逃げるだろう。
あの子達と初めて会った時の事を、今でもよく覚えている。
メアリーは赤いカーディガンに花柄のスカート。エミリーは白いセーターを着て、手には兎のぬいぐるみを抱えていた。
2人共も不安そうに私を見て、ぎこちなく挨拶をしてくれた。
──ああ、そうか。
──今日から、この子達が搾取される番なのか。
──そう憐れんだ。
私の目には、彼女らが憐れな2匹の子羊に映った。
定期健診と称して血を抜き取られ、散髪した髪や爪でさえ、武器を合成する素材として集められる。
子供が出来れば、死産と偽り奪い取られ、その真実を知らされる事もない。
彼女らは、そうやって管理された日々を過ごし、やがては老いて死ぬのだと思っていた。
それが違うと聞かされたのは、今の町に越して来た日の事。
相棒のエマが、ふと漏らした一言がキッカケだった。
『この町が、あの子達にとって最後の思い出の地になるのね』
私はどういう意味なのかと聞き返す。エマは悪びれる様子もなく、こう言った。
『どうやらメアリーとエミリーは、殺処分されるらしいの』
それを聞いた途端、思考が停止して、頭が真っ白になった。
エマいわく、彼女は上層部にコネがあり、そこから姉妹の処分について情報を得たらしい。
私が嘘だ、と言ったら、疑うなら管理人に尋ねてみろと反論された。
直ぐ様、管理人のヴィヴィアンに確認すると、彼女は素直に事実を認め、事情を知る怪物達を召集して、箝口令を敷いた。
不用意な噂話は、任務に差し障ると判断しての事だ。
確かにヴィヴィアンの言う通り、冷徹に割り切れない者にとって、殺処分の決定は影響を与えた。
──私がそうだ。
憐れみは重い罪悪感へと変わり、彼女らの笑顔を見る度に胸を締め付けられた。
私は、真実を知らなければ良かった、と後悔した。こんな苦しみを味わう位ならば、知らない方が幸せだった。
『下らない。一番可哀想なのはメアリーとエミリーでしょ。貴方の苦悩は、単なる趣味と同じじゃない』
エマにそう言われた時も、何も言い返す事が出来なかった。
──そうだ。
──一番、可哀想なのは彼女らだ。
──私に、自分を憐れむ資格など無い。
そう自分に言い聞かせ、良心の呵責に目を背けた。
だが──それらは確実に蓄積して、私の心を蝕んだ。
心のコップに、淀んだ水が、一滴、また一滴と落ちる。
水は毎日少しずつ貯まってゆき、気づけばコップの縁に達していた。
気力を振り絞り、表面張力で耐え忍んだが、その努力も虚しく、私の心は決壊した。
メアリーの卒業を来年に控えた、ある日──
私はとうとうヴィヴィアンに辞職を申し出た。
『もう無理だ。これ以上耐えられない。メアリーとエミリーが殺されると知りながら、優しい祖父を演じる事など出来ない!! あまりにも辛すぎる!!』
ヴィヴィアンは黙って私の話を聞いていた。
『どうして皆平然としていられるんだ!! エマも、リズも、君も!! 何故、誰も良心の呵責を感じない!! あの子達が一体何をしたと言うんだ!! これは何かの報復なのか!? あの子達の先祖が我々の敵だったからか? これが正義の行いだと言うのか!? 本気でこんな非道が許されると信じているなら、淘汰されるべきは人狼ではなく上層部の方だ!!』
気がつけば──私の目から、大粒の涙が溢れていた。
『今の発言は本気なの? ……トム』
ヴィヴィアンに尋ねられ、私は『ああ、勿論だ』と答えた。
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【1975年】
寝苦しさを感じて目を覚ます。途端に、ぼんやりとしていた痛みが明瞭になり、身体中のあちこちが悲鳴を上げた。ズキズキと内部に響くような打撲傷もあれば、火傷のようにヒリヒリと痛む深い擦過傷もあり、身動き一つする度に身体中のどこかが痛む。
取り分け頭痛が最も酷く、棍棒で殴られたのかと思う程、頭に響いていた。
彼は、痛みを堪えて周囲を見渡す。広い部屋、天蓋付きの立派なベッド、大きな窓にレースのカーテン、壁には花の形を模したブランケットライト。どれも見覚えがない物ばかりだ。
(ここはどこだろう?)
