第153話【1944年】◆◆裏側の秘密と契約書の色◆◆
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【前回の話(第152話)↓】
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【前回のあらすじ】
マグダレーナの協力を得て、ついに龍神は倒された。
利一にかけられた呪いは解け、少年に戻る事が出来たが……
【登場人物】
柏木利一(12歳)
生まれた時から生け贄になる事を定められた少年。
龍神から(龍神の呪い以外の)呪術を無効化する加護と、日没の間、女体化する呪いをかけられている。
紙を媒体に呪術を行使する事が出来る。
ミカ
裏側と呼ばれる異世界に封印されていた怪物。
裏側に迷いこんだ利一を保護する名目で主従の契約を結び、利一を奴隷にした。
マグダレーナ
ミカの主。
戦争に負けて、裏側に封印されている。
【1944年】
利一は唯々、呆然としていた。
呪いが解けた事が信じられず、マグダレーナの足元に目を向ける。マグダレーナの靴の下で、潰された龍の頭を中心に、大きな血溜まりが広がっていた。
龍は、玉座の間に入った途端、力を奪われ、巨大な体は腰紐のように縮まった。不意を突かれ、マグダレーナに潰されたのだ。
縮まった龍の体は尾にゆくにつれ細くなり、尾の先端から細い糸が延びている。糸の端は見えないが、玉座の間の扉を越えて、廊下の奥へと続いていた。
(もしかして……表側の山に続いとるんやろか?)
そう気づいて不安が過る。本当に龍は死んだのだろうか?
利一の思考を読んだかのように、ミカが口を開く。
『まだ完全には死んでないよ。彼に死なれては困るからね』
ハッとして、ミカを見ると、酷く暗い顔をしている。慈悲の欠片もない冷淡な眼で、少年を見据えていた。
「……ミカ?」
心臓が跳ね上がり、悪寒を感じた。
『だって、彼に死なれたら……君の加護まで消えてしまうだろ? それでは困るんだよ』
先程から、ミカは日本語を使う事を止めていた。それが一層、不気味でならない。
「何を……言うてんねん」
『多分、君は……この裏側の世界がどう言う場所なのか、とっくに気づいてるんじゃないか? 僕達が何者で、何を糧に生きているのか……薄々勘づいていただろ?』
ミカは低く威圧的な声で指摘した。利一の恐怖は更に増す。
「糧って……」
利一はマグダレーナに目を向けた。彼女は表情を一切変えず、利一を見つめている。
『……貴女は、何を糧に生きているのですか?』
利一は、マグダレーナに通じる言語で尋ねた。
ミカは夢魔だ。人間の活力を糧としている。実際、彼は何度も利一の活力を喰ってきた。
幅広く定義するならば、人間を喰って生きているのと同義であり──ミカは人喰い種族と言う事になる。
裏側に落ちて、一番最初に利一を捕らえたレッドキャップ、利一を襲った人狼の男、同じく鰐の怪物、トンネルにいた赤い目をした彼──それらの頂点に君臨するマグダレーナ。
利一はミカと海に行った日を思い出す。あの日の朝、ハインリヒに連れられていた人間達──彼らは【献上の品】と呼ばれていた。
利一を襲った人狼の男も、利一に対して【献上の品】なのか、と尋ねていた。
『貴女の糧は……献上の品ですか?』
利一は震える声で、核心に迫る投げ掛けをして、もう後戻り出来ない事を覚悟した。
暫しの沈黙を経て、マグダレーナは徐に口を開く。
『ああ、そうだ……私は──私達は、人間を喰う怪物なのさ。裏側は、そんな怪物達が封じ込められた世界──言わば墓場なんだよ』
利一の母親の勘は的中していた。裏側の住人達の正体は、人間に害を為す妖かしだった。
一気に血の気が引く。指先が冷たくなり、全身の筋肉が強張る。
『この世界を包む檻には、私に、死を齎す呪いが掛けられているんだ。お前も見たろう? この城を貫く巨大な刺を。……あれは死の呪いが具現化したものだ。そして、主である私が死ねば、私の配下も全員死ぬ。私達は、そう言う誓約を結んでいるのさ』
利一はハッして、ミカを見た。ミカはマグダレーナの発言に対し、顔色一つ変えていない。
ミカは以前──この世界には、敗戦者の命を縮める呪いがかかっている。その為、本来の寿命よりも早くに死が訪れる──と言っていた。次いで──自分は呪いなど平気だ。元々、寿命などありはしない──と。
だが、それより以前──利一が初めて城を訪れた日に、ミカはマグダレーナに対する忠誠を口にしていた。裏側がどんな場所であろうと、マグダレーナがいるから裏側にいるのだと言っていた。
(もしかして……あれは嘘やったんか?)