何故、己がここにいるのか分からず混乱する。
体を見れば丁寧に手当てが施されていた。
(早く起き上がって……畑に行かなくては……)
そう思うが、どうにも体が動かない。重い倦怠感、腕を動かすのもやっとの状態。恐らく怪我による発熱だろう。
(駄目だ……こんな所で寝ていたら……旦那様に怒られてしまう──……あれ?)
何かがおかしい。何かが違う。己は一体、何を考えていたのだろうか?
(……旦那様って……誰だ? 俺の雇い主?)
己の雇い主は穏やかな人柄で、病人や怪我人を無理に働かすような人物ではなかったと思う。
なのに何故、叱責を恐れたのだろうか?
しかも己は、庭師見習いとして雇われた身で、畑仕事をする筈が無い。そもそも畑など存在しないのだ。
(……俺は……誰だ?)
激しく混乱していると、誰かがドアをノックした。反射的に『はい』と返事をする。
入って来たのは見知らぬ少女だった。手には薬箱らしき物を抱えている。
彼は、彼女のベリーショートの金髪を見て、思わずギョッとした。あそこまで髪を短くしている女性は珍しかった。
『おはようございます。具合はいかがですか? お薬を持って来たので、飲んで下さい。これで少しは楽になると思いますよ』
言って彼女は、サイドテーブルに持っていた薬箱を置いた。
『……君は誰だ?』
『私はメアリーです。ミカから、貴方のお世話をするようにと言われて来ました』
『俺の?』
『はい、そうです。まだ無理をなさらずに、ゆっくり休んで下さいね。ベン』
メアリーに呼ばれて、ようやく己の名前を思い出す。
(ああ……そうだ。ベンだ。ベンジャミン……それが俺の名前じゃないか)
奇妙な事に、目が覚めてから今に至るまで、己の名前を忘れていた。
(ここは奥様と旦那様の屋敷か……?)
『さぁ、薬を飲んだら、包帯を替えましょう。傷口も消毒しなくては』
『ありがとう……あの、聞きたいのだが……旦那様はご無事だろうか?』
朧気だが、辛うじて思い出してきた。怪我を負って倒れる前、リーと一緒に逃げていたのだ。その後、チェスターが助けに来てくれた気がする。
『……彼はもういません』
『えっ!? まさか死んだのか!?』
『いいえ』
『なら、今どこに?』
『……貴方、どこまで覚えているの?』
『どこって?』
『……貴方は一体何者なの?』
『どういう意味だ?』
『……ミカが言ってたわ。貴方の記憶には辻褄の合わない箇所が無数にあるって。貴方の存在自体があり得ないって』
『何だよそれ? だいたい、そのミカって誰だ?』
『……彼は、私の妹の護衛よ。妹にはもう会ったでしょ。私はエミリーの姉なの』
メアリーは気さくな調子で言う。
ベンジャミンには護衛の意味が分からなかったが、それよりもエミリーの姉だと言う事の方が重要だった。
『エミリーの姉と言ったな。じゃあ、君はチェスターとも知り合いなんだな? 彼は今どこにいるんだ? 彼には聞きたい事が山程あるんだ。会わしてくれ』
『それは難しいわね。彼は今、ミカとお話し中だから。代わりに私が貴方の質問に答えるわ。勿論、答えられる範囲でね。その代わりに私からも質問をさせてもらうわよ。それでいいかしら?』
ベンジャミンは了承して頷くが、直ぐ様、痛みに喘ぐ。
『いだだだ』
メアリーはそれを見て、クスクスと笑い『先ずは、手当てが先ね』と言った。
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【1975年】
──エミリーは夢を見ていた。
無限に続く真っ白な空間に、祖父役の怪物トムと2人きり、向かい合わせで佇んでいる。
トムは寂しげに笑って見せて、少し嗄れた声で『エミリー』と呼ぶ。その響きにはエミリーに対する優しさが溢れていた。
『おじいちゃん……どうしたの?』
エミリーは、内心、本当の祖父ではないと思いつつ、そう呼んだ。
『すまなかった。最後まで君を守ってあげられなくて』
『最後って、どういう意味?』
『エミリーの物語の結末まで、と言う意味だよ。残念だが、私はここで舞台を降りなくちゃならないんだ』
『おじいちゃん、どこかに行っちゃうの?』
『ああ、だからエミリーと会えるのも、これが最後なんだ。今まで、ありがとうエミリー。君達に出会う事が出来て、私は本当に幸せだったよ。どうか、メアリーにもそう伝えておくれ』
『どこへ行くの!? 行かないでよ!!』
『エミリー。今からとても大切な事を伝えるから、よく聞くんだ。ハインリヒと言う怪物の事だ』
『ハインリヒ?』
トムは『そうだ』頷く。
『彼を何とかしなければ、君達の物語は最悪の結末を迎えてしまう。君もメアリーも死んでしまうだろう』
『わ……私は、何をすればいいの?』
『ミカから教えられただろう? 不死の怪物を殺す方法を』
確かに教えられた──狩人が手にした武器で直接攻撃を加えるか、あるいは血を塗った武器で殺せると教わった。
『エミリーはか弱いから、知恵を働かせて闘うんだよ。そして、どうか約束して欲しい。何があっても絶対に生きると。どんな犠牲を払っても生きるんだ。図太く、強かになりなさい。舞台の途中で、大切な誰かが退場する事になっても、最後まで諦めずに跑くんだよ』
トムはエミリーを抱き締める。
『救ってやれなくて、すまなかった。愛してるよ、エミリー』
『おじいちゃん!』
──ここで夢が終わり、エミリーは目を覚ます。ベッドから飛び起きて、横を見るとミカがいた。背をこちらに向け、ベッドに腰掛けている。
『ミ……マイケル……おじいちゃんが……』
自然と涙が溢れて止まらない。視界が滲む。喉が詰まって、上手く言葉にならなかった。
『トムは死んだよ』
ミカはそう告げて立ち上がると、一度もエミリーに顔を見せる事なく部屋の扉を開けた。
扉を開けると、チェスターが部屋の前に立っていた。チェスターは酷く憔悴した暗い顔で、ミカと入れ替わりに入室する。
2人は一瞬、互いに視線を交わして、無言のまま擦れ違う。
『チェスター……私、あれから、どうなったの?』
エミリーは泣きながら尋ねる。
彼女が覚えているのは、車で屋敷に向かったところ迄だ。そこから後の記憶が無い。気づいた時には夢の中で、祖父役トムと対面していた。
『……俺の屋敷に着いて直ぐ、血だらけで倒れているトムを見つけたんだ。……お前はトムの姿を見て、ずっと泣き叫んでいた。……記憶が無いのは、ミカがその時の記憶を消したからだ』
エミリーはそれを聞いて、堪らず声を荒げて泣いた。
先程見た夢は、夢であって夢に非ず。やはり現実だったのだと理解して──心を深く抉られた。
偽の祖父だと分かった時は、酷く憎らしく思えたが、最後の最後に愛されていたと知った。
(おじいちゃん……私も愛していたわ!)
それを伝える事が叶わなかった。
もっと早くに、彼が味方であると知りたかった。知っていれば、何かが違っていたかも知れない。
悲しみと後悔が渦巻いて、祖父役との思い出が甦る。溢れ出る感情に飲み込まれ、唯々、泣く事しか出来なかった。
チェスターは、嘆き悲しむエミリーを黙って抱き締め続けた。
部屋の前では、ミカが扉を背に佇んでいた。ミカは無表情のまま、エミリーが泣き止むまでそこにいた。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。
貴方の今日の残り時間を楽しんで下さい。
Thank You for reading so far.
Enjoy the rest of your day.