マグダレーナの言葉が真実ならば、ミカも無事では済まない筈だ。
ミカは怪我をしても立ち所に治る──その身は不死だ。だから、恐らく寿命が無いと言うのは本当だろう。マグダレーナに対する忠誠心も本物だと思う。
嘘があるとすれば、それは──
『そうだよ……主であるマグダレーナが死ねば、配下である僕も死ぬ。不老不死だろうが関係無い。檻の呪いは、平等に配下の命を奪う。君に、平気だと言ったのは嘘だ』
ミカは静かにそう言った。彼は、全て承知でマグダレーナに仕えていたのだ。
利一は、冷淡な眼の奥に、揺るぎ無い忠誠心を見た気がした。
『この空間は、本来、玉座の間などではない。死の呪いを回避する為に張った結界だ。少しでも生き長らえる為にね、私自ら張ったのさ』
マグダレーナは目を細めて微笑む。
『だが……それも、もう限界に近い。死の呪いは時間をかけて、徐々に結界を蝕んだ。蝕まれた結界から、少しずつ呪いが染み込んで、私は寿命を削り取られた……死期が迫っているのだよ』
利一の鼓動は速まる。嫌な汗が首筋を流れたが、それを拭う事すら出来ず、微動だに出来ない。
『だから、お前の加護が必要なのさ。檻を壊し、死の呪いを打ち破る為にね』
『……その為に俺を助けたのですか?』
ミカとマグダレーナは、どこかの時点で企んでいたのだ。利一を利用して、生き延びる事を考えていた。
『檻を壊したら……貴女方はどうする気ですか?』
するとミカが『そんな事、決まってるだろ』と口を挟んだ。
『檻が無ければ、僕らは自由に表側に行ける。わざわざ表側にいる仲間に、人間を送って貰う必要もない。自分で狩りに行けるのだから』
利一は、人狼から聞いた話を思い出した。裏側にいる人間達は、表側で売買を経て来たのだと。
その理由は、働き手が必要だからではなかったのだ。必要とされていたのは生きる為の糧──人間そのものだ。
城の地下にいたメイド達──彼女達も城の住人の糧だったのだろう。
(おそらく、ミカの……)
次いで、利一は兎の穴を思い出した。あの穴は、今、表側の別荘の庭に固定されている。
檻を壊し、表側に出るならば、あの穴は確実に出入り口になるだろう。
そうなれば、別荘一帯は人喰いの狩り場となる。日本は丁度、戦争の真っ只中。何人喰われようが、戦火に紛れてしまえば表沙汰になる事もない。格好の餌場だ。
「ふざけるな! 俺がそないな事に手ぇ貸す思うか!?」
利一は何とか気丈に振る舞って、ミカを睨む。
『勿論、思わない。でも君は僕の奴隷だろ? 拒否権は無いよ』
ミカは6色に彩られた立方体を取り出した。赤、青、黄、緑、白、黒の六面体──それは利一を奴隷に下した契約書──呪物だった。
『利一と契約した時、正直驚いたよ。こんな多彩な契約書は見た事がなかった』
「……色が何やねん」
『契約書は、契約をする者によって色が変わるんだ。その者が背負う運命が大きければ大きい程、色味が深くなり、多彩になる。3色でも珍しいのに……君が、僕に従魔の仮契約を施した後、契約書は6色に変化した。最初は、契約内容が書き換えられたのかと思ったけど……違ったんだ。……今なら分かる』
利一は、ミカの説明が飲み込めず、怪訝な顔をした。
『これは利一だけではなく、僕らの運命を表していたんだ。僕と利一、延いてはマグダレーナのね。奴隷と従魔の契約が混在した結果、契約書に僕ら3人の運命が反映された。6色の色彩はその証しだ』
利一は目を丸くする。
『利一……怪物の生け贄として生まれ、呪われた運命を背負う憐れな子供。自己を犠牲にして親族を救おうとした、君の行いは尊敬に値する。僕らは、呪われた運命から君を救った。だから今度は、君が、僕らを救う番だ』
利一の目には、契約書の赤が血に、白が人骨、黒が絶望の色に映った。黄は陽光、青い空の下、緑豊かな大地に人喰いが蔓延る──そんな光景を想像した。
これから、ミカに命じられて、地獄に通じる門を開けるのだ。救った筈の親族を死なせ、多くの人間をマグダレーナ達に献上する。
契約書の色彩は、利一が積んだ善行と背負う罪の表れに思えた。
「ミカ……やめてくれ」
悲しみが滲んだ声で懇願する。ミカを己の味方だと信じていたのに。こんな裏切りは予想していなかった。怒りよりも悲しい気持ちでいっぱいだった。
「俺の事、相棒やと言うたやんか。そやのに裏切るんか?」
『裏切る? 何を馬鹿な。僕は怪物で、人間を糧としていると説明したろ? 最初から分かっていた筈だ。裏側に人間の味方はいない。僕らは、元々、人類の敵なんだよ。だから、封印されたんだ』
「ほな、ミカ達が戦っていた相手って……」
ミカは、戦争に負けたから封印されたと言っていた。ならば、その戦争とは──
『人類──と、人類に味方する怪物の軍勢だ』
利一は足から力が抜けて、膝を着き、その場に座り込んだ。
己の知らぬ所で、誰かが人喰い達と戦い、そして世界を救ってくれていた。そんな事実を知って愕然とする。
表側では、人間同士が争い、多くの命が失われているが、ミカ達が敗戦していなければ、事態はもっと深刻だっただろう。
首の皮一枚繋がって、辛うじて得た秩序。ミカはその秩序を壊そうとしている。
「嫌や!!」
一言叫んだ途端、頭の芯がぼんやりして、体の主導権を失う。拒絶したいのに出来ない。意識だけが鮮明だった。
『おいで、利一』
ミカに呼ばれて、利一は素直に立ち上がった。彼の手を取り、側に立つ。
いつの間にか、玉座の間の入り口に城の住人が集まっていた。トンネルにいた人狼達、赤い目をした彼と、その同族らしき怪物が数人。他にも、人喰いと思われる怪物が寄り集まり、利一とミカを見つめていた。全員、似た軍服を纏っていて、一目でマグダレーナの配下だと分かった。
赤い目をした彼が、集団から一歩出て、酷く申し訳なさそうな顔をしながら、ミカの名を呼んだ。
ミカは彼の方を向き、何事かと言わんばかりに目を丸くする。
『ありがとう、ミカ』
彼は被っていた軍帽を脱ぎ、ミカに感謝と敬意を表した。他の怪物達も、つられて軍帽を脱ぐ。
『まさかお前が、皆を救う為に、ここまでやってくれるとは思っていなかった……てっきり……』
彼は言葉に詰まる。すると、ミカは詰まった言葉の先を読んで口を開く。
『てっきり、皆を見捨てて僕だけ脱出するのかと思った?』
ミカの言われて、彼は素直に頷く。
『ああ。ずっと、お前を疑っていた。カビールとの戦争に負けたのも、お前のせいだと思い込んでいたんだ。そんな筈はないのに……』
彼は視線を落とし、一呼吸おいてから、真っ直ぐにミカを見つめ直す。
『ミカが俺達を裏切るなんて事は、絶対になかったんだ』
『……内通者は僕じゃないって、やっと信じてくれた?』
『ああ。疑って、本当にすまなかった』
彼の言葉を受けて、ミカは意地悪そうに微笑んだ。
利一には、詳しい事情が分からなかったが、彼らのやり取りから察するに、ミカは仲間達から裏切り者だ、と疑われていたらしい。
ミカと仲間達に妙な溝があったのも、マグダレーナに贔屓されていたからではなく、誤解が原因だったのだ。
『だから、ミカではないと言ったろう』
マグダレーナはそう言った。
『申し訳ありません。我々が浅はかだったのです。ミカは捕らえられた我々を追って、共に呪いを受けたにも拘わらず、彼に対する疑いを晴らすどころか、それすらも、罪悪感故の欺瞞だと疑っておりました。そうする事で、彼を不満の捌け口にしていたのです。マグダレーナ様のお言葉を信ずる事すら出来ず、本当に愚かでした』
赤い目をした彼は、もう一度ミカに視線を合わし、再度『すまなかった』と謝罪した。
『もう、いいんだ。許すよ』
ミカはそう言って、満足気に笑った。
──その隣で、利一は思考を巡らせていた。
何とか打開策は無いものだろうか?
(このままやったら、表側の皆が殺されてまう……)
ふと、龍の尾から伸びる糸が目に付く。ミカは、龍はまだ死んでない、と言っていた。
(……呼び掛けたら、返事するやろか?)
余りにも滑稽な話だ、と思った。つい先程まで、ミカ達の協力を得て、龍を退治したばかりだと言うのに、今度は瀕死の龍に助力を乞うて、ミカ達を退治出来ないかと考えていた。
(自分のお粗末な有様が、情けなくて恥ずかしなる)
仮に、龍の意識がまだあったとしても、己を騙し、裏切った利一に対し、力を貸す保証など無いのだ。寧ろ、貸さない方が当然だろう。
だがしかし、他に良い案が思いつかない。
利一は意を決して、心の中で龍を呼んだ。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。
貴方の今日の残り時間を楽しんで下さい。
Thank You for reading so far.
Enjoy the rest of your day.